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ウィルナの願い星 Self-centered   作者: 更科梓華
第一章 中幕 ~災いの火種と烈火の根源~

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幕間 無垢な狂気を柔和に広げて

闘技場へと繋がる通路は巨大。それは魔物や魔獣を闘技場へと誘導する為に敷かれた通路だった。


「バルムト卿から隠し通路の道は教えてもらった。こっちだ」


一行の最後尾でヴィガが告げた。その負傷した左腕の手にはラギールの剣を鞘に納めて握られていた。負傷箇所は腕の矢傷以外にも数ヶ所見られたが、自身の血では無く、返り血であるかの如くに平然と歩いていた。


「いえ、正面から出ましょう。さっきの魔物が道を開けてくれてますよ」


集団の前列で、エイナを抱きかかえながら歩くウィルナが返した。


そして巻き起こる大声と笑い声。


「――やっぱりお前は悪魔だな!――はっはっは」


ヴィガもウィルナがトンネルへと押し込んだ魔物の今後を考えていた。考えなくても未来は予測できた。


魔物は命の限り人を襲い続ける。そしてやがて討伐される。


そしてヴィガの予測は現実となり、赤い絨毯の敷かれた通路上に横たわる遺体と、致命傷を負いながらも意識を保ち続けてしまった騎士達や貴族達の呻き声として現れた。


「ひいいいっ」


ウィルナの背後からベリューシュカの、大き目な悲鳴が通路に反響した。地獄への通路。この場から続く通路が地獄。赤い絨毯に別の赤い液体が染み出し、ベリューシュカの塞いだ耳に負傷者の苦痛に歪む悲鳴が聞こえてくる。


「奴隷さん。遅れてますよ。急いでください」


ウィルナの平然とした一声が、一行の足音を消すほどの雑音をかき消すように響いた。


ヴィガと並んで歩いていたルーシェは、ラギールの剣を没収され、代わりにその背にディロンを背負って歩かされていた。


細身でも高身長なディロンを疲れた体で背負い上げ、懸命に歩いていたが集団から遅れだした。


そしてウィルナに苦情を言われたが言い返す気力も無く、開いた口で息をしながら周囲の悲惨な光景に耐えて歩いていた。


ルーシェはシーカーとしての活動を通して、人の死にも立ち会う事はあった。しかし今の悲惨な光景は耐えがたい恐怖と、それによる激しい動悸を起こしていた。人の血と臓物の匂いが、纏わりついてくる感覚に吐き気を感じながらも、懸命に歩き続けた。


「しっかり働け。奴隷」


精神を削られたルーシェに冷たい口調のキーラが追い打ちをかけた。


「えと、なんだったか」


歩きながら不意に天井を見上げたウィルナが、独り言を口にして考え込んだ。


「忘れ物?」


「忘れんぼさん?」


ウィルナの少し前を、意気揚々と腕を振り回して歩くミスアとオーストが口にした。ウィルナに向けられた顔には満面の笑みが溢れ出し、この場の惨状に興味を全く示していなかった。


他の子供達も同様だった。


今まで自分達や大切な家族友人を苦しめ続けて来た人間が、のたうち回っても感情移入する事は無かった。子供達は解放された今、幼いながらに人間達に抗う覚悟を持っていた。人間は敵。それだけだった。


「思い出した。――奴隷さん、頑張らないと売り飛ばしますよ。女は多少の金になります。裸にして売り飛ばしますよ」


「なっ!」


ルーシェは最悪な言葉を笑顔で口にするウィルナの顔を怒りを込めて睨みつけた。だが同時に抑えきれない涙も溢れ出した。


多少の金にしかならないと言われた事。裸にすると言われた事。売ると言われた事。


キーラの手を繋いでいたが、トンネルを抜ける際に振り払われ、再度手を握らせてもらう事は無かった寂しさ。


ルーシェには絶望的な状況だった。周囲は敵だらけ。ウィルナ達も敵だった。そして耐える事しか出来ない今の状況に歯ぎしりした。


その全てと自分の無力さにルーシェは耐えられなかった。それでも歯を食いしばって歩き続けるしかなかった。


「ここの騎士は、何でここまで弱いんですか?」


ウィルナが視線の先に広がる金と赤の混ざった遺体の数に疑問を持った。同時に、朱色に染まる通路を無言で歩くベリューシュカの心的負担を、軽い会話で少しでも軽くしたかった。


魔物はエイベル達なら間違いなく処理できる。ヴィガなら単独でも倒せるはず。しかし、ここまで被害が拡大している事に、解き放ったウィルナ個人でも驚いた。


「簡単な仕組みだ。こいつらは上級貴族や大富豪達の息子たち。今まで安全で、王都より任務の軽い黄金部隊に入り込んだゴミ共だ」


「ああ。お金の力というやつですね」


「そうだな。昔は違った。黄金の他にも、白金、朱、蒼、そして俺達白銀という五大カラーズレギオンがいた」


「レギオン?白金とかは色ですよね?」


「そうだ。レギオンは兵団。騎士の集団を一つに纏めた兵達の事だ」


「いたって事は今はいないんですか?」


「そうだ。蒼はもう無い。そして、今回の一件で俺達白銀も。一年前、西のバーキスとの戦争でバルムト卿が指揮を執り、この国に快勝をもたらしたのは俺達白銀」


ここで会話は中断された。


ウィルナは前を歩く子供達の手を掴んで止まらせた。ヴィガも剣の柄に右手を当てて戦闘状態に入った。


警戒しながら三叉路の角を左に曲がり、聞こえてくる音は鮮明になった。


通路の突き当りの木造扉は破壊され、その周囲の壁にも無数の爪痕が刻まれていた。


そして破壊された扉の奥に見えた部屋には、黄金の騎士達と戦闘を繰り広げる魔物が一体。


その体には出血は無くとも無数の傷と矢が撃ち込まれていた。それでも動きは衰えず、魔物には狭いだろう広い部屋を縦横無尽に飛び回り、騎士達に攻撃を仕掛けていた。


「皆はここにいてください。助けて来ます。この先はどっちですか?」


「その部屋を右だ。地上は近いぞ」


ヴィガの指示を得たウィルナは、前方に上げた右手の掌に小さな魔槍四本を構築。駆けつけた部屋には入らず入口で魔槍を解き放った。


全弾を撃ち込んだ直後に再構築。再度発動して射出した。それを繰り返した。


ウィルナが掌から放った魔槍は、まるで連射式のボーガンのようだった。只々速射性と貫通力だけに意識を集中して、操作する事すら不可能な高速弾。


そして黄金の騎士六名は激しく体を揺らしながら無数の穴を空けて倒れ込んだ。その貫通力は小型でも強力。凄まじい音を騎士の鎧と部屋の壁に直撃する事で巻き起こした。そして半壊した右の扉。


ウィルナには初めての試みだったが、新たな魔術の新境地として確かな手応えと有能性を見せた。


そしてウィルナは魔物を見つめながらゆっくりと後退した。


部屋には他にも扉はある。だけど魔物には破壊した扉の先の地上まで、頑張って出て欲しかった。人間の勝手な都合で生きる場所を変更された孤独な魔物にも、自由になって欲しかった。


「大丈夫。僕は君を傷つけない」


そう言いながら、背後の通路に後退した。音は無く、視線は逸らさず。ただ伝わる事の無い言葉だけを残し、背後の通路に消えて魔物の視界からも消えた。


ウィルナは後ろで待機してもらっている皆にも、手を翳して止まる合図を出した。誰も音を出さなかった。そのお陰で魔物が出口方向の木造扉を破壊する音がして、足音は離れていった。


「そろそろ、出発しよう」


魔物に警戒される事を防ぐ為に接触を避け、少しの間休憩をしていたがヴィガが立ち上がって声をかけた。あまりゆっくりとしている時間も無かった。


今いる場所は逃げ場の無い地下。出入口は二ヶ所のみ。大多数の騎士達を送り込まれたら逃げ場は無い。表情に疲れを色濃く出しているベリューシュカとルーシェには悪いが先を急いだ。


「俺の育ての親のダルドさんが、この都市で武器屋をやっている。一先ず、そこまでは頑張ってくれ」


「はーい」


子供達がベリューシュカの両手を二人がかりで引っ張り起こし、その背を二人が押して歩き出した。それに合わせて集団も出口に向かい歩き出した。


子供達は獣人だからという範疇を超えて元気だった。解放されたのは体では無く心だったのかもしれない。そう思えるほどに元気だった。


何があっても対処できるように立っていたウィルナは直ぐに歩き出した。だが、不思議に感じてヴィガを見つめて足を止めた。聞き間違いかと思った。しかし武器屋は一つしか知らない。それに微妙に引っかかった。


「ダルケイさんの事ですか?」


この場の全員が沈黙した。そしてベリューシュカだけが「あぁー」と口にした。


名前が似ているだけかもしれない。それでもダルケイさんの息子として育ったのなら、ヴィガの力量やその強靭な意志と精神力も納得出来る気がした。


「お前達は知り合いか?いや、客として店を訪れた事があるのか?」


「はい。武器買ってすぐ折って怒られました。そういえば御飯食べる約束してました。忘れてた」


「ははっ。そうか。あの人がなぁ」


ヴィガは子供の頃に北部戦災孤児として拾われ、育ての親となってくれたダルドの顔を思い出した。厳しく優しく、そして誰よりも強くカッコ良かった、少年期の記憶のダルド。


自他に厳しく、人の好き嫌いが激しいダルド。そのダルドに気に入られたウィルナ。ヴィガは少しくらいはダルケイと名乗る前の昔話をしても良いと考えた。


「あの人の名は、ダルド・ケイディール。元は五大貴族、ガウェイン・キーガーラ卿の側近で、蒼淵のノーブルエイム騎士副団長だった人だ」


「えぇ――!」


薄暗い石造りの廊下で、奇抜な奇声を反響させたのはベリューシュカ只一人だった。


蒼が無くなったのはベリューシュカが幼い頃。それでも物語は語り継がれ、今もその存在は色褪せない。


蒼がこの国最強とまで言われ、その目で見た事は無くても想像に難くない人物像と、尊敬すべき話をいくつも聞いてきた。あの怖いおじさんが、おとぎ話の有名騎士団の副団長だった事に衝撃をうけた。


想像した人物と違い過ぎていた。足を踏み出す度にカッコいいイメージが崩れていった。


「意外だな。驚いたのはベルだけか。巨岩の破壊者と言われて有名だった人なんだが」


「そうゆうの、良く分かりません」


「はっ。お前も魔獣を連れた少年として有名だぞ。今では大罪人としてもな」


「他人の指図は受けません。僕は好きなように行動します」


「そうだろうな。何からも縛られていないお前が、バルムト卿は羨ましかったんだろうさ」


「そうなんですかね」


「さあな。俺のも分からん。そう感じただけだ。――ここを抜けたらエントランスの大広間だ」


「そうですか。警戒して出ましょう」


ヴィガの声と共に前方に破壊済みの木造扉が見えた。その奥に続く薄暗く狭い通路も。数時間前に通った通路だった。ここに来るまでと、大広間に出た先でも人の姿は生死を問わず少なかった。


ウィルナが魔物騒ぎを起こした事で、殆どの客が解放された隠し通路に駆け込んだ。そして騎士達もその護衛として同行し、防衛線を張って待ち構えていた。


その事を一行の誰もが知らなかったが、エントランスの大広間で少しの時間を割ける静けさは、有難いものだった。ウィルナとヴィガには落ち着いた状況で、やるべき事があったから。


「ルーシェさん、首輪の錠を外します。その人の立場にならないと、その気持ちを正確には理解出来ません。貴方の未来が貴方の選択により、少しでも豊かになる事を願っています。貴方は自由です」


ウィルナはそう言いながら優しく手を差し伸べ、重い首輪を外した。その言葉に、重い首輪以上の思いが込められた。自分は多くの選択を間違えた。だからルーシェには選択を間違えて欲しくは無かった。


「くっ。私を侮辱したいだけだったのか!奴隷の事など知った事か!」


ルーシェは怒りを露わに、ウィルナの持つ首輪を叩き落として狂気じみた罵声を浴びせた。その言動は周囲を凍り付かせ、大理石の床に跳ねた首輪だけが大広間に金属音を響かせた。


「バルムト卿を引き受ける。今まで感謝する」


やがて動き出したのはヴィガだった。ルーシェからディロンを引き取り、大きなソファーにその体を横たえるために歩き出した。


「金輪際、私に近づくな!」


ディロンをヴィガに預けたルーシェは、首輪の外れた箇所を手で摩りながら一言吐き捨て、慌てた様子で駆けだした。その背には苛立ちだけが見え、張り上げた罵声にも憤りだけが含まれていた。


誰もルーシェに答える者はいなかった。その背を無言で見送り続けた。ヴィガだけがルーシェを無視してディロンを手近なソファーに寝かせた。


ヴィガには人の価値が生きているルーシェより、死んだディロンの方が圧倒的に高かった。少ない時間を無為に過ごしたくはなかった。


「バルムト卿とはここで別れる。屋敷にも騎士が配置されている事だろう。連れ帰る事は出来ん。――敵はお前ほど悪魔じゃない。バルムト家の墓には入れてもらえる」


ヴィガは寂しそうにディロンの乱れた髪を整え、服を整えてその手を胸の上に組ませた。これが今生の別れである事を理解していた。小さな頃から成長したのは、悪知恵だけだったディロンに振り回され続けた。


平民の孤児であるヴィガを友人と呼び続けたディロン。それを身分の差から拒み続けたヴィガ。心の中では友と思い兄と慕っていた。友と扱われている事が、素直に嬉しいと言えなかった僅かな後悔。


ヴィガの後ろに立つ皆が、それぞれディロンに敬意と追悼の意を込めて捧げた沈黙。子供達もウィルナに習い、両手を前で組み合わせて目を閉じた。


「良かったのか?」


長い沈黙は、ヴィガが立ち上がって告げた事で終了した。


ヴィガの落ち着いたその一言で、ベリューシュカの脳裏にルーシェの最悪な未来を予測させた。その言葉は悪い事がルーシェの身に降りかかる事を意味した。


「はい。僕達の手を払ったのはルーシェさんです」


そして屋外出入り口前で感じた異様な雰囲気。


確かに夜も更けた。日付も変わった深夜過ぎである事は理解していた。


しかし、中央区は深夜でも人の往来と活気がある。この建物三階一部屋に軟禁されていた時に、のんびりと窓の外から眺めていた。


騙された理由は魔獣騒ぎで少女を助けたウィルナの功績。ウィルナがその恩賞で手配してくれたと、豪華な馬車で迎えに来たここの従業員に聞かされていたから。ウィルナは仕事を済ませて直ぐに合流すると言われていたから。


あの時は好待遇で、拘束されて闘技場の異常な観衆の前に連れ出されるまでは、エイナと二人で安穏としていた。


そして今、屋外に出て周囲を見回して、誰もが異常に気が付いた。


流れる雲に重なる赤く巨大な満月。薄く輝く星々の微かな彩光。その夜空に円形で広がる不自然で赤黒い橙色。


都市の各所が燃えていた。


一つの都市が大きなトーチとなって、夜空を照らし出すように燃えていた。目の前を横切る大通りには、並び立つ建物数十件が半壊し、瓦礫と火災が点在している。


ベリューシュカはウィルナの言葉を思い出した。遠方まで明るく照らされた大通り、そこに姿が見えないルーシェを知らない人ながらも心配した。


ウィルナは自由と言った。そして選択。それは自由を謳歌する為に選んだ、過去の選択の責任全てを自身が背負うという事。


孤立無援になったルーシェは、ウィルナやヴィガがいる自分達から離れるべきでは無かった。ここまでの大災害は確実な人為的災害。都市内部の広範囲に外敵が侵入している。しかも劫火の位置と規模からみて極めて劣勢。


ウィルナはルーシェに、敢えて厳しすぎる態度を取り続けて最後の選択を強要した。多分、エントランス前で既に気付いていた。今の現状を知っていた上で。今後の事態を予測して上で選択を迫った。


ベリューシュカは、ヴィガがウィルナを悪魔と呼んだ言葉の意味の全てを理解して、隣で立っている子供達の手を強く握りしめた。エイナを抱きかかえて平然としているウィルナを見つめて、多少の恐怖心を抱いた。


見捨てられる事を自分で選んだルーシェには、二度と出会う事は無いだろうと思ってしまった。ウィルナに追い込まれて見せたルーシェの本性が彼女を不幸にした。

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