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ウィルナの願い星 Self-centered   作者: 更科梓華
第一章 中幕 ~災いの火種と烈火の根源~

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平穏の破壊者(6)

穏やかな時の流れに、笑い声が広く響いて訪れた羞恥心。


ディロンの近くにいたら何をされるか分からないので体を洗ってすぐに大浴場を後にした。階段を下りた先の脱衣場。裸をバスタオルで拭いてそのまま硬直した。


そこに備え付けられていた幅広の銀テーブルに置いたはずの衣服が見当たらない。


風呂場で散々な目に合わされた挙句に衣服まで捨てられた。メイドが持をち去った。そう感じたが、裸で巨大な屋敷の廊下を追いかけたくは無い。しかし大切な宝物の衣服。気持ちだけが部屋を駆け出し、理性それをが拒絶する。


「僕の大切な服はどこですか。無くなりました。返してください」


どの位呆然としていたのか分からない時の経過後、子供達四人を先導して階段を降りて来たディロンの姿を見て、ウィルナは大声で怒鳴る事しか出来なかった。


「そうか。修繕不可能と判断されて捨てられたか。諦めてメイド達を許してあげなよ」


ディロンはテーブルに歩み寄りながらそう口にして、バスタオルを手に取り子供達にも渡した。普段と変わらない表情態度。それがウィルナの怒りに火を付けた。


「無理ですよ!エイナおばあさんに貰った形見の品ですよ!」


「その気持ちを胸に見送ってあげなよ。今まで君を自然の驚異から守り、温もりを与え続けた大切な服だったんだろ。形ある物いつかは壊れると言うじゃないか。あの服も役目を全うしたという事さ。それより子供達の面倒を見たまえよ」


「言われなくてもやりますよ!」


「そう、苛立ちを表に出すなよ。子供達の前なんだ」


「くっ」


ここでウィルナは折れた。子供達を意識すると何も出来ない。ディロンと口論しても確実に負ける。武力が自身優位なら知力では確実にディロンに軍配が上がる事実を認識していた。


「自分で体を拭くなんて初めての経験だよ。恥ずかしがり屋の君の為に、彼女たちは風呂場で遊ばせている。感謝したまえよ。ふふっ」


「まだそれ言いますか!もういいです!」


ウィルナは勝てない口論を諦め、子供達の体を丁寧に拭いた。自身が高熱を経験した直後でもある為、風邪をひかない様に念入りに時間をかけた。そして全員の体の水滴が拭い去られたと同時だった。


「若君!一大事にございますっ」


脱衣場の大部屋の扉を大きく開けて、大声を上げながら駆け込んで来た初老の近衛騎士。その焦りは口調に留まらす、走る勢いと全ての動作に現れた。


「爺か。どうしたんだい。その様子では嬉しくない一報だね」


この部屋にいる全ての者が視線を向けた近衛騎士。その中のディロンが冷静に何事かと質問した。先程の風呂場以来二度目となる、普段は見られない真面目な表情と声。


「戦でございます。中央区に我が国の部隊やゴーレムが列を成し、今現在も騎士団本部に多数集結しております!」


知らせを聞いたディロンは一瞬硬直した。


面倒事や厄介事の類かと考えていたが別問題の大問題。それはこの都市の付近が戦場になるという想定外の脅威。ただの言葉に質量が追加されて体を打つ衝撃を感じたほどだった。


「どこが戦場となる。開戦予測地点はどこだ!」


「敵国は西のバーキスでございます。情報によればガラ砦付近に進路を取り進軍中との事です」


「馬鹿な!去年返り討ちにして停戦協定を結んだはずだ!」


「敵軍の正確な部隊数は現在も不明。少なくても三万はいると予測されております」


「なっ!この都市人口すら二万。駐留している軍だけでも三千。砦に千。我が国を亡ぼすつもりか。――帝国からの援軍は?」


「現在情報が錯綜しており明確な答えは出せませぬ」


「あの・・・ディロンさん」


話の意味が理解出来なかったウィルナは心配になった。しかし良くない事態になっている事は理解出来た。だからこそ今から向かう二人の救出に問題が出るのではと、今後の展開を恐れた。


「何だ小僧が!殿下の御名を軽々しく口にするな!お前が使用人で無い事も知っておるぞ」


「あ、――えと。ですね」


ウィルナは初老の騎士に圧倒された。使用人で無い事は事実。名前を呼んだら不味かった事も知らなかった。自分が悪い事をしてしまったと感じて委縮した。


「いいんだ爺。この少年は私の友人だ。そこにいる子供達も皆そうだよ」


「なんと!若君にも漸く御友人が!この少年は何処の家の者なのですか。わたくし個人も贔屓にせねばあぁ!」


ウィルナが目を向けている老人は年不相応に元気だった。


声は大きく話すときには全身を使い言葉に勢いをつける。ディロンとは別な意味で口論になれば負けると感じた近衛騎士団長。


「彼は平民だよ、ラギール。それでも私が彼を友人として扱う事を認めてほしい」


「殿下――」


ディロンはウィルナとの友好を維持したいという願いを込めて深く頭を下げた。ラギールと呼ばれた近衛騎士団長は、口を開けたまま動きを止めてディロンを見つめた。


頭を下げるなと教育されてきたディロンが頭を下げた事に驚きを隠す必要も無かった。


「殿下!頭をお上げください。この国の王位継承権第二位の殿下が。ガリアリスの名を冠する貴方様が頭を下げてはなりませんぞ!この爺。御命令とあらば、如何なる事にも善処致しますぞ!」


「そうかい。分かってくれたと云う意味で受け取らせてもらうよ」


「あの、二人の場所へは」


「勿論向かうさ。――爺。馬車の準備を。今夜は外せない用がある。戦は軍務に長けた者が対処する。一日位は猶予もあるだろう」


「畏まりました。すぐに準備に入ります!」


言いながら反転したラギールは駆け足で部屋から退出し、部屋に静寂が訪れた。ウィルナには戦や戦争が何なのか分からなかった。その単語を知らないが故に危機感は皆無。今は二人の救出だけが意識を占領していた。


「あの。名前は呼ばない方が良いのですか?」


「あれは爺の勘違いさ。君にはディロンと呼んでもらうと言ったはずだよ」


「そうでした。二人の場所まで早くお願いします」


「ああ。勿論さ。君の服は私の服を着ると良い。二着分用意されていたよ」


「有難うございます」


ディロンに招かれたテーブルの上には控えめな彩と装飾の衣服が置かれ、ウィルナも着用したが違和感が溢れ出した。


「くくっ、君。良く似合うじゃないか。くくく。――君と僕とは身長が違うからね。ふっははは。まったく。君といるとよく笑う事になるよ」


明らかに衣服の手足が長すぎた。ウィルナの身長に比べディロンの身長が高すぎた。子供が大人の服を着ている格好になったウィルナを包み隠さず爆笑するディロン。しかしこれだけはどうする事も出来ない。


「行こうか。馬車の準備は出来ている筈だよ」


「このままでいいのでしょうか」


「心配はないさ。少し寄り道するけど私にまかせたまえよ」


自分の服装は心配だが、子供達の服は背格好に合わせて整えられ、首輪があっても着やすい形状とする為か胸元が大きく開かれ、前開きでボタン付きの衣服。更には首輪を隠す構造なのか、大きく立った襟とスカーフが首と胸元を暖めている。


「これは私のお気に入り。外行き用の特注品。旅立つ子供達への贈り物さ」


子供達全員が綺麗な白の高級生地に藍と銀のラインが統一感のあるアクセントとしてつけられた服。


ウィルナは嬉しくなり、子供達の姿に見とれた。子供達の不安そうな顔は今でも変わらない。しかし恐怖心は風呂場で洗い流してくれたようだった。


小さな一歩。僅かな関係性の修復。それだけでも大きな進展に思えて、満面の笑みを浮かべた。


「有難うございます」


「喜んでくれたかい。君の服も問題ない。さあこれからは馬車での移動だ」


ディロンのつい先ほど見せた真剣な表情は陰に潜み、言動は普段通り。ウィルナは意識の切り替えが早い人だなと、ディロンを眺めてそう感じた。


そして今は六頭引きの大きな馬車の内側から、中央区の街並みを眺めていた。大きな窓から差し込む光は穏やかで、街ゆく人達も日常を穏やかに過ごしていた。


「これ闘技場と反対方向に向かってませんか?」


「勿論だとも。私は少し寄り道をすると言ったはず。君は忘れたのかい?」


「あぁ。そうでしたっけ――」


話に無反応なウィルナが眺める町並みには、異物とも呼べるゴーレム数体が列を成して歩いていた。ディロンの存在を忘れる程に目を奪われた異形。


「あれが我が小国を守護するガーディアン。我が国のみが使用する魔導機兵のゴーレムさ」


ディロンが隣に座るウィルナの視線を考慮して教えた存在。


見た目は白銀の金属。姿は巨人。両腕の肘から先は、巨体に見合う湾曲した巨大な刃が生えていた。そして生物特有の意識とも呼べる何かが欠如した存在。


その横をフルプレートアーマーに朱塗りのマントを風に流して歩く騎士が数名と、マントを身に着けない騎士多数が列を成して歩いていた。


「強いんですか?」


「君から見ると、どうなんだろうね」


ウィルナはディロンが浮かべた苦笑いを見る事も無く、その行軍に見とれていた。


魔獣や魔物とも違う初めて目にした異形の強さに興味を抱き、戦ってみたいとまで思った。


しかし一般住民には訓練の延長か何かとしか考えない稀に見る光景。今この瞬間にも敵が大挙して進軍中だとは誰も知らない平穏な日常風景。


「到着したようだね。子供達も連れて来なよ」


やがて止まった馬車の内部の大きな座席に深く腰を沈めていたディロンは動かずに子供達を眺めた。


向かいの座席に座っていた子供達も、動かず騒がず大人しくしていた。それがディロンには残念だった。小さな子供達なら景色を見ながらはしゃいでもいはずだったが、膝の上で握りしめた両手を頭を下げて眺め続けていた。


(子供達を買い取って一部屋に軟禁していたが、顔を合わせたのはいつ以来だ。私は何も見ようとはしていなかったんだな。私が見ていた世界は狭すぎた)


「殿下。到着いたしましたぞ!」


いつもながらに元気すぎるお爺さんと、近衛騎士団の数人が護衛の為に騎馬して同行していた。そしてディロンについて行くと言い張り、護衛参加に強行したラギールの大声が馬車内部まで響き渡り、馬車の扉が勢いよく開かれた。


「爺は少し声が大きすぎるな。これから買い物なんだ。他の客もいると思うからヴィガ。君だけ同行してくれ」


「分かりました。しかし、(いくさ)前のこの時期にまた散財ですか?」


「これはまた手厳しいな副団長。これは散財では無く蓄財。未来への先行投資だよ」


「また意味の分からない事を」


「客が邪魔なら爺が追い出しましょうぞ!」


「いや止めてくれ」「いやダメでしょ」


ディロンとヴィガから冷たい言葉と視線を向けられ口を閉じたラギール。ヴィガと呼ばれた男は二十代半ば程度に見える近衛騎士副団長で、近衛騎士の役をラギール同様代々務めて来た。


ディロンとヴィガは幼い頃から共に過ごし、年も近い事もあって友人の様に接していた。そのせいもあり、ディロンに対して率直な意見をする。対してラギールはディロンが幼い頃から守護し続け、孫の様に甘やかしすぎていた。


「何も心配しなくて良い。さあ私の手を取って、気を付けて降りるんだよ」


ディロンが馬車から先に降りて開始した立ち話を中断し、子供達に自ら手を差し出して高さのある馬車の昇降足場からの降車を支えた。


ウィルナと接触して魔族とも接触した。ここ数日の経験がディロンの価値観を確実に変え、子供達へと差し出した手に善意として現れていた。


ウィルナは正面の一点に目を奪われていた。窓や隙間から見えてはいたが、馬車の扉を抜けて開けた視界には石造りの巨大な建築物が待ち構えていた。


「さあ着いたよ。ここは私が利用している店で、マークドフェンリルさ。半年前ここにも店を構えたんだ。今では国を跨いだ有名商会さ。先ずは君の服と装備を新調しよう。その恰好では会場で馬鹿にされかねないからね」


ウィルナが見上げた何の飾り気も無い石壁に小さな窓が点々と内部を照らし、正面入口の木造扉が来客を待っていた。そして目立つ盾形の紋章。


店舗だと辛うじて判断出来たのは、壁から突き出している棒に木枠の看板がぶら下がり、店名を告げている事。店舗入り口の壁に商会の大きな紋章が飾られてあった事。


「あの紋章がこの店を有名にした一因さ。その名の通り単純明快なおとぎ話。フェンリルの姿に見合う素晴らしい品が用意されている。さあ行こう。君が一番喜ぶはずだよ」

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