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ウィルナの願い星 Self-centered   作者: 更科梓華
第一章 中幕 ~災いの火種と烈火の根源~

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世界の浸食とその変貌者(2)

ウィルナが迷い込んだ地下の別世界は、さながら巨大化したアリの巣。一行の先頭を歩いている黄金の騎士二名が、差し詰め兵隊アリに思えてくるほどだった。


歩く通路は横に広く、中央に幅広く敷かれた赤い絨毯で靴音も響かない。


やがて再度訪れた大広間。その部屋も豪華で横に長い空間。部屋に入り異様な歓声を耳にした。しかしその場にいる人は黄金の騎士が数名警備をしているだけだった。地下から湧き上がってくるような地響き。子供達が怯えてウィルナの足元にしがみ付く感覚。


「まだ着きませんか?」


ウィルナは口を開くなと釘を刺されたが、子供達の為に声を抑えてディロンに聞いた。子供達が震えている事。エイナとベリューシュカに未だ会えない事で苛立ちを募らせた。


「お前達はもういい。ご苦労」


ヴィガが騎士二名に退出を促し、ウィルナの質問には誰も答えず部屋の左右に設置されてある左の扉をくぐった先。時計回りの大きな通路に出た瞬間、地響きは正体を現した。それは狂気じみた歓声と足踏み。


「ここまでくれば警備もいない。自由に会話してもいいぞ」


右回りの円形通路を歩き、ヴィガがウィルナに笑顔を向けて右手の扉に手をかけた。二つの扉を素通りした先、三つ目の扉で白銀に塗られた鋼鉄の扉だった。


ヴィガが扉を開いた瞬間熱気が全身を駆け抜けた。


そこは横に大きな一部屋で、横三段に設計された暗い観覧席だった。そして明るい円形地下闘技場が視界下の先に広がっていた。


「なっ――。これは――」


ウィルナは口を開けて固まった。


狂気じみた歓声も足踏みも感じた熱気さえも、全てがここにいる観客からもたらされていた。ウィルナ達は闘技場観客席の最上段に席を構えていた。しかし観客はその下。一般席に約三百人ほどが広い空間を埋め尽くし、その全てが大きなソファーのテーブル席。


かなり下に広がる砂地の闘技場には奴隷の首輪をつけた男達数人と、見た事も無い魔獣一体が戦いを繰り広げていた。


ディロンは何も語らず闘技場側一段目にある巨大なソファーに腰を下ろした。ラギールとヴィガは部屋の入口側の何もない三段目でディロンの背後に立った。


ディロンは内心焦っていた。人助けは勿論、自身の意思を貫き通すウィルナが奴隷達の為に暴れ出したらと考えたら、胃がキリキリと痛みを訴えて来た。


「君達もくつろぎたまえ。二人は間もなく来るはずさ。子供達も疲れただろ、そこで横になりたまえ」


焦る気持ちを抑えながら、背後で立ち尽くすウィルナに顔も向けずに告げた。


「これは丁度良い!有難うございます。ディロンさん!」


「なっ!一体何の事だい!?買い物の礼かい?そこのベッドかい?二人のことかい?」


ウィルナの感謝の気持ちが表現され過ぎた大声は、観客の声援にも負けない振動で鼓膜に響いた。ディロンが振り向いて見つめたウィルナは、二段目に設置されてあるベッド中央に、子供達を抱えて移動していた。


「あぁ、ベッドの事か。喜んでくれて良かった。何でベッドがあるのか私は疑問だったが、あって良かったと今ほど設計者に感謝した事は無いだろうよ」


「子供達!あれが戦いだ!よく見て勉強しよう。あの魔獣は僕も見た事が無い!」


ウィルナ自身もベッドの中央で胡坐を組んで座り、フードやマスクを外して子供達に笑顔を向けた。


「何っ!ベッドに感謝したんじゃ無いのかい?君は殺し合いが好物なのかい!?」


ソファーに身を委ねて深く沈めたディロンはソファーから身を乗り出して振り返り、その驚愕をウィルナに向けた。子供達に殺し合いを見学しようなんて言う心理状態を理解出来なかった。


「君はあの男達が気にならないのかい?負ければ命を落とす事になる。残酷な戦いを子供達に見せる気なのかい?音は遮断出来ないが、カーテンを閉じて視界を塞ぐ事は出来るんだよ?」


「男達?ああ、あの人達がどうなろうと僕達には関係ないです。あそこに立つ理由がある。それだけでしょう」


「あぁ。そうだった。君は悪魔だったんだ。失念していたよ」


「それより戦い方を見せて、子供達に色々と教えてあげたいです」


「君は未来を生きるために必死だったね。子供達も逞しく育つだろうさ」


ウィルナが戦う男達の為に暴れる不安は無くなった。不安材料の無くなったディロンはウィルナを気にせず観戦に集中する事にした。そして観客席に目を光らせた。


「あの魔獣の事はディロンさんに聞いたらいいですか?意思を持って動いてますけど、死んでいる様にも見えます。何なんですか?」


「ヴィガ、鎧のままでいい。ベッドに入って話し相手になってやれ。爺は私の横に来てここに座れ」


「はい。――あれは魔物で」


安心したディロンは急に力が抜けた感覚。脱力してソファーに身を委ねた。目の前に用意されてある酒を飲むため、ラギールを呼んで一緒に飲もうとした。その時だった。


「誰か走ってきます。金属音。鎧の音です」


ウィルナが反響する狂気の中で聞き分けた音は、部屋の鋼鉄の扉を叩く音となって現れた。


「私が」


ヴィガが左腰のロングソードの鞘に左手を当てながら扉へと近づき用を聞いた。


ディロンや近衛騎士の全てが警戒する理由は現国王の余命が短いと言われていた為。王位に執着が無いディロンを支持する層が多い為、一位と二位での争いに巻き込まれる可能性を鑑みて。最大の問題は病床に伏す現国王が未だ後継者を指名してない事だった。


「この場を警備している者です。ルーシェ・オーリック様が、お会いしたいと申しております」


ヴィガがディロンの顔を見て返答を待った。ディロンは少し考えて首を横に振った。視界の先にはウィルナや子供達が生き生きとしてベッドに寝転んでいる。漸く見せた子供達の微かな笑顔。


「今日は無理だと伝えろ」


「わかりました」


騎士は扉を開ける事も無く足音は遠ざかった。その間ウィルナは子供達のフードを外し、子供達の顔を眺めていた。


「怖いと思うけど勉強の時間だよ。怖かったら目を閉じていいからね」


子供達は闘技場に目を向けた途端恐怖心や男達に共感覚を抱き、傷つく度に目を閉じ顔をそむけた。それでも戦いを観察し続けた子供達の頭を優しくなでた。


必ず守り切ると誓ったが、気持ちだけで何事も上手く行くはずが無い。子供達の為に出来る最善を尽くし、この世界の現実を強く生き抜いて欲しかった。


「あの男達は立ち位置もバラバラ。呼吸も合って無い。戦闘技術以前に心が弱い。あれが悪い見本だよ」


「あの武器はなんて言うんですか?」


「良い質問だ、オースト。ヴィガさんに聞いてみよう。僕も知らないんだ」


ウィルナは背後に立ち、戦闘を観察していたヴィガに顔を向けた。ヴィガの目に映ったのは満面のニヤケ面。声も微妙に高くなって嬉しさ満載の感情が顔に出ていた。


「あれは、バルディッシュ。槍と両手斧の中間と言った武器だ。バトルアクスより重くハルバードより短い。かなりの重量がある武器で扱いが難しい。だが破壊力もある」


「なんだって!あれは重そうだし振り回すタイプの武器だね。対魔獣は勿論、鎧だって割れそう。良さそうな武器だね」


「武器は持ってても、防具が無いのは何でですか?」


「なるほど、確かに良い質問だね。イズ、一緒に先生に聞いてみよう」


「はっはっは。はやり君は親馬鹿だな。ヴィガ先生、私も知りたい。くくっ」


「バルムト卿まで。あれは男達が犯罪者――」


ここで再度鉄扉が勢いよく叩かれた。


「バルムト卿。私です。ルーシェです。ルーシェ・オーリックが参りました。ぜひともお目通りを」


「――ヴィガ。丁重にお引き取り願え」


「僕達は構いません。また使用人の振りしています。皆も良いね。後ろに立って居よう」


ウィルナはベッドからディロンを見て、自分達に気を遣っている事を察した。友達か知り合いがわざわざ訪ねて来たなら邪魔したら悪いと思った。だから子供達はベッドから降りてもらい、自分で扉を開けに歩き出した。


「君、待ちたまえ!ヴィガ、通せ!何か用があるのだろう。私は構わない」


「分かりました」


ディロンは子供達が話す姿を初めて見た感覚だった。しつこいルーシェにこれ以上邪魔はされたくない。要件を済ませて直ぐに下がらせる。ウィルナの笑顔を見てそう決心した。


ヴィガが狭く開いた扉の向こうにルーシェが一人立っていた。その手にはバスケットが抱えられ、数本の瓶も見られて布が掛けられていた。


「貴方を信用して無いわけじゃない。その中は?」


「これは先程の謝罪を改めて。私にはこの都市を父から受け継ぎ守る義務がございます。その責務を代替わり前とはいえ果たしたく」


「承った。もういいとバルムト卿も仰っておられる。下がられよ」


ルーシェはここで視線をディロンに向けてウィルナも視界に捉えた。そして乱心した。


「殿下!その者は刺客でございます!」


ヴィガを押しのけ、棒立ちのウィルナに飛び掛かり、両腕を抑えてベッドに倒れ込んだ。そしてウィルナに見えた子供達の驚いた表情に浮かんだ恐怖の顔。怒りを覚えたウィルナは完全な敵対行動とみなし、抑えられていた右腕を力ずくで動かした。


その後は一方的だった。


片腕で首を掴みゆっくりと状態を起こしてベッドから立ち上がり、ルーシェを片腕で持ち上げた。


「君!待ちたまえ!このご婦人は敵じゃない!」


「でも僕を襲ってきました。ここで殺していいですか?」


「ダメに決まっているだろ!解放したまえ。死んでしまうぞ!」


「分かりました」


ウィルナは手加減して持ち上げていたルーシェをパッと手放した。ルーシェは足から崩れ落ち、大理石の床に全身を投げ出した。


「――ケハッ。――本性を現したな、この化け物が」


開放されたルーシェは咳き込みながら上体を起こし、ウィルナを見上げた。


「君は一体何を言っている。君達は面識があるのかい?」


「はい」「無いです」


二人同時にして正反対の返答。疑問符の付いた沈黙の時が流れた。


「待て待て!ダンジョンで会っただろ!私だ。ブレイブヒルの団長。ルーシェだ!」


「誰ですかそれ。貴方と会った事も無ければ、話した事も無いです。記憶に無いです」


「ふざけるな!お前はブレイムチェインの一人としてダンジョンに潜っていたはずだ!」


「確かにエイベルさん達や、獣人の方達と一緒にいました。貴方は知りません」


「しらを切る気か!やはりお前も暗殺者だな!」


ウィルナの力を知った今も抵抗の意思を示すルーシェ。座り込んだままの彼女にヴィガから手が差し伸べられた。二人のやり取りで理解した。


「この少年は殿下の暗部。エイベル達は私の友人。殿下の手足です」


「え?――友人?」


「君には彼らが護衛だと言ったはずだよ。ただブレイムチェインやその一団とは面識も接点も私には無い。全てはヴィガに任せてある。ヴィガの進言でね」


「そういう事です。御安心なさいませ。抱き上げても?」


「え?あ、はい。あ、いえ――キャッ」


首の圧迫数秒で意識を失いかけていたルーシェは未だ動けず、ヴィガに無抵抗に抱き上げられた。そして移動した先のベッド。子供達が場所を空け、そこに寝かされた。


寝転んだルーシェは両手で顔を隠した。全てを理解して早とちりだったと気付いた今、赤くなっているだろう熱い顔を、目の前のヴィガに見られたくなかった。


「君はこのご婦人を本当に知らないのかい?」


「知りません」


多少呆れた声でディロンが聞いて来るが、ウィルナはまったく思い出せない。そこまで他人に興味が無かった。密林で一本の木を覚え、思い出して特定しろと言われている気分だった。


「まぁ、怪我は無い様子。互いの勘違いが招いた事。ルーシェ嬢は水に流してくれるかい?」


多少不機嫌そうなウィルナを眺めていたが、ルーシェに顔の向きを変えたディロン。安心していた悪魔が暴れ出すとは思いもせずに疲れが一気に押し寄せた。


「こちらこそ殿下の配下に失礼を。申し訳ございません」


「そこでゆっくりしていくと良い。獣人の子供達も含め、他言は無用と言ったはず。それを忘れなければこちらは何も問題無い。勿論私の護衛の彼もね。――君も良いね」


上体を起こそうとしたルーシェを右手で止めた。悪魔に悪意を向けられたルーシェを不憫に感じ、自分だけでも優しくせねばと考えた。


「勘違いでしたら僕もすみませんでした。感情に流されました」


「いや私の方こそ、すまない。改めて自己紹介をしよう。私はルーシェ・オーリック。この都市の統治者で北部辺境伯の娘だ」


「僕はウィルナです。それだけが僕の名前です」


「お前それ。くくっ。俺の自己紹介をそのまま引用したな。はっは。気に入ったか!」


「そうですね。良い言葉の流れだと思います」


「そうかそうか。多くの人に使えると良いな」


「相手次第です」


「くくっ。まったくお前は」


「あっ!バスケット!飲み物や軽食をお持ちしてたんですが!」


ウィルナとヴィガの談笑を切り裂いたルーシェの絶叫。


ディロンは騒がしくなった観覧席でグラスに酒を注いだ。横には一気に煽り過ぎて酔いつぶれたラギール。ウィルナと過ごして退屈はしなくなったが、対処が面倒なほどに騒がしくなったとも言える今に浸り、ゆっくりグラスを傾けた。

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