出会いと依頼
ウィルナに聞こえた幼い子供が走る時にたてるパタパタとした独特な足音は、
木材の崩れ重なる音で途切れた。
魔獣の雄叫び、馬のいななき、周囲にいる人達の悲鳴、
暴れる魔獣による破壊音と馬車だった木材が打ち鳴らす音。
蒼白い月あかりの下、奴隷の幼い少女は馬車だった木材の隙間で倒れ込み、
両手で頭を抱えて周囲の音と魔獣の雄叫びに怯え固まっていた。
幼い少女は偶然できた折り重なる破材の山と砂地の隙間に綺麗に体が収まっているが、
魔獣が自身を覆い尽くした黒い布から抜け出そうと少女が挟まれた木材の山付近で
暴れまわり、小さな隙間がいつ崩壊するか分からない。
『防御魔法を使用する暇はない』
ウィルナは迷わず身体強化魔法を発動して駆け出した。
全力で少女の場所まで駆け寄り、隙間の前の砂地に四つん這いになって
隙間の奥にいる少女の状態を確認したが、隙間の中も馬車だった木材が入り乱れ
少女の全身の状態をよく確認できなかった。
「大丈夫。必ず助けるから」
ウィルナは安心させようと少女に声を掛けた。守りたかった。
「いいかい。ここから引っ張るけど、どこか挟まれてない?」
少女は怯えているためか頭を抱えたままだったが、首を横に振ってくれた。
「良かった。痛いところがあったら後で見るから安心していいよ。
さぁ僕の手をつかんで」
ウィルナは隙間の奥に手を伸ばしたが届かず、
魔獣も雄叫びを上げながらかなり近くで暴れている。
後方で若い警備隊員が大声で「戻れ」とか色々言っているが全て無視した。
ウィルナは顔を逸らして重なる木材の小さな隙間に肩まで突っ込んで手をのばし、
少女の小さな手が自分の手に重なった感覚で、その手首の先を掴んだ。
「少し引っ張るから痛かったら声かけて」
ウィルナは慎重に少しだけ引いて少女の体を移動した。
『良し。どこも引っかかってない』
ウィルナの手には小さな少女の体重分の軽い感覚だけが伝わり、
少女付近で些細な音も木材の動きも見られなかった。
「ここまでゆっくり引くから痛いときは言うんだよ。いくよ」
ウィルナは少女の頷きを合図として慎重に少女を引き続け、
乱雑で短い髪や小さな胴体まで外に出たところで少女を抱きかかえ、
魔獣から距離を取るため皆がいる場所に全力で走り出した。
「もう大丈夫。大丈夫だよ」
ウィルナはしっかりと少女を抱きかかえ、背後の大人しくなった魔獣と、
ゴロツキが起こしていた焚き火から火が付き始めた馬車の残骸を後にして、
途中でゴロツキ達や警備隊員とすれ違い視線を感じたが、
敢えて無視して横を走り抜けた。
焚き火の場所に到着して少女を下ろしたらエイナが駆け寄り、
少女の状態や怪我は無いかを確認し始め、横で動かず無反応な少女を見ていたら
なんとなくルルイアの幼い頃を思い出して少女の頭を撫でたら過剰に反応され、
ウィルナの手に怯えている印象を受けて余計な事をしたと感じて後悔した。
「エイナさん。ウィルナ、ここから離れるぞ。急げ!」
直後、ウォレスの方に向くと馬が馬車につながれ出発できるようになっていた。
焚き火の周囲にも物は無く、後は火を消して離れるだけの状態で、周囲から悲鳴が聞こえる中でも冷静に対処し移動準備を完了させた皆を心の中で称賛した。
「怪我はないようね。良かった」
エイナが焚き火に砂をかけて消火を確認し先に馬車に戻り始め、
少女も奴隷の首輪を握りしめ逆方向のゴロツキ達の方へと弱々しく歩き出した。
ウィルナには幼い少女を止める事が出来なかった。
ただ馬車だった木材に上がった炎に照らされた少女の小さな背中の影を見送った。
少女と入れ違いに先程の若い警備隊員がウィルナのもとにやってきた。
「君はシーカーなのか?事態の収拾に協力してくれないか?」
「嫌です。シーカーではないです」
シーカーでもないのに奴隷の少女を命がけで助けたウィルナに断られ、
若い警備隊員は驚いたがそれでも諦めなかった。
「あぁ君はマーセナリーか。それより魔術系統は強化系だけか?」
「嫌です。それよりお金返してください」
「返金?こんな時に何の話だ。依頼金の事か?」
「ここの宿泊地の使用料。安全でも無いのにお金取るんですか?」
「そんなことか。後から正式な依頼として報酬と一緒にやる」
「僕はマーセナリーでもないです。依頼も受けません。お金」
「こんな時にお前・・・。」
「馬車二台分です。お金、ください」
「分かった・・・。少し待て」
ここでウィルナが圧し勝つ形で会話は終了した。
若い警備隊員は鎖帷子のローブの内側に手を入れて布袋を取り出し、
金貨一枚をウィルナに差し出した。
「おつりが無いです。銀貨で五枚ください!」
ウィルナは最近エイナに教えてもらった知識を披露し、
今までの会話の中で一番大きく誇らしげに伝えた。
「釣りはいい。少女を救った事への感謝料だ」
「そうですか。魔獣、そろそろ動き出しますよ」
「何!?そうなのか?」
ウィルナは金貨を受け取り、魔獣へと振り返り注視する警備隊員を横目に
馬車の方へと走り出したが、また他の人から声を掛けられた。
「よぉ~。今フリーなんだって?前はどこにいた」
ウィルナが右を向いた先に三十前後の男性が立っていた。
男の離れた後方にも四人のマント姿が立っているのが見えた。
「どこにもいませんでした」
ウィルナは男に答え、馬車の横に立つウォレスに出発するようにと頷いた。
ウィルナが答えた男性は黒いマントで身を包み、
マントから出た右腕のレザーグローブと右手に握られたグレイブが見えた。
ウィルナはナギナタに似た形状のグレイブを知らなかったが、
それを持つ男はウィルナと同類に感じ、どことなく嫌な感じがした。
ウィルナには男が強いか弱いかなど動きを見ないと、
実際に戦ってみないと分からないが、目の前の男はウィルナと同じく、
奪う意思を持って他の命を喰い続けてきた野生を感じさせた。
「俺の名前はエイベルだ。お前は?」
「答えたくありません。もういいですか」
ウィルナはルルイアのように勘が良いわけでもない、
ロッシュベルのように賢いわけでもない、
最近選択を間違えすぎていたため慎重になり情報を渡したくなかった。
「いいね~。慎重さは大切だ。特に口は災いの火種となる」
エイベルは右腕を上げ、持った武器を上げて背後の仲間を呼んだ。
「ウチで働かないか?明後日から三隊合同で一週間のダンジョン探索だ。
一日金貨一枚でどうだ?・・・返事はいい。明後日の夜明け過ぎに西門だ」
エイベルは返事をしないウィルナを笑って見つめ続け時間を潰した。
「ここから逃げる必要はない。あいつは俺達が狩る」
背後の仲間達が合流した頃合いでエイベルは口を開き、
ウィルナの横を仲間達と通り過ぎていった。
「あぁそうだった。俺はエイベル。ってのはさっき言ったな。
俺はマーセナリー。傭兵団の名前はブレイムチェインだ」
ウィルナは困惑した。先程の警備隊員も『マーセナリーか』と聞いてきた。
『この人の名前どっち?二つ名前があるのか?いや僕の名前違うけど』
という思考で頭はパンクしそうだった。
加えてここを出なくて良くなるなら、金貨は返さなければ、とも考えた。
ウィルナは立ち止まって色々考えていたらウォレスが横まで来ていた。
「さっきの、知り合いってわけじゃ無いよな」
「知らない人だった。マーセナリーって何?」
ウォレスに質問したところで魔獣が再度暴れ出した。
ウィルナが魔獣に顔を向けると、四メートル程度の体長で四足の肉食哺乳類、
ネコ科特有のしなやかな体に狼のような頭がついて二本の尻尾。
全身が爬虫類にも似た黒皮で覆われ獣毛の無い姿の魔獣だった。
「おぉおい。布が取れた。早くここから離れるぞ」
魔獣は覆いかぶさっていた布に慌てていただけで、
やがて落ち着きを取り戻し、簡単に布から姿を現していた。
『結局は魔獣も獣と変わらない』などとウィルナは考えながら
『いや、トレスは賢い。・・・トレスが魔獣なら他の魔獣も賢いか?』
と思考を堂々巡りさせていた。
「おいっ。大丈夫か?早く逃げるぞ」
「そうだった。お金返さないと」
ウィルナはウォレスに独り言を返してしまい、ウォレスは困惑した。
「さっき話してた人が、魔獣を狩るって言ってた。見物しよう」
「見物?お前は変わったやつだな。馬車は広場の端に寄せてる最中だ。
俺は皆の所に戻って、お前が魔獣討伐を見物してるって伝えて来る」
「あぁ。ありがとう。トレスを頼むよ」
「まかせろ。トレスはエイナさんの馬車で大人しく丸くなってるよ」
「そうだった。食べちゃダメって言ったんだった」
「はあ~~~?何を食わせる気だったんだ?・・・まあいい、気を付けろよ」
ウィルナは走っていくウォレスに右手を上げて見送り、
魔獣のいる場所に歩き出した。
やがて悲鳴が聞こえ、金貨をくれた警備隊員の人が魔獣にやられて倒れた。
「あ、金貨の人。感謝料とか意味の分からない事言ってたし、貰っていいか」
ウィルナは手の中の金貨を見つめて心が躍った。
外の世界で初めて見た魔獣に立ち向かう、外の世界の人達。
「どのくらい強いんだろう。すごい自信だった。ん~~~っ!」
ウィルナは楽しみだった。思わず独り言が口からあふれ出すほどに。




