意に宿るは回帰か天望か(6)
戦場では敵も味方も無い。その場にある命の灯が只ひたすらに消えて往く。
奪われる側の疎外感はこの世界から隔絶されたようにすら感じ、弱者故に感じる憤りだけが降り積もる。
誰にでも優しく真っ直ぐなウィルナはヴィガ達にとっては善人だ。しかし繋がりの無い大多数の者達にとっては悪魔そのものとなるだろうウィルナの心の深淵は果てしなく沈みこむ。
「目を背けるな。これがお前が始めると言った人の戦いだ」
ヴィガは肩に担いだウィルナに諭して語りかけた。しかし咽び泣くウィルナの嗚咽だけがヴィガに返事として返って来る。
ヴィガがウィルナに何を言おうと止まる事が無い事は理解していた。
今現在は魔力を失い戦う力すらも無い。だからこそ魔力が戻った時のウィルナの反動がヴィガには恐ろしすぎた。
人の世界が破壊され、変革を迎える時代の狭間の黎明期。それは世界の異物とも言えるウィルナのような存在が世に出た時期に重なるのかもしれない。とヴィガには思えてくる。
そしてヴィガが抱える不安の種がもう一つ発芽した。
この世界では魔族に対抗しうる戦力として英雄と呼ばれる人が存在していた。
この国、ガリアリス公国のヴィガの親世代で云えばガウェイン・キーガーラや育ての親であるダルド・ケイディールの名が挙がる。
現在戦闘中の敵部隊長も英雄と呼ばれるに至る力量の持ち主で、ヴィガ自身も一年前の戦争で相対して敗北した実力者。
魔族にも対抗する手段としての力を有する英雄が魔王側についても英雄と呼ばれるのか。呼び名は変わり、魔王配下の魔将と呼ばれる事になるのだろうか。
広がる草原の戦場に女性の激しい叫び声と慟哭が、一際大きく響いて重なった。
メレディアは幼い頃から男勝りな性格で、メレディア自身も大きくなったらダルドと同じように騎士になると思い込んでいた。
しかしダルドはそれを頑なに拒んで否定した。メレディアを騎士にして戦場に向かわせる事を頑なに拒んだ。
ヴィガは持ち合わせた全てを努力で磨き続けた。しかし幼い当時からヴィガ以上の素質を持つ天才メレディアは持って生まれた才能を開花させて躍進した。
単純にセンスが良く、魔力が桁違いに強かった。人以上の力を持って生まれた才女、それがメレディアだった。ダルドやヴィガ達同様騎士になれなくてもメレディア本人は気に留めなかった。
メレディアの望みは只々力の頂きを見てみたい。魔族に勝てる人間になる。純粋な力のみを追い求め続けた。そんなメレディアをダルドが支え育て続けた。
ダルドはメレディアを、国境すら超えた全ての人を護り慈しむ守護天使のような存在となるべく育て、闇を照らす聖域のような存在になるべく願い続けた。
ダルド自身がメレディアの潜在能力に着目し、その性格と力故に将来を憂いた為だった。
『大きな力は全てを亡ぼす』
昔ダルドがヴィガに伝えたごく普通で聴き慣れたなじみのある言葉。言われなくても分かっている。ヴィガはそう思い込んでいた。実際は理解出来ていなかった。
ダルドはメレディアの暴走を恐れ、憎しみしか生まない闇色の戦場には出さなかった。暴走した時、メレディアを止める力も術も人には無い。それ程の力を秘めた存在だった。
人を魔族から守護出来る程の力を持つ英雄が人に反旗を翻した時、人々はその英雄を何と呼ぶのだろうか。
メレディアは一人になっても敵集団の渦中で戦い続けた。孤軍奮闘負傷してもどこ吹く風か、昂る意識が痛みすら抑えて敵と斬り結ぶ動きに拍車をかけた。
「副団長!」
そして見つけた巨躯のダルドの姿にメレディア自身の声が強く重なる。
ダルドは両膝を街道について座り込んでいた。両腕は力なく垂れ下がり、右手の傍の地面にはダルドの巨大な戦斧が朱に染まる。
メレディアはダルドを見つけた瞬間転進、邪魔な敵兵を斬り伏せつつ傍へと駆け寄った。
座っているだけだ、休んでいるだけだと思っていた。敵のど真ん中であり得ない事だとしても、そう願わずにはいられない。
しかし、メレディアが見つめたダルドの体には無数の傷が刻まれ朱色が流れる。致命傷となった傷は胴体を貫通して血濡れの刃突き出した槍三本。全てが背後からだった。
メレディアは邪魔する敵を寄せ付けない為、自身とダルド周囲の空間を蒼に揺らめく光球で埋め尽くした。
「お父さん。今日まで有難う」
孤児のメレディアに両親の記憶は無い。そしてダルドを父と呼んだことも無かった。その認識はあっても有名人過ぎる父を持つと反発心も強くなる。
結局役職の副団長と呼び続けた。ダルドの存在は嬉しくもあり恥ずかしくもある程に誇らしすぎた。
だからこそメレディアはダルドの傍で膝を屈して囁いた。これが最後なのだから。
「認めない。認めたくない」
貫かれた槍で横にすらなれないダルドの肩に頭を付け、そっと寄り添った。
ダルドの声を聴く事は二度と無い。大きな手で頭を撫でられる事も無い。戦場での大切な命は誰に看取られる事も無く、人知れず虚しく寂しく消えて逝く。
ダルドの近くには獣化した獣人達の姿もあった。どの人狼も傷だらけで死闘の果ての壮絶な絶命だった事が見て取れた。
この場に来るまでギャリアン含め、見知った仲間達の倒れた姿が脳裏を埋めた。
「敵は半分以下になってたよ。――皆も最後まで勇敢に戦ってくれたんだ。二十三人とライカン九人で、こんなにボロボロになるまで。――後は、私がやるから心配しないで」
メレディアは自身の言葉で現実を再認識して涙を浮かべた。
傍にいて欲しかった。話したい事は山ほどあった。死に別れるには早過ぎた。失った認識が強いからこそ、ダルド達がいない未来を歩み続けなければならない事が辛過ぎた。
「あああああああああっ!!!」
嗚咽はダルドの巨大な戦斧を握る頃には悲痛な叫びとなり、激しい咆哮のような慟哭と共に解放された魔弾の放射で周囲は蒼い炎に埋め尽くされた。
メレディアの心の中心に、確かに存在していた何かが破壊されて奪われた怒りの発露。それを体現する病的で絶叫じみた野獣の咆哮。
メレディアの焼け付いた理性。男勝りな性格は悪く言えば粗暴で残虐。
「我が父、ダルド・ケイディールが長女!メレディア・ケイディールがお前らを焼き尽くす!――覚悟しろっ!!!」
敵集団に取り残された単身のメレディアはダルドの戦斧を構えて叫んだ。一緒に突撃した仲間達は既に力尽き、周囲は敵部隊の重装歩兵で埋め尽くされた。
それは仲間達への誤射が無いという事。解禁された魔術を全力で使用出来るというアドバンテージ。残敵は百も無い数。仲間の無念とメレディアが感じる怒りの捌け口としては少なすぎる数だった。
メレディアの悲痛な叫び声を聞いたヴィガは戦場に入って理解していた。ダルド達の命の喪失を受け入れていた。だが、メレディアの悲痛な慟哭が精神を痛烈に切り裂く。やはり耐えられない感情が伝播してこみ上げてくる。
ヴィガの父は辺境で暮らす騎士だった。ダルドの戦友だったとも聞いていた。
そこまでで、実の父の記憶は少ない。その代わりとなり、ヴィガの心を父として埋めてくれたダルドという存在の喪失がヴィガをも狂わせた。
「ダルドさん。・・・メレディアッ!・・・ああああああ」
怒りに支配されたヴィガは独り言のように呟いた。左肩に担ぎ上げたウィルナの体重を感じ、その命の重さを感じていた。
横には黒馬に跨ったばかりの姉のユーイルと妹のメシュイラ。負傷した三人の安全を考えれば後退すべきだった。
しかしヴィガの決断は違った。視線は昨年敗北した敵部隊長に向けられた。
「行きましょう。私達が前に出ます」
声に導かれ馬上から視線を下ろしたヴィガは、左手に持つ両手剣を肩に担ぎ上げて前を歩き出したユーイルの姿を確認した。
「馬は負傷が一番ひどいウィルナさんが乗ってください。子供達がいるんですよ、急がないと」
そう口にしたメシュイラが姉の後を追いかけ、迫り来る敵重装歩兵たちへと歩き出す。
「下ろしてください。僕は大丈夫です。行きましょう」
肩に担いでいたウィルナが体を動かしヴィガに言葉を力強く贈った。
自身の負傷度合はウィルナ自身が一番理解出来る。激しい出血に熱を帯びた激痛は泣きたくなるほどだ。だがまだ生きている。致命傷でもない。ヴィガの枷にはなりたくなかった。
「僕は子供達を守ると約束しました。力が無くとも子供達の傍に居たい。敵には全力で刃を振り下ろすだけです」
ヴィガの耳に届くウィルナの声は冷たく響く。ウィルナの見る世界は、敵か味方で確実に二分されていた。
「守ってやれんが良いんだな」
「勿論です。安全な戦いなど、どこの世界でも存在しません」
「そうだな。だが、所詮相手は人間種。魔族達に比べればどうという事も無い」
言いながらヴィガは微笑んだ。共に戦い声をかけてくれる仲間がいる認識。心強さと有難さに、溢れんばかりの怒りは静かに燃える闘志へと変換される。
「えぇ。僕もここで終わるつもりはありませんので」
言い終えたウィルナは自身が選び、愛馬とした黒馬に移動して跨った。
ウィルナの馬上からの高所目線で視界は広がり、見回した戦場を初めて認識した感覚を覚えた。正面ではユーイルとメシュイラの二人が両手で持つ巨大な武器を振り回して既に敵と交戦している。
「多くの命が溶けて流れる。これが人生の最後なら育ててくれた両親も嘆きますね」
ウィルナが馬の足を進めだしたヴィガに声をかけた。
「言ったはずだ。善人含め多くの命が奪われるのが戦争だ。これが俺達が始めた戦いの現実だ」
前を進む白馬に追従する黒馬。黒馬に跨るだけのウィルナに返したヴィガの声には怒りと同量の悲しみが含まれた。
軍人が民間人に躊躇いなく刃を向ける人間という種族に愛想を尽かしたとも言える。
「そうでした。喜ばしい事か、敵が増えましたね。全て叩き潰しても怒りの濁流が収まりそうにないですが」
「心配するな。二国間の戦争は同盟国にも飛び火し、やがて世界中に拡大燃焼する。敵は世界中に現れるという事だ」
「それは世界中の獣人さん達を奪う口実に丁度良いですね」
「そうだな、ネイロと約束した。この世界に獣人達安住の地を創る」
「先ずは目先の敵の始末からですね。戦えなくて済みません。出来る限り邪魔にならないようにします」
ヴィガは魔力という戦う力を失っても、戦う意思を失わないウィルナの言葉に苦笑した。そして正面で戦闘継続中のユーイルとメシュイラ姉妹に目線は奪われた。
二人は獣人奴隷だった。武器の扱い方すら知らない筈だった。
姉妹二人が巨大な剣と斧で交戦する敵重装歩兵は技量格上の相手だった。しかしそのことごとくをがむしゃらに粉砕する単純な力。
「柔よく剛を制すか。理想はあくまでも理想。出来ないからこそ理想。絶対的な力の前には無力。これが獣人か。中でも二人は特別だな。くくくっ、技術を教えた将来が楽しみだ」
ヴィガは必ず来るだろう未来の自軍の軍容を想像して笑い声が漏れた。
ウィルナが世界に悪意を巻き散らし、覇を唱える魔王と呼ばれる事になるのなら、保護者として参謀として支える決意は固まった。
「――やるか」
数秒の硬直後、ヴィガ正面で交差させた陽光輝く双剣に蒼炎業火が宿って揺らめき、双剣の一振りが蒼の熱波の弧を描いて空間を断裂する。
発動まで時間のかかる魔法剣。防御魔法であるマナスキンと防壁魔法のリフレクションを併用し、自身や双剣への魔法被害を遮断して初めて使える高等技術。
ロングソードだけでは攻撃範囲限定感が否めない。それを補うためにヴィガとメレディア二人が協力して独自に編み出した努力の結晶である魔術だった。
「悪魔に魂を捧げたんだ。――それらしく、この場の全敵を全力で焼き尽くす」
ヴィガの決意を秘めた言葉は、跨る白馬が敵集団へと駆けだすのと同時だった。




