継承 壱
晩秋の太陽が世界を柔らかな暖色で照らしだす頃に目を覚まし、
ぼんやりとした目で気怠さを振り払い、草と毛皮のベッドから起き上がる。
視界に収まるその全ては、いつもと変わらない。
外に出て、毎朝同じ位置で空を見上げながら背伸びをし、滝壺へと歩き出す。
変わる事といえば、毎日の天気と気温くらいなのかもしれない。
草原に出来た一筋の土色の線上で、右手に見える岩壁の大きな亀裂の陰の中、
一体の蒼灰銀の巨獣とその尾に包まるもう一体を横目に歩を進めた先、
青緑色の滝壺にはロッシュベルが既に身支度を済ませて土鍋に水を汲み、
今から始める朝食の準備を行っている。
「おはよう。今日も早いね、ロッシュ。ルルはまだ寝てたよ」
「だろうね。ルルが早く起きた事は無いからね」
ウィルナは顔を洗うために膝を屈めてクスッと笑い、
ロッシュベルも土鍋に蓋をしながらフフッと笑う。
毎日繰り返す日常は心地よく、
静かすぎる大自然に包まれた今いる場所も、一帯が我が家として居心地も良い。
着心地が悪く窮屈なのは長年愛用し穴が開き引き裂かれた一張羅で、
もはや服ではなく布を体に巻いただけの格好にも似た状態となっている。
辛うじてその形状を保つに留まり、小さすぎる上着は中央から縦に裂かれ、
ベストとして着用され、丈は短く大きく開かれた胸部や腹部の肌は露出し、
ズボンも膝程度の丈も無く、横で大きく縦に裂かれた見た目は
まるで大きなスリットを入れているかのようだ。
現在のウィルナとロッシュベルは二人とも似た格好で、
この場所を離れる場合は、服の上から魔獣の毛皮を加工した装備品を着用し、
晩秋朝夜の寒さから身を守っている。
「また背が伸びたんじゃない、隣に来てみてよ」
顔を洗い終えたウィルナが土鍋を抱えて歩くロッシュベルに声を掛け、
同じ高さの地面の上で自身の伸長と手を使い比べてみた。
「やっぱりだよ。もうすぐ追い越されそう」
「そうかな。まだまだ兄さんの方が高いよ」
「んふふ~」「ちょ。その笑い方止めてよ」
可愛い弟の背が大きくなっていく過程が堪らなく嬉しく、
ウィルナの口から思わず変な笑い声が出た。
「今日は朝ご飯から豪華にしようと思う。収穫期だからね」
ウィルナに顔を向けながら歩き離れるロッシュベルがいつも作ってくれる料理は、
料理していた。文字に起こせば難しいが料理だ!。
焼くだけ、湯で茹でるだけでは無い手間を掛けた創作料理。
「そうだね。今日は来るだろうし・・・豪勢に頼むよ」
ウィルナは答えて空腹を感じながら滝壺の流れる水でうがいをした後、少し飲む。
「あぁ任せて、朝だし食べやすく料理するよ。香菜もあるし」
「あぁ、期待してるよ。それとご飯前にルルも起こしてあげて」
とウィルナは右手を上げて答え、広がる草原に点在する大岩に向かい歩き出す。
左右の腰に差してある木剣は子供用で長さは90センチ、
ウィルナが扱えばショートソードとなり、左右を両手で抜いて訓練を開始する。
いつもの場所でいつもの巨岩に向かい、自身の呼吸を意識する。
「フー。」
細く長く吐く息の音をその耳に、
距離を取った正面にそびえる高さ6メートルの巨岩に
過去の記憶の様々な魔獣を重ね、その動きを重ね、
様々な対処と反撃を何もない空間で繰り返す。
十分間全力で訓練を続け一分間で呼吸を戻し、それを約一時間集中して行い、
終了する頃には全身から汗が流れ、来た道を戻り滝壺へと歩き出す。
歩きながら精神と呼吸を安定させる事に努めて集中し、
防御魔法を発動し、薄氷を踏み拉く音を伴い構築完了させ、
再度発動構築し上書を繰り返す。
ウィルナの発動から構築完了までに必要とする時間は約七秒、
防御魔法は静かな水面に氷が出来ていく状態に似た過程を経て完了し、
完全な形で完了して初めて効果を発揮する、という知識を得て以降ウィルナは
そのための更なる時間の短縮と精度及び効果の強化の為、
毎朝このタイミングで訓練をしている。
滝壺に到着前で体を洗う事を諦め、ロッシュベルの方へと歩き出す。
「ちょっとウィルにぃ、なんで逃げるのよ!」
「いや、忘れ物を取りに行くだけだよ。気にしないで」
「忘れ物ってなによ?歯ブラシでも忘れたの?そんなの無いでしょうが!」
我が家へと歩を進めたウィルナに離れた位置のルルイアの追い打ちが発動され、
大声を出し真っ裸で髪を洗うルルイアにウィルナは困り果て、
返事をせずに背後のルルイアに手だけを上げて答え歩き続けた。
四年経ち、色々な事が変わった。
一番変わった事は三人の身体的な成長で、
特にルルイアは来月で13歳、明らかに男性とは違う体形に成長し、
ウィルナとロッシュベルは気を遣って接しており、
ルルイアにはそれが仲間外れに感じられ、気に入らないらしい。
ウィルナの声も声変わりしており、成長した体は16歳の年相応、
というには優しすぎる野性味帯びた肉体に変貌し、
多少細身で筋肉質な肉体は無駄な脂肪筋肉は一切なく、
この森で生き抜く為の理想体として成長し、普段の肉質は柔らかな質感だ。
「おはようトレス」
亀裂から駆け出しウィルナに飛びつく白犬は体高55センチ程度、
中型犬の大きさと重さだが、巨大な尾が背後に控えかなり大きく見えるが、
四年という時間を経ても、体は小型から中型と目立って大きくならない。
トレスを抱きかかえ、亀裂の陰の中、奥の蒼灰銀色の巨獣の顔まで近寄り
その巨大な顎に手を当て「おはようアルマ」と声をかける。
アルマは亀裂の陰の中で横になり、巨大な尾を丸めて耳以外微動だにしない。
過去には親犬と呼ばれ、現在は命名された名『アルマ』として呼ばれている。
子犬は『トレス』と名付けられた。
最初の冬、名を付けようと三人で話し合い、命名したのはウィルナで、
ルルイアが親犬を寝ぼけてお母さんと呼んだ事にアルマという名の由来があり、
トレスも親アルマと三人にとっての宝物という意味でつけられた。
因みに命名時から特に親犬に懐いていたためか、間違えた事に開き直ったのか
ルルイアだけアルマではなく『おかあさん』と呼んでいる。
ルルイアだけが記憶の中にすら父と母が存在しない、記憶が無い。
だからこそ始めて『おかあさん』と、
気軽に呼べる存在が居る事を幼かったルルイアは喜んだのかもしれない。
ロッシュベルは名前を付ける事に興味が沸いたのか、
「あれの名前は棘刺鞭にしよう!そうしよう。どうだい兄さん!ルル!かっこいいと思うんだ。ねっ、ルル、そう思うだろ!そう思わないかい?どうだい兄さん!?
にぃいさぁんっ!!」と、急に熱弁を開始、
親犬の背上でうねる二本の触腕とその先端にある巨大な爪を指さし捲し立てた。
草原の中、じゃれつく子供達三人とトレスの遊び相手をしていた親犬は、
巨大な赤く光る瞳で此方を眺め、ルルイアは横で大爆笑、
普段は見られない勢いのロッシュベルに両肩を抑えられたウィルナは、
「うん・・・」と答えた事もあった。
ウィルナはトレスを抱えたまま、家族ともいえる存在に挨拶をして亀裂を抜け、
穴を利用して作り上げられた家の前の石造りのかまどに移動し、
「もう少ししたらルルも来るよ。何か手伝おうか」と、
三つある内、一つのかまどで調理中のロッシュベルの背後から声を掛ける。
「そこにある肉、切って串に刺してくれない?」
此方を向かず、かまどの火に掛けた土鍋に何かをしながら返事が返って来る。
正面にある二つの台の様な形の大きな岩の片方に、爬虫類の皮が敷かれ、
その上に巨大な肉がドンと置かれ、その横に木の串と石造りのナイフもある。
「これだね、やっとくよ」
ウィルナはトレスを地面に降ろし、視界内にあった肉の置かれた岩まで移動、
石のナイフで肉を一片切り分けトレスにあげて、肉の串焼きの下準備に入る。
二人が黙々朝食の準備を進めているとルルイアも滝壺から到着し、
「テーブルに運ぶやつ何かある?」と二人に声を掛ける。
「あぁ、これを頼むよ」と声を掛けたのはロッシュベルで、
かまどの端の横に置かれた円柱状の腰の高さの岩に、
木で作られた深皿を並べていく。
角切りにされた脂身の多いい肉と、栗や数種類の木の実、香菜で煮込まれ、
少量の岩塩で味付けしたロッシュベル自慢の一品だ。
もちろん魔獣の骨からだしを取って本格的に仕上げている。
「オーケー、さすがロッシュにぃおいしそうだよ。他何かある?」
と言いながらルルイアはテーブルとして利用している平らな岩に四人分並べ、
置いた場所には30センチほどの幅の丸太があり、椅子として置かれている。
「これもよろしく」とロッシュベルに渡された大皿の葉物サラダは、
材料は野草で調理された、まさしく天然素材で中々にある意味で味の濃い品。
「後は取り皿とフォークとスプーンも頼むよ」「やっとくー」
後はウィルナが串に刺した肉を炭火で焼いで本日の遅い朝食は完成し、
皆が席に着き両手を組んで命に感謝し食事を始めた時間は、八時半を過ぎていた。
生活の安定に従いこの形式となり、トレスも食べる食材のみで共に食卓に着き、
食事量の配分は、朝が五割、昼と夜で五割の生活、この形態を長く続けてきた。
「今日は来るかな?二日ほど見ないから来ると思うんだけど?」
ルルイアが気にする存在は魔獣で、この場での長い生活で変わった事の一つ、
この場所自体に対する知識の量だ。
魔獣は半月集中して出現し、半月は姿が見えない。
魔獣の狙いはアルマ、次点でトレスか子供達三人、おまけ程度の存在みたいだ。
強い魔獣だけアルマに挑み、負けてアルマの顎に飲み込まれ、
弱い魔獣はアルマに、この付近一帯に近寄らない。
最初期に発見した羊猪は姿は見せず、馬も殆ど見ない。
様々な魔獣の姿、行動速度や攻撃力、攻撃方法などアルマの戦闘を見て覚えた。
魔獣は必ず同一方向から現れ、数も減らず、必ず何かがあると確信し、
出現方向も絞り込み、三人は過ごし易い秋の内に調査する事を決定した。
長めの朝食後、少しゆっくりとした時間を過ごし、
三人は離れた位置の五体の馬を発見、片付けをしていたロッシュベルが、
その手を止めて「あれが一番おいしい、あれは僕が狩るよ」と名乗りを上げ
「二人だと折角の貴重な食材を台無しにするからね」と付け加えた。
「そうだね、任せたよ」「はいはい」と、
ウィルナとルルイアが答えウィルナも馬を見るのは半年以上ぶりで、
たいして強くないため滅多に現れてくれいない。
「それじゃ行こうか。アルマにも食べさせてあげたいし」
ウィルナが立ち上がり、頭を撫でたトレスと共に馬に向かって歩き出し、
「そうだね、オルマにあげよう」とロッシュベルが後を追い、
「それいいね!おかあさんも元気になるよ」とルルイアが続いた。
子供達は毎日見ていたからアルマの元気が無い事を感じ取っていた。




