琢磨 壱
声を荒げたカーシャの後ろ姿を三人は初めて見ていた。
言われた言葉は聞こえていたが、ウィルナの頭が理解出来ていなかった。
敵に立ち向かうカーシャの背を涙が溢れる目で見つめ、泣き声を上げる
三人の中で、ウィルナの横で聞いていたルルイアだけが
カーシャの言葉に従い行動に移した。
「しっかりしてよ!二人とも!!!」
ルルイアは、涙を流し放心状態にも似たロッシュベルとウィルナの手を取り、
涙の珠を落としながら走り続け、辿り着いた上下二つに割れた巨石に
小さな両手を当て魔力を込めるが何も起きず、
「なんでよ、なんで・・・」
ペシペシと巨石を叩き、力なく泣き崩れるルルイア、
ロッシュベルも止まらない涙を拭い、戦う母カーシャから視線が離れない、
目の前で泣く二人をその目にウィルナも口を堅く結んで涙を流し、
『二人』と今を改めて認識した。
『ロッシュとルルは任せたよ』
ウィルナは父親ダルナクの言葉を思い出し、
村の皆やカーシャの言葉を思い出した瞬間、体内に灯る熱を感じ、
思考にかかるモヤを打ち消し、視界は明確に広がった。
ウィルナは先に進めない理由を考え、すぐに答えを得た。
カーシャはウィルナに革鞄を渡して巨石に魔力を込める様に言った。
ルルイアが起動できない理由は只一つ、
ウィルナがカーシャから渡され、今両腕で抱えてる革鞄かもしれないと考え、
左腕で革鞄を抱え込み右手を巨石に当て魔力を込めた。
巨石に反応は無い、しかし数歩離れた巨石正面の空間に、何かが出現していた。
アーチ型ドアを思わせる形状、その空間は眩さを放つ漆黒だが黒一色ではなく、
一部が赤や青や紫に彩られ、無数の小さな輝きが夜空を連想させた。
ウィルナは思い出していた。
カーシャは口数の少ない人だが、間違った言動はしない。
ルルイアではなく、最初から託されたウィルナが二人を連れて、
巨石に移動し魔力を込めるべきだった事を、カーシャを
失望させたかもしれない事を後悔し、平常心を失う怖さ痛感した。
「母さん僕達行くよ!」
横でロッシュベルの声がする。
「お母さんありがとう!」
続いてルルイアの声も聞こえてきた。
後悔と母と呼んだ事が無いカーシャにウィルナは一瞬戸惑ったが、
今までの日々が、カーシャと過ごした毎日の記憶が溢れ返ると同時に、
カーシャがこの場に残り戦い続けている意味を、子供ながらに理解していた。
三人が入れるのなら、追って来るかもしれない敵を、
この場で食い止める為の何かをカーシャが実行する事を、
そして子供達三人は邪魔にしかならない事を子供達三人は理解していた。
カーシャは一人で百体近くの敵と対峙している、
更に別方向から新たな集団も向かって来ている。
子供達三人はこれが最後の別れになるかもしれない事も理解していた。
「お母さん!」
ウィルナはヨービルやアリエッサ、ダルナクや村の人達と別れる時と同じく
何も言葉に出来ず、溢れる涙を拭って戦い続けるカーシャに叫び、
ロッシュベル、ルルイア二人の後を追って星夜の空間に飛び込み、
三人を飲み込んだ星夜の空間と共に、その存在は巨石の前から消失した。
洞窟の地面は滑らかで、突起物の無い緩やかな起伏のまま先へと続き、
多少の粗さと凹凸があるが、手を当てても怪我を負う事は無いと言える側面が、
大きく右に湾曲した形状で進んでいる。
周囲は薄暗いが視界が無くなる程ではなく、
手や足元の地面及び多少の先は視認出来る程度の暗さだ。
背後は岩壁で塞がり行き止まりとなっており、
三人が蹲る先の洞窟中央の地面には、
高さ1メートル程度の小さな石柱がひっそりと佇んでいた。
この場所に着いてから、声を押しとどめても洞窟内部で響く三人の泣き声は、
やがて疲れ果て寝息と変わり、冷たい洞窟の地面で夜明け前の朝を迎えた。
カーシャを待ち望んで移動先の洞窟で過ごしたが、
直ぐにこの場所を離れなければならないとウィルナは考え行動に移した。
立ち上がったウィルナの動きでロッシュベルとルルイアも上体を起こし、
「おあよう」と、二人して背伸びをし寝ぼけた声をかけ、
ウィルナも「おはよう」と返し、
ウィルナは既に済ませてある身支度を二人が始める。
二人は協力して水筒からの水で両手を洗い顔を洗い、
うがいを済ませタオルで拭いてボサボサの寝癖を手櫛で直す。
二人を待っていたウィルナは、終わった頃合いを見計らい、
地面に置いてあったアリエッサから貰った革袋をルルイアに渡す。
「朝ご飯にしようか」
昨日食べるはずの昼食で、ルルイアが革袋から取り出した紙の包から、
微かなパンの香りを落ち着いた今なら感じる事が出来た。
父ダルナクの毎日作るパンとは別物で、
味と質の違いに驚いた約四年前から十回程口にしてきた貴重な物で、
違いは入手が困難な材料を使う為、偶にしか作れないと
残念そうに教えてくれたアリエッサから聞いていた。
ルルイアから大きな楕円形のパンを渡され口にした時、
今までの全てが思い起こされ、また涙が溢れ、
泣きそうになったが、ぐっとこらえパンと水だけという朝食を終えた。
他にも三人分の水袋、トマト、一つのチーズホールが、
ダルナクが持たせてくれた革鞄にもドライミートとナッツの入った小袋が
入っていたが、三人で食料も水も少しずつ消費する事に決めた。
『これからは僕が二人を守る』
昨日半日泣いてばかりだった、十分泣いた、その目に映った人達を思い出し、
今日の朝、寝息をたてる二人を見て誓いを立てた。
ウィルナは色々と考え、二人が起きる前から行動していた。
最初にやる事は一つ、今いる洞窟からの移動だ。
洞窟内部を調査した結果、湾曲した側面で見えない出口まで約20メートル、
動物、主に獣の類の痕跡は確認できず、全身金属鎧も、
洞窟内部及び出口付近から周囲を確認したが見当たらず現状はいいかもしれない。
ただ、洞窟内部に敵となる何かが侵入してきた場合、特に寝込みを襲われた際、
逃げ場はなく確実に誰か、もしくは全滅する。
安全な場所が最優先、次いで綺麗な水と食料も急いで探したいが、
探索自体が無謀ともいえる。だがここで終わるわけにはいかない。
過去、聖域とされるこの場所に入った事のある人はいなかった。
古くから村に伝わる伝承が子供達をこの場に導いただけで、
この場所が何なのか、何処なのか、存在する目的や理由、
洞窟入口から見た広がる緑の植生含め、どの様な生物が生息しているのか、
どうすれば元居た場所に戻れるのかすら分からない。
分かっていることは伝承のみで、
この地に古からの守護者と呼ばれる何かがいるかもしれないという事。
「周囲の確認をしよう。水や食べ物も探したいが慎重に行動しよう」
視界の先で暗がりの中パンを食べ終えたロッシュベルとルルイアに考えを伝え、
頷いた二人はウィルナを先頭に洞窟側面に手を当て、壁伝いに入口へと進む。
抜けた先、目が眩む太陽光の下に広がる草花と、
蔦の這う深緑の木々が一面を彩り、澄み渡る空気が三人を包み込む。
『今日からは僕が二人を守り抜く』
昨日までの弱い心の自分と決別し、今、決意の中に存在する確固たる覚悟を胸に、
ウィルナ自身にその誓いを立て「行こう」と二人に声をかけ、
背後にそびえ立つ巨大な岩壁の洞窟から三人で新たな一歩を踏み出す。