幻想と現実
「ウィルナさん。この峠を越えれば村が見えます」
御者台に座るエイナおばあさんが横に座るウィルナに掛けた声は、
多少だが普段より大きく明るく、その優しい笑顔含め気持ちを察する事が出来た。
「はい。楽しみです。・・・村かぁ~。」
横に広がる小さな峠の上り坂、周囲は一面が冬色の草原で木は一本も無く、
空を覆い尽くした厚い雲により寒色で暗く見えた昨日と違い、
ウィルナの目に映る景色は流れる雲の隙間から差し込む夕日で暖色に彩られ、
今まで目にした事は無い一枚の素朴な風景画のように神秘的に見える。
馬車の進行とともに体に感じる風も心地良い。
「おおお~~~。トレスッ。おいでトレス。見えたよ!大きいよ!大きな村だよ」
ウィルナの視界の先には自身が想像していた村では無かった。
記憶の中の自分が育った狭く小さな村と同じでは無かった。
この外の世界で初めて見た村は一部が木の柵や壁で囲われ規模が違った。
馬車の周りを駆け回っていたトレスは後方から荷台に乗り込み、
横になって眠っているベリューシュカの横を通り過ぎ、
笑顔のエイナと、浮かれたウィルナの間から顔を出してきた。
「あの・・・エイナおばあさん。お礼の事なのですが・・・。」
ウィルナはトレスの首に手をあて、言いにくそうに口にした。
「えぇえぇ。もちろん出来る事なら何でも構いませんとも」
ウィルナの顔を笑顔で見つめるエイナおばあさんの優しい声に勇気をもらい、
意を決して自分の願いを伝えてみた。
「パンが・・・その・・・焼きたてのパン?。・・・えと・・柔らかいやつ?」
ウィルナは自分のパンのイメージ。
幼い頃、アサ婆様が数回焼いてくれたパンを伝えたかったが、
エイナおばあさんに自分の言葉で届いたか心配で顔を覗き込んだ。
「・・・。パン・・・ですか?。・・・ええ。もちろんいいですとも。
家に帰ったら早速作りましょうね。今日は遅い晩御飯になりますけど」
「ありがとうございます。良かった。楽しみです」
笑顔と笑い声で包まれた空間でエイナおばあさんは不安を隠し続けていた。
殺されずに済んだが魔族は村から半日の距離にいた。
古い付き合いで、信頼できる村長と話し合う事にはしているが、
魔族に対して村でとれる対応策は無い。
北部辺境の開拓村に騎士団の派遣も無い事は理解していた。
そもそも重税を課す領主及び貴族連中のいい話は聞いた事が無い。
入って来る貴族連中の話は全て聞きたくない話ばかり。
かと言って村人が村を捨てても餓死者が出るだけ、
エイナ個人でも身を寄せ頼れる人も場所もお金も無い。
人類が一丸となり魔族支配地域に侵攻を開始した人魔大戦開始から18年、
弱った国は滅ぼされるか属国へと食われていった。
人間同士、国家間の争いの方が酷かった。
各国はうごめき合い、この小国も魔族討伐を掲げ、それを理由に好き放題。
「家に帰ったらお風呂の準備をしますので、ゆっくりしてくださいね」
エイナおばあさんは横で身を乗り出すウィルナに伝え、
「はい。お風呂の準備は僕がします」
と無邪気に答えるウィルナに笑顔を向けた。
ウィルナは村に到着後、エイナとベリューシュカの家で世話になり、
トレスを託してベリューシュカの案内のもと、二人の情報収集を行ったが、
ウィルナには大きく見える村も結局は近年できた北部拠点の開拓村で何もない。
人口もそれほど多くなく、約500人の村の人達が生活をしているに過ぎない。
新参者が村に来れば誰かの目にとまり数人から話が聞けるはずだが、
ここ二年で二人の特徴を抑えた人物の目撃情報と名前は出てこなかった。
村の人はウィルナをお礼と共に温かく迎えいれた。
それだけでもウィルナには十分有難い事だった。
ウィルナはエイナとベリューシュカにも助けた後に弟妹の事を聞いていたが、
見た事も聞いた事も無いと言われていた。
二人が知らないのなら村でも情報は得られないのかもしれないと思っていた。
広いと教えられた世界で二人を探し出す事は簡単では無い事を理解している
ウィルナは落胆する事は無かった。
ルルイアには賢いロッシュベルが付いている。
幼い頃教わった『遭難したら安全な場所で待機して救助を待つ』を確実に行い、
ウィルナが『広い世界を見てみたい』と言った言葉を汲んで、
必ずどこかの町や村などで生活していると考え、
手当たり次第に探していくことにしていた。
村で弟ロッシュベルと妹ルルイアの情報を聞いたらすぐに発つつもりだったが、
ウィルナがヘイヨード村に滞在を始めて今日で五日目の朝を迎えていた。
「手直しに手間取りましたがサイズはどうですか?」
「ちょうどいいです。これ、すごく暖かいですね。ありがとうございます」
エイナおばあさんはウィルナに渡した白のギャンベゾンが
よく似合っている事に大変喜んだ。
「うん。いいんじゃない。・・・良いと・・・思います」
「お父さんの服を、ありがとう」
「ひゃ・・い・・・」
暖かい居間でエイナとベリューシュカの亡き息子であり父親の遺品から、
ウィルナは様々な使える着用品を譲り受けていた。
今履いている黒革のロングブーツも履いたばかりの頃は違和感があったが、
五日目の今日は足になじんでいる。
エイナの家系は交易商で代々受け継いできた商いでもあった。
辺境の移動や問題の対処のため戦闘訓練も行う商人系譜だった。
特にエイナの息子でベリューシュカの父親は剣技に磨きをかけ、
まぎれもなく戦う商人をしていた。
いわく「自衛をしてこそ自営出来る」が息子の口癖だったと
エイナおばあさんから聞かされ、
言葉の意味を教えられたウィルナは本人に会えない事を残念に思った。
ウィルナが右の肩をグルグル回していると入り口のドアが豪快にノックされ、
ウィルナが応答して扉を開けると同じ年くらいの青年が一人立っていた。
ウィルナより背が高く年も少し上、
ウィルナは自身より男前に見える青年に「こんにちは」と告げたが、
「昼過ぎに出発する。昼飯食って準備しとけ」
と一方的に告げられ立ち去っていく後ろ姿を眺め、扉を閉めた。
「わたし、あいつ嫌い。性格悪いし。子供の頃、私いじめたし」
ベリューシュカは青年が嫌いらしい事はウィルナにも同意出来た。
同時に子供の頃からの知り合いであるという事も分かった。
青年、村長の息子のウォレスと顔を合わせたのはこれで四度目、
ウィルナは何もしていないが、嫌われている気がしてならない。
とは言え、出発日時が滞在の理由で行先は南方の都市コンスフィッツ。
村の近くで鉄鉱石を採掘し換金して村に必要な物を購入する事になっていた。
もちろんシーカー協会で依頼料の返金を受け取る目的も含まれている。
「ウォレスさんでした。昼食後に出発です。
弟妹の事、何か分かるかもしれませんし、今から楽しみです」
近くにいたので聞こえていたとは思うが、初めて見る都市に希望を抱き、
ウィルナはエイナとベリューシュカに振り向いて笑顔を見せた。
旅の道中はエレナ、ベリューシュカ、ウィルナ、トレスが馬車一台。
村長の息子ウォレスが御者の馬車に帰りの護衛として村人が他五人同乗し、
この村で個人がそれぞれ保有する最後の馬車二台で運び込めた売却品は
合計で七樽分の鉄鉱石の原石。
これ以上は旅中の水や食料や日用品や寝具など場所や重量を考え、
馬車に積むことが出来なかった。
南方の都市コンスフィッツまでは何事も無く一週間で到着。
しいていえば、ベリューシュカとウィルナの距離が特段近づいた事くらいだ。
ベリューシュカがウィルナに近づいただけで、理由は単純。
村長の息子ウォレスは背が高く、顔もいいだけの性格が悪い幼馴染。
ウィルナは背は普通、顔も普通の優しい性格の最近出会った化け物。
近寄って来るウォレスに現状二択を迫られたベリューシュカは優しい方を選び、
自然と優しく落ち着いた雰囲気のウィルナに近寄る様になっていた。
ウィルナとしてはベリューシュカに急に距離を詰められ、
また理解出来ない何かのきっかけで叩かれる事になりそうで、
意味も分からず内心ビクビクして過ごした。
そしてウォレスから、なおのこと嫌われている感じが伝わり、
ナゼ?としか思えなかった。
見えてきたコンスフィッツは都市というだけあって高い石壁で周囲を囲われ、
東西南北四つの大扉が入場口として設けられた城塞都市で、
大きな入都門には軽装備の騎士団所属の警備隊が常駐して入都管理を行っていた。
ベリューシュカも前回ここまでは来ており
「私もこの前ここまでは来たんだ。どう。すごいでしょ~驚いた?」
と、エイナの奥に並んで座るウィルナに自慢げな声を上げた。
入都時ウィルナもヘイヨード村の出身として問題なく入都し、
エイナの意見でトレスは入都時のみ木箱に入れて隠した。
ウィルナは城塞都市の大きさに圧倒されたが、
それよりもどこまでも続く地面が全て石畳の舗装道路である事に感嘆し、
ガタガタと音を立てる馬車の車輪は体に心地よい振動を伝え、
木造もあるが石造りや土壁で建てられた三階建て、四階建ての建物に驚いた。
「大きな・・・なんでしたっけ?」
「家ですか?」
ウィルナの質問にエイナが思いついた単語を述べるが違うらしい。
「えと・・・さっ・さっき通った門のこと?」
「ん~~~・・・何でしたっけ、ここの事」
ベリューシュカも混ざるが、
ウィルナは単語を忘れて頭に手を置くしかなかった。
「コンスフィッツ?」
ベリューシュカが都市の名前を上げ、
「都市のことですか?」 「そう。それでした。大きな都市ですね」
エイナがウィルナの求めていた答えを伝え、穏やかな時間を都市観光に費やした。
目的地の売却所まであと半分、御者台の中央に座るエイナに都市観光をしていた
左のベリューシュカが都市中央部の街並みを歩く人達に視線を送り尋ねた。
「おばあさん。・・・あれが獣人の・・・人?」
ベリューシュカも都市内部に来た事は初めてで、獣人を見た事も初めてだった。
「そうね。あれが獣人・・・ライカンスロープの方たち・・・」
エイナの返事が暗い理由はベリューシュカにも聞かされており、
ウィルナもすぐに初めて見たライカンスロープに違和感を感じた。
見た目は頭の上にある二つの三角耳、腰にあるフサフサの尾、
大して人間と姿かたちに違いは無い。
目の良いウィルナは『人間と獣人は見た目が似ていても違うのか』と驚いた。
人間の爪は皮膚の形状変化、対する獣人の爪は骨の形状変化で違いは明らか、
全ての爪が短い鉤爪となり肉厚で鋭く、
指先の肉から存在感と体構造の違いを示している。
しかしウィルナが感じたライカンスロープの違和感、
それは見た目ではなかった。
ウィルナの目に映る数人の獣人全てが首に鋼の首輪をつけ、
身なりの違いがウィルナでも判別できる着飾った人間が前を歩き、
その後を獣人が歩いている。荷物を持って、つき従う獣人も見られる。
この世界で獣人と呼ばれるライカンスロープの年齢、性別は様々。
しかし全ての獣人が冬の中、薄い服を着て歩き、痩せて暗い顔をしている。
ウィルナの視線に気が付いた獣人の少女と目が合ったが、
すぐに逸らされ下を向いて肩を落とし弱々しく歩き続けていった。
獣人だけでは無かった。
よく見れは獣人と同様に、同じ鋼の首輪をつける人間も多数いる事に、
重苦しい表情を浮かべるベリューシュカと、
自分でも分からない怒りにも似た不快感を感じているウィルナは気が付いた。
「二人とも、ごめんなさいね」
エイナおばあさんの声は悲しそうで、辛そうだった。
エイナは二人を連れて来たくなかったが、
いずれ直視する事になる現実を避け続ける事は出来ないと考え決断した。
エイナには変えられない現実と二人への謝罪だった。
ベリューシュカは「分かってるよ。・・・おばあさん」と答えた。
ウィルナはエイナが謝る理由と原因が分からずエイナを見つめて沈黙した。
この国において、この世界の仕組みとして、
ウィルナは獣人や一部の人間が奴隷であるという事を、
奴隷という単語と、奴隷と呼ばれる存在がいる事すらを知らなかった。
400年以上外界と隔絶され続けた極めて小規模な村で育ったウィルナは、
この世界の事を何も知らなかった。




