漆黒に燃える二羽の飛燕(4)
二人は闇夜を赤く染める獄炎渦巻く渦中に身を投じ、その烈火の舌先が石材水平屋根の足元から熱波を伴い這い上がって来る。
「ガントレットの具合はどうだ?二階の品でも特に目を引いた装備品だ」
横に立って前方に視線を送るヴィガの声。その声に反応したウィルナは両手を持ち上げて掌を眺めた。
指先と手首を曲げる度にガチャンガチャンと音を上げ、楽器のように鳴らされる金属音が手の動きに連動する。
ガントレットは全てが漆黒。紅蓮に燃え盛る炎を受けて乱反射する光沢のある黒。
その指先は鋭利に加工され、全てが太く短い獣の爪の様相を呈す。
ウィルナの筋力のお陰か素材のせいか、ガントレット自体にそこまでの重量は感じない。しかしながら手に取ってみた時に感じた硬質感。その強固に硬化した材質。その強度は目を見張るものがあった。
「これ、何だろ?――良く分からないですけど、凄く良い感じです」
ウィルナは隣のヴィガに思うままの感想を伝えた。実際の所、使用感は良く分からない。
それ程手にフィットし、レザーグローブより指が動かしやすい。そして軽い。
「詳しくは俺にも聞くなよ。ただ値札は俺でも理解出来た。それも俺に聞くな」
ヴィガは熱波に吹かれながら縁石に右足を置いて答えた。
ウィルナにはその答えで十分。下手な武器より何倍も実用性が高い防具。今まで防具を身に付けるという発想が無かったゆえに見落としていた装備品。
「という事は店員さんも困ってるかもですね。ふふっ」
「どうだろうな。オーディールさんなら笑って許してくれそうな気がする」
「あぁ、そんな感じですね。良い人でした。また会えますかね?」
「さあな。それも俺に聞くな」
「ふふっ。――で、どうしますか?一軒目の屋敷」
二人は熱波に晒されながらもこの場での観察を続けていた貴族邸宅。この位置が一番見晴らしが良く、これから襲撃する屋敷を一望できる角度と高所。
二人が観察後、直ぐに行動開始しなかったのは、先客が来訪した後だったから。
その眼下に広がる深緑の庭園には朱色が散見され、部分的に土色や闇の中でも識別可能な焦土色が見て取れた。
そして朱色は全て奴隷の首輪をつけた人達の惨殺死体。全員が食い殺された遺体だった。
「あの屋敷は多分駄目だ。奴隷を餌に自分達は逃げ延びた感じか」
冷たさに怒りを隠さないヴィガの声は、膝に当てた握り拳が震えるまで固く握られていた。
「何なんでしょうね。外の世界には、人間らしい人間が少なすぎませんか?」
ウィルナは素っ気なくヴィガに答えた。駄目なら諦める。過去は変えられない。だからこそウィルナは自身の感情に無情にも起伏を示さなかった。
「お前に言われると耳が痛いな。この世界に神はいない。だが人こそが悪魔。残忍な行為も平気で行う化け物ばかりだ」
「僕もそれは短い期間で理解出来ました。だから人間は信用できない」
「ふふっ、この世界の住人の俺には最悪な一言だな。――次に移動しよう。夜明け前までにあと六軒だ。それに南地区の奴隷市場もある」
ヴィガはウィルナの言葉に無力さを痛感した。個人ではこの世界の変革を望めない。多人数になれば必ず我欲に負けた人間が組織を崩壊させる。
結局ウィルナの言葉通り、人間は信用できない。信に足るほどの強い精神力の持ち主。この世界には自分の心に負けないだけで良い筈の人間が少なすぎた。
「馬はどうしますか?」
ウィルナは灯りの消えた貴族邸を眺めてヴィガに聞いた。馬車を引いてもらう馬探しも邸宅巡りの目的の一つ。そして遊び道具のように気に入ったガントレットの五指を動かしガチャンと打ち鳴らす。
「貴族が走って逃げる事も無いだろう。馬も無い可能性が高い。ここはもういい」
「そうですか。綺麗な屋敷ですね。破壊していきますか?」
「は?――ふふっ。ふはははははっ」
ヴィガは突拍子も無い発言をしたウィルナに顔を向け、大笑いを始めた。それは抱腹絶倒の阿鼻叫喚。ウィルナが初めて見たヴィガの大爆笑だった。
「あの――」
そしてウィルナは爆笑の理由が分からず戸惑いを隠せなかった。破壊発言が発端である事は理解した。そこまでだった。無意識にガチャンガチャンと金属音が鳴る。
「あぁ、すまない。何で思いつかなかったんだろうな。少しでも爪跡は残すべきだ。そういう事だろ?そうだな」
「あ、えと。なんとなく?」
ウィルナはヴィガの勢いに負けて首を傾げた。ヴィガはその目の前で両手を朱天に掲げて魔力出力を高め始めた。
「ここは俺がやる。ついでにこれが俺の全力だ!」
ヴィガの言葉が言い終わる直前、その両手の直上に出現した紅蓮の光球。
「おぉー」
ウィルナは感嘆の声を漏らし、ヴィガから後退して距離を取った。それ程までに感じる凄まじい魔力出力と光球から発生する波動。
ヴィガは更なる魔力を光球に注入し続けた。そしてやがて光は紅蓮から蒼炎へと変貌。空気と混ざり合う高熱の炎が蒼の光に輝き闇夜を切り裂く。
「っおおおおお!」
ヴィガ渾身の最大魔法。それは怒りと鬱憤を孕んだ雄叫びと共に、振り下ろされた両腕に従い高速での飛翔を開始した。
邸宅着弾の瞬間の強烈な発光。それから約一秒後の凄まじい爆発音。微かな衝撃波は明確な振動の体感を伴うほどの高威力。巨大な邸宅は崩壊した着弾部分中央から瓦解を始め、その周囲に拡散した炎が行き場を探し始めていた。
「おぉー。ヴィガさんって凄いんですね」
屋根上から無邪気に身を乗り出してヴィガを褒めたウィルナ。しかしヴィガは笑うしかなかった。
ヴィガのこの魔法の弱点にウィルナも気が付いていた。
単純に発動速度の遅さ。これは致命的だった。対魔獣戦では多少の硬直でも絶命の可能性を孕む。それは対人戦闘でも同じ事。村では派手な魔法より速射・精度を兼ね備えた範囲内での威力で、威力が最底辺の事案だった。
だがそれでもヴィガは歓喜満悦。全力で破壊した貴族邸宅を見下ろす事は最高に愉快爽快だった。
「ふふっ、気分は晴れた。お前にも褒められたし先を急ごう」
「はい!」
そこから二人は大火に燃え盛る中央区の屋根上を駆け続けた。
周囲は瓦解炎上する中央区。念入りに破壊され尽くす巨大な屋敷多数。深夜の朱色の空に舞い上がる二つの黒は、朱天に混ざり飛ぶ漆黒の彗星のようだった。
そして辿り着いた四軒目。
「ここは無傷か。――さて、漸く初任務だな。潜入ルートは屋根からだ」
ヴィガが通りを先に進み、二人は敷地を囲む外壁を軽く飛び越えて侵入。
周囲を取り囲む壁は石造りでかなりの高さ。それを飛び越えた先は、どこの貴族邸でも見られる深緑の庭園が出迎えてくれた。
「先程の崩壊していた邸宅もですけど、ここも綺麗な緑の庭園ですね。この屋敷も小さめですけど凄く立派です」
「あぁ、外観も内装も一流の職人達が丹精込めて作り上げた芸術品だ。しかしここに住む奴はクズだ」
ヴィガは怒りを露わに言葉に乗せた。
目の前で身分の低く貧しい少女が連れ去られるのを黙って見送った事さえあった。それは貴族達の身分と自身の役職及び最下層の平民出生に縛られていたから。だが社会の制約から解放された今、ヴィガは燃える闘志と怒りを胸に足を進めた。
「なるほど、遠慮はしなくて良いという事ですね。ここでは見つかると良いな」
「ああ、無傷だし希望はある。だが、この家にも子供が住む。その子はどうする」
「さぁ。僕も小さい頃に両親を殺されました。どうにかするんじゃないですか?」
「お前は悪魔よりも悪魔だな」
「何ですかそれ。なぞかけですか?」
二人は深緑の芝生を歩いて渡り、やがて灯りの消えた邸宅の前に到着。小さめに見えたが近くで見ると確かに大きな邸宅。しかしディロンの邸宅に比べれば天と地ほどの差を感じる規模だった。
「予定変更だ。正面玄関を蹴破って入る。人の気配が無さ過ぎる」
ヴィガはウィルナに伝えて先に進んだ。そして両開きの木造扉を勢い良く蹴破った。
扉の破壊音以外は静寂そのもの。
ヴィガは敢えて大きな音を立てれば何かしら反応が有るかと期待したが無駄だった。
「ここの人間も逃げたか?」
「馬の確認しますか?」
二人の声は石材の壁に反響して大きく聞こえる。そして浮かぶ闇色室内の現在地点は玄関エントランス正面広場。
コツコツと大理石の床を歩くヴィガは開けた空間周囲を確認する。ウィルナの言葉に耳を貸さず、その意識は気配察知と血匂の有無に全て導入された。
「何も気配無しか。やはりトレスにもついて来てもらうべきだったか」
「それは無理ですよ。綺麗なトレスの毛並みが焦げたらどうするんですか」
ヴィガの独り言に律儀に答えたウィルナ。トレスとは商会を出た直後に別れた。多分今頃はエイナの馬車でエイナに寄り添い寝ている時間だ。
「そうだな。他人に頼り過ぎるのも良くない。――さて、貴族屋敷には大体ある地下牢にも顔を出すか」
「ほうほう」
「逃げずに隠れるなら大体地下だ。そしてそこは地下牢か地下室」
「なるほどです。――で、どこなんでしょうね」
立ち止まって周囲確認をしていたヴィガに、ウィルナの素朴な疑問が降りかかる。勿論ヴィガも屋敷の構造は把握してない。それでも不安は微塵も見せないどころか余裕を見せて歩き始めた。
「地下室は大体倉庫や酒蔵。温度管理が容易だからな。そして囚人を詰める地下牢は、屋敷中央から離れた地点に設置され易い。簡単な人間の心理だ。そして囚人移送用の裏口もあるはず。判り易いだろう」
ウィルナの前を歩くヴィガは簡単に考察を述べた。
「なるほど。人間の心理ですか。勉強になります」
この屋敷は綺麗な左右対称構造。つまり左右端のどこかに地下への入口が在ると見て進んだ最端地点。ヴィガはウィルナの感嘆をその背に感じながら歩を進めて見つけた先の木造アーチ形扉。
その扉は石壁にはめ込まれ、鉄枠に補強された構造物で、見た感じから分厚さと頑丈さを感じさせる。
「ここだな。少しさがってろ。食糧庫なら持てるだけ持って行く」
ヴィガは右掌を持ち上げ、その手は紅蓮に燃え始める。
「僕が破壊します。中に人がいたら火属性は良くない気がします」
ウィルナはヴィガの発動した初見の魔法に少し驚いて声を上げた。自分の手に炎が宿るのを初めて見た驚愕。
そして発言通り奥に何があるか分からない状態での使用は、予期せぬ火災を呼び込む可能性。それは避けたい。
「そうだな。任せた」
ヴィガは苦笑し燃える右手を下ろしてウィルナに場所を譲った。猪突猛進なヴィガ自身には、良いストッパーとして機能しているウィルナに感謝の念を抱いた。
ウィルナは扉の構造を確認後に魔槍二本を両掌の上に構築した。小さな形状だがこれで十分だと判断。そして扉に歩み寄り、石壁に撃ち込み続けて数十回。
「良い音しました。手ごたえありです」
バキンという音を確認してウィルナは扉を蹴破った。
扉は詰まるところどれだけ丈夫でも蝶番で固定されている。そこか壁を壊せば只の置物と化してしまう。そしてウィルナは蝶番を狙って破壊した。
盛大な倒壊音を上げた扉は深夜の暗闇に更なる深淵の口を開いた。
水平直線の通路が延びて行き止まりを見せる。
「真っ暗だな。そこのカーテンを取ってくれ」
ヴィガはウィルナに指示を送りながら来た道を戻り、一つ目の部屋に姿を消した。
そして暫く後合流。ウィルナはカーテン。ヴィガは木製の椅子を一脚。そして椅子を破壊した。
そこからは器用にカーテンと椅子でトーチを作り、短時間しか持たないが照明器具とした。しかしトーチは合計四本。地下探索なら十分な光源となるはずと考えた。
「行こうか」
トーチの灯りに揺れる影。その光に照らされたヴィガが先行して深淵へと足を踏み出した。
ウィルナは残り三本のトーチを脇に抱えてヴィガの背を追った。
階段を一歩降りるごとに感じる気温の低下。響く足音。冷たい空気が悪寒を感じさせ、背筋をくすぐる感覚。
「あの、僕、お化け苦手なんですけど」
ヴィガに恐る恐る震えた声で申告したウィルナ。その肩は小さく纏まり背を丸め、年齢不相応な子供らしさを見せていた。
「お前なー。レイスやゴーストも魔法なら攻撃可能だ。物理しか使えない奴らは怖がって当然だが、お前や俺は違うだろ」
ヴィガは当然の反応を見せて率直に返した。強敵のレイスにさえ単身で勝利した過去を持つヴィガは、ウィルナにはこの説明で十分だと感じた。だがそうじゃない。
「え?――」
「――は?」
ウィルナは幼い子供のように暗く狭い場所が怖かっただけだった。ヴィガは現実の話を返した。そして言葉での以心伝心は難しく、齟齬を生み出し無言の空白を生み出した。
無言の下に降る回り階段を下りた先に見えた木造扉。
「こいつも頼む」
多少開けた空間に出て、その石壁に設置されてあるトーチに火を移したヴィガは、ウィルナに扉破壊指示を出した。
「はい」
答えて進み出たウィルナは、先程と同じ事を繰り返すが事態は地上階とは違った。それは蹴破った奥の空間が明るく、開けた地下室に鉄格子で閉ざされた地下牢が一列で並ぶ事。そしてその空間を、階段十段ほど上の視点から見下ろしていた。
スラーッと剣が抜かれる音が幾筋か重なり、視界に映る黄金の騎士七名が抜剣して硬直していた。
「やりました!見つけましたよ!――っと、いけないいけない。寝てる子供達もいたのか」
ウィルナの視界に騎士の姿は映っても認識される事無く興味外。意識全ては檻の中の獣人奴隷の姿に注がれ、初めて見つけた人達に大いに喜んだ。
「漸くか。焼ける夜空を駆け回った甲斐もあったな」
「そうですね。――さて、連れて帰りましょう」
抜剣した騎士達を無視して意気揚々と階段を下りる二人は、我が物顔で地下牢へと歩みを進めた。
「流石にこの鉄棒はマズイな。焼き切れるが、中の人にも熱ダメージを与えてしまう。ここも素直に任せる」
「了解です」
八つが並ぶ地下牢。その中央一ヶ所に拘束され、投獄されていた獣人の人達。
「何者だ!何をしに来た!」
意を決した騎士の一人が大声を上げた直後だった。その男は重厚な金属鎧ごと胴体中央に風穴を開け、背面に血潮を巻き散らして崩れ去った。
「お前は容赦ないよな」
「いえ、子供達が寝てるんですよ。大声で騒ぐ人がいけないと思いませんか?」
「くくっ。お前はどうかしてるな」
「そうでしょうか?――まぁ悪魔ですからね、僕」
ウィルナはヴィガと小声の談笑を交わしながら鉄棒を切り裂いた。勿論寝ている子供達を気遣い、一本ずつ丁寧に握り止め、無用な音を極力避けて魔槍の操作を慎重に行った。
そもそも騎士達は都市の惨劇を避け、この場に避難していた騎士達だった。それは住民を守るための騎士道精神など最初から持ち合わせていない装備品だけの木偶人形。
残った騎士達は鉄交じりの血の匂に恐怖を感じ取り、その元凶であるウィルナに抵抗の意志を示さず、立ち尽くした飾り人形と化した。
ウィルナは相変わらずそんな騎士達を無視して作業を進め、切断した鉄棒を落として音を立てないよう慎重に石床に並べて置き、そして切り開けた地下牢鉄格子の前に膝をついて獣人の人達に向かい合った。
「初めまして今晩は。僕は悪魔です。そして僕は今、幼い獣人の子供達四人の世話をしています」
ウィルナが開けた地下牢の穴。その地下牢で息を呑んでウィルナを凝視する獣人達は合計七名。
若い成人男性が三人に同じく若い女性が二人、そして眠っている少女が二人。全員が真冬の季節にボロキレ一枚という過酷な扱いを受け、細身に感じた体は食事量の少なさを物語っていた。
ウィルナはその姿に苛立ちを覚えたが懸命に抑え、優しく微笑み言葉を続けた。最初の対応次第で今後が決まる。獣人の人達から確実な信用を得なければ同行してくれる事は無い。
それを理解して必死に考えを巡らせた。フードはそのままに、顔を覆い隠した布は下げた。
そんなウィルナを息を呑んで見つめる獣人達。その目に宿るウィルナはやはり未知な存在であり、他人の命をいとも簡単に奪う人間種。圧倒的悪そのものに映る。
「僕は貴方達の大切な人達を助ける事は出来ません。それでも悪魔として貴方達の願いを可能な限り叶えます。それを対価としてどうか僕に、僕が世話する子供達の為に力を貸してください。これは契約です。奴隷契約では無く、悪魔である僕との魂の契約」
ウィルナの切実な願いは、各所に設置されたトーチの光で明るい地下牢に小さく木霊した。その言葉に思い全ては込められた。
他人の子供の為に自分の大切な人との繋がりを断てと云う無理難題。自分の自由か思い人の為の不自由か。言葉通り悪魔的な選択強要発言だった。
しかしウィルナに同行してもらう理由は、これしか思い浮かばなかった。そして流れる痛々しい沈黙は、真冬の地下室に重苦しい冷気を運び込んだように感じられた。




