継承 伍
この大森林で子供達を見守り続けていたアルマが死んだ。
巨大樹の巨大な影のもと、
ウィルナは小さな荒野で繰り広げられた黒獣との戦闘で意識を失い、
瀕死ともいえる状態に陥りながらも生命の消失にひたすらに耐えていた。
ウィルナの左肩から右腹部へと大きく開いた鉤爪による傷からの大量出血、
胸部の尾による出血、これらの対処は臓器まで至らずまだ可能だった。
水で洗い、苔や草を選んで集めて傷薬を製作し、傷に塗り込み包帯を巻いた。
問題はウィルナの鼻と口からの出血、特に口からの吐血。
村にいた頃、魔獣防衛戦で傷を負った大人達を治療する手伝いをしていた時、
口から吐血する大人達を防衛戦の度に幾度も見てきた。
その殆どが助からなかった。
巨大な黒獣の鉤爪による攻撃よりも、
その前足、その巨躯に地面へと踏みつぶされた事による体内の損傷。
ロッシュベルとルルイアは何も出来なかった。
この世界に回復魔法などという自然の理に反する便利な魔法は存在しない。
壊れた全ては、もとの状態に戻せない。
失った全ては、再構築するしかない。
それでも二人はアルマに希望を見い出し頼り、すがった。
根拠も無く、確証も無く。
長い棒二本を毛皮の両端で丸めて巻きウィルナをのせ、
さらに長い棒で毛皮を巻いた棒に添え合計四本の長い棒を掴んで持ち上げ、
担架として毛皮を利用してウィルナを慎重に可能な限り最速で運んだ。
二人は何も言葉にせず、流す涙は既に枯れ、
トレスを先頭に飲まず食わずで休みなく走り続け、
四日半の行程を一昼夜と少しの時間で走破し、
夕刻前にはオルマの眠る、横に大きく開いた亀裂に駆け込んだ。
「兄さんを助けて、お願いだよ。助けて!」
「お母さん。ウィルにぃ死んじゃう。たすけてよ!」
ロッシュベルとルルイアは最後の力で懇願し、亀裂の中で倒れ込んだ。
うつ伏せの二人とも多少意識を保つ事は可能だが体がもう動かせない。
「おかあさん・・・」
顔だけ動かしたルルイアの目には立ち上がっているアルマが見えた。
立ち上がりウィルナを抱え上げ、起こしあげた。
優しくゆっくりと確実に慎重に。目に見えない何かを利用して。
アルマの巨大な赤く光る瞳の正面の位置まで持ち上げられたウィルナは、
両腕を大きく開き頭は力なく垂れ下がる。
それはまるで見えない十字架へと空中で磔にされた状態のウィルナの姿だった。
アルマの棘刺鞭がゆっくりと動き出し、
ウィルナの正面まで巨大な爪を動かして胴体の中心部に狙いを定め正面で止まる。
数秒後、アルマの赤く光る巨大な瞳が輝きを増しウィルナを貫いた。
ロッシュベルもルルイアも、何も口にはしなかった。
ただ口を開けて見守り、その目には驚きも不信感も存在しない。
『ウィルにぃ、大丈夫。きっとおかあさんが・・・』
意識の薄れるルルイアの視界に、
アルマの爪から解放されたウィルナがゆっくりと降りて亀裂の地面に横たわる。
次いで体が軽くなり、亀裂の岩の床から離れていくのが見える。
ルルイアの体とロッシュベル、二人も空中でウィルナ同様の姿となり、
ルルイアは巨大な爪で貫かれるのを目を閉じて受け入れた。
痛みは無い、衝撃も無い、ただ、アルマの温もりと優しさを体内で感じ、
貫かれた瞬間、意識外の何かと切れた感覚、
自身の意識と肉体の中心にある核とも呼べる何かと繋がる何かが切断された感覚。
ルルイアの薄く開けた目にはアルマの背の棘刺鞭が二本とも動くのが見えた。
『ロッシュもなんだね。』
ここでルルイアの意識は途切れ、
アルマは魔術を使用して子供達三人を自身の巨大な尾に並べて寝かせ、
その中にトレスも加わり三人とトレスは揃って眠りについた。
アルマは座りこみ尾を丸め、いつもの体勢となっているが瞳は閉じず、
赤く光る巨大な瞳で三人とトレスを優しく見つめ続けた。
三人は同時に目が覚めた。
アルマの巨大な尾に包まれてから丸三日目の昼を過ぎた時刻。
「あああああああああああ」
ルルイアが目覚めて直ぐ、
いつもの体勢で瞳を閉じたアルマの首に飛びついた。
ウィルナとロッシュベルも同時に涙を流した。
自身を包む尾の温もりは自身の体温しか感じない。
いつものアルマの温もりを三人は感じ取る事が出来なかった。
大声を出して泣き続けるルルイアはアルマから離れず、
ロッシュベルも背後の巨大な尾にしがみ付き嗚咽を漏らした。
ウィルナは自身の受けた体の傷が完治している事に気が付き理解した。
ウィルナは起こした上体を、
起こしていた片膝に当て両腕で包んで頭を埋め、声を上げて泣き続けた。
「んぐっ・・・ああああああ!!!・・・っ」
ウィルナは大声をあげて泣いた。
ウィルナ自身が傷を負わなければ、
ウィルナの傷にアルマが力を使わなければ、
アルマは今も赤い瞳で三人を見ていたのかも知れない。
「いやだああああっ。おかあさん、おきてよっ、おかあぁさん!!!」
未だ弱いウィルナ自身に怒りを感じた。
強くなったと思い込んでいた自分自身に怒りを覚えた。
実際、三人はこれまでの四年間、魔獣と命をかけて戦い続け、
今ではここに来る魔獣に負ける気がしなかった。
「ぅっく・・・ああああああ!!!!!!」
拳を固く握りウィルナ自身への怒りで発せられた怒りの声を含んだ鳴き声は、
ロッシュベル、ルルイアの泣き声と共に亀裂の中でひびき続けた。
四年半前、最初の洞窟にいた時と同じく三人は泣き続け、
そのまま夜を明かし、次の日も。
三人がアルマの側から離れる事は無かった。
不思議と食欲は無い。食べたくない。
三人の手元にあった水筒の水は飲み干し、
喉が渇いてもアルマの側から離れようとはしなかった。
「この森を出よう。外の世界を見てみたい」
最初に衰弱した声を出したのはウィルナだった。
ウィルナは立ち上がり歩き始めた。
ウィルナ背後の二人は声も無く動く気配すら無い。
それでもウィルナは歩き続け亀裂を抜け、滝壺の中心で前のめりに倒れ込んだ。
ウィルナの思考は止まっていた。
それでも『外の世界』という言葉は自然と口から出た。
不思議と村に帰ろうではなかった。
幼い頃に聞かされた『広い世界』。
ウィルナは立ち上がり滝の流れ落ちる水を両手で受け止め、
思いっきり飲み込んだ。
飲み続けた。
むせて咳が出た。
また涙が流れだし両手を滝の岩について泣き続けた。
「行こう。兄さん。あの時はごめん。傷は大丈夫かい」
ウィルナに問いかけたロッシュベルの『あの時』とは
黒獣戦の土操魔法の事だとウィルナは受け取り
「どっちも問題は無いよ。僕の力不足が原因だし傷も大丈夫」と、
涙を腕で拭い去ってから振り向き返事を返した。
ウィルナの顔を見て返事を受け取ったロッシュベルは、
滝壺の中心位置で腰を折り両手で水を汲み取って涙の跡を洗い流した。
滝の音を聞きながら二人は沈黙の時間を過ごすしかなかった。
「いっくぞおおおおお」
亀裂から駆けてきたルルイアが大きく飛んで滝壺に飛び込み着地した。
深い場所の水位でもルルイアの腰より低い水はしぶきを上げ、
ウィルナとロッシュベルに飛び掛かる。
ルルイアだけがいつも先駆けとなり気丈に振る舞う事で
ウィルナとロッシュベルの心を明るく照らし続けた。
ルルイアの頬にも涙の跡は色濃く残り、その顔にも衰弱の影は見て取れる。
アルマに一番懐いていたのはルルイアで、
この世界で『お母さん』と呼び続けた存在を亡くした今でも
意識を切り替え二人を支えようと努めていた。
「で~、どうやって外に出るの?」
当たり前の質問が顔を洗うルルイアからウィルナに飛んだ。
「洞窟とかにあった四角い石とか使うのかな?」
続けたルルイアにロッシュベルが腕を組みながら考え込む。
ウィルナも同じく固まった姿勢で考えるが出る方法がまったく分からない。
星夜の空間から転移した以上、再度転移する事、その方法。
三人は気配を感じ同一方向に振り向くとトレスがいた。
「トレス!怪我してるじゃない!」
ルルイアが駆け寄り赤い血の出所を注意深く観察し、
多少の裂傷を確認し他にも無いか調べる。
小さな顎にも付着した黒紫に光る魔獣の血も。
ルルイアを追ってトレスの近くまで移動した二人も、
トレスの後方に横たわる二体の羊猪を確認した。
「狩って来てくれたんだね」
ウィルナはトレスの頭を撫でて横に座り込み、トレスも横で丸くなった。
「ありがとうトレス。早速食事の準備を始めるよ。簡単なやつだけどね」
「まってて、傷薬つくってもってくる」
ロッシュベルとルルイアの声が重なり、
ロッシュベルは羊猪のもとへ、
ルルイアは保存出来ない傷薬を製作するための素材を探しに駆けていった。




