平穏の破壊者(3)
開けた草原に描かれた土色の街道。
その上の誰もが見上げる仕草を見せる巨大な城壁に守られた城塞都市。
都市内部に入る為の入都門はそれに見合う存在感を示して口を開けていた。
「バルムト卿!ご無事で御座いましたか!」
入都審査を受けていた集団が列を成し、それと並ぶ馬車数台。
その中で対応していた騎士団員二名が二人の存在を認識して駆け出した。
「勿論、見たままさ!」
駆け寄る騎士二名を、大きく開いた両手と笑顔で迎える男。
男に些末な興味も抱かなかったウィルナはここで初めて男の名を知った。
「言ってませんでした。僕はウィルナです」
男の名を知ったから、男にだけ聞こえるに留めた小声。口の動き。
「勿論知っていた。言っただろ。君は一部においては有名人――」
それとこれから城門を通過する方法。芝居の為に教えた自己紹介は必要なかった。
「――そして私もさ。しかし君にはディロンと呼んでもらおうか。私はディロン・バルムト・ガリアリス。バルムトはファミリーネーム。ガリアリスはこの国と同名を冠するクラン名。そして私の名はディロンだからさ」
「ここからは、よろしくお願いします」
「任せたまえよ。見目麗しい貴婦人の様に、君を完璧にエスコートしてあげよう」
(この人。調子が狂う。自分の命が僕の手中にある事は理解してるはずなのに)
ディロンは最初に会った時から全てが軽い。
軽薄とは違う、親しみやすさらしき感覚を抱かせる。
二人は並んで歩かない。
ディロンが前を歩き、ウィルナがその後を数歩遅れて付き従う前後位置。
ディロンはウィルナを恐れた。完全に屈服した。悪魔に魂を拘束された。
自身が生きている限り抗う事は不可能。逃避も不可能。
しかしそこで全てを諦める事が無い、強い胆力を有した。
それは王族の縁者として生を受け、陰謀渦巻く貴族社会で育ったからこそ培った。対抗手段が無いのなら創り出すまで。
「いいかい。君はこれから私の従者。何も話してはいけない」
「分かりました」
ディロンは全力でウィルナを支援する事に決めた。ウィルナの役に立つ事で自身の存在価値を高め、意見具申する信頼を勝ち取る。
「今までどちらに。どうやって都市外に」
並んでディロンの正面に立った騎士二名。話す相手が部隊長である事は一目で識別できた。そしてここからが自身本来の地位と本領を示す舞台である事も。
「疲れているんだ。今夜は外せない用がある。口外しない様に馬車を頼むよ」
「了解いたしました。その男は?怪我をしている様子ですが」
「彼は僕の従者。疲れていると言った。部屋を空けてくれ。誰も居ない部屋を」
「先ずは護衛となる者を連れて参ります」
「彼が私の護衛だ。彼の傷と無傷の私。理解出来たかい」
王族に出会う騎士なら当然の反応。
だからこそ我が意を示さねばと語気を強めるディロン。
「しかし、従者にしては衣服が。それにその傷」
「早くしろ!馬車も部屋もだ!」
「護衛が負傷した者一人。襲撃後でもございます」
「だからこそ他は信用出来ない」
「隊長。この男、手配書に似た髪色と着衣です。年齢、人相と・・・」
「私が従者と認め連れている!お前達は私と問答がしたいのか!」
微かに聞き取った背後の足音。その足を広げ、臨戦態勢に入るような音。
ディロンの焦る気持ちが語気に過分に含まれ出した。
(マズイ。この騎士達は真面目か?賄賂は無理か。これ以上時間を取らせるな)
焦燥感だけが含まれた理由は城塞都市が炎に包まれた光景が脳裏を一瞬過った為。ウィルナ個人でも多大なる脅威。しかも彼には圧倒的強者の魔族という援軍も控えている事実。身をもって体験した恐怖が蘇る。
「しかし、この服装。身元確認が取れておりません。何かお困り事でもございますか?」
「黙れ!私の従者を侮辱する気か!それは私を侮辱したいという事か!!!」
ディロンは我慢の限界を全身で表現した。強めた言葉を大声で言い放つと同時に騎士二人に歩み寄り、その間を両腕でかき分けて大股で歩き出した。
「それと部屋はもういい。馬だ!馬二頭とマントを二着持ってこい!不愉快さを感じるこの場に、これ以上留まる気分ではなくなった!!!」
(良い騎士達じゃないか。だからこそだ!これ以上は止めたまえ。互いに後悔する事になる。私をこれ以上困らせないでくれ!)
「申し訳ございません。直ちに準備いたします!」
「私達も向かう。案内しろ」
「了解いたしました。こちらです。――後は私一人で良い。君は職務に戻れ」
「了解です」
騎士二名は騎士としての敬意をディロンの背に捧げ、部隊長はディロンとウィルナを追い抜いて先導を始めた。
ディロンはその背を見て初めて実感した。それは、やり遂げた達成感。災厄を防いだ満足感。体を包んだ多幸感。
ディロンは背後のウィルナに振り向き、満面の笑みを向けたが素面に戻った。一瞬で青ざめ凍り付いた顔も正面へと向き直った。ウィルナは口を閉ざし、魂の宿らない人形の様だった。感覚は反転。背筋を悪寒が蛇のようにうねった。
(間違いなく都市は壊滅していた。私は王族の一員としてこの国を守った。天国に居を移された父上母上。見ておられましたか。私は立派に役目を果たしております)
脅威が絶大なら感慨もひとしお。しかしあの無表情。役に立つ所を示すという目算は外れたが、最悪ではない。図太い精神構造が未だ生きていると自身に告げる。機会はまた巡る。そう自分に言い聞かせながら部隊長の背を追い歩き続けた。
分厚く巨大な城門の途中から城郭内部に入り、石造りの通路を抜けた先の騎士団詰所。その広大な敷地内に設置された一角、高い石壁に囲まれた砂地の広場に案内された。
先導した部隊長は昇進させたいほど気が利く有能さを見せた。誰にも会わず、到着した広場も無人。準備も整えられていた。全ては城郭内部への入り口で一人の騎士を呼んで指示していた。
「ごくろうさま。君達はもういいよ。本来の職務に戻りたまえ」
ディロンは焦る気持ちを抑えながらも平静を保とうと心掛けた。
「シュリスト卿もご心配されておりました。ご一報なさいますか?」
「いや結構。夜会が控えてある。急ぐんだよ。先程も疲れていると言った」
しかしその内面の感情は口調に現れ、いつもは見せる事の無い表情へと変貌した。
ウィルナには確かに後ろをついて歩くように。口を閉ざすようにと伝えていた。
部隊長が両手で抱えて持ってきたマントはディロンが受け取った。準備をしていた配下の騎士が手綱を引いてきた二頭の馬は、ディロンが歩み出て譲り受けた。
ウィルナが全てに無反応過ぎた。こわばる顔に浮かべた笑みは苦笑いという愛想笑い。ここまで精神を圧迫される事は久しく無い。
(君は一体何者なんだい。どこかの国の王子なのかい?)
ここに至るまでの時の中、ウィルナが無知であった事は理解したが、ここまでとは思わなかった。従者なら行う全てを、口を閉ざして見守り続けていた。
(君は無知が過ぎる。馬鹿なのかい?そうなんだね?せめて空気は読むべきじゃないかい?)
内心で嫌味を告げながらウィルナに手綱を渡した。人払いは徹底させた。騎士達は去った。これ以上無用な気遣いを今は行う必要が無い。
「さあ。マントを身に纏い、姿を隠して都市観光の乗馬時間だ」
「あの、乗れないのですが」
「あぁ――」
ディロンは絶句した。受けた精神的衝撃の度、何度絶句したか分からない。
(君の無表情は馬のせいだったのかい?)
出来る筈と思った事が出来ない代わりに、普通は出来ない事を平気でこなす。
闇に包まれ過ぎたウィルナの正体に理解が及ばない。
「まぁいいさ。僕が手綱を引いて先導する。君はそちらの馬にまたがっていれば良い。まったく。従者の馬を引く主人か。これほどまでの喜劇を私は見た事が無い」
「すいません」
ウィルナから聞いた初めての謝罪。引き出したのは馬に乗れない事という些事。ディロンの視界には王侯貴族でもなければ、やり取りのある商人達とも違う只の少年が一人、立ち尽くしていた。
(まったく。これでは手のかかる弟が出来たようじゃないか。喜劇か――)
「君は右利きだね。さあ、手綱を受け取ってその輪に左足をかけ、馬の背にある突起を掴んで、勢い良くまたがるんだ」
「この前にあるやつですか?」
「そう、鞍。座る所に見えているだろ」
「わかりました」
ウィルナはいとも簡単に馬の背に飛び乗り、大きな馬への恐怖心を微塵も見せなかった。そこまでは良かった。
「馬の動きを意識するんだ。違う!抱き着くな!その動きに逆らわずに背筋を伸ばす。前を向くっ」
ディロンは馬の乗り方から教える事になったが悪くは無いと感じた。むしろ心が弾んだ。その感情は熱心なレクチャーにも現れた。
「おおぉ。馬の背に乗るとかなり高い目線になるんですね」
「まったく。――こうして見れば一般庶民の少年じゃないか」
ディロンは微笑を浮かべて独り言を口にした。感覚の鋭いウィルナにも聞こえはしたが今は乗馬に夢中。幼さ残る満面の笑みを浮かべて辺りを眺め、馬の背を撫でている。
「先導する。フードで顔を隠すんだ。我が家に着くまで君は従者だよ」
「分かっています。ありがとうございます」
ディロンはウィルナの乗る馬と自身の馬、二本の手綱を引いて歩いて広場の門に移動した。ウィルナは物覚えも良いと感じたし、あの戦闘能力。運動神経や体幹が悪いはずも無い。馬に乗るだけなら問題無くこなした。そして指示にも素直に従った。
ディロンが見てきたウィルナの姿は、未来のための今を、全力で生きていると感じさせるものだった。
(君は漆黒の悪魔なのかい?それとも地獄とも呼べるこの世界に追放された純白の天使かい?これ以上、君がこの世界に毒される事の無いように願うよ。まぁ君に闇色を塗ってしまった僕が言っても。――道化は私か)




