自由の天秤とその先の代償(5)
圧倒的強者の魔族という護衛が付いた今、ヴィガは通りを細かく迂回しながら進むのを止め、火災を無視して抜けれる大通りを目指して進んだ。
「この調子ならもう間もなくだ。寝ている子供達を早く休ませよう」
横を歩くトレスも、魔族が一向に加わってからは敵の反応を示さなくなった事でヴィガの安心感は増した。それに伴い声にも安堵感が漂った。
トレスが先程見せた周囲の警戒は魔族達へ向けたものだったのかもしれない。しかし警戒は緩めず進み、角を曲がって大通りに出た直後だった。
今まで誰も姿を見せなかった都市の通りに立っている三人の人影。
ウィルナには思い出せないが、既視感のある風体が炎に照らされていた。その姿は嫌いな人間の中でも上位に入る野盗の姿に酷似していた。
「迂回するか?」
ヴィガは、後方に並んで歩いているウィルナに問いかけた。
今この状況において、通りに立つ男達がまともな存在では無い事をよく理解していた。こちらは集団、距離はあっても気づかれた可能性が高い。向こうが視認出来た三人だけとは限らない。接触は極力避けたかったが、発言したヴィガ自身も手遅れである事を理解していた。
「こちらに来てますね。避けられないようです」
ヴィガは魔族の女性達に抱かれて眠る子供達の為に、騒ぎを起こしたくなかった。それはウィルナも同様で、嫌いな人種である野盗でもあり、交戦状態に入るために進んで集団の先頭、ヴィガの横へと足を進めた。
「あの人間どもは僕が対応します。ヴィガさんは皆の事をお願いします」
「エイナさんは俺が預かる。ラギールさんの剣を持って行け」
「はい。有難うございます」
ゆっくりと歩いて来る野盗が三人。それらと対峙する為に集団から一人抜けたウィルナ。
ウィルナは背後に残した守りたい存在をその背に感じて気を吐いた。今は好きな人のティナもいる。戦闘になるのなら、全力で叩き潰すと決めて向かい合った。
「そこを通してもらえませんか」
ウィルナが声をかけた男達は距離を保って足を止めた。周囲の木造建築は殆どが焼け崩れ、赤い火の粉を風に解き放っていた。
そして見た、にやけた顔の男達の紅眼。
「あなた方は自分を無くしたんですか?」
三人の姿のその殆どは人間種。肌色は普通。角も無い。髪の色も黒か金。しかし瞳の色だけが魔族のそれだった。
人間の瞳の色は多種多様。青・緑・黒と他様々。しかし赤い瞳の人間などこの世界には皆無。知識の少ないウィルナでも、男達の異常を本能が察知した。
「お前に興味ない。奥の女をよこせば見逃してやるぞ。くひひっ」
押し黙って嫌な笑いを浮かべていた男達の一人が口を開いた。
ウィルナに届いた声は下卑た声で嘲笑を過分に含み、その男の右手には湾曲したショートソードが赤い光を反射していた。
今度はウィルナが無言になる番だった。男達の癪に障る声と内容。そして男達の手に握られた武器に反射する赤は、周囲の炎に照らされた鮮血の赤。
勿論、無傷の男達の血ではなかった。
周囲の焼け崩れた家々か、もしくは他の場所か。しかし、剣先から石畳の通路に零れて落ちる血の雫が、間近に使用された痕跡として凶行を告げていた。
「おい、こいつは」
一人の男が血濡れのロングソードを肩に置いた時だった。炎に照らされたウィルナの顔を眺めていた別の男がストレートソード片手に呟いた。
「あいつだ。魔獣が暴れ出した時にお前が殴った」
男の声でロングソードを持った男も眉間にしわを寄せてウィルナを直視した。
「あぁ!あの時の雑魚か。お前らが生きて良くここまで来れたな!くはっはぁっ。運だけは強いらしいぞ!だがここまでだ!」
正面の男が言い終わると同時に、その手のロングソードを振りかぶってウィルナに斬りかかった。
野盗の男は上空への跳躍で多少の距離を一瞬で詰め、力任せの強烈な切り下ろしを振るった。
ウィルナと野盗の二人が持つロングソードが打ち合い、重厚な金属音が鳴り響く。
ウィルナは赤い目の男達に異常を感じ取り、警戒心を解くこと無くその動向を注視していた。しかし体勢は戦闘状態にあらず。抜剣もせずに立ち姿のまま男達と話をしていた。怒りの感情は抑えて無用な殺生を控えたかった。
しかしそれはウィルナの心に生まれた慢心とも言える油断。魔族同様赤い瞳でも姿は人間。その力量を侮り見誤った。それ以前に一瞬で距離が詰まるとは考えていなかった油断。
野盗の男の跳躍の勢いと体重を乗せたロングソードの一撃は、鞘から多少滑らせた剣で辛うじて防いだ。
しかしその威力は想像を超えて体勢を崩した。防ぐ為に両足を開き、全身に力を込めて頭上に上げた剣で受けた。結果ウィルナは無防備に硬直して動きを止めた。
「がっ――」
慢心と油断は防御魔法の展開を忘れさせた。体勢を崩したウィルナの腹部に男の前蹴りが深く突き刺さり、ウィルナの吐き出された呼気や鈍い音と共にその体を後方に大きく蹴り飛ばした。
小枝のように吹き飛ばされたウィルナは蹴りの威力に逆らわず、吹き飛ばされた後方空中で身を捻って着地した。
男の攻撃が足では無く剣などの武器だったなら、致命傷だったかもしれない。腹部に感じる鈍痛より油断と慢心による被弾に苛立ち、自身に向けた怒りそのままに歯を食いしばった。
(この力、人間じゃない。呼吸が出来ない。あの目か)
剣撃と前蹴りで意識は再構築された。全力で立ち向うべき強敵であると再認識させられた。
しかし、常人離れした男達の力の源が分からない。自分を殴った男の顔は忘れたが、殴られた事は覚えていた。記憶に無いという事は興味が無かったという事。つまり弱い存在だったはずだった。
呼吸困難なウィルナは背を丸めて耐えた。腹部に鈍痛が響くが防御魔法展開を開始した。
横隔膜の痙攣は時間で回復する。呼吸もすぐに正常となる。痛みに屈して動きを鈍らせれば、更なる苦痛と苦悩に苛まれる。
「はぁー」
ウィルナはラギールの形見のロングソードを抜いて息を吐いた。右手に剣を。左手には逆手で握った鞘を。そして男達を睨みつけた。
(負けられない!)
男達の下卑た笑い声が止む事は無く、絶好の追撃の機会を見逃した男達。前に出たのはロングソードの男ただ一人。男達は絶対的な力と自信に裏付けされて余裕を見せていた。
「よくもまぁ立ったもんだ。俺達の強さが驚いたか。くひひ」
「俺達は人間を超えて神となったんだ!お前じゃ俺達には勝てねぇよ」
無言でロングソードを肩に置く男。その背後で声高に謳う二人。三人全てが口角を釣り上げてウィルナを見下した。
それをウィルナは黙って聞いた。左手の鞘は無意識に鈍痛の激しい腹部に当てられた。奥歯は固く咬合された。他人に馬鹿にされる事が、ここまで苛立つとは思いもしなかった。
「もう虫の息かぁ?まだまだ悲鳴を上げろよ。お前がくたばる前に、答えを一つ、くれてやるから頑張れよ」
背後の二人の言葉に同調したロングソードの男は、自分の衣服の襟首を掴んで右胸元を開いて見せた。
男の歪に歪んだ微笑。衣服を右手で握り、下げて開いて見せた胸部には黒紫の魔核が、黒く脈動する幾筋もの線の中心で鈍い光を反射していた。
「これが、ある人から授かった俺達の自由だ。俺達の体はこの力に耐えて生き残り、その力を取り込んだ!俺達は魔神という名の神になったんだよ!」
赤く燃える夜空に剣を突き上げて叫んだ男は、自分の言葉と力に酔いしれた。
魔核の移植後、多くの仲間が魔核に取り込まれた中で適応した。それは自身を特別な存在であると認識させ、常人ならざる力を実感して人格は崩壊した。
男達は人間である事を止めていた。
ウィルナはその魔核を良く知っていた。
魔獣の体に必ず一つある魔核。その体に流れる血液と同色黒紫の魔核。大きさは魔獣の体に依存する。男達には中型魔獣の魔核が移植されて胎動していた。
「目障りだ」
ウィルナは鼻から大きく息を吸い込み、肺の空気が全身に巡る感覚を数秒意識。その後、口から大きく吐き出した。そして男達に告げた。込めた苛立ちを抑える必要も無い。無用な問答も戦闘中には不必要。
「何だと雑魚が!」
ウィルナも魔獣達の命を奪い、捕食する事で生き延びてきた。その命に感謝して生きて来た。それは長年切磋琢磨し続けた良き隣人であり、命を懸けた闘争後には、ウィルナを生かし続けくれた存在でもあった。
その魔獣の心臓ともいうべき魔核が、目の前の歪んだ思考の人間達に、良い様に使われている事に怒りを覚えた。
男達の無駄話と自慢話て呼吸は戻った。痛みは引いた。そこに加算され続ける怒りの感情。体に熱がこもる感覚。
ウィルナは吸い込む息一つで呼吸を止めた。
そして今度はウィルナが切り込んだ。
ロングソードの男に姿勢を低く跳躍。左逆手に持った鞘を自分の顎先で構えた。
低姿勢の跳躍で、男の足元から見上げる距離まで一呼吸で一気に詰め寄り、脇に固めてあった右手のロングソードを移動の勢いそのままに突き立てた。
「くひっ――」
ウィルナの着地時に鳴った重心移動の靴音。そこに重なった男の吐血交じりの音。
男は抵抗の意思を示したが動きが素人。素人程攻撃を受ければ防御に入る。しかし男の下半身と上半身の動きは不一致を見せた。
高速で距離を詰めて来る低姿勢のウィルナへの対処方法が分からず、ロングソードを振りかぶっていたが腰は引けていた。
ウィルナのロングソードは、石畳に崩れ落ちる男の喉元から自然と抜かれていった。
そして赤と白銀の交差した刃が横一線。ウィルナの正面で膝をついた男は、ウィルナが持つラギールの剣で頭と胴体を音も声も無く分離させ、あるべき場所から転がり落ちた。
重力に従い流れ落ちる赤と、重力に反発して吹き上がる鮮血。男の胴体は、自身が創り出した血の池に体を沈めた。
ウィルナが念のため防御に回した左手の鞘は必要なかった。フェイントなど、戦闘の組み立ても見えていたが、どれも必要では無かった。
最初の一合で理解していた。
人間離れした力は脅威。しかし、それ以外が素人では話にならない。
剣を振る。と、剣で斬る。は、似て異なる。
素人と玄人は、足の動きで一目で判断出来た。
「後二人。手早く静かに片付ける」
残った男二人は、自分達に勝てる人間がいるとは聞いていなかった。思いもしなかった。ウィルナに睨まれた捕食される事の無い被捕食対象としての自己意識。死の恐怖を肌で感じ、限界を超えた恐怖に直面した二人は声を上げる事さえ叶わずに動きを止めた。
ウィルナも三人で連携されれば手傷を負ったかもしれない。前蹴り直後に追撃されれば劣勢だったかもしれない。
しかしそれも過去。
戦闘中、恐怖心に負けた男二人はウィルナにあっけなく惨殺された。ウィルナは確実に仕留める為、最後は二人の首を刎ね飛ばした。
そして、この場はティナ達も通る。死体は炎渦巻く木造民家に全て投げ込んで始末した。
「あいつら一体何だったんだ。動きは素人だがあの身体能力。身体強化魔法か?」
戦闘状況の優劣が決した時点で、ヴィガは集団を先導して前進を開始していた。距離を開ければウィルナと分断されかねないと判断した為。そして不可解な襲撃者の情報を欲した。技術を伴う事の無い個人の膂力に異常を感じた。
「魔獣の魔核を躰に埋め込んでいました」
「馬鹿な。異物を移植すれば命を落とす。しかも魔獣の核」
「何なんでしょうね。ある人から貰ったと言っていました」
「人?そんな技術を持った人間がいるという事か」
ヴィガは一連の事件に思いを馳せた。余りにも用意周到で、その実行力は驚異的だった。
ディロンの断罪。都市の崩壊。そこに投入されている魔獣。そして先程の襲撃者。しかも西のバーキスが進軍を開始した。思えば近年の鎮静化出来ない盗賊騒ぎも、関与を疑いたくなる。
「部隊の皆は無事だろうか」
ヴィガは願いを込めて独り言ちた。しかし『銀麗』と謳われた騎士団の仲間の安否を知りたくは無かった。聞けば間違いなく悲しみに打ちのめされる。それは予感では無く、状況判断による確実な予測。
延焼する木造家屋の通りで照らされた集団の中、ヴィガだけが舞い上がる火の粉を無常に見つめて深く息を吐いた。




