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それは立派な『不正行為』だ!

作者:

「いっ、いてっ!」

「我慢して。このくらい何てことないでしょ」

 オリビアはそう言い聞かせながら、消毒液を染みこませた綿球をピンセットでちょん、ちょん、と腕の擦過傷に滑らせて丁寧にゴミを取っていく。言われた当人、ノエルは痛みに顔を顰めつつも唇を尖らせた。

「容赦ねぇの。ったく、顔は綺麗なのに」

「お世辞をどうも。何も出ないけどね」

 オリビアはくすくすと笑いながらそう返した。それでもエメラルドにも似た綺麗な瞳は真剣に、そして冷静に患部を観察する。

(結構酷いわね。ロックワームの酸にやられたって言ってたけど……)

 そう考えつつ綿球とピンセットをトレイへと置き、両手を患部へと翳す。

「10分くらいかかるけどいい?」

「ああ、頼む」

 ノエルがそう答えたのに軽く頷き、オリビアはすう、と息を吸い込んで、精神を集中させた。手の平が淡く輝き、その光が酸で爛れた皮膚をふわりと覆っていく。

(慎重に慎重に……ノエル自身の治癒能力を活性化させる。でも焦っちゃダメ、治癒能力が追い付かない程の魔力を込めると、ノエルに負担がかかる。ゆっくり、丁寧に……)

 そう自身に言い聞かせながら、魔力を込めていく。

 そうしている内に腕の爛れた皮膚は治り、元の綺麗な肌へと戻った。痕も残らなかったことに、オリビアは内心で安堵の息を吐く。

「はい、終わり」

「おお……!」

 ノエルは綺麗になった腕をもう片方の手でさわさわと触りながら感嘆の声をあげた。

「すっげえな。ありがと! またよろしく頼む!」

「『また』とか言わないの。怪我なんてしない方が良いに決まってるんだから! 宮廷騎士団目指してるんなら、もっと腕を上げてよね!」

 オリビアがそう言って軽く睨めば、ノエルは少々バツが悪そうな顔をして後頭部を掻いた。

「手厳しいな」

「何言ってるの、こんなの甘いくらいよ。……試験はもうすぐなんだから」

 オリビアは少し目を伏せて、胸元に拳を当てる。

「……そうだな。お互いにな」

 ノエルもまた、その赤い瞳を伏せる。その声のトーンは少し低い。



 貴族平民問わず、国に仕える専属の職業に就くことは憧れの的であり、またこれ以上ない名誉でもある。国……即ち王宮はそういった国民の声を反映、そして優秀な人材を集めるべく、門戸を広く開いた。つまり、身分など関係なく『試験』が受けることが出来、それに合格すれば晴れて頭に『宮廷』と名の付く職業に就けるのだ。

 しかしそのため合格率は限りなく低く、合格するのはまさに至難の業。並み大抵の努力では足りないのは言うまでもない。金銭的に余裕がある貴族は充分ともいえる教育を受けることが出来るが、平民となるとそうはいかないのが現実だ。

 しかしながら平民であっても宮廷付の職に就いている者はいるし、貴族であっても夢叶わなかった者はいる。それはひとえに自身の努力、そして才能の使い方が上手くいった結果であり、元々の身分を差別する気は微塵も無い。自身の能力をしっかりと生かし、国に貢献していればそれで良いとオリビアは思っている。それはノエルも同じ考えであり……そのことが嬉しいということは口に出してはいない。


 そしてオリビアが目指しているのは『宮廷治癒師』。軍の遠征任務等に付き添う治癒部隊とは違い、国直々に治癒能力を認められた名誉な職。宮廷内に設けられた治癒院に所属し、帰還した王国軍や騎士団、そして宮廷に出入りする貴族、王族の治療をするのが主な仕事だ。有事の際は王命により、市井に赴いて平民の治療を行ったりもする。

 目指したきっかけは単純だとは思うが、父が宮廷治癒師だから。これまでに数多くの功績をあげ、多くの人々から感謝される父の姿は、オリビアにとって憧れであり、また目標でもある。

 宮廷治癒師になる、と父に告げた時、彼は少しだけ目元を緩めたが、すぐに引き締めた。そして、告げた。


『お前が思っている以上に厳しい仕事だが、耐えられるのか?』



(……うん、分かってる。分かってるから、諦めたくないよ)

 そう反芻して、オリビアは少し息を吐いた。

「オリビア?」

 ノエルの心配そうな声に、ハッと我に返る。

「ご、ごめん。ちょっとボーッとしちゃって」

 ノエルにあんなこと言ったばかりなのに、と顔が熱くなった。

「ほんと、ごめんね」

 少し声が震えてしまった。みっともない。

 ノエルは自身の赤い瞳を少しばかり細め、こちらに手を差し出してきた。

「これ、やるよ」

「え?」

 よくよく見れば、その手には髪飾りがある。反射的に手を出せば、それはぽとりと落とされた。

 手の平に落ちたそれ……髪留めは、銀色の枝にも似た細工の先に、赤い鉱石で作られた小さな花が咲いている。

「かわいい。どうしたの?」

「アイツ……ソフィに買ってやったついで。色違いで2つ買うと安いって言われたからさ」

 ソフィはノエルの3つ違いの妹だ。ノエルの不満そうな顔からして、すごくねだられたのだろうな、とオリビアはくすくす笑う。なんだかんだ言っても、ノエルはソフィには甘いのだから。

「ありがとう、ノエル」

「おう」

 少々ぶっきら棒なノエルにオリビアは少し微笑み、少々伸びた前髪へ髪留めを着けてみせた。

「似合う?」

「まあ、悪くはないんじゃないか?」

 何よそれ、と唇を尖らせてみせれば、ノエルはくつくつと笑った。

 すると。

「そ、そんな、皆さん、大げさです」

「何言ってんだよ。これだけの人数あっという間に治すとか!」

「そうそう! さすがエミリー!」

「エミリーは俺たちの聖母だよ!」

 ドアを開けてぞろぞろと入って来た集団……その中心にいるのは柔らかな茶色の髪に、大きな琥珀の瞳の愛らしい少女。名をエミリー・ハイドといい、オリビアと同じ宮廷治癒師を目指している、のだが。

「本当に、私、大したことしてないですから……」

 眉をハの字に曲げて困ったように微笑むエミリー。その表情に彼女を取り囲んでいる男……言うまでもないが宮廷騎士希望だ……たちの顔はでれでれとだらしなく緩んでいる。

「……」

 その光景に、オリビアは溜息を吐きたいのを懸命に堪えた。

 ハッキリ言おう。オリビアはエミリーのことが好きではない。関わって来ないで欲しいと思うくらいには。

 同じ目標を持つもの同士切磋琢磨すべきだ、と何も知らない外野からは言われそうだが、エミリーに対してはそんな気は全く起きない。

 豊富な魔力量を持つ彼女は、何人もの患者を同時に治療することが出来る。それ『自体』は凄いことだとは思う。

 しかし……。

「エミリーなら立派な宮廷治癒師になれるよ!」

「そうそう、合格間違いなしだって!」

「いえ、私なんかがそんな名誉職に就けるなんて、おこがましいです。……一応勉強はしていますが、全然自信が無くて」

 首を横に弱弱しく振りながら、困ったような笑みを浮かべるエミリー。男から見れば庇護欲をそそられる、という仕草なのだろう。

 が、オリビアから見れば、それは計算された……要するに『あざとい』と言われるものにしか見えなかった。最初の実技の授業で、あっという間に『その場にいた対象全員』の怪我を治療し、唖然とする周囲に「えっ? わ、私、何かいけないことしてしまいましたか?」とおろおろしながら尋ねた時から。

 それ以来エミリーは自身の豊富な魔力量をひけらかすように実技に挑み、そして「私は大した力がありません」と謙遜してみせ……そんな彼女の姿に、周囲は既に冷めきった目を向けている。少なくとも、同じ宮廷治癒師を目指している者からは。

 何も知らない男たちはこうやって彼女をちやほやしておだてているが、それが彼女にとって良いことなのかは……。

「まあ、スコフィールド様もお怪我を?」

 エミリーがさも心配そうにノエルに尋ねた。まあ、ノエルは幼馴染のオリビアから見ても整った顔立ちをしているから、彼女の琴線に触れても仕方がないが。

(……それを不特定多数にやっているのがタチ悪いわね)

 治療する、という目的で見目麗しい男に擦り寄っている、という噂があるのに、エミリーは意にも介していないようだ。それどころか、「私の魔力量をねたんでいるのね」ぐらいは思っていそうだが。

「いや、俺の怪我はオリビアに綺麗に治してもらったから大丈夫だよ」

 ノエルがやんわりと断ると、エミリーは大げさに目を見開いた。

「まあ、オリビア様が?」

 暗に『お前なんかが綺麗に治せたのか?』と言われているのを感じたが、それを表情に出すような真似はしない。オリビアは静かに頷くだけに留めておいた。

「ええ、そうよ。私はこれで失礼するわ。これからは、怪我しないように気を付けてね」

 後半の台詞はノエルへと伝え、オリビアは軽く頭を下げてドアへと向かった。

 が、ドアを開ける直前に。

「オリビア様」

 呼び止められ、仕方なく振り返る。

 見れば、エミリーがそれはそれは綺麗な笑顔でこちらを見つめていた。

「宮廷治癒師になれるよう、がんばりましょうね」


「あっ、わ、わたしは、そのっ……自信はないのですけれど」


 すみません、おこがましいですよね、と目を潤ませるエミリーに、「そんなことないよ!」「俺たち応援してるから!」と励ます男たち。

 まるで騎士に護られる姫君だな、とオリビアは冷めた目を向ける他はなかった。唯一の救いは、ノエルがそれに加わっていないことだ。

 彼に貰った髪飾りをそっと撫で、オリビアは口を開いた。

「そうですね、大丈夫ですよ」


「学んだことを生かし、『不正をせずに』臨めば、良い結果が出せるかと思われます」


 エミリーの反応を見ずにオリビアは「失礼します」とだけ言って、今度こそ廊下へと足を踏み出した。




 そして試験当日。

 試験内容は筆記と実技。

 筆記の内容は人体構造が主だ。骨の位置、血管の場所、内臓の並びや機能等々、これらを全て把握することが治癒師としての基礎中の基礎だ。そして患者の体質や魔力の流れ、性質などの見極めの仕方、治癒魔法を使わない応急処置のやり方なども出題される。

 そしてもちろん、不正行為……即ちカンニングや他の受験者への妨害行為は即失格。国のデータベースにその旨が載せられ、永久に受験資格をはく奪される。

 ぴりぴりとした緊張感の中、オリビアは決められた席へとついた。

(大丈夫、大丈夫……今まで学んだことを生かして、精一杯やれば良い)

 すう、はあ、と小さく深呼吸して、前髪の髪飾りへと指先を触れさせる。これをくれたノエルもまた、宮廷騎士団の試験に挑んでいる頃だろう。

(がんばらないと、ね)

 問題用紙が静かに配られ。

「試験、開始!」

 ぺらり、と紙が捲られる音が、妙に鼓膜に響いた。


(9割は埋められたけど……)

 やはり不安は残る。後で自己採点して……いやいやまだ試験は終わっていない、と気持ちを切り替える。

「受験番号120番、121番、122番、123番、124番、入りなさい」

 自分の受験番号が呼ばれた。

 「はい」と返事をして、室内へ。待ち受けていたのは、試験監督の教員、並びに試験用の『患者』たちだ。

 患者たちは医療用のテーブルに手を乗せている。その指先には、小さな切り傷。これを治療するのが実技試験だ。

「では、治療を開始してください」

 教員の号令により、オリビアは「よろしくお願いします。失礼いたします」と断ってから、まずは切り傷を素早くチェックした。

(これは鋭利な刃物によるもの……ゴミは付いていないとはいえ、消毒は必須。そしてこの方の魔力の質は……)

 そう考えながら手早く消毒を行い、手を翳して魔力を込めていく。慎重に、慎重に。小さな傷とはいえ、焦りは禁物だ。

 数分も経たない内に治療は終わり、傷は無事に塞がった。痕も残っていないことに、オリビアは少し安堵の息を吐く。

「終わりました」

 患者役の男性は傷が付いていた指先をしばし観察し、大きく頷いて微笑んだ。

「ありがとう」

 試験用といってもお礼を言われると嬉しい、なんてことを考えながら、オリビアは頭を下げた。

 他の受験生たちと退室し、廊下を歩き出してからしばらくして。

「……っ!」

「---!!」

 俄かに受験室内が騒がしくなったのが分かった。

 何かあったのだろうか、と互いに顔を見合わせたが、教員たちが廊下に出てくることはない。

 これはそっとしておいた方がよさそうだ、いずれ分かるだろう。そんな意見を目線で交わし合って頷き、オリビアたちは廊下を歩いていった。



 遅いようで早い時間が過ぎ、遂に結果発表日。

 合格者の番号が貼り出された掲示板に、受験生たちがごった返した。あちこちで歓喜の声があがり、あるいは失望と嘆きの溜息が、泣き声が聞こえる。

 その中でオリビアは受験票と掲示板を見比べて探し……。

「あ、あった!」

 何度見ても間違いなく、自分の番号が掲示板にあった。

(やった……!)

 じわじわと込み上げる喜びに顔がにやけそうになるのを必死に堪えていると、ぽんっ、と肩が叩かれる。

「よっ! どうだった?」

 ノエルがそう尋ねてくるのに、オリビアはニッと笑ってVサインで答えてみせた。ノエルの顔に、ぱあっと笑顔が広がる。

「やったな! 良かったな、小さい頃からの夢だったもんな! 本当に良かった……!」

 まるで自分のことのように喜ぶノエルに、頬が熱くなった。

「わ、私のことより、ノエルはどうだったの?」

 尋ねれば、ノエルはニッと笑ってVサインを決めてみせた。オリビアの顔にもまた、明るい笑顔が広がる。

「やったじゃない! 良かった……本当に良かったね、ノエル!」

「おう!」

 こつん、と拳同士を合わせ、また笑いあう。

「ここがスタートね」

「ああ、気を引き締めないとな」

 そう言い合い……ふ、とノエルが真剣な表情になった。

「それ、付けてくれてるんだな」

 その目線が指す先には、彼がくれた髪飾りが光っている。オリビアは微笑んで、そこに指先を触れさせてみせた。

「うん、試験の時にも着けてたの。……ありがとね」

 すると、ノエルの顔がぼふっと赤くなる。

「あ、そ、そうか。それで……」

 赤い瞳が、うろうろと彷徨った。

 なんだろう、とオリビアは思ったが、ふ、と気が付く。

 この髪飾りの花を形作る石の色は……。

(えっ、待って。まさか……)

 オリビアの頬もまた熱を帯びた。

 そして、ノエルが表情を引き締めて口を開こうとした。

 瞬間。

「なんで!?」

 甲高い叫び声に、びくっと背筋が震える。

 何事かとその方向を見れば、エミリーが自身の髪を掻きむしっていた。その表情は怒りに醜く歪み、いつもの愛らしさなど欠片もない。

「なんで私の番号が無いの!?」

 あー、不合格だったんだ、と察しながら、そうだろうな、とオリビアは何となく思った。

「そんな筈ない、そんな筈ないわ。これは何かの間違いよ、不正よ、不正があったに決まってるわ!!」

 そう叫んだエミリーは、ぐりん、とこちらを睨みつけて来る。マズイな、見つかった、と思っている内に、エミリーがつかつかと荒々しい足取りでこちらに来た。

「ちょっと、オリビア! まさかアンタ、合格したんじゃないでしょうね!?」

「無事に合格しましたが、どうかされましたか?」

 淡々と事実を告げれば、エミリーはますます憎々し気に表情を歪める。

「なんでアンタが!? 私より魔力量が全然低いクセに!」

 いや魔力量『だけ』が合格条件じゃないから、と突っ込みたくなったが、正直指摘するのもめんどくさい。無言を貫いていると、エミリーはますます逆上したらしく、さらに叫んだ。

「どうせ父親のコネを使ったんでしょ!?」

「それはあり得ません」

 オリビアはきっぱりと否定する。

「私の父……セルジュ・ガーディナー様は試験に関わる仕事については一切関与しておりません。その旨は本年度最初に、教官から説明を受けたでしょう。さらに平民の方々にも伝えられておりますので、聞いていなかった、ということはあり得ませんが」

 しかも娘である自分の名前まで出されて、とオリビアは遠い目をしてみせた。

 が、それは当然の処置であると理解している。重要な仕事に身内贔屓があってはならないし、そう思われても迷惑なだけだ。

「で、でもっ! おかしいわよ、こんなの!! 私が不合格なんて、あり得ない!! ……ねえ、譲ってよ」

「はい?」

 聞き返せば、エミリーはぎろっと狂気に満ちた瞳で睨んでくる。

「聞こえなかったの? アンタの合格、譲れって言ってんのよ!! 譲れ、譲りなさいよ、この泥棒!!」

「おい、やめろ!!」

 オリビアに掴みかかったエミリーの間に、すかさずノエルが入った。腕を掴まれて押さえられながらも、エミリーは血走った眼でオリビアを睨みながら、泡を吹いて唾を飛ばしながら叫び続ける。

「折角チート能力貰ったのに、アンタの、アンタのせいで台無しよ!! 宮廷治癒師になって、エリック様やクロヴィス様たちの治癒をしつつ好感度上げてちやほやされて最終的に逆ハー築く筈だったのに、なんでこうなるのよ!? おかしいでしょ、私はヒロインなのよ!? 愛されて当然の選ばれた存在の筈なのに、なんでこうなってるのよ!? これってバグでしょ、どうなってるのよおおおおお!!」

 この人は何を言っているのだろう。

 エリック様とクロヴィス様というのは王太子と騎士団団長の子息の名だが、お二人ともそれぞれ婚約者がいるのは周知されている筈だ。エミリーの言葉を聞くと、お二方が彼女に乗り換える、と察せられるが不敬にも程がある。

 それ以前にチート能力とか逆ハーとかバグってなに?

(なに言ってるの? 自国語の筈なのに、何言ってるか理解できない……気持ちわるい、こわい……)

 叫び続ける彼女の形相と地団太を踏んで暴れる様子が相俟って、まるで化け物のようにオリビアの目には映った。それは成り行きを見守っていた周りも同様で、ひそひそと小声で囁き合ったり、表情が強張っていたりと様々だ。

「そこまでだ!!」

 突如響いた威厳のある声に、反射的に騒ぎが収まった。

 見れば、宮廷治癒師長であるブルーノ・ブルターニュが警備隊を率いてこちらを見据えている。傍らには副長であるオリビアの父、セルジュの姿もあった。それにオリビアはふ、と気が緩みそうになったが何とか堪え、最上位の礼を執った。それはその場にいる人々も一緒だ。例外はエミリーと、彼女を押さえているノエルだけだ。

 ブルーノは軽く手を前にやって頭を上げる許可を出し、そして命じた。

「エミリー・ハイドを捕らえよ!」

 警備隊は「はっ」と短い返事をし、たちまちの内にノエルの代わりにエミリーを拘束する。

「な、なんでっ……なんでですか!? なんで私が不合格なんですか!?」

 悲鳴染みたエミリーの懇願に冷たい視線を返しながら、ブルーノは口を開いた。

「不正をしたからだ」

 一瞬の沈黙。

「え……? 不正……?」

 琥珀の瞳が、困惑に揺れる。それにブルーノは軽く溜息を吐き、目をさらに狭めた。

「君は実技試験の際、室内にいた『患者全員』の治療をしたそうだな」

「そ、そうです。それが何だって言うんですか!?」

「やれやれ、自覚が無いとは始末に負えん。それが『不正』だと言っているんだ」

「なっ……!?」

 絶句したエミリーを他所に、ブルーノは言葉を続ける。

「治療するのは、それぞれに『指定された患者』だ。それを君は『他の受験生の患者』まで治療してしまった。これは『他の受験生への妨害行為』に値する立派な不正だ」

 ああ、だからあの時騒がしくなったのか、とオリビアは眉を寄せた。父、セルジュも難しい顔をしている。

「まあ、その不正以前に筆記試験の結果が最下位だからな。どう足掻いても君の不合格は確定していた」

 うわ、勉強してるって言っといてしてなかったのか、と内心でドン引きするオリビア。それは周りも同じだったようで「最下位で合格したと思ってるとか……」「いや、あり得ないだろ」「やっぱり魔力量『だけ』多くてもね……」などとひそひそと囁いている。

 エミリーの顔が見る見る内に真っ赤になり、屈辱に大きく歪んだ。

「ひ、筆記なんてどうでもっ……」

「どうでも良い訳がないだろう!! 今まで何を学んで来たんだ!!」

 堪えきれなくなったのか、ブルーノが声を荒げた。

「人体構造を把握することは、間違った治療方法や後遺症を防ぐためには欠かせないこと! 患者の魔力の質や流れ方を見極めるのは、患者自身の治癒能力を活性化させるため! 治癒魔法を使わない応急処置のやり方など基本中の基本だ! 魔法が使えない状況に追い込まれることが『確実に無い』などと断言できるのかね、君は!?」

「う、うう……!」

 エミリーの顔は今度は青くなっていく。忙しいことだな、と他所事のように思った。

「……よって、エミリー・ハイド。今後、宮廷治癒師の受験資格をはく奪する。これは決定事項だ、覆ることなど無いと思いたまえ!」

「そ、んな……!」

「それから」

 ブルーノは絶対零度を思わせる視線、そして声でこう続けた。

「君の『雑な治療』により、ゴミが皮膚に埋め込まれて痕が残ったり、神経が傷つけられた『被害者』が多数治癒院に駆け込んでね。その対応に我々が追われてしまい、日々の業務に支障を来たしてしまったよ」

 さらにドン引きしてしまう。まさか治療前の『処置』をしっかりしないとかあり得ない。

 全体治癒魔法はあるが、あれはあくまでも『応急処置』にしか過ぎない。後でちゃんとした『治療』を受ける必要がある。

(まあ、エミリーにでれでれしてた男どもは、自業自得かもしれないけどね)

 そんなことをオリビアが思っている間にも、ブルーノは言葉を続けている。

「我々の業務を妨害したとして、その分の『慰謝料』は君に請求させてもらう。処分は追ってくだすから、覚悟しておけ!!」

「あ、ああ……」

 エミリーの顔に、もう色はない。はくはくと口を動かしながら、立っていられないのかずるずると座り込んでしまった。

「連れていけ」

「はっ」

 ブルーノの号令に、警備隊たちがエミリーを無理やりに立たせて強引に連れていく。ブルーノがその後に、そしてさらにその後をセルジュが続こうとした瞬間。

「……っ!」

 オリビアは反射的に息を止めた。セルジュがこちらを振り返ったからだ。

 同じ緑色の瞳が真っすぐに見据え……そして、ふ、と優しく細められる。

「……」

 オリビアは胸に片手を当て、小さく礼をする。

 それにセルジュは細めていた目を元に戻し、大きく頷いてくれた。そして背を向け、静かにその場を立ち去っていく。

 その背を見えなくなるまで見送り、オリビアは大きく息を吐いた。

「良かったな」

 ノエルがそう言ってくれるのに、オリビアは「うん」と頷くだけに留めておく。

 そして。

「あのさ、この髪飾りのことなんだけど」

「えっ!? あ、ああ、それはもう」

 あたふたとするノエルに、オリビアは微笑んで口を開く。

「何かお返しするね。……緑の石を使ってるもので」

 一瞬の沈黙。

「ええっ!? おい、オリビア、それ……!」

「じゃあ、今日はこれで! お互いがんばろうね!!」

「おい、待てよ!!」

 引き止めようとするノエルの声を背に聞きながら、オリビアは頬が熱いのを冷ますかのように走り始めた。


(終)

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― 新着の感想 ―
患者に対しては『慰謝料』でも業務妨害に対しては『損害賠償』じゃねーかな?
素敵な短編ありがとうございます 若い読者の気持ちはわかりますが、 チートが過熱しすぎてチートばかりがもてはやされる ラノベ界に一石を投じる小説だと思いました。
主人公の頑張りが報われてとても良かったです。 試験を受けているシーンは、なんだか自分の受験の時を思い出して「頑張れ……」と、手に汗を握りながら応援をしていました。その後、無事に合格できたシーンはホッと…
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