幕間 清流のように流れる安寧の中で
ウィルナは夕暮れの城塞都市大通りの雑踏を真っ直ぐに歩き続けた。
その軽やかな足取りは、緩やかな追い風によるものでは無い。
エイベル達と別れた際、エイベルから渡された布袋。
育った村には無かったお金を始めて自力で手にした。
両手で握り絞めたお給金の重量を感じ、
腰袋にしまい込んで胸を張って歩くその姿は達成感の表れ。
なんといってもエイナにお金を渡し、喜んでくれる顔が早く見たかった。
エイナお婆さんのお買い物、このお金で足りるのかな。などと考えながらも歩を進め続けたウィルナは道に迷った。正確には二人が待つ宿屋が分からない。兎に角見覚えのある場所を探して大通りを邁進してみたが、流石にここまでの時間と距離を颯爽と歩き続ければ、曲がるべき角を行き過ぎた事に気が付つく。
辺りも暗くなりかけ、周囲の窓からの光が強調されてきた。ウィルナ自身もそれなりの時間を浪費した事に今更ながらに気が付いた。更には今いる現在地にも心当たりがある。都市中央の中央区。
景観は判り易く一変し、大きな石造りの建築群が視界を埋めていた。
建物は一軒ごと確かに違う。それでも似たり寄ったりに見えてしまう街並み。
大通りに交差する数多くの通りや小道。
更にはひときは目を引く巨大な円形の建物も正面奥に見える。
エイナに教えてもらった円形闘技場。中央区の象徴の一つ。
「まいったな。どの角からだったか」
口数少なく、独り言さえあまり口にしないウィルナも流石に愚痴をこぼした。
記憶力は良い方では無い。しかし道に迷う事も無かった。
それを自分の欠点と自覚し、
以前大林森で生活していた時は必ず目印を付けて移動していた。
しかし都市部で建物や道路に落書きをするわけにもいかず、
微かな記憶を頼りに来た道を戻るしかなかった。
宿屋の外観は覚えているが店名は分からない。
看板に店名は書いてあったが読み方が分からなかった為、
人に聞く事も出来なかった。
(エイナお婆さんにお金渡したら、トレスに会いに行く予定だったのに)
自分で立てた予定が音も無く崩れ、ため息まじりに大きく息を吐く。
しかしそこまで困った事態ではない。
大きな城塞都市とは言え、範囲は西区に絞られ時間をかければ必ず辿り着く。
「よお。ルーキーじゃないか」
野太い声がしたが、高い場所から周囲を見渡せば宿屋が見えるかもしれない。と考え、登れる場所を探し、上を眺めながら歩き続けた。
「おい、待て。俺の剣折ったお前だ!」
最初の声に反応しなかった。自分の知り合いに出会う確率は極極わずか。
自分を呼ぶ声とは思わなかった。だが『剣を折った』には反応せざるを得ない。
心当たりが大ありのウィルナは足を止め、声のする方向へと体の向きを変えた。
通りにも多くの通行人が行き交う中、武器屋の主人はその巨体故に認識しやすかった。大通りに交差する通りの歩道から大きな荷物を肩に抱え、はにかんだ笑顔で歩み寄って来ていた。
「武器屋のおじさん。良かった。迷子になりました」
「ああっ?ったくお前は」
「折角の剣、すみませんでした。エイベルさんやアーロンさん達から、酒場で会っていた時の事を聞きました」
武器屋の主人がヤケ酒と共に愚痴を吐き続けていた事を、エイベル達から聞いていたウィルナは丁寧に頭を下げ謝罪した。
城塞都市に戻ってやりたい事リストに入っていた一つを済ませる事が出来た。
それに知り合いに会えた事が嬉しかった。遠回りも悪くない。
「あぁ。あれは俺の失態だ。自分でも剣で切り株を斬ってみた。勿論折れやしない。つまりお前の力量に合う剣を製作出来なかった俺の力不足だ」
「有難うございます。そう言ってもらえると気分が少し楽になりました」
「で、エイベルと仕事してきたのはお前だったのか」
「はい。皆さんとても良くしてくれました」
武器屋の主人は口を堅く結び、ウィルナから目線を反らして沈黙の思案時間を設けた。ウィルナには主人の沈黙が意味するところを理解出来るわけも無く、額から頬まで通過する大きな傷が原因か、濁った眼と正常な目を黙って眺め続けた。
「立ち話もなんだ。道に迷ったんだって?どこ行きたいんだ」
「西区の安宿。宿が密集している場所にあると聞いています」
「そうか。歩こうか」
やがて主人はウィルナに顔を向け直し、横幅のある大きな歩道で通行人を気にせず立ち話をしていた二人は西区に歩き出した。
ウィルナの横で並んで歩く武器屋の主人は、大きなバックパックと大きな包みを右肩に担ぎ上げ、どれ程の重量物か分からないが平然と歩いている。
「どちらか持ちます。武器屋さんも西区に行くんですか?」
「こいつを頼む。西区にある武器屋兼住居に帰る途中だ」
「方向が一緒で良かったです」
二人が並んで歩くと大人と子供のサイズ差。
ダルケイはウィルナを見下ろす感じで話しかけ、右肩の荷物を両手で渡した。
「俺の名前はダルケイだ」
「ウィルナです。よろしくお願いします」
「あぁ、覚えているとも。重いが落としても壊れる物じゃない。疲れたら俺に渡せ」
「はいっ。頑張ります」
受け取った荷物は固く大きくかなりの重量だった。
笑顔でも強面のダルケイが担ぎやすいように差し出してくれた布に包まれた大きな荷物を、ウィルナは身体強化魔法を使用し、ダルケイと同じ要領で肩に担ぎ上げながら二回目となる自己紹介を、念のために行った。が、名前を覚えていてくれた事を嬉しく感じ、自然と笑みが形成された。
「重いぞ。無理するな。ん?それ。お前の腰にあるやつ」
「大丈夫です。それよりダガーのことですか?」
「懐かしいヤツ持ってるな。そうか。ビルがお前に渡したのか」
「はい。武器が無かった僕にくれました」
ウィルナが持つダガーを抜いたのは、奴隷の獣人女性を殺した時だけの一度きり。
辛い記憶に嫌な感触まで脳内で再現され、憂鬱な気分になるがそれで良かった。
乱戦時、何も出来なかった自分とは違う、尊敬すべき人だった。
仲間達と勇敢に戦い、笑顔で最後を受け入れた。
ウィルナは自分で誇れるような自分になると、あの人の笑顔に誓った。
だからこそ真っ直ぐ前を向き、穏やかな口調や笑顔を崩すわけにはいかなかった。
「まだ小さかったビルに、俺が打ったやつをやったんだ。懐かしいな」
「そうだったんですか。昔からの知り合いだったんですね」
「そうだな。エイベルが一番長い。あいつと出会ってから、もう十二年か」
ウィルナが見上げたダルケイの横顔は、再度はにかんだ笑顔を見せて口を閉ざした。しかし残念なことに笑顔の主は野太い声のダルケイ。
可愛くないどころか多少不気味にすら見えて来る。
今日は上半身まで衣服を着用しているが、大柄過ぎる巨躯の筋肉達磨に顔の縦傷。
通りですれ違う人達が自然と道を開けてくれる。
ダルケイを避け、道を譲るどころか距離を空けられると言った方が正解かも知れない。
ダルケイが割裂く人海には、高貴な衣装を身に纏う者から高価そうな武具に身を包む集団まで多岐にわたるが、ダルケイ本人は避けられている事に慣れている様子で意にも介さず、二人は沈黙の中を歩き続けた。
「お前、どんな武器が扱える」
通りに差し込む屋内の灯りで、明るい夜の大通りの歩道を並んで歩くダルケイの急な質問。ウィルナは多少無言の時間を過ごしたとはいえ、これまでの会話の流れから逸脱し過ぎた話題と、その意図が認識出来ず多少戸惑った。
「剣、槍、弓、投げ物。これらは扱えますけど」
「ははっ。お前本当にルーキーか?お前の肩の荷物で良い剣を打ってやる」
「いえ結構です。お金が無いです」
意図が不明な他人の親切をきっぱりと断るウィルナ。
ウィルナを見下ろしながら大声で笑い出したダルケイ。
ダルケイが渡した荷物はかなりの重量物の製作素材。
ウィルナを試す目的で担いでもらったが、予想通り平然と持っている。
大金と時間をかけて手にした貴重な素材で、
どの様な武器を製作するか、思案しながら意気揚々と家路を急いでいた。
しかしウィルナを目にした途端に製作してみたくなった。
今の自分が製作出来る最高傑作の武器をウィルナのために。
「金は結構。俺の自信作をお前にやる。これは俺のやりたい事だ」
「お金、いいんですか?何もお礼は出来ませんけど」
「気にするな。そうだな・・・剣だ。種類はどれがいい。大きさは?」
ウィルナはぐいぐい来るダルケイに既視感を感じた。
あれだ。ウィルナの魔法に興味を示したカイン。
「すいません。詳しく知らないので」
「そうなのか。まぁうちの店で色々教えてやる。荷物置いたら晩飯に付き合え。そこでも色々教えてやる。そうだな。今晩はウチに泊まれ。お前の剣を打つためにお前の情報が必要だ」
「エイベルさんから貰ったお金を渡したい人が宿にいるんですけど、その後でも良いですか?」
「そうか。宿屋街は俺のウチの更に奥だ。荷物を置いたら宿に向かうか。宿名は?」
「知りません。木造三階建て。一階には酒場。裏手に厩舎がありました」
「大体見当がついた。お前、ド田舎から駆け落ちして来たんだな。俺の店に一緒に来たあの可愛らしい嬢ちゃんがお前の相手か」
「一体何の話をしてるんですか。違いますし、分かったのは宿の場所じゃんないんですか?」
「なんだ。違うのか。がぁっはっはっは」
「まぁあれだ。もうすぐウチだ。どうせなら嬢ちゃんも連れてこい。宿代浮くだろ」
「良いんですか?もう一人お婆さんもいますけど。あと馬車も」
「ああ。使ってない部屋がある。寝具は無いが裏に厩舎はあるし問題はない。たまには来客もいいもんだろ」
「ありがとうございます。僕に出来る事があったら言ってください」
「あるとも。薪割りは任せた。切り株は割るなよ。ふっはっはっは」
「多分大丈夫です。薪割りならしたことあるので。ははっ」
「そうかっ。俺は来客準備がある。宿の道順を教えてやるから、皆を俺の武器屋まで連れてこい。千客万来、今日は良き日かなっ。がぁっはっはっはぁっ」
すれ違う通行人達を気にせず豪快に笑い声を上げたダルケイ。
ウィルナも笑い声を上げた。
愛想笑いではなく、楽しそうに笑うダルケイに釣られて楽しくなった。
いや、ダルケイの率直な物言いと、豪快さに弾む会話がずっと楽しかった。




