安寧 肆
柔らかな影の中、安らぎを感じる大樹の下で、
カーシャおばさんを中心として、今日も昨日と同じ日課を繰り返す。
学習項目は多岐にわたる。
文字の読み書きや算数、周辺地理や薬学など様々だ。
訓練項目は主に二種類、体術と魔術に分けられた。
北部辺境の最北端に位置する名前すら無いこの村では、
外部との接触はほとんどなく、
常に厳しい環境下に晒されている。
問題は様々だ。細かな問題は省き、おおまかに三つ。
まずは食料。自給自足で農作物に問題があれば大変なことになる。
農地拡大は、人手不足により不可能であるため、
現在の農地面積を大切に守っていく事でやりくりしている。
次いで日用品や衣類、道具類の問題だ。
最低限必要な物と、使用頻度の高い物を優先して、村で生産している。
これも素材収集から行うため、かなりの労力と時間、
つまりはそれなりの人手が必要とされる。
最後にして最大の問題が、近隣の森や平原に生息する危険な獣や、
不意に現れる魔物の存在だ。
特に魔物に対処する場合、早期発見は必須項目であり、
時間の猶予があればあるほど、村一丸となり取れる手段や対策は多くなり、
結果、被害を最小限に抑える事が出来る可能性は増えていく。
そのため村では警戒専門の人員を固定で選出し、
ウィルナの父親もその一員として活動している。
また獣と遭遇した場合においては、
村の住民全てが無用な争いを避けるための行動を、
各種ごとに教え込まれている。
最近ではルルイアが八歳を迎えた数日後、
子供達三人は村の大人五人の保護者に守られ、
森の中で実践学習及び普段の復習が行われ、様々な知識を与えられた。
獣についてもその内の一つであり、
植物に関しても有益な効果をもたらす草花や樹木、
食用の様々な植物と食べ方などがあり、他にも様々な事を教わった。
更にこちらが捕食者となり獲物を追跡、
弓と矢で獲物を仕留める一連の流れを三人の子供達に教えたのは、
一緒に同行していたウィルナの父親だった。
ウィルナにおいては四年ほど前から数度に渡り、目にしていた光景でありながら、
初めて見た時の心をえぐるような衝撃は今回も変わらず、
瀕死の傷を負いながらも生き抜こうとうする命を奪う光景と断末魔は、
残酷そのままであり、ウィルナとロッシュベルは、
ただただ無言で立ち尽くし全てを見届けた。
普段は明るいルルイアも顔を逸らし、両手で顔を覆うほどだった。
奪った命を目の前に、大人達は片膝を大地につき、
両手を組んで目を閉じ、奪った命に謝罪と感謝を心の中で念じる。
子供達三人も大人達に続き祈りを捧げる。
当たり前だが、これで奪った命に償いができるわけではない。
これは人間という種に収まることなく、動物や植物という概念すら介入させず、
奪った命よりも遥かに多くの命を慈しみ、守り育てるという意思、
自身の罪に科した戒めと誓いであると、最年長のヨル爺様が子供達に伝えた。
お父さん達が僕たちに伝えたい事の全てを理解したとは言えない、
この世界には分からない事や悩む事ばかりだ。
だから学習し、訓練に励むのだ。隣に座る二人のために。
今朝も朝食で食べた食材達は、卵でもトマトだとしても、パンになったとしても
懸命に生きていたそれぞれの命だという事は理解している。
その命を受け取り続けている僕は、お父さん達が教えてくれたあの日から、
ほんの少しだとしても、周りの命に優しくなれているのかもしれない。
そして今朝の最初の学習は、読み書きと算数だった。
大きな木枠に砂を敷き詰めた砂板にカーシャおばさんが「七×八」と書きこみ、
答えを問われたルルイアが隣にいる僕に頭を抱えながら無言で答えを求めたが、
僕も無言の笑顔で返す事にした。
再度頭を抱え「ん~」と、うなりつつ砂板とにらめっこするルルイアだが、
この後の訓練が少し怖くもある。僕がボコボコにされなければ良いのだが。
人に優しくすることも難しいのだと、実感し理解した。