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ウィルナの願い星 Self-centered   作者: 更科梓華
第一章 中幕 ~災いの火種と烈火の根源~

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気炎に燃える悪意の影(5)

豪雨の雨音に交じり、周囲から聞こえる女性の悲鳴と男性達の大声。聞こえてくる音の全てが自身を攻撃すための魔術に感じるの意識の混濁。襲い来る頭痛と肩の激痛。


(うるさい)


ウィルナは左肩の傷を右手で強く抑え、傷口である肩からの落下の衝撃で、石畳を跳ねまわっていたナイフを左手に取った。


(あぁ。屈むだけでも倒れそう。どういう事だ。これ投げた奴どこだ)


この世界におけるウィルナの知識の多くは二人からもたらされた。二人と出会って供に過ごした時間は半月程度にも関わらず、有形無形の物を数多く贈られてきた。


ウィルナが今現在着用している服装品全ては、エイナお婆さんから譲り受けた息子の遺品。同じくベリューシュカの父親の遺品でもある大切な形見を受け取った。


ウィルナは投げナイフの射線となった左方向に顔を向けた。一般人なら恐怖と激痛で混乱の境地。しかし雨に濡れる長い髪を顔にへばり付かせ、血を流し佇むその姿は正に幽鬼。


犯人を特定するため顔だけを向けた先。大通りと交差した通りには多くの通行人が足を止め、出血しているウィルナを戦々恐々と眺めていた。それらの通行人全てが足を止めてフードで顔を覆い隠し、全身をマントで包んでいる。


ウィルナ個人は他人との接点も少ない。狙われる覚えは皆無。


(賢い奴だ。木を隠すなら森の中。周囲に溶け込み動きを同調させている。が、見つけて必ず殺す。エイナお婆さんに貰った大切な服を傷つけた代償はお前の苦痛と死だ)


左肩の傷を抑えていた右手にナイフを持ち替え顔の高さまで移動した。


小型軽量のナイフは掌サイズの刃にシンプルな造り。

刃は鋭角な先端にかけて湾曲し、短い柄も多少の湾曲を見せる見た事も無い形。


ウィルナはこの時点で深夜から夕方前の長時間、真冬の低温の中で雨にうたれ続けた。不眠不休無食無飲でさまよい続けた。高熱を出して朦朧とした意識の中でも歩き続けた。それでも尚、様々な負の感情の坩堝に突き動かされ、二人の捜索を諦めず必ず見つけるという確固たる意志を貫き通してきた。


しかしそれは次第に、迷子の子犬の様な必死な姿を見せるに至る。

更にここに来ての出血。


体温調整機能を一手に引き受ける血液の喪失は頂けない。


ウィルナは揺れ動く視界を抑えるためにナイフを握った右手の甲で額を抑え、気力を振り絞ったが右膝を石畳について崩れ落ちた。


肉体的な限界はとうに超えていた。そして迎えた気力の限界地点。この世界そのものが自身を攻撃して来ているように感じる孤独と不安。辛い。それだけだった。


片膝をつき背を丸めた。左腕は力なく垂れ下がった。頭は石畳へと自然に垂れた。


激痛で損傷を訴える傷口から流れ出す血は大量に降り注ぐ真冬の豪雨に混ざり合い、石畳の雨水の流れに赤く淡く揺れる線を描いて希釈した後霞んで消えてゆく。


(トレス・・・)


霞む意識の中で頼れるのは最愛の家族であるトレスのみ。だがどこか付近の屋根の上にいるトレスを見つけるために、顔を上げる事さえ困難な気力と体力。


(出て来なくて良いよ。大丈夫だから・・・)


ウィルナは深く息を吸い込み、数秒肺の中の空気を感じて大きくゆっくり息を吐いた。深呼吸を繰り返し、懸命に意識の回復を図った。体が動かない状況からの脱却を目指した。


襲撃を受けてからの追撃は無く、一分弱を意識の回復に費やした。


(体がダルイ。この程度でへばるな。二人を早く探し出す。服を破った奴を殺す)


ウィルナは意識がある程度鮮明になるまで、大きく広がる大通りの歩道で休むつもりだった。しかし問題は更に向こうからやかましい金属音と共にやって来た。


「武器を捨てろ」


「大人しくしろ。お前を捕縛する」


(――こいつら一体何を言っている。怪我が見えてないのか)


石畳に顔を向け、伏せっていたウィルナが顔を上げた先。

揺れる視界に映ったのは騎士団員の四名。


この場に駆けつけ、背後に回った金属音も聞こえた。

雨音と不明瞭な意識の中で足音の判別が難しく人数は不明。


(何なんだ。最悪だ。気分が悪い上、更にか)


「武器を手放して立て。両腕を出せ」


(やかましい。頭痛が増す。頭に響く)


大声で喚く騎士団員達だけでなく、周囲の野次馬も舞台でも観賞するかの如くつかず離れずの距離を保ち続け、周囲は歪な雑踏に包まれた。


「殺さず動きを止めろっ!!!」


ウィルナは両手を握りしめて叫んだ。


相手は勿論トレス。身動きの取れないウィルナに代わり、襲撃者を捉えてもらうため。更に自身に防御魔法を発動。薄氷を踏み拉く構築音は盛大な雨音に吸収された。


(自分の声さえ頭に響く。吐く息が熱い。世界がゆがんで見える)


高熱により回転する世界。傷により閉ざされつつある意識。

だが思考は巡り続けた。騎士団の不可解な拘束要求。


「いきなりなんだこいつ。頭がおかしいのか」


「各員警戒しろ。こいつを拘束するぞ」


ウィルナが敵として存在を認識した相手が、騎士団を派遣し拘束するという次の手を打ってきたと考えた。つまりナイフを投げた襲撃者は何かしらの行動を起こす。もしくは間もなくこの場から去る事になるはずだ。


分からなかった点は襲撃者がウィルナを殺そうとしたのか或いは他に目的が。


首への狙いがずれて肩に当たった可能性。最初から肩を狙った可能性。

どちらともつかなかったが、騎士団員の登場で後者と判断できた。


(なかなかの使い手のようだ。拘束する動機は?――何が目的だ。何をさせたい。何処に連れて行きたい。投げナイフは僕を騎士団連中に認識させるための目印。抜き身のナイフが拘束の口実か。くくっ。敵。つまり敵はそこそこの人材と騎士団を扱える集団か権力者)


高熱にうなされながらも歩き続けた甲斐もあったという事にした。


(目の前にいる騎士団の奴も敵か。怪我した相手に拘束するは可笑しいだろ。どう見てもこちらが被害者。ここに到着したタイミングも早すぎる。『保護する』では拒絶される可能性。だから出た強硬手段か)


「聞こえないのか。武器を捨てて立て。最後通告だ。後は実力行使に入るぞ」


中年三名に加え二十代半ばの男性が一人。

その内の中年一人が先程から頭痛の原因を運んでくる。


ウィルナはゆっくりと立ち上がった。

不思議な感覚。体は酷く熱く感じる反面とても寒い。なのに震えは止まった。


「各員抜刀!拘束するぞっ。かっ・・・あ」


ウィルナが狙いを定めた頭痛の種は、額に侵入した異物でそのうるさく響く声を止め、やがてゆっくりとした動きで背後の石畳へと大の字で倒れ込んだ。


頭から血を流して倒れた騎士を黙って見つめた。投げナイフで確実に仕留めた。何の感情も浮かんで来ない事に疑問を持つほど冷静に的確に。


殺すつもりまでは無かった。

もしかしたら無関係で馬鹿な人達だっただけの可能性も少ないがある。


だが剣先を向けた以上は相手が開始した殺し合い。

食うか食われるかの弱肉強食。命を懸けて行う闘争の理念。

それはウィルナが育った環境由来。そこに灯った黒炎が精神を侵食していく。


「こいつ、やりやがった。囲めっ」


(風邪をひいたら汗を流すと治るよ)


一月前までの環境は命の奪い合い。その最中の数年を共に過ごした過去の記憶の妹の声。ルルイアの無邪気で可愛らしい声と顔が脳裏に構築された。外の世界でも始めた命の奪い合い。その状況と混濁した意識が呼び起こした心の安定剤。


(そうだね。体を動かしたら良いかもしれないね。そういえばロッシュの作った風邪薬はよく効いたなぁ。二人は風邪ひいてないかな)


「周囲を気にするな。手足なら構わん。攻撃魔法も使え!」


「こいつ只のガキじゃないぞ。何なんだ」


「集中しろ。不用意に距離を詰めるな」


(うるさい。頭が痛い。こいつらも頭痛の原因か。脳が揺れる)


瞬間ウィルナは背面へと回転した。


音と気配で察知した視界の先には三名の騎士団員。

うち二人が両手を突き出した先に光弾を構築していた。


二名から放たれた魔法は見た事がある楕円形の小さな光球。


(カインさん、今日も今頃は五人で酒場に行ってるのかな。ふふ。雨の中?)


騎士団員一人から放たれた初弾に対し、対応は左足を右足後方の位置に移動したのみ。結果ウィルナの体は流れるように半身となり、カインがマジックバレットと呼んだ魔法は、胸部の先を通過し回避された。


その魔法の通過した先。射線軸上で女性の悲鳴が雨音を切り裂いた事で増加する怒りの感情、敵対心。


(最悪だ。女の悲鳴がここまで頭に響くとは。頭が割れそうだ)


ギャイイイィン。


周囲の喧騒と悲鳴。騎士団の罵声。降りしきる雨音。

それら一切を置き去りに響いた防御魔法の金属音。


もう一人の騎士団員からの追撃となるマジックバレットは、気怠さを伴い右手で振り払うように弾いた。その跳弾は通りに面した店舗のガラス窓を粉々に砕き、盛大な破壊音と悲鳴を伴い店内にも同様の音をもたらして消えた。周囲からの狂気じみた歓声が津波のように押し寄せ、さざ波のように引いて消えた一瞬の静寂。


「なんなんだよこいつ。話がち・・・」


「無理だ逃げよう。こいつ化け・・・」


「くそっ。剣を構えろっ!!!・・・」


(あぁ。カーシャおばさんも僕の魔法を弾いてたな。また会いたいな)


ウィルナは両腕を大きく広げた。息を呑んで声を無くした観客勢が再開した悲鳴と、真冬の豪雨を全身で受けた。


その雨粒全ては衣服にすら到達せず、軽やかな金蔵音を奏でて弾かれ続けた。


同時に黄金に輝く魔槍を合計六本自身の周囲に構築展開浮遊させ、内三本はマジックバレットを撃って来た二人と、ついでに横にいた騎士団員一人の胴体中心を貫いて、自身周囲を旋回する魔槍達の光の輪の中に戻していた。


その光り輝く魔槍の弾道は正に光の線を描いた。

正眼に構えた騎士のロングソードは砕き折られた。

防具の鎖帷子も意味を成さず、紙の様に巨大な穴を空けた。

高速で貫かれた三人は、只々両膝を石畳について前のめりで倒れ込み、その周囲に巨大な赤を広げた。


ウィルナは残る三人に向き直り、自身と同程度の大きさの直立した黄金の発光体を、自身周囲を直立旋回する形態から地面と水平の射出形態へと頭上に再展開した。


(なんで後退する。距離を取る。お前達が仕掛けて来た殺し合いだろ)


ゆっくりと足を踏み出し始めたウィルナ。

ゆっくりと後退する騎士団員、残り三名。


(そろそろ潮時。追加で邪魔な奴らが来るのも目障りだ。どいつを残すか)


残りの騎士三名が勝てない相手と知ったウィルナが自身の正面に向き直り、更には近づき始めた事で恐怖と絶望をその顔に色濃く浮かべた。ウィルナと同じ顔面蒼白。しかし原因は乖離した。


「誰に頼まれた。二人を返せ。二人は何処だ。答えろ」


「くそがああ」


一番若い騎士団員は剣を持ったままで両手を曇天へと突き上げ、その先の空中に氷塊を構築発動した。


(氷魔法か。父さん得意だったな。結局僕は使えないままだよ。・・・ごめん、父さん。ごめんなさい)


ウィルナの視界は突然湾曲し、見える世界全てが洪水に見舞われた。


「がぁ。く、はぁっ」


重量のある金属同士がぶつかり合う重厚な音が周囲に轟いた。


「当たった。物理だ。物理なら通るぞ!行け・・・」


意図しない不意の涙で歪んだ視界は回避を妨げ、氷塊直撃の衝撃でのけ反り数歩後退して前のめりの前傾姿勢となったウィルナ。雨粒とは違う涙の雫が溢れ出し、頬を伝う感触を認識して態勢を立て直し顔を上げた。


ウィルナの視界の洪水は一瞬の(まばた)で収まったが、再度溢れ出した涙が視界を覆った。その視界の中でも魔槍を操作し、氷弾を撃って来た相手を赤い色で染め上げた。


(涙か。大人になっても流れるのか。ロッシュとルルも小さい頃はよく泣いてたな。ははっ、違うか。僕が一番泣いていた気がするよ)


只々悲しみに支配されたウィルナは涙を流した。


尊敬する父の様に強く優しい大人になりたかった。

村にいた全ての人達をお手本に誠実であろうと努力してきた。

薄れゆく微かな記憶の人達に近づこうと努力してきた。


善悪の善であろうとし続けて来た。その結果がこれだ。


左肩の激痛。破けた宝物の服。

二人を連れ去った関係者の可能性が高い者達が姿を見せた。


強烈な殺意と悪意に心身が支配されてしまった。

心が怒炎に焼かれても人の命を冷静に奪った。もうやり直す事は出来ない。


周囲の人達からは魔物でも見ているかのような陰湿な視線を感じる。


そして実際、濡れ衣とも言える因縁をつけ、剣を抜いて殺し合いを始めた騎士達を明確な殺意を持って返り討ちにした。そのせいで悪と呼ばれる存在に落ちた事が悲しかった。理不尽が悔しかった。それでも足を止められない。二人のために。


「二人を返せ」


氷弾の直撃で突破口を見つけたと沸き立つ騎士団員残り二名は一瞬のぬか喜び。

魔槍に貫かれ両膝から崩れた若い同僚を横目に耳にした弱々しいウィルナの声。


二人は同時ともいえるタイミングで剣を落として語りだした。その表情は二人ともこわばり、恐怖にのみ歪んだ表情を見せて両手を上げた。


「待て。これまでだ。依頼した奴の顔は見てない、隠してたんだ」

「依頼書と大金を貰って動いただけだ。お前を拘束して西門の地下牢に閉じ込めろと書いてあっただけだ」

「二人は何処に移されたか知らん。話した。全部だ。もういいだろ」


ウィルナには理解出来なかったが降参の合図。だが通用するはずも無い。


「悔やんで死ね」


人間の敵対者への対処方法は見て学んだ。全てはエイベルを真似て確立された。

ウィルナは魔槍二本を操作し、二人同時にその胴体中心を貫いて終わりにした。


(なるほど。誘拐の痕跡が見つからないわけだ。騎士団が何かを口実に二人を呼び出し連れ去ったか。まあ、広場の魔獣騒ぎかな。あれの詳細を聞きたいとかか。あそこの広場にもいた騎士。一人は逃げ出して生きてたよな)


戦闘時間は約二分。


話を聞きつけた騎士団の増援が来ても厄介だと判断したウィルナは、身体強化魔法を発動して目についた建物の屋根を目指して跳躍を開始した。


大衆の面前で騎士団員を殺した以上、何も隠れて行動する必要は無くなった。今後は多数の敵に包囲される事が無ければ逃げ続ける。正義の代弁者であるはずの騎士達を殺した悪の存在として認識された以上、殺しに来る敵は躊躇なく滅するのみ。


自身が信念のためにだけに行動する。他人が示す善悪の判断など関係ない。


(目指す方角は・・・)


屋根に上がり周囲を見回したウィルナは、別の木造屋根の一部に刻み込まれた直線状の破壊痕を発見して薄い笑みを浮かべた。その笑みは自身が嫌う野盗のそれだった事に気づく(よし)も無い。


(賢い子だ。方角はあっちか)


(獲物は必ず二人の情報を持っている。穴の開いた服の礼も必要だ)


ウィルナはふらつきながらも進路を変え、トレスの後を追いかけた。

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