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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

情けない男たちと異形の世界線

分水嶺

作者: 華月 彩音

雪の降り積る白銀の世界。

その中で一際目立つ男がいる。

周りより恵まれた体躯を持ち、その背を真っ直ぐに伸ばして先頭に立っている。

その手に握るは彼の心根によく合った、鋭利で美しい銀の剣。

彼は、眼前でぽっかりと空いた闇のような口を広げた化け物を前に、姿勢を整え檄を飛ばす。


「臆するな!大きくは見えるがただのまやかし、相対するは普段と変わらない奇異変に他ならない!」


「いつも通り顎を引き、剣を握り目の前の闇を断つのみ!分かったら」


行くぞ、とは言わずに自ら化け物の前に飛び降りる。

彼に心酔する者も、またそうでなくても、力強く美しい彼の姿に導かれ次々と化け物へ向かっていく。

先程まで幾ら鼓舞しても効き目がなかった者たちでさえ、だ。


中里は震えた。


化け物だと思った。


目の前の黒い塊に向かっていく、その背が。

同期であるはずのその男が。

化け物だと。


気がつくと、大きな歓声が上がっていた。

先程まで眼前を埋めつくしていた黒いものは、幾千もの銀の筋の前に霧散し、その場には無かった。

誰もが先頭に立った男の元に集い、無事とその強さを祝っていた。

ここ最近多くの人々の心を暗く染めていた黒は、朝焼けの元に消えてなくなったのだ。

当然、祝って然るべきだ。

であるのに、中里はその場から動けずにいる。

戦いの場に向かうことすら出来ず、ただ足元の雪を周りより少し沈める事しか出来なかった。


次元が違う。


あの男と中里では次元が違う。

流石士官学校時代からの首席である。

同期の中で最も出世を期待されたその男は、最初こそ奮わなかったものの、今では誰もが認める天才だ。


中里の眼前が白で埋まる。


と、目の前に影が落ちた。


「中里、お前こんなとこにいたのか」


「…谷口」


例の、話題のあの男だ。

輪の中で皆に賞賛されているはずの男が、輪から外れた中里の前にいる。


馬鹿にでもしに来たのかと、心の中で自嘲した。


「探したぞ?こんなとこに居ないでお前も来いよ」


「…行けるかよ」


「なんで?」


谷口は、全く邪気の無い目で尋ねる。

この男は、素でこんなことを言っているのだ。

だからこそ、タチが悪い。


「俺はあの奇異変を倒した時、その場にいなかった。あそこにいる資格ないだろ」


「資格ないって、そんな訳ないだろ?現にみんなお前を探して」


「いや、あいつらが探してるのはお前だろ?」


遮って聞き返すと、男は肩をすくめる。


「いーや?あいつらはちゃんとお前を探してたよ」


そんな訳が無いとまた、ため息をつく。

つべこべ言っていないで早く行けと、その背を押すと谷口はこちらを振り返って片眉を上げて息を吐いた。


「お前、もうちょいちゃんと周り見ろよ?」


言われたくないと、その言葉に背を向けて中里は1人で雪道を戻った。


惨めである。


中里はこれでも期待されている方だ。

いや、正しくは“であった”のかもしれない。


士官学校時代は、あまりぱっとしない方ではあったものの要領よくやり好成績を納め、1番人気の対奇異変部隊に所属された。

そして、谷口が何やらもたついている間に、これまた要領よく敵を倒し評価され、気がつけば同世代で1番の座を欲しいままにしていた。


だが、化けの皮はいつかは剥がれるものだ。

そして、脳ある鷹の爪はいつまでも隠せるものではない。


ある時から谷口は元の調子を取り戻し、中里はある時から敵を倒すのに手間取るようになった。

そうしていつの間にか谷口は、殉職した彼の元メンターの後を継いで、歴代最年少部隊長となっていた。

中里の名は、その頃には誰も口にしなくなっていた。


しかし、中里は確かに評価はされていた。


それ故に、彼もまたその歳に似合わずひとつの班の長をやっていた。

他の役職の最年少は大抵谷口であるが、班長の最年少記録だけは未だに自分のままであった。

そこから出世できていないのもまた事実ではあるが。


中里は自分が天才ではないとわかっている。


天賦の才など持たず、畦道で怯えて逃げ隠れするような、大衆と変わらぬくらいの器しか持たない男であると理解している。

だけども、たった一度でも評価されてしまうと、心のどこかで賞賛を求めるようになってしまうのだ。

ある面では己に期待をしてくれた者に応えるために。またある面では己のちっぽけな自尊心を満たすために。


「あ、中ちゃんじゃーん?!」


肩を落として1人戻ってきた中里に対し、彼のメンターであった男が笑顔で声をかける。

持つ雰囲気がどこか緩く一見すると軽薄な男に見える深山は、人との距離を測るのが上手いので簡単に人の懐に潜り込めてしまう類の人間である。

戦闘能力こそ高くはないが中里と同じで要領よく仕事をこなし、入ってきたばかりの新人を任されるような立場になったのだと本人が笑って教えてくれた。

西崎ほどじゃないけど、出世してる方なんだぜ?と、天才と同期の男は朗らかに笑っていた。


「どったの?気分悪い?」


「…いえ、特には」


可愛らしいと評されるであろう顔立ちの深山は、屈んで顔を覗き込むようなあざとい仕草が似合ってしまう。

自分にはそういう可愛さはないなと思いながら、深山の顔から目をそらす。

今の自分には、目をかけてくれたメンターからの視線が痛くて、重くて。


「特にないやつの顔じゃあないねぇ」


巫山戯たようにニコッと微笑んで、深山は中里の手を取った。


「奢っちゃるから飲みいこー!」


俺が奢るのは珍しいぞ?と楽しそうに言う深山に引っ張られて、中里の口の端も少し上がった。


深山にとって中里という後輩は自分によく似た、でも自分よりずっと不器用な後輩だった。

要領は良い方で、仕事の概要を掴むのも早く自分なりにコツを見つけて上手にこなしていく。

だけど、理想と現実が上手く噛み合っていないようでやりにくそうにすることもあった。

言わなかったが、深山はそんな中里を昇進しないだろうなとも思っていた。

自分も含めて、そういうタイプの人間はえてして現場に回されがちだ。


だからこそ、深山は彼を応援していた。

彼の思う理想を叶えられるようにと。

彼が途中で折れずに、彼らしさを貫き通せたらいいなと。

願っていた。


「あ、中里さん」


と、彼を呼んだのは誰だろうか。

中里の班員の誰かが中里の背中を呼んだようで。

背中を丸めて前を見たままの中里の代わりに、深山がくるりと振り返る。


「どしたのー?」


呼ばれてないけどーと笑いながら、班員達に返事を返すと、彼らは少し困ったように顔を見合せた。


「中里さんどこにいるかご存知ですか?」


「あーわかるわかる、用事?」


どうやら中里に用事があった様で、深山はお呼びではなかったらしい。

中里に振り向くよう促そうとして、その顔があまりにも白いことに気づき、辞めた。

そうして、変わらず地面を見ている中里を背で隠すようにしながら、用を聞こうとする。


「今、さっきの討伐隊で打ち上げいく話してたんすけど、中里さん居なくて」


呼びに来たんですと、班員の彼は軽く、でも困った様に言った。

話を聞きながら深山はちらりと中里を見る。

彼の顔は相変わらず蒼白で、とても打ち上げに行けるような雰囲気ではない。


体調悪そうだったし今日はパスって事にしておいてと、代わりに断った。


班員達は残念そうに廊下の奥へと消えていった。

断っちゃって良かったかと今更なことを聞くと、中里は蚊の鳴くような声ですみませんと呟いた。

本当は家に返すべきだろうけれど、放っておけず、そのまま深山の行きつけの居酒屋へ引っ張った。


そのまま小一時間ほど深山と中里はいくらか話をした。概ね、大したことの無い雑談であったし、深山は意識して仕事の話を避けた。

元来話上手な深山によって、中里の顔にも少し笑みが浮かぶようになったところで時間が来た。このまま1人で帰すことを心配する深山に対し、中里は明日も仕事があると言って断った。

深山は、背を丸めて繁華街を去っていくその背が見えなくなるまで見送った。

彼の心がどうか折れ切っていませんようにと願いながら。


中里は己を深く恥じていた。

後輩の気遣いを無下にするどころか、尊敬する先輩に心配までかけてしまったことを後悔していた。

本来深山に負けず劣らず気の使える中里は、深山が自分を心配している事も、彼が意図して仕事の話題を避けていることにも気がついていた。そして、そうさせてしまった自分を責めていたのである。

自分は大して強くもなく、戦いの場において足手纏いになっただけではなく、あまつさえ先輩の手を煩わせ後輩の誘いをおざなりにしてしまった。そんな自分は、価値のない者であるとさえ、思った。

近頃思うような活躍ができず、己への価値を見失いかけていた時に、追い打ちをかけるような出来事だったのだ。彼の自己評価が地に落ちるであろうことは想像に難くない。

視野が狭くなってしまった今の彼では、それが過大であることに気が付けなかったのだ。

こんな役に立たない自分は、この場にいる意味がない。しかし、辞職するくらいなら誰かの役に立って死にたいとすら彼は思った。

だから、何か難しい任務が起こることを願っていた。


そんな彼の願いに応えるように、危険度も難易度も高い任務が言い渡された。

先日戦ったあの奇異変よりも大きく、発生場所も都市部に近い。難しく、緊急度の高い物だった。


中里は歓喜した。

これだ、これこそを待っていたと心の底から喜んだ。

これを受けて、死のうと決意した。

その時の中里は、自分の立場やついてきてくれるであろう部下たちの存在など頭からすっかり抜け落ちていた。


自分が誰かの命をつかう立場で、自らの盛大な自殺は他の者たちも大いに巻き込むことを思い出したのは、現場に着いた時だった。


それは、大きかった。


語彙力などなくしてしまうほど、ただ、大きかった。

今まで見たことがないほどの大きさのそれは、真ん中だけ黒を濃くしていた。

まるで、それは口のようであった。


今までとは比べ物にならないほどの巨大な死の予感に襲われ、中里は己の背に冷たいものが流れていくのを感じた。


勝てない、と思った。


これは勝てないと。


初めに感じたのは歓喜だった。

これで死ねると心から喜びが湧き上がり、ふと周囲を見た。

隣を、後ろを歩く部下たちの顔を見た。

見てしまった。


彼らの顔は絶望に固まり、皆が皆引き攣っている。

先日は、まだ辛うじて諦めずにいた者たちでさえ、その瞳の中に諦念があった。


そこで初めて、中里は後悔の念に襲われた。


自分は何てことをしてしまったのかと心から悔やんだ。

自分の自殺に、未来ある彼らを巻き込んでしまっている事実を恐れた。


頬からは血の気が引き、口角が下がり、持っていた剣先が下がる。

腰が引けて、頭の後ろから冷たい汗が流れるのを感じた。


死ぬ。


自分は死ぬ。

こんな自分を慕ってくれた者たちをも巻き込んで。

死ぬ。


視界が眩み、後悔だけが渦巻き出す。

自分は何をしようとしていたのかと。

自分が死ぬための仕事を選ぶということは、部下たちも纏めて殺す仕事を選ぶ事だと、なぜ気がつけなかったのかと。


悔やんで、悔やんで。


ふと、

悔やむ暇はあるのかと、己に問いた。


絶対的な死を目の前にして、絶望に襲われるこの状態で何もせず、ただ過去を悔やんでいる余裕はあるのかと問いた。


いや、ない。


過去を振り返り後悔するのは後で良い。

今やるべきことは一つだけだ。


決めて仕舞えば、後は早かった。

中里は、久々に大きく息を吸い腹から声を出した。


「総員、よく聞けぇ!」


絶望に周りが見えなくなっているだろう者たちにも届くように、声を張る。


「分かってるだろうが、この人数じゃあれにゃ勝てねぇ」


「だから」


一度息を吐き、もう一度大きく吸う。

冬の冷たい空気が肺を刺す。


「殿は俺がやる!総員、撤退だ!」


大人しく退け、逃げろと叫ぶ。

その声が届いた者たちが順に、周囲の者たちも連れて踵を返し撤退を始める。


殿をするのは、当たり前に自分だ。

ここで死んだって本望だろうと、自分に言い聞かせる。


副官を務めてくれていた男が己もそばにいると抜かしたので、蹴飛ばして遠くへ追いやる。

俺の代わりに班を纏めてこいと言い含めて。


それで、と中里は雪を踏み締め怪物に向き直る。

相変わらず大きく、勝てる見込みはない。

分かりきったことだ。

だからどうした。


元々死にたくてここへ来たのだろうと、震える己へ問う。

せめて、ついてきてくれた彼らが無事に逃げるだけの時間は稼ごうと、手に持つ剣を構え直す。

そのまま、強く踏み込んだ。


そもそも、中里はそこまで強くない。

器用に任務をこなし、上手に出世してきた。

しかし、弱いわけがない。


弱ければそもそも、任務をこなすことなどできるわけがない。


死を目の前にして漸く、中里の中にずっとあった強くしなやかで折れない芯が顔を出す。

彼の真ん中は、誰よりも柔軟で何よりも折れにくいもので。

そんな彼の心根に従うように、彼の戦い方は柔軟だ。

決定的な攻撃こそできないものの、奇異変をそこから動かさない。

動きを縫い止め、少しずつ削っていく。

しかし、それだけではこれほど大きなものは削り切ることはできない。

できない、が。


こうして、助けが来るまで時間を稼ぎ切ることはできるのだ。


「よく耐えた、中里!」


力強い言葉が聞こえ、それが誰のものか認識するより前に、綺麗な銀筋が空を舞う。


彼のよく知る。

彼に最も近い、天才の太刀筋だと思う。

それに確かに安心する自分を感じて、情けないと少し笑う。

結局、自分に死ぬ勇気はなかったみたいだ。


背後から聞こえてきた、自分を呼ぶ涙混じりの声を聞いて息を吐く。

自分の部下だって、当たり前に優秀だ。

ただ逃げているはずなどなかったのだ。

流石に分が悪すぎると判断され、後から追ってきた後発隊の谷口と合流したらしい。


間に合ってよかったと、背中で泣かれた。


自分は存外、慕われていたらしい。


当然のように奇異編を二つに切った同期が、地面に仰向けになる自分のそばへ寄ってきた。

差し出された手を取り、起き上がる。


「俺、間違ってみたいだわ」


「本当にな」


中里はそのとき、眉根を寄せて呆れた表情をする男の瞳の中に、確かな安堵を見た気がした。


天才がいる代の宿命なのか、半分以上減ってしまった谷口の代において、唯一定年まで勤め上げた男がいる。

何かと谷口と比較されがちなその男は、ついぞ隊長以上に出世することこそなかったものの、現場からは厚い信頼を寄せられた。

器用にどんな任務もこなし、多くの支持を集めたその男、中里は後年よくこう語った。


「天才じゃない人間にも分岐点ってのがあるんだよ。そんでそれを正しく選べた奴が長く残るんだ」


谷口の代と仕事をしたことがあるものたちには、谷口を慕うものと同じくらい中里を慕うものも多かったという。


ご覧いただきありがとうございます。

よろしければ、評価などよろしくお願いします。

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