終始 壱
自身の落とす影が極端に小さい。何となく現在の時刻を意識したウィルナは、
下を向いて歩き続けていた事に今更気が付いた。
普段ならもう少し訓練した後、昼食を摂る為にヨル爺様の家へと向かう道。
初夏の陽気の空の下、周囲は明るく肌に感じる微風は心地良さを与えるはずだった。
実際は自分とカーシャおばさん二人分の荷物はとても重く周囲も暗く感じる。
木剣、タオル、水筒に至っては水量も減っている。それら二人分の重量。
これは物質が持つ重量からだけでは無い。
精神的負荷による気持ちの問題が全てだった。
魔物の発見のみを報せる鏑矢と村中に警戒態勢を取らせる角笛。
鏑矢は魔物に対し誘導やその場の撃退が不可能な場合及び、
村への侵攻が避けられない時点で使用される。
角笛は全ての脅威に対応し警戒を促すため使われる。
村中央の木材と石材で建てられた平屋造りのこの村で一番堅牢な集会所。
その一部が長方形をした三階建てとなっており監視塔としての機能を有し、
それらを含めた集会所は巨大な煙突を付けた様な外観となっている。
角笛はその監視塔三階の部屋中央部に配置された、
階下へと降りる木造階段近くのテーブルに置かれている。
監視部屋は夜間も誰かが滞在しているが照明器具は一切無い。
夜間の明かりで目立つ監視塔。
更に監視している村人も明かりに照らされる事で、夜目遠目の利く魔物等を夜間の襲撃という最悪な形で村に呼び込む可能性を努めて排除する為に。
木製三角屋根と階下から延長される四隅の木製柱を石造りの手摺が繋ぎ、
高さ1メートルの手摺以外存在する壁は無い。その為、周囲一面が見渡せる。
鏑矢の音の効果範囲はそこまで広くない。
対策として点火し使用する煙玉が付けられており監視塔と連携し村を護っている。
それ故今回は僕でも理解できる程に最悪な状況だった。
対魔獣用であり抗戦が必要となる『鏑矢の音が聞こえる程近い』
つまり対策準備時間が無い。それが全てだ。漠然とした不安が募る。
実際村に侵入された場合、建造物で視野や進路を妨害される事。
攻撃魔法の威力、射線を考慮するなど制約が生まれ、
かなりの人的被害を被る。
家屋や畑など気にせず進行破壊していく魔物を侵入前に対処する事は必須であり、
侵入を許す時点で生活基盤の崩壊に直結し立て直しが難しい。
僕達は速足で村へ戻り、出迎えてくれたヨル爺様とアサ婆様
カーシャおばさんに護衛され無事に集会所広場まで到着する。
ここで僕達三人と大人達は別れる事になる。
カーシャおばさんは訓練していた広場から今まで、巨大な剣身の付け根である刃区を剣槍が屹立する形で右肩に乗せ、ポールを両手で握りしめている。
「いってくるわね」
目線を合わせるため三人の前に腰を屈め、子供達に笑顔を向ける。
別れ際に交わしたやり取りはその数秒、事態が急を要する為、
ここまでの道程ですら一言も言葉を交わさなかった。
口にする言葉には不安の色が乗る。それ故の無言だったのかもしれない。
立ち上がり情報を共有する為、カーシャおばさんは僕達のもとを離れ、
小走りで移動した先の集団を形成しつつある周囲の人達に話かけている。
多くが各自の仕事場から来ており、
僕達と時を同じくして集会所広場に到着した人も多いのが現状だ。
村の人口の半数近くが今この場に集まっている。
立って情報交換している段階なのだ。
普段なら角笛の音から鏑矢の音まで三十分程の猶予があるが、
それが連続した今回。事態はやはり混乱しているのかもしれない。
「心配しんさんな、必ず護っちゃる」僕の不安が顔に出ていたのか、
少し高く弱々しいヨル爺様の声、アサ婆様は僕達の頭に手を置きだた微笑んだ。
隣にいたルルイアが何も言わず二人に抱き着き、一人で集会所へと走り出す。
ロッシュベルも二人に一礼を行いルルイアの後を追う。
「死なないで」必死に考え口に出した言葉が結局これだった。
十一歳の僕は力も知識も持たない、只護られるだけの子供なのだと再認識する。
二人は何も語らず頷きを以てそれを答えとし、
アサ婆様から綺麗に取り出し口を絞られた一つの革袋を渡された。
最後に別れを伝える為、
二人は朝方畑で見かけた時と同じく、微笑み小さく手を振って僕の前から去った。
もっと伝えたい事は沢山あるはずなのに
何も言葉に出来ない。時間も無い。
受け取った革袋の紐を肩に掛け、後ろ姿の二人に一礼し集会所へ駆け込み、
そのまま監視塔上部を目指す。
予め決められている行動で、
村で一番頑丈な集会所内に併設された監視塔で監視の継続、
終了時まで待機する事になっている。
そう、終了時まで。
例えこの村の住民全てが倒れたとしても集会所内で息を殺し、
脅威が去るその時まで隠れ続ける。