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ウィルナの願い星 Self-centered   作者: 更科梓華
第一章 終幕 ~厄災の起日、それは誰かの不幸で誰かの幸運~

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意に宿るは回帰か天望か(3)

ウィルナが目にした光景は、誰かが口にした『人間こそが悪魔だ』という言葉を、押し付けられるように思い出させた。


ヴィガの口から出た言葉か(ある)いはディロンか。


二人ともウィルナが愕然と眺め続ける戦場の悲惨さを、自らの瞳に焼き付けて帰って来た心傷者。似た様な言葉を二人から聞いた気がした。


休息地を襲撃した騎兵はダルド達に突撃した騎兵部隊の生き残り十数人。


子供を腕に抱いて庇った女性は、馬上から振るわれた剣に背中を大きく切り裂かれた。


手斧を片手に抗おうとした男性は人馬一体となった槍の一突きで、胸部中心を串刺しにされて激しく吹き飛んだ。


ウィルナは力無く口を開き、声無き声を上げて呆然と休息地の惨状を見渡した。


視覚は血飛沫を舞い上がらせて散り逝く儚い命の最後を凄惨に伝えた。


聴覚や触覚は巻き起こる悲鳴はおろか微細な振動すら明確に伝え、この世界の残酷さと人間の浅ましさだけを意識に植え付け続けた。


「皆、中央に固まれ!」


ヴィガの大声はどの悲鳴よりも周囲に響き渡り、ウィルナも蹂躙し続ける敵騎兵から目を逸らして駆けだした。


ウィルナの視界はベリューシュカの細く小さな背中で埋め尽くされ、二人の手は強く握られていた。


ベリューシュカは『今度は私が守るから』という言葉を実行に移した。


守れる力を持って無い事は自覚していた。左手に持つ片手斧は、正確に扱える力さえ無いのかもしれない。それでもベリューシュカは出来る最善を必死に考え続けた。


馬車に隠れ続けても見つかれば確実に殺される。だったらと、ウィルナの手を強く握ってヴィガの下に駆け出した。


ウィルナに寄り添い、牙を剝き出しにするトレスの存在も勇気づけてくれた。


懸命に駆ける二人とトレスはヴィガ達の集団から孤立していた。狙われる事は確実だった。


騎馬兵の一人が馬の手綱を強く引いて方向転換。先頭を懸命に走るベリューシュカに、横からすれ違いざまの斬撃を振り下ろした。


魔力を失った無力さ故に感じる無気力さ。抗う事を初めて諦めたウィルナにはどうする事も出来ない程に一瞬の出来事だった。


トレスだけが反応した。棘刺鞭を瞬時に伸ばして敵兵の胴体に二本の爪を突き立てた。


だが、エイナの馬車でひっそりと眠り続けていたトレスには急遽開催された恐怖と殺意が交錯する血の饗宴。人間個体の識別が困難。敵の人間が判別困難だった。


一瞬遅れた反応が最悪を招いた。


ウィルナは崩れゆくベリューシュカの姿を視界に捉え続けた。


強く握った手は大地に引かれるように下げられた。倒れ込んだベリューシュカに寄り添うように上体も屈んだ。


この世界は美しい。


だが、この世界に暮らす人間の大部分が獣同然。この世界を醜く歪ませる悪意そのもの。


ウィルナは力無く倒れたベリューシュカの横に座り込んだ。


馬車の荷台でベリューシュカに抱きしめられてから、夢の中にいるように思考がぼやける。動かなくなったベリューシュカの手の感触すら実感を伴わない幻のように感じる。


「くそがあああああ!」


ヴィガは敵兵がウィルナ達に迫るのを確認した。しかし守りたい人が多すぎた。間に合わず目の前で惨殺された事に対する苛立ちはヴィガの感情を昂らせた。


ウィルナの遠のく意識に白馬の蹄の音とヴィガの咆哮が聞こえた。


頬についたベリューシュカの血が流れて冷たい液体の感触を伝えた。


(これは夢だ。いつか醒める悪夢――)


ウィルナは動かなくなったベリューシュカの肩に片腕を回して抱き上げた。視界は遠くを見つめて定まらず、受け入れ難い現実を直視出来ない。


ベリューシュカに意識があるのなら「ひいいいっ」と叫んでいた筈だった。


しかし視線を落とした前髪の隙間に見える瞳には光が宿らない。命を失っても尚、流れ続ける赤い血がウィルナの手に生きていた温もりを実感させた。


この世界は残酷だ。人間は愚かしい。その一部が戦争という形を取って無垢な人達の命を簡単に奪い続けた。


ウィルナは無表情にベリューシュカを抱き上げた。


目を向けた休息地中央にはメレディアがリーダーとなって集団を統率し、皆を守り続けている。獣人達は騎馬兵達に抗い一斉蜂起していた。


ベリューシュカを抱いたウィルナは歩き始めた。ベリューシュカが最後に目指したメレディア達のいる場所に。


ウィルナの視界には避難民達の遺体多数も散見される。昨晩見た心を満たす優しい光景は幻の様に消え去り、映る世界は白昼の明るい地獄そのものだった。


この世界は美しい。


それを形作ってくれた人達の多くが凄惨な死を迎えていた。


ウィルナは何故自分だけが未だ生きてるのか理解出来ない。何故必死に生きようとしていたのかさえ理解出来なかった。


ウィルナは近づいて来る騎馬兵に攻撃しては戻って来るトレスの姿を見つめた。


弟や妹には会いたい。しかし、それ以上に今の自分が姿を見せても迷惑になる。その思いが無気力感を強くした。


「この場は持ち直した!逃げれば全員を守り切れない。ここで死守するぞ!」


「了解!」


ヴィガが先頭で白馬を止め、その後ろに騎馬した男達数人が連なり声を上げた。


休息地中央で形成する集団に、トレスに護衛されながら辿り着いたウィルナは獣人達に出迎えられた。


獣人達が一番心を許した存在が、一番無害で気弱だが優しい笑顔を見せるベリューシュカだった。


人付き合いが苦手で引っ込み思案だったベリューシュカも、獣人達の怯えた様子に出来る事を探し続けた。暗い顔に光を灯す為、勇気を出して話しかけては笑顔を振りまき続けた。


獣人と人間の心の架け橋となってくれていた人の無残な姿に、獣人達の怒りは沸点を超えて煮えたぎった。


「行くぞ、お前達!これはこの人の恩に報いるために始める俺達の戦いだ!」


勇ましい声を上げたのはウィルナの前に立ってベリューシュカの髪を整え、ベリューシュカの瞼を優しく閉じた獣人男性。一番最初に貴族屋敷から解放した一人だった。


「ああ、行こう!」


「俺も行くぞ!一宿一飯の恩には報いる」


「俺も行こう。人間共に思い知らせてやる」


人間の避難民達を守るように周囲展開していた獣人達。その中から一人、また一人と声を上げて持ち場を離れ出した九名の獣人男性達。


「お前達の無念は俺達が晴らす」


進み出た男達に交ざるネイロはウィルナの肩に手を置いて語りかけた。只々呆然とした表情を浮かべて見つめ返すウィルナが、何を思い何を感じているのかは察する事すら叶わない。


だが、ネイロも大切な人を失う痛みは感じ取る事が出来た。


雇い主は残虐な嗜好性を持つゴミ屑みたいな主だった。


ある時何かに苛立っていた主人が、どちらかが死ぬまで戦い続ける事を強要した。普段から戦う事を強要されてきたが殺し合いは初めて。しかも相手は猪や狼では無く実の兄だった。


命令に従い互いに距離を取って向かい合い、両者の手には直剣が握られた。初めて握った剣は、重さより肉に食い込む爪の方が気になった。


開口一番「俺は死にたくない!」と叫びながら突進してきたのは兄だった。互いが掌に食い込む爪を気にせず剣を振り回した。


剣技はおろか、戦闘訓練すらまともに受けた事の無い二人はがむしゃらに戦った。


泥仕合のような戦いの中、必死な形相で攻撃を続ける兄。防戦一方の弟。


そして兄の力任せな斬撃に体勢を崩した瞬間、二人は倒れ込んで勝敗は決した。


弟であるネイロは兄の笑顔をその目に焼き付けながら、兄の首から流れ出る血を顔に受け続けた。


全ては兄が弟を守るための演技だった。最後はネイロの剣を掴んで自らの首を貫いていた。


呆然となったネイロは、力を失った兄の体の重さをその身に感じて動けなくなった。声も出ない。涙さえ出ない。胸を打つ激情が限界を超えた時、精神崩壊を避ける為に無意識の空白を創り上げていた。


ネイロは兄に生きて欲しかった。兄が最後に見せた笑顔が脳裏に焼き付き、後悔の念だけが心を束縛し続けた。だが、今なら兄の行動に心から感謝する事が出来た。


自らの意志で自分の為の戦いでは無く、誰かの為に命を捨てて戦う事が出来る。


守りたいと思える存在を身近に感じる今、兄から受け継いだその意志は確実な光となってネイロが進む道を照らし続けた。


「行こう、みんな!」


ネイロが上げた声に八人が頷き、マントを外して上着を脱ぎ去った。


「お前達っ、何をするつもりだ!死ぬぞ!!!」


周囲警戒を行っていたヴィガはネイロ達の行動に気が付き、慌てて声を荒げた。


こんな筈では無かった。


まだ若い獣人達が穏やかに暮らせる場所を見つけて見守り続ける筈だった。苦難な日々の記憶にも負けない程の幸せと安らぎを誓った筈だった。


しかし、ヴィガの悲痛な叫びに応えたのはネイロ唯一人。


「俺達の分まで仲間達の事を頼んだ。お前達なら信用できる」


ネイロはそう口にして、小さく優しく微笑んだ。不思議と恐怖は感じない。仲間達や兄の笑顔が勇気をくれる。強くあり続ける覚悟をくれる。


「やるぞ、みんな!――俺達は狼だ。だが獣に成り下がる事は無い!俺達は誇り高いライカンスロープだ!」


「おおおぉっ!」


暖かい真冬の青空の下、男達もネイロが声高に口にした言葉に応えて歩き出す。その足元には靴やズボンが点々と脱ぎ捨てられていった。


そしてそれぞれが獣化を開始。


獣化による変身が全身に凄まじい激痛を与え、それぞれが唸り声を上げて体を激しくよじった。


それを目の当たりにした人間達も悲鳴を漏らすが、近くの人達がその口を手で塞いだ。皆が命を懸けて戦ってくれようとしている獣人達に、少しでも敬意と感謝の気持ちを伝えたかった。


「ふふっ、そうだった。忘れていた。――お前達は自分勝手だったな」


ヴィガは獣化した九体を眺めながら苦笑した。人狼達が上げた野獣の咆哮に、怯えた白馬を御す事が大変だ。


「逃げても追撃されれば半数近くが命を落とす。――やってくれたな、エイベル。この借りは必ず返す」


最早進退極まった状況のヴィガは白馬をなだめ、ダルド達がいる戦場に突撃を開始した人狼達に目を向けた。


「この場の守備は獣人達に任せる。私達も出るぞ!」


ヴィガは『そう来ると思った』と感じながらメレディアに視線を向けた。メレディアは冷静さを繕いながらも苛立ちを声に乗せていた。


負けず嫌いの彼女がやられっぱなしで素直に引く筈も無く、突撃した人狼達やダルド達をほっとく筈も無かった。


「兄貴や親父が戦ってるんです。俺も戦えます!」


「私も弓なら扱えます」


緊張からか極端にでかい声を出した青年。その背後には若い女性が寄り添うように立っていた。二人は恰幅の良い男性の息子夫婦だった。


二人が真剣な表情で見上げた馬上のヴィガは、対応に困って口を閉ざした。


戦闘は過酷だ。戦場は悲惨な光景しか記憶させない。若い二人には幸せな時間だけを人生に刻み込んで欲しかった。


しかし若人二人に触発された避難民達全てが声を上げ始め、口々に出来る事を馬上のヴィガに大声で伝えた。


ダルド達の願いは一人でも多く生き延びる事。だったら戦い抜いて生き残ると覚悟を決め、皆が戦場に送り出したダルド達に報いようと声を上げていた。


「決まりだ!これで此方の戦力は百!敵兵共を駆逐するぞ!」


メレディアは右手のロングソードを高らかに掲げ、周囲の決断に最後となる意思表示を問うた。勿論周囲から巻き起こったのは、集団が上げる「おおおぉっ!」という叫び声。


ヴィガもその姿には何も言えなかった。誰もが自分の不安しか感じない意志とは違い、過酷な戦場に足を踏み入れようとしていた。


だが、心強さも同時に感じた。誰かの為に命を懸けて戦える優しい人達だからこそ守りたいと強く思えた。


「獣人達が騎馬隊の第二陣にぶつかった!爺さん婆さんは子供達と早く馬車に!」


「やってやる!俺だって無属性のマジックボールくらいは使える!」


「ふふふっ、俺も無属性だが上位のマジックバレットだ!」


「どちらも変わらんじゃろがい。ちなみにワシはマジックアローな」


「なっ、爺さん。年甲斐もなく出て来ないでくれよ!」


「ひゃっひゃっひゃ」


ヴィガは周囲の決断を尊重し、最善策を思案しながら馬を走らせ始めた。


「ばらければ的にされる。隊列は馬車を後列にした縦陣で行こうと思う。馬車ごと敵陣と打ち合う事になるが、こうなれば仕方ないか」


ヴィガはメレディアの傍まで馬を走らせて早口で述べた。敵が迫る中、作戦会議に時間は使えない。それでも一人で考えるよりは良い案が出て来るかもと期待した事自体が無駄だった。


「だったらその馬よこせ。私が敵陣に斬り込む」


「お前なぁ。こんな時に馬鹿な事は言うなよ」


「どこに面白発言があったんだ。早く降りろ」


「お前は馬車の護衛だ。皆がお前の指示で動いてるんだ。抜けてどうする」


「チッ!」


「はぁー」


ヴィガは幼い頃から何度肩を落として落胆したか覚えきれない。


口を開かなければ容姿端麗なクールビューティー。そこらの貴族令嬢より気品さえ漂うメレディアの舌打ちに溜息しか出ない。


「ヴィガさん準備出来ましたよ。騎馬出来る人達全員です」


ヴィガの背後から青年の声と馬の足音が聞こえ、手綱を操作して馬の鼻先を方向転換。振り向いた先には騎馬した青年達二十三人が片手剣や槍を握りしめていた。


ヴィガの目に映った青年達はいかにも貧弱。父や兄から剣術の手ほどきは受けていたとしても、本職は料理人や家具職人に鍛冶屋などの見習い職に就いた一般人。


頼りない青年達の多くが命を落とす不安はヴィガ以外の者が見ても認識出来た。青年達もそれを理解していた。それでも決意を宿した瞳でヴィガの指示を黙って待ち続けた。


決意を宿したのは青年達だけでは無かった。迫り来る騎馬兵に対抗する為、木蓋や革製バッグなど身を守れる物を抱えて馬車の前面に集合体を形成していた。


ウィルナは未だ呆然と立ち尽くしていた。


ウィルナに聞こえて来る声は活気に満ち溢れ、今の自分に追い打ちを掛けるように感じた。何も出来なくなってしまった自分には、心を痛める事しか出来なかった。


「お兄ちゃん、だいじょぶ?」


ウィルナはマントを掴んで引かれる感覚と、ミスアの心配する声に視線を向けた。


ミスアを含めた子供達四人は不安だけを含んだ表情でウィルナを見つめ続けた。


ミスアに続いてキーラが足元に抱き着いて来た。そして無言のイズ。それからオーストが無理した笑顔を見せてウィルナを励ました。


子供達四人がベリューシュカと過ごした時間はかなり短い。それでも優しくしてくれたお姉さんだった。子供達は今でも優しいベリューシュカに抱かれた感覚を鮮明に覚えていた。


「今度は私が守ってあげる」


ミスアがウィルナの足を強く握りしめて呟いた。


「僕もいるから安心しなよ。人間達に負けたりしないから」


オーストもウィルナに笑顔を送り続けて言葉を添えた。


キーラやイズはウィルナのマントに顔を深く埋め込んだ。


(守る?違う。守るのは僕。子供達や皆を守ると決めていた)


ウィルナはベリューシュカの状態を理解している子供達を眺めて漠然と考えた。


音は聞こえる。血臭漂う匂いも認識出来た。空気を吸い込めば呼吸が出来た。自身の心臓の鼓動を感じ取って生きている事を実感した。


まだ生きてる。何も出来ない筈が無い。何かをしようとしなかっただけだった。


顔を上げたウィルナの周囲は獣人達が取り囲んでいた。皆がミスアや子供達を信じ、ウィルナに全てを委ねて決断の時を待っていた。


「僕達も戦いましょう。僕は力を失いました。だから皆さんの力を貸してください」


獣人達は黙って頷いた。群れを統率するのは力を失ってもウィルナだった。


そして女性二人がウィルナの前に戦弓と矢筒を手に進み出た。一人はウィルナが大切に抱き上げるベリューシュカを引き取った。


ウィルナは自分の相変わらずの馬鹿さ加減に愛想をつかした。


冷静に考えれば簡単な事だった。魔力を無くしたのに無理して巨大な剣を手に取る必要は無かった。


魔力を失った以上敵兵の殆どが格上かもしれない。接近戦が不可能なら遠距離戦。長い期間弓を使用して無いが、握りしめた弓の基本動作は体が覚えていた。

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