漆黒に燃える二羽の飛燕(2)
西区北側から中奥に向かうウィルナとヴィガとトレスは、闇夜に燃える朱炎に照らされた赤い夜空を舞続けた。
ウィルナは燃え上がる都市の獄炎を横目に、羽が生えたように軽くなっている体を感じていた。
外の世界に飛び出した本来の目的は、弟妹を探しながら世界を見て回る気楽な旅をする事だった。しかし思えば、外の世界に飛び出してからの全ての時を常に誰かのために費やし、行動し続けていた事を再認識していた。
誰かの為の涙。受けた傷と流れ出た血。傷は心にも深々と傷跡を残していた。
「少し足を止めるか?この場所に来る事も無くなるぞ」
先頭で疾走を止めたヴィガが立ち止まってウィルナに振り返って質問した。それは自身にも向けた言葉。過去の思い出は形を失う未来への代償。その思いと行動理念は失った主に向けられた悲しみ。
「少しだけ見ていたいです」
「そうか。そこまで急ぐことも無い。多少はゆっくりしよう」
ヴィガが気を回して選んだルート上に存在した広大な敷地。落ち着いた雰囲気の中に表現されていた大邸宅の優雅さ。その全ては見る影も無く焼け落ち、外観の形状は保ったままでスス汚れの灰黒色に染まっていた。
深夜の月明かりに照らされた中でも分かる邸宅の灰黒色。その豪邸には上がる火の手が既に無く、火災はかなり前の段階で発生し、可燃物を燃料として焼き尽くした後だった。
二人は石材建築の高い屋根から無言のままに、焼け落ちたディロンの邸宅を見下ろしていた。
ウィルナは誰かの為の行動の度、その真面目な性格と責任感の強さから全力で物事に取り組み続けた。それはやがて精神を束縛する重たい拘束具のように圧し掛かっていた。
ウィルナは全てを背負えるほどに成熟した精神構造を持ち合わせてはいない。
結局の所、何処にでもいるただの少年だった。不運に会わなければ、その力を誰かに見せる事さえなかったはずだった。
しかし自身にやりたい事が出来た今現在は違う。
自分で決断した目的が明確になった今、それ自体がウィルナの心を解放し、目的意識が強力な原動力の一部となる。
(ディロンさん。貴方から受けた恩と言葉を胸に生きていきます)
その誓いを胸にしたウィルナは両手を組んで瞳を閉じ祈りを捧げた。
勿論ディロンの遺体は地下闘技場の屋内ソファーに寝かせたまま。しかしこの屋敷で過ごしたディロンとのやり取りや、ほろ苦い経験はウィルナの一部となっていた。それを与えてくれたこの屋敷も貴重な存在だった。
「連れてきてくれてありがとうございます。最後に思い出の場所を見れて良かったです。この都市での良い思い出は、この屋敷の中だけでした」
「それは多分バルムト卿もだ。お前を連れて歩くバルムト卿はとても楽しそうだったよ」
「ふふっ。いつも僕はからかわれてた気がしますけどね」
「素直な人じゃないんだよ。――あぁ、俺もか」
ヴィガはディロンと交わし続けた『友人だ』という言葉に返した『冗談を』というやり取りを思い出した。人を振り回す人だった。それでも兄と慕った。友人と呼ばれる事に心の中では喜んでいた。
ヴィガも見つめて眺めたディロンの邸宅。その外観は焼け落ち汚れても、記憶がその姿を修復してくれた。胸が熱くなり、口は堅く閉ざされた。
「行くか。名残惜しいがこのままここに居ても何も進展しない」
ヴィガは憤りを胸に秘めてウィルナに顔を向けた。
「はい」
ウィルナは力強く短く答えた。率直に返した良い返事。それだけ気力は充実していた。
それから火の手が上がる屋根上の移動を繰り返して辿り着いた目的地。通りの向かいに建つマークドフェンリル商会の石材建築。
素朴な外観は屋内の灯りを漏らさない為か、視認出来る全ての窓はカーテンで閉ざされ屋内の状況確認が出来ない状態。しかし屋内で燃え盛る炎の紅蓮は確認出来た。
多分攻撃魔法の直撃を受けたのだろう崩落個所が建物上部に数ヶ所。今現在もその個所や屋内から大炎が上がり続けている。
「誰かいますかね?消火活動もしてない様子です。無人でしょうか?」
屋根の縁に右足を乗せ、その膝に両手を置いて商会を観察したウィルナが声を上げた。瓦解炎上した周囲や商会建物の状況を見てもかなり絶望的な生存者。
しかし幸いな事に、ここに来るまで魔獣の姿や敵対存在の検知及び接触は皆無。常に無反応だったトレスがそれを証明し、エイベルの「中央の城を落とす」という言葉通り、城に巨大な火の手が上がっていた。
つまり今現在も攻城戦の最中か、終了して他の目的の為に集団を統率して移動した可能性が高い。
「店員の事はどうでもいい。代金はちゃんと払うんだ」
「そういう問題なんでしょうか?ヴィガさんって融通利かない感じなんですね。えと、なんだったか。カタヒト。――堅石?」
「何の話だ。――堅物か?俺の事か?」
「そうそれです!覚える言葉が多すぎて、未だに読めない字も多いんですよ」
「そうゆうどうでもいい言葉は何処で覚えて来たんだ」
ウィルナの言葉にガクッと頭を垂らしたヴィガ。周囲の地獄絵図に似つかわしく無さ過ぎるウィルナ。ここまで気楽な会話がなされると別次元の生き物に思えて来る。
「思えばこいつは天使のような悪魔だったな。地獄のようなこの都市にお似合いの存在じゃないか」
「聞こえてますよー。僕の耳は良いんです。そ・し・て、言葉の意味も理解出来てますよー」
ヴィガが振り向いたウィルナのその無邪気な顔は、細めた瞳で見つめて微笑み返していた。その微笑がヴィガには悪魔の微笑に見えて来る。
「こうして見ると只の子供だな」
「僕が化け物に見えますか?それより行きませんか?」
「そうだな。買い物の時間にしよう。火の手が上がる崩落個所まで跳躍出来るか?」
「出来ます。多少焦げそうですけど」
「俺のマナスキンで十分防げる」
ウィルナはヴィガの指示に従い跳躍地点の崩落個所を眺めた。
通りは大通り程広くない。とはいえ十分広い通り。更に今いる地点が目的地の崩落個所より低い位置。
その為崩落個所の状態が良く確認出来ない。
「これ、無理に跳躍するより崩落個所まで登った方が安全じゃないですか?通りを歩いて渡って付近の建物登って行きませんか?」
「ん――?お前は意外に慎重派なんだな」
「ヴィガさんが強硬派過ぎませんか?」
「はは、確かに。――そうだな」
ウィルナの意見を素直に聞き入れたヴィガは、通り向かいの建物に目を移した。ヴィガとウィルナなら多少の無理でも押し通れる身体能力と身体強化魔法を持っている。だがやはり安全が第一。
「あれだな。行こうか」
ヴィガが見つけた足場となる建築物は通り向かい。商会崩落個所側三件隣りの建築物。建物中央に巨大な崩落を見せ、外壁が辛うじて形を保っている。だからこそ登り易いと判断して歩き出した。
ヴィガが屋根の縁から躊躇無くかなりの高さを飛び降り、石畳の歩道に両手をついて着地。その後をウィルナとトレスが続いた。
「周囲に人影もありませんね。この周囲に獣人の人達はいたんでしょうか?」
「さぁな。俺もそこまで詳しくないんだ。ただ、南区に奴隷市場がある。そこが無事ならいいんだが。それに数人のいけ好かない貴族達。あいつらの屋敷にもお邪魔するとしようか」
「それは良いですね。沢山の人達に自己紹介したいです」
「それは良いな。全てが獣人というのも悪く無いだろうさ。だが自己紹介は向こうからしてくれるのを待とう。それが心の距離を測ってくれる」
「ふむふむ。最初は距離を保つ――ですか。人間は嫌われ者ですからね。寂しいですけど分かりました」
獄炎立ち昇る閑散とした地獄絵図。生者の姿は影も無く。死臭漂う土気色と流れて広がる紅が火災の炎に揺らめき光る。その無残な無数を視界に、気楽な会話をしながらテクテク歩く二人と一体。
やがて二人は軽い身のこなしで跳躍を繰り返し、屋根を伝って目的の崩落個所まで辿り着いた。
「これはまた大惨事。床が焼け落ちてますね」
二人が眺めた箇所は建物三階部分で倉庫のように使用されている階層だった。そして延焼の勢いは未だ衰えず。石材の屋内に篭る熱気は、崩落個所が煙突のような役割を果たして一気に吐き出していた。
「この店はそこそこの値段の割には良い商品を数多く揃えていた。灰になると勿体ないな」
「そうですね。物は大切に。ですよね。――おいでトレス。防御魔法をかけるから」
二人は惨状を眺めて感想を述べた後、ヴィガを先頭に炎渦巻く屋内に飛び込んだ。ウィルナはトレスに防御魔法を付与。そして自身に付与した時点で、ヴィガの付与してくれていた防御魔法は弾かれ消滅した。
「併用は無理か。残念」
ウィルナは多少なりとも打撃防御が向上するなら、ヴィガから子供達に付与してもらいたかった。そこにウィルナ自身の防御魔法を合わせれば良いんじゃないか。とも考えたが無理だった。
「――トレスはここで待ってても良いよ。綺麗な毛並みが焼けたら大変」
そう言ってトレスの頭を撫でたウィルナも、ヴィガの後を追いかけ炎の渦中に身を投げた。ウィルナもヴィガ同様焼け落ちた箇所を避けて三階に回転着地を決めた。
そして着地真際から舞い上がる白煙に、周囲の視界は塞がれ包まれウィルナは身を屈めた。しかし原因を理解しているウィルナに動揺の影は無い。
「降りて来たか。お前も氷か水属性の魔法で消火しろ。最優先は窓までの通路確保と窓を開け。燃焼による有毒ガスでの窒息死は避けたいからな」
ウィルナは白煙に巻かれて視認できないヴィガの居場所を、その声を頼りに振り向いた。
「すいません!僕、魔術は属性付与出来ないんです!」
「お前!そうなのか!――お前の強さは一体何なんだ!」
ヴィガはウィルナの言葉に素直過ぎる驚愕の声を返した。有名な魔術師学院の卒業生でもウィルナほどの攻撃魔法の使い手は存在しない。身体強化や防御魔法も同様だった。それが属性付与出来ないときた。
「大丈夫です。この程度の熱なら問題無いです。窓は全部開ければ良いですか?」
「窓の解放は三階部分だけにしろ。――ふふっ。くっ。――下は空気を取り込めば燃焼拡大するかもしれん。くくくっ。俺が先に水弾で消火する」
ヴィガは両手に意識を向けて発動を続けている水属性水弾の連射精度に狂いが生じるほどの衝撃を受けた。力加減を誤り、危うく床を破壊する所だった。そして多少悪びれたウィルナの声に、意図せず口元が緩んで笑い声を上げてしまった。
「分かりました。それより僕が属性付与出来ないからって笑ったでしょ。さっきも言いましたけど耳は良い方なんです。炎の音だけじゃ誤魔化されませんよ」
「っく。――はっはっは。そうだったな!お前はほんとにおもしろい奴だよ」
「ヴィガさんって、最初会った時から性格が徐々に変わって来てませんか?」
「そう感じたらお前の仕業じゃないか?お前が愉快なんだよ」
「意味が分かりません。窓は全て開けましたよ。腹立ってきたし壁に穴開けていいですか?」
「馬鹿な事は言うなよ。くくっ。お前の冗談は冗談に聞こえんぞ」
「はいはい」
なんやかんやで結局ヴィガ一人が魔法で消火して鎮火した火災。
火の手が強かったのは崩落個所周囲やその階下、そして燃え広がった布製品やカーテンなどの可燃物。炎に巻き上がる黒煙と消火の水による水蒸気の白煙が消え去った商会建屋内。
「ヴィガさんも服買ったらどうですか?っていうか黒にしてください。黒が一番目立たないです」
「お前は闇属性一直線だな。っくく」
「まだそれ言いますか。僕の服もここの上の二階で揃えました。焼けてないやつ探して着替えてください」
ウィルナはヴィガの笑いに憤慨した意思表示として、多少焦げた木製カウンターに抱えていた赤鱗鋼をドンッと置いた。
その名が体を表し、紅に染まる荒削りの鉱石は大きな魚鱗のような面を多数有しており、そこに反射する月明かりが赤く白い光を放って輝く。
「それ一つで屋敷が買えるんだぞ。もう笑わないから機嫌を直せ」
「別に笑ってくれても良いですけど。僕も頑張ったんですよ。属性魔法」
「悪かったよ。俺は上で着替えて来る。そこに止めてある荷台に適当な商品を積み込んでてくれ」
二人は一階部分まで消火のために降り、そこでの鎮火を確認した後交わしたやり取りは、ヴィガが上げた右手で終了した。そしてヴィガはウィルナに資材収拾を頼んで焼けた階段を上り始めた。
「ふー。僕はまったくもって不愉快です」
独り言を呟き周囲を見回したウィルナ。ヴィガの言っていた馬車の荷台は合計三台。火災による損傷は免れた。全てが幌付きでそれなりの大きさ。つまり馬が必要となる。
「どの馬車が良いんだろ。面倒だし全部貰っていく?家と馬車はどっちが高いんだろ?」
その言葉は三台中二台は四頭引きの大型馬車。ウィルナでもその形状と脇に置かれた付属装備から理解し、その高価そうな金額が理解出来ない。
ウィルナは馬車の荷台をそれぞれ眺めながら首を傾げた。そしてヴィガに適当な商品と言われても、商品の用途や名前さえ知らない物が雑多に陳列された一階部分。
「鞄と毛布。傷薬に包帯・・・と。――他は?」
ウィルナは取り合えず手に取った革製の大きなバックパックに商品を放り込んだ。
「僕も買い物の勉強しなきゃ。これが金貨で何枚なんだろ」
ウィルナは適当に手に取った枯れた植物の束を見つめ、あった場所に戻した。用途不明で値段も不明。
「はぁー。!?」
大きく吐き出した溜息に混ざった異音。その音はウィルナに多大な緊張をもたらした。
ウィルナはギシッという足音を感知した瞬間、全ての動きを止めて聴覚に集中した。聞こえた音は付近から。闇夜に暮れた店内はさらに深い漆黒の闇。その中で微細な動きをも止めたウィルナ。その瞳も無意識に大きく開かれ微動だにしない。
(魔獣ではない。赤い目の襲撃者も違う。どちらも直ぐに襲って来るはず。ヴィガさんは階上)
緊張したウィルナは音を察知する事に注力した。最悪の状況だ。無警戒に動き回って此方の人数は相手にばれた。そして多分ウィルナの今現在の立ち位置も足音からおおよその見当を付けられている。
最悪なのは相手が敵か、そうでは無いかだった。
敵なら問答無用で攻撃できる。相手が再度出した音から位置の特定も可能。そこに魔槍を撃ち込める。しかし一般人。例えばここの店員が地下などに避難していた場合は攻撃対象にできない。
その一瞬の判断が生死を分ける事もある。
「僕は買い物に来ました。お金も払います。周囲に魔獣はいません!」
ウィルナは意を決して大声を上げた。二階にいたヴィガにも聞こえたようで、走る足音が上から聞こえる。
ウィルナは発した大声の直後から索敵に全神経を研ぎ澄ませた。不意に訪れた緊張を抑えるために行った深呼吸。その細く長く吐く呼吸音とヴィガの足音だけが闇夜の黒と、焼け焦げた黒に反響して明確な音を伝えた。




