安寧 弐
家を出て、父とはすぐに別れた。
これから向かう先は村の中央から少し外れたそこそこ大きな広場。タオルを左手に持ち、竹を利用して作られた水筒の紐を右肩に掛けて歩いてゆく。
家の正面から延びる畦道を進んですぐ、隣に住んでいるヨル爺様とアサ婆様に気が付いた。
今老夫妻がいるのは右手側に位置する畑で現在は休耕田。村にある六つの畑のうち四つで耕作し、残り二つは休耕地として土を休ませ季節ごとに耕作地を循環させている。
二人は休耕地の育ってきている雑草の処理や肥料の追加など土の手入れをしていた。その作業中ウィルナに気が付いた老夫妻は、腰に手を当て上体を起こしてウィルナに手を振り笑顔を贈る。
幼いウィルナの低い目線にも開けた休耕地の老夫妻が良く見えた。だからなのかうれしくなり、思いっきり腕を伸ばし大きく手を振り返した。
それから少し歩いた先で、幼い少女の快活な声が後ろから飛んできた。
「おはよっ、ウィル兄」
歩みは止めず背後に振り返る形で声の主へと顔を向け、ミントグリーンの瞳に視線を送る。
「おはよう、ルルイア」
小走りで追いつき僕を追い越したルルイアは、正面を向いたウィルナの横で歩調を合わせつつ歩き出している。
背中の中央部まで達する赤色の強いレッドブラウンのストレートヘアは自身の歩調と風に流され、反射する陽光と踊るように揺れ動く。
前髪は眉の上で真っ直ぐ切り揃えられており、綺麗な瞳と丸みを帯びた幼いルルイアの顔に良く似合っている。
「もうすぐお誕生日会だよ。たのしみだね」
朝でも元気いっぱいのルルイアは、見た目どうりの陽気な大声に可愛らしい顔が笑顔に輝く。しかしウィルナは、陽光以外の熱を体の内側に発生したのを感じた。
不意を突かれたお誕生日会という言葉に、約三ヶ月前に行われたルルイア八歳のお誕生日会の記憶が呼び起こされる。
果実水と果実酒を間違えて豪快に飲んでしまった時の衝撃を体が再認識し、錯覚した口内は酸味の強いレモンでもかじった瞬間を連想させるように唾液が溢れる。
始めてお酒の味と感覚を知ったあの時の記憶は未だに鮮明。顔は熱くなり喉と舌は痺れるような焼けるような変な感じでイガイガした。
たまらず顔をしかめ、口を開いて舌を出した。「はぁー!」と、息を大きく吐き出し、涙目ですごく変な顔してたと自分でも思う。
それを見ていた一部の人が大爆笑。更に気が付いた他の皆まで大爆笑。父まで遠慮のない呵々大笑、笑いながら水を持ってくる有様だった。
次いで様々な言葉が飛んできた。
「まだ水はいるかい?」
「あと数年もしたら酒も水になる」
「お酒なんて飲めなくても不自由はしないさね」
「もう少しやるか?」
意味不明な言葉なども含め、笑い声が大いに混ざった集中砲火だった。爆笑と談笑の中心に置かれたウィルナは凄く恥ずかしくて小さくなっていた。
今思い出しても少し恥ずかしく、苦笑いがこみ上げてくる。
しかし、村の人口は少ない。娯楽も無い。その中で、『皆が笑顔になれたのだから』という見方が出来た時からいい思い出となっていた。
誕生日会の日は午後から村の中央広場にある集会所兼倉庫前で準備を始め、夕方近くから焚き火と設置されたテーブルに並べられた料理を囲み、ただ祝い楽しむ。
同じ村に住む誰かの誕生日を祝う事が、この村唯一の娯楽なのだから。




