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ウィルナの願い星 Self-centered   作者: 更科梓華
第一章 終幕 ~厄災の起日、それは誰かの不幸で誰かの幸運~

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漆黒に燃える二羽の飛燕(6)

貴族の屋敷から馬十二頭を入手したウィルナ達は移動速度を極端に低下させた。


夜明けまで二時間ほどの一番暗い闇夜は火災の獄炎に明るく染まる。その熱波の中で大通り中央部を進む一行は、馬の手綱を引きながら歩いて進んでいた。


乗馬の経験があったのはヴィガのみ。獣人達皆がかつては奴隷で、乗馬を経験する由も無い。


「乗馬は無理です」


ヴィガはウィルナのその一言を、乗馬経験の有無を聞かずとも知ってた気がした。だから落胆も無く馬を引いて歩く決断も即座に出来た。


「乗馬道具一式だけで良かったんですか?他にも色々あったみたいですけど」


ウィルナは馬に馬具を装着するヴィガに邪魔者扱いされ、厩舎内に保管されていた品々を興味津々で手にとっては眺めて放り投るを繰り返していた。


どの馬具も見た事の無い形状で用途も不明。畑仕事用の馬具など存在して無かった。その品々を殆ど置いて来た事を疑問に感じて横を歩くヴィガに質問してみた。


「良いんだ。他の物はあそこの貴族の家紋入り。そんな装備品は使いたくない」


ウィルナはヴィガの言葉で『家紋』の意味が分からない。それでもヴィガの声から感じ取った強い拒絶感。それだけで意図は十分理解出来て背後に視線を向けた。


「問題無さそうですね。えと、背筋を伸ばして前を向く。ですよ」


ウィルナはその両手が引く二本の手綱の内、右手側一本の白馬の背に目線を上げて声をかけた。


「はい、だいじょうぶです」


馬の背にまたがる少女は、馬が歩く度に上体を揺らしながらも安定を努めて保つ。馬の蹄が石畳に穏やかな音を打ち鳴らし、それが十二頭ともなれば火災の燃焼音にも劣らない。


「お前は乗れないんだろ。何処で覚えて来たんだ」


同じく四頭の内一頭に少女を乗せた馬達の手綱を引いて歩くヴィガが、呆れ顔でウィルナを眺めて突っ込んだ。


「ふふっ。内緒です」


ウィルナはディロンの言葉をそのまま背後の少女に渡した。懐かしい記憶の言葉だった。そしてヴィガを見つめて不敵に歪んだいやらしい笑顔を見せた。


ヴィガはそんなウィルナに苦笑を返して背後に視線を送る。


背後を歩く獣人男性三名も、それぞれ馬二頭の手綱を引いて歩いてくれた。そして馬二頭の背には獣人女性が二人。ヴィガが略奪して来た布袋二つを一人が、木樽を一人が抱えて各々の馬にまたがる。


「最後の目的地だ。ここは無事どころか屋内に明かりも見えるな」


ヴィガは大通りに面した敷地内と、外部を隔てる高い石壁の奥に見える貴族邸宅を確認。閉ざされた鋼鉄門の前まで誘導して声をかけた。


この場が襲撃する貴族邸宅最後の場所。目標七軒中二軒しか襲撃の価値すらない状況だった。


中央区に密集した豪邸である貴族邸宅。それ故七軒の移動には時間がかからない。しかし襲撃前に襲撃されて崩壊炎上しているか、逃走後で屋敷内部に生存者の影すら見えない屋敷が大部分を占めた。


「この屋敷は一番大きいですね。屋敷内殆どの場所が明るいです」


都市外襲撃者の脅威にも抗うように明るく照らし出された屋敷と敷地内。ウィルナは壁越しに見えていた巨大な邸宅の灯りを目にして驚きを隠さない。


「この屋敷の主人はこの都市でかなりの権力者だ。まあ醜いクズだがな」


ヴィガは吐き捨てるように言葉を述べた。その怒りを含んだ心情は察して余りある。


「ヴィガさんって結構我慢してたんですね。嫌いな人が多すぎません?」


「馬鹿言え。お前は人間嫌いだろう。それに比べれば可愛いもんだ」


「あー。確かに。うんうん」


「っふ。素直に納得するな。――まあいいが扉を開けてくれ」


「これだけ明るいという事は警戒と監視がいませんか?」


ウィルナの妥当な意見。出入り口である鋼鉄門にも敷地内にも人影は無い。警備要員含め、明るい屋敷内に全員が籠城していると見ていい。しかしヴィガにも目算はある。


「あるだろうな。お前ならどうする?くくっ。俺ならお前がいる。答えは正面突破だ」


ヴィガは口角を片側だけ釣り上げ、野性味帯びた歪んだ笑みをウィルナに見せた。


単純に今から始める闘争に血肉が沸き立ち、周囲で燃え盛る火災の獄炎より荒々しく禍々しい熱量を体内に宿したせいだった。


「ヴィガさんは、ほんと力業ですよね。猪突猛進って言うんですよ」


ウィルナは笑顔で返した。ウィルナも死地に赴くにあたり、体内で熱量が加速度的に蓄えれる感覚を有した。


ウィルナは知識を求める戦闘狂。そこに加わったヴィガも単純な力業を好む戦闘狂。結局二人は顔を向かい合わせて愉快に笑い合った。


それを見つめて佇む獣人達は無言。


「この屋敷にも仲間がいるのか?この場の獣人も解放しに行くのか?」


二人を黙って眺めていた獣人男性が声を上げた。


その急く姿は颯爽と流れた言葉にも現れ、仲間を思い焦る気持ちを表す不安な表情は、笑い声を止めた真顔の二人に直視されて固まった。


「勿論です。この屋敷の感じなら生存している可能性が高いです。行かない理由がない」


ウィルナは意気揚々と獣人男性に笑顔を向けて答えた。そこに見せた不安や恐怖心は皆無。例えば目の前の店で買い物して来るね。と言っている気にさせる陽気な話し方だった。


「俺達の事は心配ない。お前達を救出する以前からこの国の敵対者だ」


ヴィガも落ち着いた声を投げかけた。獣人の為に血を流す。罪を犯す。その事で今いる獣人達に微かな罪悪感をも抱かせたくは無い。


「俺も行く。戦闘は未経験だが変身する」


ウィルナと同世代か年下に見える最年少獣人青年は意を決した。その決意表明の発言後には口を堅く閉ざした。ヴィガを見つめた。そして沈黙の中で視線を移し、ウィルナに了解の意志を願い出た。


「馬鹿な事は止めろ!変身後、俺達はどうなるか分からないんだぞ。お前が理性を失ったらどうする!」


真っ先に沈黙を破って反発したのは他の獣人男性。その悲痛な叫びは変身が未経験且つ、どれだけの危険を生じさせるか皆目見当が付かない事を意味していた。


「その時はお前達が俺を止めてくれ」


最年少獣人青年は悲しみをたたえて微笑した。その声も悲惨だった過去の記憶に光を差し込む仲間達の眼差しに向けられた。


それは最年少獣人青年が初めて見せた優しい笑顔。それにはまったくもって似つかわしくない言葉。暴走して獣と化したら殺してくれという悲しい意思表示。


「――くっ。それなら――」


「俺だけで良いんだ!辛い牢屋の中で皆に良くしてもらった。だから俺だけで良い」


言葉を遮る為に口調を強めた言葉には慈愛が満ち溢れた。そして獣人達はそれぞれが思いを胸に、固く口を閉ざした。沈黙の中で時は流れた。それほどの強い意志を獣人青年は見せていた。


「皆さん素晴らしいです!僕は人という存在を目にした今!正に感動してます!」


獣人男性二人の心温まる光景。獣人達の青年を思う悲痛な表情。それに大歓声を上げて喜び勇んだウィルナは大声量で沈黙を切り裂いた。


それは外の世界で望んでも手に入れがたい友情の絆。ウィルナが望んだ人のあるべき優しい姿。


それを目にしたウィルナは羨ましく感じると同時に感嘆した。命を捨てる覚悟を瞬時に出来る存在は希少。それが同世代の青年であるなら尚更。


「お前は少し落ち着け?」


ヴィガは両目を輝かせて胸の前で両拳を固く握るウィルナを、冷たい視線と疑問符付きの声で静止させた。今から戦闘だというのにその姿は不安しか感じさせない。


「すいません。ついつい興奮しました」


「まあいい。幼い君達二人は俺達と行動を共に。君には希望通り戦闘参加を認める。君達男性二人は女性二人と馬の護衛だ。この正門近くで待機」


ヴィガは簡単な指示を与えた。これから行う戦闘は総力戦。


この明るい屋敷には、照明をつけても問題無いほどの人員が配置されている筈だ。そして第二段階となる南区の奴隷市場もある。夜明けは近い。時間が無い。


「行くか」


「はい。それと変身して暴れても大丈夫です。皆さんには僕の防御魔法が付与してあります。それに僕が必ず何とかします!」


ウィルナは以前落ち着きを見せない。変身に興味が尽きない。そして熱い友情に胸を打たれた興奮は未だ収まる事が無い。


「そういう事だが油断はするな。君達二人は俺から離れるな」


ヴィガは近寄って来た少女二人に声をかけた。彼女達には屋敷内でやってもらう事がある。そしてヴィガの言葉に頷く少女達の身の安全は近い方が取り易い。破天荒な仕草を見せるウィルナには任せられない。


「それでは行きましょー。ド派手にドーン!」


ウィルナは殊更巨大で黄金に光輝く魔槍を自身上空に構築。ドーンの言葉に合わせ、鋼鉄の二枚扉を轟音たる破壊音で撃ち破った。


その鋼の扉は巨大。それに合わせて魔槍も巨大という理由でも無く。ウィルナは単純に楽しかった。獣人達のやり取りで浮いた心は魔槍の大きさに加算された。


そして飛翔を続けた魔槍は緩やかな上昇の軌跡を描き、正面遠方に見える巨大な屋敷上部の屋根を破壊通過して爆音を残し上空へと消え去っていった。


「おぉーワラワラいますよ。暗い人影は、まるで蟻の様です」


ウィルナが先頭に立ち、かつて鋼鉄扉が存在していた門を通過。


そこに足を踏み出した者は皆無。ウィルナが見せた規格外の魔槍に、ヴィガさえ呆気に取られて硬直してしまった。


「お前は落ち着け。やりすぎなんだよ」


ヴィガが両手は腰に頭は傾き、肩を落として呆れた声を出した。


「大丈夫ですよ。獣人の人達がどこにいるか分かりませんから逸らしましたし」


ウィルナの天使のような笑顔は悪魔的な陰影を見せる。子供が遊び場にでも入るかのような軽い足取りに陽気な声音。明らかな性格破綻者が持って良い次元の力では無かった。


「あぁ、そうか。お前なりに気を遣ったんだな」


「勿論です!皆と戦えるなんて光栄です!」


「分かったから落ち着け。お前の言葉通りかなりの数だ。あれは傭兵部隊か。屋敷内部にもいるだろうから注意しろ」


ヴィガが足を進め出した事で獣人達も我に返り、その背後から馬を引きつれて門を通過した。


「俺が先に行く。暴走したら頼む」


獣人青年はその言葉を残して歩く速度を速めた。そのやせ細った後ろ姿に怯えも後悔の念も感じさせない。


ヴィガは獣人青年を無言で見送り、馬の手綱を門の横にある樹木に結び付けていった。その数は合計で十二本。


ヴィガは戦列に加わる為に作業を急いだ。広大な敷地内の最奥に聳える屋敷から駆け出て来る男達の手には、抜き身の武器が闇夜に光る。


しかしこの場には存在しない筈の雄叫びが轟く。ヴィガは獣人女性二人との共同作業中に聞こえた獣声に振り向いた。


ウィルナはヴィガに馬二頭を預けて獣人青年の後ろについて歩いた。


暴走したら必ず止める。君達は必ず守る。その自身の言葉はウィルナに足を進ませた。暴走したとしても獣人青年と離れる訳にはいかない。


「少し離れてろ。変身にどれだけ時間がかかるかも分からない。暴走したらすぐ逃げろ」


獣人青年は細い小枝のような背を見せたまま、背後のウィルナに声をかけた。


人間が魔物魔獣と同列に扱う獣人の変身後。ライカンスロープという種族の獣化は狂気じみた畏怖を人間達に刻み込んでいた。


それを知っていた青年も念のためにウィルナの心配をして声をかけた。目の前には駆けて来る傭兵集団。時間が無い。そして人間に恨みを晴らす絶好の機会でもある。


「僕は大丈夫。君は必ず僕が守る」


獣人青年はウィルナの声に肩を少し動かした。振り向いて笑顔を見せようとした。今から死ぬかもしれないと感じさせる予感がそうさせた。しかし止めた。やはり会って間もない人間との馴れ合いは難しい。そうさせる過去の悲惨な記憶が蘇る。


そして開始した獣化。


「うぐっ!何だ!?――があっ・・・。ぐああぁ」


獣人青年は直後に体を激しく折り曲げた。膝は曲がり頭は真下を向いた。そして上げた声は獣の咆哮では無く、苦痛に耐え忍ぶ叫びの悲鳴。


変身は体構造を無理やり変異させる行為。素手で体内部をいじられる感覚は凄まじい苦痛を与えた。


そして獣人青年の体は前方に傾倒した。転倒を防ぐ為に着いた両手は、石畳の通路に深く明確な爪痕を刻み込む。


「いぎっいぃっ!――くっ。あがっ!――がぁあああ――」


悲鳴の瞬間跳ね上がった体。両腕は広げられ、全身を反らして胸部を上空へとせり上げる。


その胸部はボロの衣服を引き裂かんばかりに急激に巨大化した。そして獣人青年はその布切れを掴んで脱ぎ捨てた。それが唯一の衣服。ズボンどころか下着すら貰えず未着用。


しかしその裸体は黒の強い灰色狼のような獣毛に覆われていた。


最初に変異した胸部。次いで腕そして両足。その腕は人間の胴体程の太さへと巨大化し、両足は獣特有の関節と構造を見せる。


「がっくっ!――ギイッッ。――ぐおああァアアア」


最後に侵食されていく頭部。獣声へと変貌していく声と共に、首には太く脈打つ血管が浮き出ている。


そして獣毛に覆われつつせり出していく口は狼の顎へと徐々に姿を変え、その先には巨大な犬歯が鋭く光る。


「グルルルウゥ・・・」


それはウィルナが変身を見届けた獣の小さな唸り声。


丸めた背中は小枝の背では無く巨大な獣のそれ。


ウィルナの目線からでも見上げる巨大な背中は常に激しい上下を繰り返し、頭部の尖った耳は常に周囲の音を認識して動き続ける。


ひくついた鼻先でウィルナの匂いを嗅ぎ取った獣は頭だけを動かし、その黄金色の眼球に宿る漆黒の瞳孔で背後のウィルナを捉えた。


「がんばったね。僕は敵じゃないよ」


獣人青年の苦痛の悲鳴は今も耳に残る。ウィルナはその瞳を優しく見つめ返した。


「ゴアアアアアア!」


右足を大きく踏み出し、胸部を前方に大きくせり出して咆哮した獣は人狼という名の狼男。そしてそれを向けた先の屋敷前の傭兵集団へと、巨大な両腕という前足を地に付けた四足歩行で大地を駆けて切り込んだ。


巨大な貴族邸宅はその敷地も巨大。


遠方屋敷前に防御陣地を横陣で構築した傭兵の数はざっと五十。


ウィルナは人狼の後を追いかけて歩き出した。その目に映る光景は光に満ちていた。


傭兵達から放たれた攻撃魔法多数は空を切り、俊敏な人狼の背後に着弾して只の光源と化す。


人狼は傭兵達の遠距離攻撃を躱して突き進む。単身の人狼は近距離飽和攻撃となった攻撃魔法の直撃や矢弾の直撃にさえひるまず突き進んだ。


そして喰らい付いた防御陣。そこから開始された血の惨劇は単体対傭兵約五十人。


「うおおおお!いいぞ!がんばれえええ!!!」


ウィルナは大興奮して夜空へと両手を高々と突き上げた。


只々闇雲に直線的に距離を詰める人狼は被弾しまくった。背後から両手槌で打撃を受けて体勢を崩す。そこに刃が斬り込まる。多少距離を取れば魔法や矢弾に狙われ続けた。


それでも彼の闘志は衰えを見せない。俊敏さだけを最大限に発揮して戦い続けた。


傭兵集団に目立って強そうな存在はいない。獣人青年には防御魔法がある。多少の傷は残るが問題無い範囲。


「そこだ!――。あぁ後ろに気を付けて!あっ。そこは敵に誘われてる!――やった!いいぞ!がんばれえええ!!!」


ウィルナは最早観客と化し、足を止めて応援しだした。知識を求める戦闘狂は人狼の戦いぶりに魅了されていた。


「お前は何をやってるんだ!お前も頑張るんだよ!」


盛大な応援を送るだけとなったウィルナに釘を刺す声は、厳しさを張り上げた大声に乗せた。


「おおう。びっくりしましたよ」


「驚いたのはこっちだ。なんで一人で戦わせている。暴走したのか?」


ヴィガの大声早口の説教はウィルナをシュンとさせた。返す言葉も無い。空へと突き上げた両手は下げられ、やり場を無くして胸の前で組まれた。


「暴走は多分大丈夫です。ごめんなさい」


「もう良い。お前の防御魔法もあるし心配して無かったんだろ」


ヴィガはウィルナの肩に手を置いて戦場に目を向けた。度々呆れ果てるヴィガは溜息一つで意識を切り替えた。無用な問答をしているうちにも人狼は被弾している。


その二人の真横を風のように駆け抜けた姿が四人。


「お前達もか!」


ヴィガの声は既に駆け抜け、無鉄砲にも走り去った獣人達に向けられた。この場の全員が自由人過ぎた。


ヴィガは彼らには待機を命じた。怪我はさせたくない。その一念だったが獣人達は戦う仲間の為に戦場へと駆け抜けた。


「僕達も行きましょう」


ヴィガはウィルナの声に従い二人も駆けだした。


ヴィガは指示に従う背後の少女達の事だけ考える事にした。この心労は幸いな事に、捌け口としてぶつける相手が目の前。駆けながら抜いた双剣を握り絞めて咆哮した。

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