4-9.ファングレイジ家長男:ボルフ・ファングレイジ
「……何の真似でしょうか? あなたを狙ったつもりではありませんでしたが?」
「ま……まだ若い女の子に殴りかかるのは……紳士的に見ても無礼ではないでしょうか?」
「だからかばうような真似をしたと? あなたも大概『若い女』ではあるでしょうに?」
ほぼ反射的な反応だった。どうにか俺が間に入ることで、セレンちゃんが殴られることは止められた。ただ、代わりに俺へとボルフの腹パンが突き刺さる。
前の体ならこんなのは屁でもなく捌けたんだがな。やはり、リースになったせいであらゆる身体能力が衰えている。
動かすだけでなく、痛みに耐えることまで苦しい。今だって平静を取り繕おうとはするが、額から嫌な汗が垂れてしまう。
「私のことをそうおっしゃってくださるならば……この拳も下げていただけませんか……? か弱い乙女の腹を殴るなど……貴族の家の長男がなさる真似ではないでしょう……?」
「男女平等とでも思ってください。自分は障害となる相手ならば、老若男女問わず対応いたします――よっ!」
「グフッ!?」
どうにかリースとして、ボルフへ下手に出てはみる。ただし、結果は馬の耳に念仏か。
一応は今の俺って、生物学的には女で通用するはずなんだがな。そんなこともボルフには判断材料にならないか。二発目の拳まで腹に突き刺さって来る。
おまけにこいつ、腕力も相当だが、それ以上に『殴り方』というのが上手い。さっきから的確に俺の内臓を射抜いてくる。
タラントのような力任せではない。錬術具は見せていないが、単純に武術の基礎が出来上がっている。
淡々とした態度といい、かつて俺の首を狙った暗殺者さえ思い出す。ただのボンボンとは訳が違うらしい。
――ただ、これでもボルフなりに一線は引いてるレベルか。
「ぶ、無礼を働く相手に……拳だけに留めるとは……案外お優しいのですね」
「ん? 何を言っているのですか?」
「そ、そのコートの内側……拳銃でしょうか? 何かしら武器があるのに……使われないのですね……」
「……よく気付きましたね」
ボルフは武器を隠し持っていながら、使うのはあくまで拳だけ。流石にここで殺しまではしないか。
ならば、このまま俺が耐えきればいい。指摘したところで、ボルフがコートに手を入れる素振りさえ見せない。
「おい、ボルフ。そこら辺にしときな。……『一発で済ませる』んじゃなかったのか? レディーに粗相、し過ぎなさんな」
「……そうでしたね。これ以上は自分の醜態ですか。失礼いたしました」
「ガフッ……!? ハァ、ハァ……!」
ビートもこれ以上は無駄と判断を下し、ボルフもようやく拳を引き抜いてくれる。見た目女相手に腹パン2発という趣味の悪さは、ビートの方で一応の理解はしてくれたか。
解放されたとはいえ、腹から全身に走るダメージは相当なものだ。痛みに耐えきれず、膝を着いて荒い吐息が漏れてしまう。
「ノ――シスター・リース!? な、なんてことするし!?」
「ケヘッ。気分の悪いもの、見せちゃってすまんね。でも、世の中で下手撃てばこうなることだってある。……元々の狙いにしたって、小娘さんの方だったんだがな」
「ッ……!?」
「セ……セレンさん……今は抑えてください……。必要な……ことです……」
セレンちゃんも俺の傍で肩を抱きかかえてくれて、流石にここから余計な言葉も発せない。ビートの忠告も含め、こちらは屈んでひれ伏すのみ。
女の前で何とも無様な姿だが、これが今できる全て。ファングレイジの親子もこちらに背を向け立ち去り始める。
「まっ、半端な気概で立て直そうとしてるわけじゃないことは汲み取れたよ。……これはワッシもワッシで、考え直す時かもしれんね」
「ボークヘッド一派にはどのように説明しますか?」
「ここでの一件、説明は不要だ。あいつらの出る幕もねえよ」
「かしこまりました。父上の指示に従いましょう」
最後の方に聞こえた会話から、こいつらにしてもボークヘッド一派の仲間とは言えない。あくまで『利害一致の協力者』といったところか。
ボークヘッド一派から吸える蜜が余程甘いのかどうか。本当ならば、この場でその糸も手繰り寄せたい。
「ゲホッ、ケホッ……! あ、あのボルフって野郎……本当に的確に腹パンかましてくれる……! け、結構……痛え……!」
「ちょ、ちょっと!? 大丈夫なんだし!?」
「シスター・リースにセレンちゃん!? 何があったんだ!?」
「と、とにかく運ぼう! シスター・リースの自宅で手当てを!」
だが、体の方が先に限界へ達してしまっては元も子もない。殴られた腹を押さえてうずくまり、駆け寄る周囲に頼るのみ。
かつては腕っぷしでも魅せたノア・ブレイルタクトが無様なものだ。そんな中でも、最低限の判断だけはできたか。
ファングレイジ家による住人への被害。そこさえ回避できれば上出来だ。。
「ゲッホ……ううぅ……」
「おいおい……シスター・リースみたいな女性にここまで手を出すなんて……!? ファングレイジの息子は血も涙もないのか……!?」
「いなくなった相手のことを……どうこう言っても仕方ありません……。そ、それより……セレンさん」
「え? ア、アーシ?」
「あ、後で……個別に話があります……。私の自宅まで……来てください……ううぅ」
とはいえ、こうなってしまった理由については物申したい。両肩を男二人に担がれながらも、近くにいるセレンちゃんへと声をかける。
――この子には少しばかりお説教じみた忠告が必要か。