自由の天秤とその先の代償(2)
瓦解した城塞都市の防御機構。
自分の家の庭に外敵が侵入したも同然で、都市の住民全ては最後の望みを我が家に託して息を潜めた。
破壊音や火災音。その全てを気にせず、ウィルナ達はヴィガとトレスを先頭に武器屋のダルケイ宅を目指した。
中央区からの西区北側の目的地、ダルケイ宅まではそれなりの距離がある。そして更に時間を削る要因となった、当然とも言える不測の事態。
倒壊した家屋が瓦礫の山を形成し、進路を拒む。石材や木材で形成された、ちょっとした小山。
これはまだ対処が出来た。迂回するか、小山を登れば問題無く先に進めた。
しかし、周囲を明るく照らすほどの火災は対処の仕様が無かった。
近寄るだけでも熱波が行く手を阻み、迂回するにも大きく迂回する事になる。防御魔法を付与しているが、吸い込む空気の灼熱までは遮断出来ない。
「中央区は特に火災が激しかったです」
ウィルナが顔の正面に手を上げて、火災からの灼熱を防ぎながらヴィガに伝えた。
一軒だけの火災なら、通りを駆け抜ける事も出来た。
しかし、隣接する石造建築群の窓からは巨大な炎が手を伸ばし、自身の領域を拡大しようとうねり狂っていた。
「城門は閉じていたはず。良い様にやられ過ぎだ」
延焼拡大し続ける火災の中、ヴィガは歯ぎしりした。
自分が百人都市防衛の任に就いていたら、ここまで敵の好き勝手にはさせてない。間違いなく多くの住民の命を救えた。こみ上げてくる黄金騎士団に対する憤りだけを押し殺した。結局体は一つ。どうする事も出来ない苛立ちは、炎を睨む視線にのみ込められた。
「大きく迂回する。見えた範囲で良い、火の手が少ない方角を教えてくれ」
ヴィガはウィルナの”中央区は”という言葉に望みを繋いだ。辺り一帯は火の海。早く突破口を見つけなければ、生存確率が時間と共に減少し続ける。
ダルケイ宅は西区北側に位置する。現在は中央区。北ルートか、西ルート。どちらを選んで進むべきかは究極の二択。炎に遮られた袋小路で魔獣の襲撃は受けたくない。迂回して時間も取られたくはない。
「北西側だけは、火の手がありませんでした。それと北側も火災は少なかったです」
オレンジがかった赤い炎に照らされたウィルナが告げた。それを聞いたヴィガも、同色に明るく照らされている。二人はそのまま動きを止めた。
ヴィガが動きを止めて、炎をぼんやり見つめながら思案に入ってしまった。そしてウィルナはそのヴィガを見つめ続けた。再度、何かしらの質問等があるかもしれないと、口を閉ざして立ち尽くした。
ヴィガは最初、この災害は挙兵した西のバーキスの破壊工作だと考えていた。
魔獣を解き放つ方法はいくらでもある。商人を装い、馬車に檻など拘束した状態で都市に入都出来る。
人為的に解き放たれた魔獣は見境なく破壊する。魔獣単独の大進行だったなら北から来る。しかし木造建築が多数ひしめく北区や北西部貧民街だけの火災が少ない事が腑に落ちない。
敵の目的や意図を理解する事で事態を予測し、その中で選択できる対処方法は広がり、最善の対策を決断する事が出来る。だが、今回は分からない事が多すぎた。
「お前も魔獣を連れている。他の魔獣とも意思疎通が出来るのか?指示に従わる事は?」
ヴィガが感じた確かな違和感と素朴な疑問。情報こそが生死を別つ。
「トレス以外とは無理です。大体僕を食べようとしてきますよ」
質問するまでも無い回答。当たり前の事柄だった。だからこそ、統率の取れていそうな魔獣達の動きに警戒心を抱いた。脳裏を過ったのは魔族の襲来。人知を超えた存在の魔族なら出来かねない。
「火災の少ない北から目指す。中央区を抜ければ何とかなる」
「北の大通りは炎が見えました。北西への直進は塞がれています。その間に道がありました」
「そうか。それでは北北西から進もう」
ヴィガはウィルナの言葉で多少の安心感を得ていた。育ての親であるダルケイことダルドが無事である可能性は極めて高い。北西部に被害が及ぶ前に、何としてでも合流したかった。
しかし急いでいる時に限って邪魔して来る存在がいる。
「トレスの様子がおかしいです。反応してますけど方角が定まらない」
それは中央区の境付近まで進んだ時だった。
トレスは二本の棘刺鞭を使い、索敵にかかった敵を指し示す。しかし今回はその方向は絶えず向きを変え、頭の向きすら変えて全周囲を警戒していた。
「どういう事だ。敵が高速移動でもしているという事か?」
「ふふ。こんな時に冗談ですか?――こんなトレスは初めて見ました」
「つまり、囲まれたという事なんだな」
「多分そうです」
「包囲は俺が進行方向に道を切り開いて食い破る。いいか、お前が皆を守れ」
「はい。援護は任せてください」
「良し。少しでも先を急ぐ。包囲なら背後に喰らい付かれる前に正面を食い破るぞ」
「分かりました」
ヴィガが作戦を伝えながら剣を抜いた直後だった。
「ヴィガさん!」
ウィルナは詳細を伝えたかったが、無意識の本能が意識を制圧した。すぐに屈みこんで抱き上げているエイナの体を地面に横たえた。
直線の通りに建ち並ぶ石造建築。その奥、遠方屋根上の縁に、か弱く儚げな光を見た。
ウィルナは蛍の光のような光源となる魔法に警戒し、発見直後に魔槍を七本形成。
六本を前面半円状に突き立て、一本を迎撃用として追従させた。
同時に跳躍。ウィルナ自身が創り出した光の壁で、脅威と認識した何かとの視界は一瞬途切れた。
命を懸けた闘争において、まばたきの一瞬すら奪命の危険が伴う。しかし先手を取られた現状では後手に回るしかなかった。
ウィルナが敵と相対する為に跳躍した屋根上。跳躍中から敵の魔法は形を具現化していった。
「なっ」
蛍の光に見えたのは、距離があり過ぎたため。驚きが勝って声が出たのは、自身が使用する魔槍と同じ形状の魔法へと姿を変えたため。
他人も使用可能であるウィルナの攻撃魔法。しかし、今のこの世界に使用する存在が現れた事に驚愕した。使用できる人間がいるとは思っていなかった。それを粘土細工でも作るように魔法で容易く生成した。
最初から同様の魔槍を使用出来たのか、それともウィルナの魔法を模倣したモノか。後者なら、あり得ない技量と素養を持ち合わせた圧倒的強者。
ウィルナとウィルナの魔槍の様子を伺う漆黒の影。ウィルナが勝てない相手と断定した漆黒の影。両者は石材水平屋根の上で、数件の建築物を挟んで向かい合った。
一定距離を保った両者は数秒の睨み合いを続けた後、両者の静寂は影からの魔槍で切り裂かれた。
影から射出された魔槍はみるみる巨大となり、一瞬で距離を詰めて飛来する。
ウィルナも凝視していた影からの魔槍。少しでも反応が遅れれば貫かれる速度。
死という概念が形を成してまとわりつく感覚。極限の意識下で、コンマ一秒は引き延ばされた。
ウィルナは反射的な意識で魔槍を操作して迎撃に向かわせ、魔槍二本がウィルナの正面で激突。ウィルナの魔槍は破壊音と共に光の欠片となりつつ霧散消滅。自身の魔槍が破壊された認識と同時に感じた右肩の衝撃。ガラスの割れるような破壊音を響かせ、防御魔法に巨大な亀裂の光が生じた。
直撃の瞬間、左側に重心を動かし体を捻り、巨大な魔槍の根本付近が防御魔法に亀裂を生じさせ、高音の破壊音が連続した。無意識の反応。接触した角度が良かった。辛うじて生き残った。
ウィルナはかすめただけの衝撃で後方に押し出され、被弾した右肩を抑えながら体勢を立て直した。そして苦痛に耐える声では無く、笑みだけを浮かべた。
精度・強度・速度・威力。全てが上。未だつっ立ったままの相手の力の底すら見えてこない。――ここまでの差を体感させられると笑うしかなかった。
(何だこれ、魔術の基礎が桁違いだ。勝てない。――だが!)
ウィルナが使える攻撃魔法は魔槍のみ。だが、物心ついた時から使用し続けたからこそ辿り着いた現在地点。一点突破の一極集中。
足元を踏みしめ、上体を固定した両足。肘を曲げ、腰の位置で空に向けて開いた両手。振るえる全身。
「ああぁ――!」
魔力出力を最大まで高めて小型の魔槍六本を形成した。全てが大人の腕程度の大きさ。高めた魔力は高度に圧縮し、大部分を凝縮して先端に集め、可能最大限を貫通力にあてた。
影も魔槍を構築完了し、棒立ちのままで射出した。
「おああぁ――」
ウィルナは両手を正面に突き出して射出。その両手で魔槍を操作し、迫り来る影からの巨大な魔槍の両側から貫いた。
それは賭けだった。
ウィルナ自身の魔槍は横からの力に弱い形状。それが高速だろうと直線で飛来する。影からの魔槍が直撃する前に、横に回り込んで捉える事が出来るかどうか。そして破壊する事が可能かどうか。
そして今、影からの魔槍は砕けて霧散消滅している。ウィルナの魔槍六本は健在。ウィルナは魔槍を追従するように駆け出した。
屋根を飛び渡り、通りを飛び越えて距離を詰め、牽制の為に魔槍二本を影の足元左右に解き放った。
影本体を狙っては駄目な気がした。全身が漆黒に包まれた存在。確認できる白銀も紅も角も見えない。多少距離を詰めれば紅眼は視認出来ると考えた。魔族なら話がしたかった。だが、近づきすぎれば回避の時間は無くなる。建物二件を挟んだ距離で向かい合った。
影はウィルナの魔槍に興味を示さず魔槍を構築。直撃しない魔法に、些細な反応すら示さなかった。
声が届く距離まで詰めたウィルナには、確実な回避行動がとれない距離となっていた。そして影から魔槍が放たれる直前、致命傷を避けるために取ったささやかな一歩。微かな反転。
「ティナさんの知り合いですか!」
ウィルナの予測回避と同時の渾身の力を込めた大声は、闇夜を切り裂くだけに留めた魔槍と共に静寂を呼び込んだ。
ウィルナの真横すれすれを通過した魔槍。風切り音とその黄金の光は視覚と聴覚にその威力を訴え、風圧が明確な死を予感させて脳裏に焼き付けた。
影は魔槍を明らかな直撃コースから軌道を外した。しかし、影の反応はそれのみ。
ウィルナ自身は生き死にを重く考えていなかった。これまで幾度となく死にかけた。強敵に抗い、戦い続けた。その中で、勝てないかもしれなからと、心が折れる事は無かった。痛みや恐怖心に負けた事は皆無。だからこそ食い下がった。
「下には子供達もいます。これ以上、暴れるのは止めてくれませんか!」
再度大きく息を吸い込み、全ての空気を使い切るように大声を張り上げた。
強者を前に、魔族の知り合い達の顔が頭に浮かんだ。確認出来なくても魔族だと感じた。魔族なら争いたくはなかった。目の前の影には勝てずとも、無傷で終わるほどの実力差までは感じない。知り合いの大切な人なら傷つけたくはない。
「僕達は北北西に向かいます。邪魔しないでください!」
無反応な影に再度注文した直後だった。漆黒の影に真横から飛翔する炎弾が三発。
全弾が直撃して一瞬の夜明けを創り出した。
直撃した炎弾の威力はウィルナから見ても規格外。広範囲の硝子を破壊した。周囲の建築物を破壊した。
巨大な爆発は、離れた位置のウィルナまで爆風と衝撃波を運び、漆黒の影は破壊された足元の石造建築だった石材と共に、数秒に渡る紅蓮の胃袋に飲み込まれた。
ウィルナは強烈な衝撃波に飛ばされないように両足で耐えた。両手は顔の正面で交差させて飛散物から頭を守った。そしてそのまま腰を落とした前傾姿勢で熱波を耐えた。耐えるしか出来ないほどの衝撃波。それを生み出した魔法の威力。
ウィルナが炎弾を確認できたのは影に直撃する直前。目の前の影と同等かそれ以上の高威力。故に相当な実力者の存在を認識した。




