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ウィルナの願い星 Self-centered   作者: 更科梓華
第一章 中幕 ~災いの火種と烈火の根源~

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気炎に燃える悪意の影(4)

昨夜の曇天は、正に凶兆の現れだった。


立ち止まり右手を眺めた。


空に向けて広げた掌は既にびしょ濡れ。僅かな振動が絶え間なく押し寄せる。


顔を上げて見上げた昼過ぎの空は真冬の季節らしい灰黒色の厚い雲に覆われ、大粒の雨粒が全身を打ち続け、周囲に独特な雨音を奏でている。


予定では人目のつかない夜だけトレスに二人の捜索の加勢を願い、昼間は単独で行動する予定だった。しかし雨が降ってきたら事情は変わる。


人の匂いも微粒子という物質。多くの物質を吸着する水である雨が、二人の微かな残り香を洗い流してしまう事は明白。ウィルナは僅かでも残っている痕跡が消えてしまわないうちにと、睡眠時間を取らずに歩き回った。


二人が外出時に(さら)われたとするならば、犯人は二人を抱えて移動する手段。つまり拘束して馬車に押し込んだ可能性が高いと踏んだ。しかも二人が西区北側貧民街の宿から距離を空けて外出する事は無いと踏んで、捜索範囲を北区と西区に絞った。


しかし推測出来たのは現状ここまで。情報が少なすぎる。

だが人は痕跡を必ず残す。荒事だとするなら尚の事。


真冬の外気温は未だ雪にならずに済んでいる。しかし雨に打たれ続ければ体温は奪われ続け、同時に体感温度も極端に下がり、体温調節にエネルギーを浪費した結果は言うまでも無い。


行き倒れるか低体温症で同じく倒れる。


それでもウィルナは馬車が通行可能な通りを、当ても無くさまよい歩く事しか出来なかった。降り続いている雨に痕跡が消されたとしても、二人に近づけばトレスが反応する事を信じて。


行き交う通行人の全てがマントに身を包み、フードで頭を覆い隠してウィルナを怪訝な目で視界に捉えて通り過ぎていく。


ウィルナはある程度の距離を歩いて再度立ち止まり、同じように曇天の雨雲を見上げた。


(――トレスからの反応は無いか。まさか雨が降るとは)


ウィルナは真冬でずぶ濡れという凍える寒さの中、震えが止まらない全身の筋肉に力を込め、躍動させる事で熱量を生み出して無理やり動き続けた。二人の事を考えれば自分の事は二の次以下で考える事が出来た。一秒でも早く二人の無事を確認したかった。


(まだ細い路地裏の確認は済んで無い。大通りとどちらを先に済ますか)


どちらも犯行には不向きと考えた二点。


細い路地裏は馬車が入らない。

大通りは巡回する騎士団も配置され、人目も多い。


ウィルナは水を買う為大通りに向かう事を決めた。


ウィルナもだが、ウィルナを屋根の上から追従するトレスも喉が渇いただろうと考えた。


食事は三食抜こうが十食抜こうが空腹感に苛まれるに留まる。

だが真冬であっても水分補給は侮れない。

数日補水出来なければ脱水症状で死因と成り得る重大事案。


(買い物か。いつもベリューシュカさんがしてくれてたっけ)


ウィルナは再度顔を上げて曇天の空を見上げ、大粒の雨粒を顔に受けたその視界の先、木造四階建ての三角屋根の縁から、トレスがひょっこり顔を出してウィルナを見下ろしていた。


ウィルナが立ち止まったままの状態で思案していた時間。トレスから見れば呆然と雨に打たれ立ち尽くすウィルナ。心配して顔を出してきたんだろう。と考え、頷いて大丈夫。と伝えて大通りを目指して歩き始めた。


(僕は良いとしてもトレスの食事は必要か。あの子お肉しか食べないし、偏食すぎるんだよな。パンくらいは食べれば良いのに。エイナお婆さんの焼いてくれたパンはおいしかったな)


ウィルナは大通りに出た後。半日前に乗り越えた外壁を横目に南下して、商店を探して歩いた。現在地は西区北側貧民街。大通りに面した建築群にも商店が存在せず、木工製作所や製材や石材加工場などが建ち並び、一部は大きな倉庫群として同じ建築物が並び建っていた。


商店街を見たのは城塞都市の各入口から伸びる巨大な大通り近辺。他にも存在してはいるのだろうが、無駄に探して時間を浪費したくない為、記憶にある西口の大通りを目指して歩き続けた。


曇天から降り注ぐ大粒の雨音は、留まる事を知らずに石畳に降り注ぎ、ウィルナの歩く足元に大きな水の流れを形成している。


ウィルナとすれ違う鎖帷子のローブを装備した巡回兵と思われる騎士団員数名。


(――昨日の城壁の怠惰な警備兵もだが、余りにも日常的すぎる)


エイナから騎士団の仕事内容とその役目を教えてもらった事がある。


職業軍人として鍛錬に励み、戦時下では戦場に派遣される。魔獣退治やダンジョンの管理などもあるが、都市に常駐する兵士は治安の維持や犯罪の抑止と防止を含め、市民の安全を守る為の存在だと聞いていた。


しかし二人が犯罪に巻き込まれたとするならば、何故あんなに安穏としているのかが理解不能。ウィルナは万策尽きたこの状況に苛立ち、安穏と日々を過ごす騎士達に怒りを覚えた。


それは単純な、やつあたり。


犯罪者が犯行の瞬間を目撃されるわけも無く。騎士団に情報が入ってない可能性が高い事は理解している。しかし助けを求めても、果たして役に立つ存在であるかは疑わしい限り。


やがて西口の店舗群まではまだ距離がある貧民街に一軒の精肉店を見つけ、大きなガラスの先に見える店内に肉の塊数個を目にした。


木造二階建て入口の外開きの扉を開き、店内に足を踏み入れた瞬間、生肉の強烈な匂いに鼻を覆いたくなった。


狭い木造の店内には木造のカウンターが備え付けられ、小柄な初老男性一人が存在しているだけの閑古鳥。これだけの大雨の中、今夜の晩餐のために肉をわざわざ購入しに来る客は皆無という事だろうと考えた。


「いらっしゃい。えらく濡れたようじゃないか。気にしなくて良い。何がいるんだい」


ウィルナは雨に濡れた長髪を入口外部で絞り、腕の袖口も絞って店内に足を進めた。


多少の傾斜を付けた木製長方形の大きな平台。店内に陳列されてある商品全てはこの木板の上に並べられていた。赤色、桜色、白い線の目立つ薄赤色の肉。


「一番安いヤツください。このくらい」


ウィルナは両手で小さなサイズを示し、店主が金貨二枚と答えた。


「水も売っていませんか?」


エイベルから貰った布袋と大切なお給金。その布の財布から金貨二枚を取り出し、カウンターに置いた。


「あるよ。水の入れ物あるかい?」


「はい。これにお願いします」


「銀貨二枚」


「はい」


ウィルナは続けて金貨一枚を取り出し、革製の水袋と一緒にカウンターに置いた。


店主は金貨三枚を受け取り、肉を切り分け紙で包装してカウンターに置き、カウンターの内部にある小さな流しの蛇口から水袋に水を注いでカウンターに置いた。


「有難うございます」


「まいど」


そこで笑顔の店主の動きは止まった。


「・・・お釣りください」


「ああ。すまんすまん」


店主は銀貨八枚をカウンターに置いて再び笑顔で停止した。


「ありがとうございました」


ウィルナは明らかにぼったくられた。


貧相な服装にずぶ濡れの全身。乱雑に纏めた長髪。店主が一度も見た事の無い顔。大雨の最中とは言え閑散とした店内に一人佇む店主。物の相場は勿論買い物という知識を持たないウィルナは、十倍以上を軽く超える金額を支払い礼まで言って店内を後にした。


結局の所、ウィルナ自身この世界については無知蒙昧。

悪意さえ判別できなかった。


それでも確保出来たウィルナはトレスが待つ屋根の上を目指して歩き、裏路地で周囲の確認をした後跳躍を開始。すぐにトレスと合流した。


「これ何の肉だろうね。生でも食べれると思う?」


土砂降りの雨の中、肉の包みを開いたウィルナは流石に諦めた。横にロッシュベルがいたら、間違いなく「馬鹿なの兄さん!」と怒っているはずだ。


「食べな。水も買って来たよ」


ウィルナは屋根の上の凍える寒さの中で雨にうたれ続け、食事をするトレスを笑顔で眺めながら震える体を屈めて丸くなり、その身を両腕で包み込んだ。所詮は人間、自然の力に単独で抗う事は出来ない。


「何だこの水、不味いな。匂いもきつい。ここに住む人達も楽じゃないんだな」


水袋から水を一口含んだウィルナは、口に含んだ水を思わず吐き出しつぶやいた。

心なしか頭が痛い。背中が寒い。背筋に悪寒が走る。

風邪の症状が出始めているのかもしれない。


「病は気から!僕の体、風邪に負けるな!」


ウィルナの力強い声に顔を向けたトレスは多少固まり、ウィルナの言葉を理解しようとしたが無理がある。


「ごめん。何でもないから食べて」


しかしこのまま体温を奪われ続ければ困った事態になりかねない。


(防御魔法使うと雨には濡れなくなるけど金属音が目立つんだよな。どうしよう。二つの意味で頭痛い)


体をさすって摩擦で体を温めようとするウィルナにトレスが食事を終えて寄り添う。トレスも濡れてなければ暖かいのだろうけど、川で遊んだ後のように濡れてそこまで暖かさを感じない。


ウィルナは水袋を腰のベルトに装着した。


「水はいいか。この水飲まない方が良いかもしれない。雨水飲む方が良いかも」


血色悪く多少青ざめた笑顔で話しかけ、トレスの頭を撫でて立ち上がった。二人の捜索を再開しなければという思いだけが、震えの止まらない体を突き動かした。


「行こうか。二人を探すのまた頼むよ」


ウィルナは再度大通りに戻り、西口の城門を目指して歩いた。次に潰していく箇所は大通り。北区の捜索は午前中に完了した。都市から出たとするなら西口のはず。止まない雨の中、疎らな通行人と行き交い抜き去り歩き続けた。


やがて視界に捉えた大きな城門。常駐する騎士団員数名が、雨にうたれない位置で暇そうに待機している。


(トレスも木箱に隠れて通過した城門か。都市外に連れ出されてたら流石に打つ手がない)


ウィルナの落胆と体調不良はその減速した足取りにも現れ始め、西門から中央へと大通りへ曲がる頃には額を右手で抑え、朦朧とする意識の中で歩き続けていた。


(がんばれ僕の体。時間は過去には戻らない。今できる事をがんばれ)


更に懸命に歩き続けて十数分。


「がっ。くっ」


霞む意識は瞬間のみ明瞭となり、反射で体は右へと傾いた。


(何だ。左肩が)


ウィルナは霧に覆われていく意識の中、激痛の生じた箇所である左肩に目線と右手を同時に動かした。


左肩の白のギャンベゾンには縦に裂かれた小さな穴。その周囲から指先に広がり滲む出血と激痛だけが、朦朧と歪む意識に危険を告げている。


カランという金属音が石畳から聞こえ、足元に目線を移動すると、雨水に血の流れを生み出した投げナイフが落下の衝撃で跳ねていた。

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