漆黒に燃える二羽の飛燕(3)
長方形の石材が横方向交互に積み重なる石壁で建てられたマークドフェンリル商会。
その建屋の三階部分に着弾した魔法数弾により崩落炎上した内部は、階層を降る毎に火の手を弱めた。
ウィルナは一番火災被害の少なかった一階部分で息を殺し、身じろぎ一つしない。
ウィルナに聞こえた木材を踏んだ足音は微弱。ウィルナの聴覚でなければ聞き漏らすほど。そして今現在ウィルナが立つ足元は石造りの床。
(多分地下があるんだ。階下に誰かいる。敵か?避難者で生存者?)
ウィルナの鼓動は高鳴る。緊張感に精神が圧迫される戦闘状態に入ったが、違う不安に飲み込まれた。
それは一重に未知なる存在への恐怖心。
「どうした!大丈夫か!?誰か生存者がいたのか!?」
ウィルナの反応に慌てた様子のヴィガは着替えの最中だった。真冬の寒空の中を上半身裸体で二階の階段口から姿を見せて叫んだ。
「分かりません。僕の足元から音がしました」
ウィルナはヴィガに返した言葉より、階下にあるだろう地下室の音に注力した。敵なら全力で抗うべき意識と緊張が固唾を飲み込ませた。
「僕達は買い物に来た二人です。敵ではありません。盗賊でも無いです」
ウィルナは無音で腰左右のロングソードを抜いたヴィガをその目に捉えつつも声を上げた。出来れば争いたくない。無用な殺生をウィルナは望まなかった。
それは気が遠くなるほどに間延びした空虚な時間。その静寂。
「今から出ていく。こちらも争いは望まない」
やがて聞こえた声は篭った男の声。それは足元から聞こえ、その地下空間が反響させた声だった。
やがて多少焦げた木製カウンターの奥からギシギシと音が鳴り、開かれただろう入口がガゴンと音を上げた。
それは石材の床に造られた開口部の石蓋。それが石床に重なる事で打ち鳴らされた重量音だった。
その音の後に続いて姿を見せた禿げ頭。それは一人また一人と連なり、全員がスキンヘッドの男達が五人。皆が揃って強面屈強な人相体格の風体だった。
「あっ。店員さんでしたか。奴隷契約の時はお世話になりました」
ウィルナは張り詰めた緊張感から解放され、臨戦態勢の為に屈めていた腰を上げて姿勢を戻した。
男達はスキンヘッド。そんな目立つ姿は個人を識別記憶しにくいウィルナの意識にも、強烈な存在感を残していた。
戦闘にはならなかった。相手を確認出来た。それが顔を知る人物だった事で張り詰めた意識は急速反転。その顔には自然と安堵の笑みが生まれた。
「おぉう。お前だったか。お前の事はよく覚えている。あの子達は無事なのか?」
ウィルナの元へ歩き出した男は、かつてこの店で奴隷契約を更新してくれた店員だった。
ウィルナの心配をよそに、子供達に些末な痛みや傷跡を残す事も無く契約を済ませてくれた男。そして男の口からすぐに出た子供達の心配事。それがウィルナにはとてつもなく嬉しかった。だから男に満面の笑みを返して「はい!」と答えた。
「そうかそうか。子供達が犠牲になる事はこの世界の負の側面。それを少しでも減らしたいからな」
そう言いながら男は右手をウィルナに差し出した。
「オーディールだ。この支店を任されている」
握手の文化が村に無かったウィルナは、差し出されたオーディールの手を見つめて戸惑った。そしてオーディールの目を一瞬見てから首を振り、階段から降りてきているヴィガに顔を向けて助けを求めた。
「ふふっ。お前は知らないか。それは握手だ。手と手を握り合う挨拶だ」
上半身裸体でも寒さを微塵も感じさせず、抜いた双剣は両鞘に納めて破顔したヴィガ。その屈託の無い笑顔は、ウィルナに手を差し伸べたままの男にも向けられた。
「僕はウィルナです」
オーディールはヴィガの話から意図を理解。ヴィガに微笑を返し、ウィルナの手が自分の手を握り返すその時まで黙って待っていた。
「許可なく押し入った事をここに謝罪する」
ウィルナの横に立ったヴィガは最初に謝罪を述べた。上半身裸体でなければ見栄えも良いが、今は残念な男前になっている。
「あんたなら問題ない。消火してくれたのもあんたか?」
「あぁ、都市を出る事にしたんで買い物に来た。代金はあそこのカウンターに置いた赤鱗鋼で頼む」
オーディールはヴィガの言葉でカウンターに目を向けた。しかし送った目線は鋭く光り、広い店内を一周して現状の把握に努めた。階下からでは判断しかねる二階三階部分の被害も気にしていた。
「そういう事か。だったらまけてやる。何でも好きなモンを持って行け。あんた達が来なければ、どうせ焼け落ちていた。俺達も準備完了次第この都市を離れる。積み荷は少ない方が良い」
「感謝するよ」
そう言いながら面識があったヴィガとオーディールも、右手を差し出し固く握り合わせた。状況次第だが、これが今生の別れになる可能性が高い。それをお互い理解して固く結んだ力強い別れの挨拶。
「あそこにある荷台三台も貰っていいのか?お前達の移動は大丈夫なのか?」
「問題無いだろう。裏手の別館倉庫にもある。どれか使えそうな馬車で行くさ」
「そうか。重ねて礼を言う」
「で、何で裸だ。火災で燃えたのか?」
オーディールはヴィガの鍛え抜かれた上半身を眺めて呟いた。消火活動の際に焼失したなら申し訳なく感じた。
「これは違うさ。不注意で袖を破いたんだよ」
ヴィガは突っ込まれたくない所に刺さった言葉に苦笑して返した。
「良く分からんが赤鱗鋼も受け取った。それに見合う品を二階の品から持って行け」
オーディールは最後に手を上げて二人に別れを告げ、男達は建物入口から姿を消した。被害状況の確認も必要なはずだ。オーディールが言っていた別館に行ったのだろう。
「さて、俺達も急ぐか。周囲の惨状が収まってくれば物取りや、逃げ惑う人が通りに溢れて来る」
ヴィガはウィルナの肩に手を置き、和やかな表情と声で伝えた。
確かに急ぐが慌てれば問題を生じさせる。この場で忘れ物など初歩的なミスを犯すわけにはいかない。だからこそウィルナに落ち着いた声で語りかけて歩き去った。ヴィガも着替えのために二階に上がっていった。
とは言われても野生児のウィルナには必要な品の判別が不可能。
「困りました。これはとても困難極まりない」
ウィルナは静寂に包まれた暗闇で独り言を呟いた。その言葉通り足も手も止まり、握ったバックパックだけが必要だと感じさせていた。
ヴィガに聞いても要領を得ない答えしか返ってこないだろう事は何となく分かった。ヴィガなら「そこらの物を適当に詰めろ」と言うに決まってる。
「良し。――決めた!」
一時思案したウィルナは声高にそう言い、口を堅く結んで動き出した。
何が必要か判断出来ないなら全部持って行けば良いのでは?結局その答えに辿り着いた。
ウィルナも聞いたオーディールの『好きなモンを持って行け』その言葉を素直に受け止め、その言葉が強烈に後押ししてくれた。
決断したら後は行動するのみ。動き出したウィルナは要領よく事を運んだ。そして手当たり次第に品々を馬車の荷台に積み上げていった。
生真面目で几帳面なウィルナは三台ある荷台を有効活用して種類ごとに分けて積み込んだ。
例えば衣類や寝具などの布製品や医薬品を一台に。調理道具や小物日用品を一台にという風に、手当たり次第に整然と馬車の荷台に積み込みまくった。急ぐために身体強化魔法すら使用して飛び回った。
「すまない。良い装備が山のようだったんだ。色々と目移りし――」
ヴィガは全身黒に染め上げた姿を見せ、階段に足を一歩降ろして声も動きも止めた。
確かにウィルナから目を離して時間は空いた。
「お前は引っ越し屋かっ!?」
ヴィガは目の前の光景に驚愕し、思わず大声を張り上げた。
ヴィガは確かに時間をかけて装備を物色した。火災被害の無い品を注意深く見定め、試着しては動きを入念に確認していた。それ程良質で高品質な装備類が二階に陳列されて目移りしていた。
「え?」
両腕に抱え、山のように積み上げた荷物の横から顔を出したウィルナ。その周囲は空になった陳列棚多数。それどころか広い店内一階部分の大半が空。短時間でここまで漁り尽くすとはヴィガにも想像だにしてない。
「小物は鞄の中に詰めて横に置いてます。馬車に全部入りません」
「当たり前だろ――」
ヴィガは苦笑いの中で小声を漏らし、力無く両の肩を落として頭を抱えた。
どれだけ積み込んだか知らないが一階の空間を見れば想像できる。そしてその総重量も。はたして馬が引ける重量なのかが気がかりだった。
「ああ、一人でよくやった。遅くなってすまないな」
「いえ。僕達と同じような黒ですね。良いじゃないですか。一緒に闇と同化しましょう」
「お前は黒が好きだな。黒い鳥で燕って知ってるか?」
「いえ。聞いた事も無いです。黒い鳥はカラスくらい?」
「ふふっ。俺が育った小さな村では災いを取り除き、幸運を象徴する黒い鳥だった」
「いいですね!黒いカラスより燕が良いです!それじゃあ僕達は獣人さん達の幸運の燕になりましょう」
「ははっ、そうだな。さて、積み込みは――後は、あそこの空樽をそれぞれの馬車に一つずつ積み込もう。あれに水や食料を入れて運ぶ事になる」
ヴィガが指さした壁際に積み重なる木製の大樽。その仕草は緩やかで穏やか。今の些細なやり取りが心に余裕と落ち着きを与えた。それはヴィガが見せた笑顔にも現れた。
「なるほどです!分かりました。少し場所を空けます」
青天の霹靂のように衝撃的な驚きで目を丸くしたウィルナは、すぐさま荷物を抱えたまま荷台に駆け寄って行った。
「空けますって、三台とも満載なのか。――ほんと只の子供なんだよ。ふふっ」
ウィルナの走る後ろ姿を笑顔で見つめたヴィガ。自身も殆ど空になった陳列棚を見て回り、残された商品で必要な品を手に取りながら店内を散策した。
そして店内を一回り後、ヴィガは徐ろに双剣を抜いて棚を破壊した。その両断した破材は大きく、大きな形状を残したまま石床に散乱した。そして破材を集めた。
「どうしたんですか?」
破材を作っていたヴィガの背後から聞こえたウィルナの疑問の声に、ヴィガは手を止めて振り向いた。
「これで入口を塞いで店内に入れなくする。俺達は上の崩落個所から出るぞ」
「ふむふむ――」
ウィルナはヴィガの回答に未だ詳細が理解出来ずに首を傾げた。
「さっきも言ったが物取り連中に横取りされたくない。出入口を塞ぐ」
「なるほどです!ヴィガさんって賢いですね」
再度瞳を見開き目を丸くしたウィルナ。素直に褒められたヴィガは苦笑い。
粗方漁り尽くしたウィルナもヴィガに加勢し、棚を重ねて建屋の入口をせき止めた。
「まぁ、これで十分だろ。俺達のように強力な身体強化魔法を使える奴も少ない」
ヴィガは最後の棚を入口に放り投げた後に、黒革のグローブをパンパンと叩き合わせて埃をはたいた。目の前の入店口は机や棚の山。その隙間まで破材が詰め込まれ、奥の木造二枚扉すら見えない事に安心感を抱いた。
「二階や三階の品はどうしますか?」
「上は装備品が多い。金額も高い品ばかり。あそこは流石に遠慮しようか」
「そうですね。僕にはお金の価値が良く分からないので、取り過ぎて店員さん達を困らせたくないですし。――ん?店員さん達も入れない?」
「もう十分すぎるほど貰ったよ。赤鱗鋼の値段よりもな。それに店員達には裏口がある。大丈夫さ」
「そうでしたか!でも、取り過ぎましたか?大丈夫かな。怒られないかな」
不安を見せて周囲を見回したウィルナ。流石に取り過ぎに気が付いたようだが、ヴィガにはそれも微笑ましく思えて微笑した。
「次は奴隷達の解放作戦に移行する。これは二段階作戦で第一段階は貴族の屋敷に向かう」
「はいっ」
ヴィガの少し陽気で形式ばった言い方にウィルナも心を躍らせた。ウィルナの願いの一つを今から実行する事に興奮は最高潮。ワクワクして作戦立案者のヴィガに顔を向けた。
「ふふっ。獣人奴隷を持つ貴族連中は中央区のごく一部。俺が知る限り全ての屋敷を夜の内に襲撃する」
「はいっ」
「目標は全部で七ヶ所。その全てに警備兵がいるし、奴隷達の正確な位置は分からない」
「ふむふむ」
「だが、主の貴族の位置なら大体把握できる。契約の紅玉も欲しい。後は分かるな」
「なるほどです!主人の貴族を脅せば良いですね。始末はどうしますか?」
「それは俺の仕事だ。お前は獣人奴隷の保護。――そして貴族の屋敷に必ずある物は?」
「え?――んと。ん――?」
「ふふっ。貴族達が移動で使う馬車だ。必ず敷地内に馬屋がある。全ての馬を頂いて行く」
「おぉーお。ヴィガさん流石です!」
「ふふっ。そこまで素直に褒められると、こそばゆい感じがするな」
「ふふっ。でも僕も素直な感想を言いました」
ヴィガはこれまで騎士として生きて来た。それは善なる者の象徴として自身を律する聖鎖の役職。
そこから解放された今、悪だくみがここまで楽しい事だとは露も知らず。暗闇の中の漆黒二人の押し留めた笑い声は、やがて石材建築の内部に盛大に響き渡った。




