2-5.秘めし真名、悪名の意味
「セ、セレン!? なんて口の利き方を――」
「だって、本当のことだし! あいつの――ノアのせいで、お父さんは死んだんだし! 殺されたんだし!」
セレンが知らず知らずに俺の真名を口にし、罵倒を被せてくる。耳にして心に宿るのは、怒りよりも悲しみか。
だが、こちらから言い返すことなどできはしない。セレンちゃんが涙を浮かべながら語る姿を見れば、零れそうになる言葉も押しとどめられる。
――彼女の方が背負った悲しみは大きい。
「お父さんはノアに肩入れしてたせいで、中央の連中から散々な扱いを受けたんだし! 何が『ノア様のおかげ』だし! ありえないし! あいつのやったことだって、後になって全部不正に横領の積み重ねだったって――」
「いい加減にしなさい、セレン! それは何かの間違いだって、何度も言ったでしょう!? これ以上の暴言は、お父さんの尊厳も踏みにじることに――」
「お母さんもうるさいし! もう知らないし!」
「セレン!? す、すみません、シスター・リースにウィネさん……」
「……こちらのことは構いません。それより、奥さんはセレンさんのことをお願いします」
「本当に申し訳ございません……」
激情に流されるまま、嵐のような一幕。セレンちゃんは言いたいことを口にして、外へと飛び出してしまった。
ユリーさんの方は深々と頭を下げるが、こっちとしてもセレンちゃんの方が心配だ。促す言葉を送れば、そのまま後を追うように立ち去ってしまった。
そう。これが今の『ノア・ブレイルタクトの名前が持つ意味』だ。ウィネから聞かされていたことが、ますます心に突き刺さってくる。
会長は『氾濫事故で死んだ』のではなく『ノアを忌み嫌う世間に殺された』のだ。皆まで言われずとも、察することができてしまう。
『発展に貢献した領主補佐』ではなく『裏で悪逆を尽くした暴君』か。分かっていたこととはいえ、俺の心も重くなる。
「……今の時代、ノア・ブレイルタクトの名前なんてのはマイナスイメージの代表格さね。アタシやユリーさんみたいに語る人なんざ、あまりに少数。それこそ、異端児扱いってね」
「だが、商工会長は俺のことを信じ続けた。あの人ならば、そうするだろうってのは想像に難くねえよ。……だからこそ、死に追いやられた。『ノア・ブレイルタクトの悪名』のせいでよ」
「そう卑下されるとこっちも弱るけど……事実だよ。だからこそ、アンタは余計に『ノアとしての名前』を出せない。分かったかい?」
「……重々承知だ」
ステルファスト親子もいなくなり、ここにいるのは俺を知るウィネとの二人だけ。口調を戻して語るものの、少し前の喧騒も覇気も鳴りを潜める。
予想はできていた話だ。ノアの名前が悪名として広まっているならば、容易く口にできるものではない。ファングレイジのジジイも嫌な意味合いで口にしていたか。
後はウィネに言われずもがな。俺には『ノア・ブレイルタクトという正体』を明かすことができない。
そんなことをすれば、悪名で余計な被害を増やすのみ。亡くなった会長の二の舞だ。
――だからこそ、俺は余計に『リース・ホーリーアローとして』生きなければならない。俺だけでなく、周囲を守る意味でも。
「……ハァ、まだ何か始める前からこの調子か。こいつは、かつてよりも厳しい道になりそうだ」
「だろうね。……でも、諦める気なんてないでしょ? 目を見れば分かるさ」
「ああ。むしろ、余計に気合が入ってくる。……本物のノア・ブレイルタクトのやり方ってやつを、まずはこの地に植え付けてやるさ」
この程度は序の口で、もっと深い場所に知らないこともあるだろう。だが、最初なんてのはそんなものだ。
やると決めたからにはやる。ノア・ブレイルタクトに二言はない。
――俺自身の願望に、いなくなった人々の無念も乗せてな。
「まあ、どうにかやる気出していかねえとな。こんな体になっちまった件も含めて、色々と受け止めて行かねえと。現状把握もできてねえし」
「目的が定まると前向きなのは、アタシも知るノアと一緒だね。それに、リースの体になって悪いことばっかでもないんじゃない? アンタ、可愛い子が好きでしょ? リースも派手さはないけど、結構可愛いじゃん? ボークヘッド一派の中にも、目の色変えてた奴だっていたし」
「……ああ、それか。まあ、言いてえことは分かるっちゃ分かるが、俺としては何と言うか……」
とはいえ、今日は色々ありすぎた。ウィネとの話もまとめて、動くにしても明日からか。
他に言っておくこともあるのだが、先に話題に上がるのはリースについて。いや、ここまで色々怒涛の如くあったから、ずっと思っていたことが言えてなかった。
確かに俺は女好きだ。プレイボーイ扱いされてた過去も納得だし、眼前のウィネも過去に付き合った女の一人だし。
ただ、女なら誰でもってわけでもない。ウィネについても俺の好みだったからこそ付き合っていた。
まじまじと見つめてしまうのは、魔女装束越しにも分かる豊かな胸元。男のロマンが詰まった二つの山。ここは譲れん。何を言われても。
――だから、今の自分の胸に手を当ててみると、別の意味で残念な気持ちになる。
「リースって……胸が貧相じゃねえか? つうか、あんのか? どうせ転生するなら、オメェみてえにたわわ――ヘブッ!?」
「何について不満漏らしてんのさ!? このオッパイ好きは!?」