意に宿るは回帰か天望か(2)
足元から伸びる土色の街道は幅広で緩やかな直線を描き、左側に生い茂る森の端へと湾曲して消えていく。右手には樹高の高い木々が疎らに乱立する林を形成する。
両側の木々まで広々とした草原が埋め尽くし、中心位置の土色街道一本道がアクセントとなって、緑を誇張した自然の素朴な景色を見せている。
「良い天気じゃないか」
まん丸な中年男は細い目を更に細めて空を見上げ、穏やかな口調には似つかわしくない棘付きの鋼鉄製両手槌を肩にズシンと担ぎ上げた。
陽気な快晴の中、男が両手で抱える巨大な戦槌が釣り竿だったなら、近くの小川にテクテク散歩しながら赴いている様にも見えた。優しそうで恰幅の良い男には、そちらの方が似合いそうだった。
「あぁ、今年は冬が来てないように感じるほど暖かいな。こんな日には、のんびり昼寝でもしたい気分だ」
まん丸な男性に返した初老男性は左頬の二本傷を摩りながら苦笑した。
背後には仲間達やその息子達が集団で歩き、景色の良い場所でも見つけてバーベキューでもしたい気分だった。言葉通り穏やかに過ごしたいと心から願っていた。
だが、二人の前には巨体に見合う巨大な両手斧を肩に担いで歩くダルドの大きな背。目の前の現実が世界の残酷さを突きつけ、二人に苦笑いさせ続けた。
それは人間社会の中でも行われる自然の摂理で弱肉強食。
今回の場合は二十三対五百という圧倒的戦力差が生み出す数の暴力。二人の視線の先にはバーキス兵の集団が隊列を成して行軍していた。
敵集団は歩兵が五人一列となって縦列隊形で行軍し、二列の騎馬隊が歩兵の隣で並走している。
「副団長。あれでも臨戦態勢なんですかね。もしかしなくても、なめられてますかね」
「判断出来んな。道幅は広いし草原も使える。横に広く横陣を取ってもい筈だが。いや、俺達を囲むために取るべきだが」
ダルドは背後から聞こえた部下の質問に正確な答えを導き出せず、率直な感想だけを述べるに留めた。
ダルドも出来れば戦いたくない。大切な仲間や家族が命を落とす戦場など願い下げだ。避けられる戦いならば避けるに越した事はない。
しかし敵部隊は騎馬隊前方を切り離し、騎馬兵約五十が馬を走らせ敵部隊正面への展開を開始した。
「やるようですね。歩兵部隊先頭の騎馬兵四人。あれのどれかが敵部隊の指揮官と補佐官でしょうな」
「そうみたいだな。幸先の良い事だ。あのまま敵部隊の先頭にいてくれれば尚良いが」
「しかし敵も良い装備してますな。先遣隊が重装歩兵とは。――私らも鎧が欲しいですな」
恰幅の良い男が行軍して来る敵歩兵の光を反射する鋼色を見て、笑い事の様に呟いた。敵の重装備に対する自分達は普段着の防具無し。武器さえ持っていなければ只の一般人と違いが無い。
「そう言うな。鎧は埋めたが誇りまでは埋めとらん。我が生涯最後の戦場、あの世で会う仲間達に良い笑い話を持って行ける」
「そうですな。――で、どうしますか副団長。敵騎兵がそろそろ来ますよ」
「勿論予定変更だ。足を止めて迎撃する。馬は狙うなよ」
「いつも行き当たりばったりですよね」
「はっはぁ、そこは臨機応変と言ってくれ!――ギャリアン!予定変更だ!煙幕弾で騎馬兵を叩くぞ!」
「はいはい。敵の馬を奪うんですね。――皆さんそういう事らしいですのでよろしくー」
「くははっ。お前はいつも副団長に振り回されてたな。最後位は嫌味でも言ってやれ!くくっ」
「それはあの世でしこたま愚痴りますよ」
集団の先頭で歩いていたダルドは、背後のギャリアンの言葉に微笑を浮かべて足を止めた。そして右手に持つ両手斧を天高く持ち上げた。
「各員迎撃体勢!クロォォォーズッ!!!」
ダルドは敵集団から離れて先行突撃して来る騎兵部隊を睨みつけ、吠えるような大声を発した。
ダルドの密集陣形指示に応えた男達はダルドを囲むように前列五人、両端に四人が縦に並ぶコの字型を即時形成。それぞれが腰を落として武器を構え「ホゥアァッ」と声を重ねた。
青年達はコの字型の中心に配置され、青年達の誰もがいよいよ始まってしまう命の奪い合いに恐怖心を抱いて肩を竦めた。それでも巨躯のダルドや自分の父の雄姿を目に、手に持つ剣を固く握りしめた。
ダルド含めこの場全員が鎧無し、盾も無し。自身が長年愛用してきた武器だけをその手に握り絞め、集団となって迫り来る騎馬兵を睨みつけた。
「各員初弾で確実に落とせ!ギャリアンッ、タイミングはいつも通りお前に任せた!」
「了解っ!」
ダルドは指示と当時に両手斧を大地に突き立て、仲間達の吠えるような声を耳にしながら腰を落として両脇を固め掌を持ち上げた。
ギャリアンは四本の特徴ある矢弾を指に挟み、戦弓に同時に番えて引き絞った。
他の仲間達もある者は片手を、ある者は握った剣先を敵に向けた。
この場の全員が仲間達の頼もしい声に奮い立ち、戦場に立った事への実感と高揚感に意識は昂った。
静寂に包まれたダルド達に馬の蹄鉄の集合体が凄まじい音を伴い、鼓膜を震わせて慣れる事の無い戦場への恐怖心を駆り立てる。しかし老獪な声が場を和ませた。
「単純な突撃で俺達に向かって来るとはな」
二本傷の初老男性の一言に一人が耐え切れず苦笑してしまい、吹き出した笑い声が周囲に伝播した。
ギャリアンも苦笑しながら皆が仲間で良かったと思った。剣も魔術もそこそこな自分が栄えある蒼凱に入団し、皆の仲間でいられた事自体が幸運だった。
最後だからかその思いは殊更強く実感できた。それは口元に、思わず笑みを浮かべてしまうほどだった。
会敵した敵集団との距離は約ニ百メートル。敵部隊から離れて突撃して来る軽装騎兵。騎兵をその背に乗せた馬達はその距離を約十秒で駆け抜けて迫り来る。
只々仲間の為に。その思いは番った矢を引き絞る手と腕の力に現れた。視力の落ちてきた両目は騎兵集団先頭を確実に捉え続けた。
深く大きく吸い込んだ空気を肺から全身に感じ、息を止めて狙いをつけた敵に矢を放った。
ギャリアンが放った矢は特殊な自作品であり、先端に煙玉を仕込んだ煙幕弾を装着した独特な形状。そしてギャリアンは右手を伸ばし、空気を鷲掴みにするように握り込んだ
距離約七十を残した敵集団に、低空の放物線を描いて飛翔した加工矢は着弾前に爆散。その爆発はギャリアンが魔力で起爆。
爆発の衝撃により拡散する白煙は濃霧よりも濃く、微風による拡散で敵集団の先頭は煙幕の中に姿を消した。それはダルドの理想のタイミングだった。
長い年月を共に過ごしたダルドとギャリアン。それに仲間達。その年月は戦いに明け暮れる日々だった。殺して殺される過酷な日々だった。その意味が今ここで形を成そうとしていた。
『大切な人達を守る』
その意志だけを秘めた思いは、歴戦の猛者達の老いた体を熱く奮い立たせた。
「ファイヤァアアアァッ!」
ダルドは仲間達に射撃指示を出すと同時に両腕を突き出した。仲間達も自身の意志を魔術に宿す為の様々な行動を伴い、攻撃魔法を煙幕内部に発動射出した。
騎士を引退してやがて七年。峠を越えた肉体からは、全盛期に感じていた溢れ出すような力や活力を感じない。久しぶりに使った攻撃魔法の精度は、我ながら不格好に思えるほどに歪。
それでもダルドや仲間達が使用した魔法は、基本中位クラスのマジックアローに属性付与した派生上位魔法。
それぞれが炎の赤や氷の青を陽光に輝かせ、一筆書きのような横一文字にギザギザな先端。それはまるで発光するバリスタの矢の様だった。
特にダルドが撃ち出したマジックアロー二本は蒼に揺らめく蒼炎を纏って飛翔した。その蒼い炎はヴィガが扱う魔法と同色同系統の色彩を見せて輝いた。
ダルド達の視界は煙幕の白と足元の土色二色。その素朴なキャンバスに攻撃魔法の射線が幾重にも折り重なり、光の帯のように伸びて煙幕内部に軌跡を消した。そして抜けて来た馬だけを確認した。
しかし馬の足は人間の価値観では正確に想像出来ない程速い。第二射を放つ時間は無い。攻撃魔法を使える青年達も発動するが、敵は五十を多少超えた騎馬兵団。
ダルドの視界には撃ち漏らした敵部隊が一騎、また一騎と煙幕を抜け、剣や槍を振りかぶりながら声を荒げて突撃して来る。
最初の一合で確実に死者が出る。それはどの様な選択でも避けられない。だが命令を出さないわけにもいかないもどかしさ。ダルドは口元からガチッという音が聞こえるほど奥歯を噛み締めた。
大嫌いな戦場では、いつも精神を削り続ける即断に迫られる。
「ソルジャーズッ!――アタァーッック!!!」
ダルドは吠えながら大地に突き刺した両手斧を手に取った。ダルドは鎧と盾があれば、騎兵相手に突撃指示など間違いなく出さなかった。
馬の方が足が速い。高所の敵には攻撃しにくい。今までは盾と鎧で足元と守りを固め、遠距離魔法で粉砕して来た。突撃されれば好都合。盾で防いで槍で突き返した。
「おおおおぉっ!」
仲間達も不利な状況を理解していた。それでも仲間達はダルドの指示を受けて駆けだした。
ダルド達と敵騎兵が正面からぶつかり飛び交う罵声や怒号の中、互いが入り交じって手に持つ武器を振るい合う数秒後。
ダルドが駆け抜けた敵騎兵を確認した視界には多数の敵死体が転がっていた。しかしそれとは別、仲間やその息子達数人が着衣を赤く染め上げ倒れた四人の遺体が一際目についた。
最後まで誰かの為に戦い抜いた戦友達。気高い誇りを受け継いだ息子達。貧相な衣服を朱に染め上げ地に伏したその姿に、悲しみや寂しさは抱けなかった。
ダルドは心底毛嫌いする戦場を見回して歩き出した。そして主人を失い走る事を止めた茶馬の手綱を手に取りまたがった。
「手近な馬を捕まえろ!敵将の首を上げるぞ!」
ダルドが大声で吠える前に仲間達数人は馬を捕まえ、ある者は更に数頭引き連れて息子達の元へ進んでいた。
ダルドは豪快に笑った。有能すぎる部下を持つと、違う意味の苦労が絶えない。それは嬉しい悲鳴とも言い換えられた。
「予定通り、また突撃するんでしょ。――煙幕弾はあと二つ」
「おぉ、勿論予定通り――」
ダルドはギャリアンの声に振り向いて言葉に詰まった。
ギャリアンの衣服の左肩は大きく切り裂かれて赤く染まり、左手に持っている戦弓まで血が流れて滴り落ちる。右下腹部も右手で抑えているが、傷の深さは判断出来なくとも出血の酷さから重篤である事が理解出来た。
「俺には家族がいないですよね。――だからメレディアやヴィガを可愛がった。あの子達が好きだったんですよ。――最後位はカッコいいとこ、見せたいじゃないですか」
「そうだな。――あぁ、そうだな」
ギャリアンの口元には赤く光る血液が流れだし、命の灯が尽きかけている事を伝える。傷は間違いなく肺を傷つけ、空気を吸い込んでいるのに息苦しさを拭えていない蒼白な顔で笑顔をつくり上げた。
「俺には時間が無いようです。それでも副団長と最後まで――」
「ああ。ああっ!!!」
ダルドは膝をついて崩れて倒れたギャリアンに強く返事を返した。
思えば最初見た頃はギャリアンを軟弱者だと認識していた。魔術適正は普通。剣術や体力は並以下。ギャリアンが入団出来た理由は、ガウェインが彼の幅広い知識や独創的な発想に興味を抱いたから。
同じ田舎貴族出身ながら叩き上げの自分と違い、ガウェインに気に入られて入団を認められたギャリアンに嫉妬していたのかもしれない。
それでも他の仲間達同様、共に過ごしてきたギャリアンにも強い意志と気高い誇りを感じるようになっていった。今ではダルドにとっても可愛い後輩だった。信頼できる良き友人でもあった。
「野郎共っ!突撃だあっ!!!」
「おおおおお!」
だからこそダルドは歯を食いしばって吠えた。
倒れた仲間はギャリアン達だけでは無い。過去の戦場でも多くの仲間達を失い続けた。誰にも恥じない行いを。両親が胸を張って誇れる息子であり続ける。
ダルドの背後には騎兵となった仲間達が塊となって追従し、全ての想いを両手斧に込めて両手で握りしめた。
「リフレクション!」
ダルドの声に呼応した仲間達が前面に魔法のベールを展開。その魔法はウィルナが地下闘技場で見た防御魔法だった。
しかし違いは色の濃い青。半透明な膜の壁は、澄み切った海を連想させる綺麗な青。それがダルドの正面と左右三ヶ所多重に展開された。
「ここからは俺達が前に出る。大将は少し下がりな」
「そうですよ。お互い年なんですから」
「あぁ、任せた」
ダルドの素直な返事に笑顔を返したまん丸な男性と顔に二本傷のある初老男性。二人は恐れを微塵も見せず、部隊最前線に進み出て勇猛果敢に突撃を開始した。
眼前に広がる煙幕を抜けた先には歩兵の集合体が小魚の群れの様に蠢き、密集四角陣形へと移行展開。敵部隊に残されていた騎馬隊も縦列のまま出撃を開始した。
ダルドは右端の草原から距離を開けて交差して来る敵騎馬部隊を視界の端に確認した。しかしダルドの視線は敵歩兵の創り上げる陣形中央に移動した敵指揮官を捉え続けた。
少数のダルド達に勝機は無い。圧倒的人数差を覆せるだけの個人の武も存在しない。しかし敵部隊長など指揮系統さえ落とせば烏合の衆となる残敵。
「騎兵には構うな!敵歩兵に撃てるだけ撃ち尽くせえっ!!!」
ダルドは命を賭して両者痛み分けとする事は出来ると信じて吠えた。
「了解っ!」
仲間達もダルドを信じ、供に戦う仲間達や息子達を信じて各々が吠えた。
この場の皆がメレディアやヴィガに全てを託して命を懸けて馬を走らせた。
「最短距離で斬り込むぞ!リリィーィスッ!!!」
ダルドの指示の下、後方の仲間達から遠距離攻撃魔法の爆炎弾が射出され、絶え間無い放物線を描き始めた。
敵歩兵部隊からそれを迎撃する為の無数の魔弾が射出され、距離を詰めるダルド達の正面で大小様々な爆炎が巻き起こる。
更に敵部隊もベール状防御魔法を展開。圧倒的人数差ゆえ、そのベールは幾重にも重なり巨大な壁となってダルド達の攻撃魔法を遮断した。
「野郎共、あの程度の魔法だ!――撃ち貫けえっ!!!」
ダルドは再度蒼炎を纏うマジックアローを構築。背後からもダルドに呼応した仲間達が魔法を構築。それら全てが前を走る二人と、部隊正面に展開した防御魔法の頭上を飛び越えて射出された。
ダルド達が放った光の帯は、無数の束となって敵のベールを切り裂いた。
しかし敵の攻撃射程内にも入った。弓隊から雨のような矢が晴天の空に黒い影を落とし、無数の攻撃魔法が光の壁となって押し寄せた。
更には出撃した敵騎馬隊からもすれ違いざま攻撃魔法が横っ腹に撃ち込まれ、両手斧で身を守るダルドの背後から馬の嘶きや落馬する音が無情にも響き渡った。
そしてダルドの視界には最前列で駆けていたが抜き去った初老男性。肩から力無くゆっくりすべり落ちるように落馬し、その体には無数の矢が針山の様に突き立っていた。
まん丸な男性も正面から敵集団の矢を一身に受け、それでも雄叫びと共に攻撃魔法を発動しながら馬をかっている。
部隊正面に展開した防御魔法は数秒で破壊された。敵兵の数に対する圧倒的少数の自軍。その中で数秒間でも維持し続けた事さえ奇跡に近い。
仲間達の奇跡を呼び込むほどの強い想いを感じ、ダルドは願わずにはいられなかった。騎士になれた事は良かった。訓練は想像を絶するほど辛かったが、仲間にも恵まれた。
だが戦場は大嫌いだ。死んでいった仲間達の笑顔や声を聴けなくなる。残された家族を思うと心が悲鳴を上げるほどに痛む。
出来れば辛い訓練だけをしていたかった。メレディアやヴィガの傍にいたかった。仲間達やその家族と穏やかな余生を過ごしたかった。
「くっ――。ぐおおおおおおぉ!」
ダルドは上半身に刺さった三本の矢を力任せに抜き去り、力の限り吠えた。争いを憎しみ続けて吠え続けた。




