観劇と歓迎
夜明け前の薄暗い通りでウィルナは一夜を明かした宿屋の部屋の方に顔を上げた。
「エイナおばあさんありがとう。大切に使います」
ウィルナは左手を後ろに回し、腰袋をポンと叩いて部屋で見送ってくれたエイナを
思い浮かべ、再度お礼を告げ白い息を残してエイナの馬車まで走り出した。
昨日エイナに貰った新しい革の腰袋は今まで使っていた肩掛け鞄より小振りだが、
腰のベルトに通して装着するだけで邪魔にならず動きやすい。
今のウィルナの所持品は腰袋とその中身のみ。
そして、部屋の小さなベッドで小さな寝息をたてているベリューシュカに、
仕事から戻ったら昨日のお詫びに何かをしようと誓っていた。
武器屋で購入した新品の剣を折った事で散々怒られベリューシュカと二人で謝り続け「俺の自信作が・・・今日は最悪の一日だ。もういい、帰れ」と追い出された。
ウィルナは隣で落ち込み歩くベリューシュカにお金を無駄にした事を誤ったが、
「違うの。剣技の切り下ろしってね、目の前を切る技なの、
足元の切り株切って、しかも剣折るとかそれこそ・・・・・」
ここでベリューシュは話を終えた。
ウィルナに『化け物』と言いそうになり慌てて口を閉ざした。
「ごめん。・・・それこそ?どうしたの?」
「なんでも無いっ。後悔してもしょうがないじゃん、ってね!
このまま西門まで行ってみよ?ご飯食べれば元気出るし!」
少し前に飛んでクルッと振り返るベリューシュカは笑顔を見せ、
ウィルナもこれ以上は謝罪の言葉より行動で彼女を喜ばせようと決めたが
問題がまだある。
「そうだね。西門は見てみたい。それに一週間トレスをどうしよう」
「そうだね。今も馬車の中で丸くなってかわいそうだし」
喫緊の課題がトレスの居場所の確保を如何にするかだったが、
トレスの事についてはエイナからもいい案が出なかった。
『宿屋に入れるのは人目に付きそうで無理。狼として誤魔化す事も無理』
ウィルナは考えあぐね、結局城塞都市から出す事にして、
仕事の集合時間前の暗い時間に出発し迎えに行く事にした。
「お待たせトレス。行こうか」
ウィルナがエイナの馬車の荷台に駆け寄るとトレスが顔を出し、
そのまま荷台から飛び降りて体を擦り付けてきた。
「一週間過ぎた頃に迎えに行くから北の森近くに隠れてて、
人間と獣人以外はどれでも食べていいから見つからないようにするんだよ」
屈んでトレスを抱きしめ頭や背をワシャワシャ撫でながら伝えた。
「そうだ。もしも襲ってくる人間がいたら全員殺していいよ。
食べちゃダメだけど。それと首輪の人は殺すのも食べるのも絶対ダメ、いいね」
ウィルナは立ち上がり屋根を指さしてトレスと一緒に走り出した。
ウィルナは通りを走り、トレスは建物の段差や窓などの足場を巧みに利用し、
跳躍した先の屋根伝いにウィルナの上空後方を追走した。
ウィルナとトレスの速力で城塞都市の外周壁付近にはすぐに到着し、
すれ違う数人がウィルナに驚く程度でトレスには気づかれずに済んだ。
「いま行くよ」
ウィルナは周囲に人がいない事を確認して身体強化魔法を発動、
路地裏木造三階の屋根まで外壁を数回跳躍してトレス横の屋根の上に立った。
ウィルナの目の前には城塞都市を囲む高さ十メートル程の厚い城壁、
騎士団所属の警備隊が配置されている詰所及び監視塔が数ヶ所ある程度、
数人の警備隊が松明を手に回廊を巡回しているが明かりでどこにいるのか
すぐに判別出来る為に城壁を越える事は難しくない。
「あれの先だよトレス、えと、北は・・・あっちだね。
仕事が終わったら迎えに行くからいい子にしてなよ。
はいこれ、一番大きい干し肉。エイナおばあさんが持たせてくれたんだ」
ウィルナが腰袋から取り出した干し肉を口に咥えたトレスは頭をこすりつけ、
やがて屋根の上を疾走し、十メートルはある通りを飛び越え城壁に移り、
回廊を少し横移動して防御壁を飛び越え姿を消した。
「一週間か・・・」
トレスを見送ったウィルナは一人が寂しくなり呟いたが気を取り直し、
裏路地に降りて外周壁を目指してのんびり歩き、そのまま西門を目指した。
周囲が明るくなり始める頃に西門に到着したウィルナは、
大通りに並ぶ三台の馬車と立ち話する非武装数人の中年を目にした。
「三隊合同って言ってた。あの人達かな?エイベルさんはまだいないみたい」
西門前の大通りに他の人影は無く、
西門も閉じられ警備している騎士団の数名が門の前に立っているのみ。
ウィルナは居場所無く感じたが馬車の集団に声が聞こえる範囲まで近づき、
やる事も無いので歩道端に座って待つことにした。
『なんだろ・・・凄く気まずい。干し肉でも食べよ。
イテッ、切れた唇の傷がまた開いた。最悪だ。・・・・・あ、馬車来た』
馬車が一台到着したがエイベル達ではなく、
三台の馬車の横に止めて立ち話していた人達が積み荷を移しているようだった。
「おいっ!お前も積み込みの仕事で来たんだろうが。さぼってねーで働け!」
ウィルナに大声で怒鳴った大男は積み込みをしている人達と違い、
全身が革鎧で背中に両手剣を抱えた30前後の男だったがエイベルではなかった。
とはいえどの様な仕事か分からなかったので「はい」と答えて駆け寄った。
移している積み荷は水と食料らしく、
荷台のおじさんから「重いから気を付けるんだよ」と言われ、身体強化魔法を
発動して受け取り他の人と同じ場所に運び入れたら後ろから蹴られた。
『ん?』と思い後ろを振り返ると先程怒鳴った男が立っており、
何事かと思って顔を眺めていたら怒鳴りだし、右腕を振りかぶった。
怒鳴る内容からして、どうやら運び入れた馬車が違ったらしい。
さらにウィルナの事を「なんだ、なめてんのか」などと口にしている。
『まいったな。昨日の口の傷も痛くてこれ以上は貰いたくない。
しかし外の人の動きはなんでこんなに遅いんだろ。
腕、振りかぶってモーションバレバレだし当てる気無いって事か?』
ウィルナはこれ以上傷を増やさないために左前に体を動かして回避し、
さらに前進して男の背後に回ったら男は怒鳴ってまた殴りかかって来た。
『何なの、もう帰ろうかな。あ、また馬車の音』
避け続けるウィルナの左から駆ける足音がして男が殴り飛ばされた。
『えええええええええ』
ウィルナは横から綺麗に右拳を放った男に驚いた。
「リカルドさんですよね?傷はもういいんですか???」
「???・・あぁ。装備も一新、・・・怪我は無いか?」「はい」
男を殴り飛ばしたのは真横の裏通りから駆けてきたリカルドで、
横っ面を鋼のガントレットで思いっきりぶん殴られた男は気絶していた。
流石にウィルナも気絶した男の心配をしていると、男の仲間達が寄って来た。
「お前何してんだ。この小僧が働かなかったせいで、こうなってたんだぞ」
「うちの新入りに、なんでお前らの荷積みやらせてんだっ」
リカルドは文句を言ってきた男も殴り飛ばし、ここにいる全員が流石にひいた。
「よ~リカルド。怪我してんだから自重しろよ」
先程来ていた馬車が到着し御者台からエイベルが降りて話しかけたが、
その声に心配する意図は感じられず、なぜかしら楽しそうな感じを受けた。
「んだよ朝っぱらから。二日酔いで頭痛てーんだよ」
馬車の荷台から降りていたアーロンはかなり不機嫌そうで、
声だけでなく歩く仕草からも見て取れるほどだった。
「ウィルナです。よろしくお願いします」
ウィルナはエイベルに頭を下げ自己紹介を済ませ、
挨拶を受けた三人の視線がウィルナに集中し二人の雰囲気が変化した。
「よぉ~少年。来ると思ってたぜ。・・・ん?・・・お前がウィルナか!?
くっ・・・くくく。・・・・・西区の武器屋で剣折ったんだって?」
「っく・・・がぁはっはっはっ。二日酔いなんだ。思い出させるな!」
「そうなのか?負傷した俺が装備の新調してる間にお前ら酒飲んでたのか?」
リカルドは呆れ、エイベルはウィルナに顔を向けて見るなり笑い出し、
エイベルの話を聞いたアーロンもウィルナの肩を叩きながら大声で笑い出し、
ウィルナはなぜ知っているのかを気にする前に恥ずかしくなり下を向いて頷いた。
「昨日の晩、あの武器屋のおっさんと酒場でたまたま会ってな。
ヤケ酒に付き合ってたんだよ。・・・・・くっまじか・・・お前だったのか。
・・・あぁ、あの武器屋のおっさん自分の腕がまだまだ未熟だって悔やんでたぜ。
客を選ぶあのおっさんの剣、買ってすぐ折っちまうとは・・・くっくく・・・
・・・・・お前の名前聞いて思い出しちまった。・・・くあっはっはっはっはぁ」
ウィルナの肩を叩いていたアーロンは昨日の夜の出来事を伝え、
ウィルナの肩に手を乗せて豪快に笑い転げている。
「そうでしたか。今度謝りに行きます」
「あぁそうしてやれよ。・・・で、お前らがウチの奴に喧嘩売ってんだな」
アーロンはウィルナから離れ、黙って見ていた先程の男達五名の集団に足を進め、
敵意を直に感じた集団は固まった。
「お前らの新入りとは知らなかったんだよ。こっちの勘違いだ」
片手を上げ、身構えて後ずさる男達に足を進めるアーロンとエイベル。
「お前達はもういい。早く業者から積み荷を受け取れ。困ってるじゃないか。
・・・他ともめた場合リーダーが仲裁するもんだろ。お前まで加わろうとするな」
ウィルナとエイベルが横に顔を向け、
カインがいつの間にかリカルドが来た路地の入口にいた事に気が付いた。
「これが俺の仲裁方法だ・・・・・はぁ~お前らもういい。
これから仕事を共にするしな」
エイベルが右手で追い払う仕草を見せ、アーロンはウィルナの方に振り返り、
事態を治めたカインもウィルナの前まで進み右手を出して握手を求め、
ウィルナも「ウィルナです。よろしくお願いします」と応じた。
「しかし良く俺の名前知ってたな。なんでだ?」
リカルドもウィルナに握手を求めて尋ねた。
「昨日の戦闘見させてもらいました。その時に皆さんの名前覚えました」と
握手をしながらウィルナは答え、「ほ~」という声が周囲から聞こえた。
「三隊目も来たな。良し、馬車に乗れ。あいつらの荷積み完了次第出るぞ」
声を張り上げたエイベルを眺めていたウィルナの肩をカインが叩き、
「こっちだ」と馬車の荷台後方まで誘導してくれた。
『帰らなくて良かった。いい人達みたいだ。これなら一週間頑張れそうだ』
ウィルナはさっきの人達に弟妹の事を聞けるか心配しながら初めての仕事、
ダンジョン探索に心を踊らせた。




