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【中編】尊厳を守る

  

久しぶりに王都の街を歩いた。

視察に出た救護院が街の中にあったのだ。

帰り道、小さな雑貨の店を覗いた。少し寄りたいと伝えたら、表に護衛が立ち物々しくなってしまったのでさっと店内を見ただけだったが、小さな陶器の青い鳥がついたリングに目が留まった。

陶器の鳥というところに珍しさを感じたのと、とても小さいのにきちんと鳥の形をしていることにも惹かれた。

私は一目惚れをしたそのリングに想いを残しながら、店を出た。どうやって『買い物』をすればよいのか分からなかったのだ。

私はお金を持たされていない。必要なものはすべて誰かの手を経て部屋に置かれるようになっている。


それから何日か、ずっと小鳥のリングのことを考えていた。

もしもメイナード殿下から贈っていただけたなら、こんなに嬉しいことはない。

この頃は、忙しいメイナード殿下と夕食を共にすることはあまりなかったが、その夜は時間が合ったようで、同じテーブルで食事をした。

もうすぐ結婚式を挙げる、第二王子殿下ヒューゴー殿下もご一緒だった。

メイナード殿下が機嫌よくお話されていたのを、私は少しほっとする思いで見ていた。

食事が終わり、廊下を歩くメイナード殿下に声を掛けた。


「メイナード殿下、お願いがあるのです」


立ち止まった殿下は驚いた顔で私を振り返った。


「お願い?」


「……はい。小さな物なのですが、欲しい指輪を見つけて……あの、陶器の小鳥がついていて」


「君はたくさん指輪もネックレスも持っているだろう? 王家に代々伝わる貴重な、ダイヤやルビーがついている素晴らしい物を。それなのにまだ欲しいとねだるなんて、君らしくないな。

僕が今、心を砕いている仕事を知っているかい? 先日の豪雨で崩れた山あいの土地について、やるべきことがたくさんある。家を土砂に流された者たちもいる。

それなのに君は指輪が欲しいと? 全部の指に指輪をはめるつもりなのかは知らないが、持っているもので今はどうにかしてくれないか」


「あの、そういう訳ではなく……!」


「すまないが僕はまだ仕事が残っている」


「申し訳ございません……」


去っていくメイナード殿下に向かってしばらく頭を下げ続けた。もちろん殿下は振り返らなかっただろう。

私付きの侍女のアンナが、悲しそうな声で言った。


「妃殿下、お部屋に戻りましょう。ジャムを入れた紅茶をお淹れいたします」


私は悲しみをこらえて、外れかけた『王子妃の仮面』を急いできちんと装着し直した。



***



指輪の話をして以来、ほとんど話す機会もないまま、ヒューゴー第二王子殿下の挙式の日となった。

ここしばらく王宮内はお祭りムードで、準備に奔走する者たちで賑やかだった。

式に参列する私のドレスは、王妃殿下が初めての外国訪問の際に作ったドレスだという。

相手の国のしきたりと我が国のマナーを鑑みて作られたという、高級な生地の落ち着いた濃いグリーンのドレスだ。これもやはり丈が少し短かったが、もう抵抗する気力もなかった。

この先も私は王妃殿下の思い出を身に着けていくしかないのだ。

私は胸の下にも広がった『王妃殿下の領土』のかゆみが止まらず、塩を揉み込む。ひりひりしてとても痛いが、痛みならかゆみよりも我慢できる為、この二年ずっとそうしていた。

とても恥ずかしい話だけれど……閨事の際にメイナード殿下は私の夜着を脱がさない。その頻度も月に二度ほどとなっているから、私に広がる『王妃殿下の領土』に殿下が気づくことはなかった。

私の愛はメイナード殿下に届かず、メイナード殿下の愛があったとしても私には届かない。

でもそれが王族と貴族の結婚なのだと、私はどうにか理解するようにしていた。



ヒューゴー第二王子殿下の挙式が行われたのは、あの古い教会ではなかった。

王都の外れにある公園内のチャペルで、すべての扉を解放して行われ、市民たちも見ることができるそうだ。

ヒューゴー第二王子殿下の妻になる方は学園時代から愛を育んだ同級生で、キャロライン・フォーガス子爵令嬢。王家に子爵家の女性を輿入れさせることに反対なさった陛下を、ヒューゴー第二王子殿下は時間を掛けて説得なさったというが、たぶん物語の好きな侍女たちの作り話なのだろう。


私の結婚相手は『伝統』なのだから、キャロライン様の結婚相手は『格式』のはずだ。

きっと王妃殿下が格式の高いドレスを、今日の日の為にキャロライン様にご用意なさっている。


礼拝堂に入っていく私に、参列者の囁きがさざ波のように届く。


『もう二年も過ぎているのにお世継ぎの気配がないなんて』

『あのように古めかしいドレスで、義弟嫁となるキャロライン嬢を威嚇するおつもりなのだ』

『あの方には実家の爵位しか取り柄がないものなあ』


どれも私に向ける言葉としてはおかしいものだ。

私の夫である『伝統』に向けて言うべきもの。

私の意思など、私の身体のどこを切っても出てこないのだから。



新郎新婦が司祭のところまでゆっくりと歩いてくる。

私は衝撃のあまり倒れそうになるのを、必死にこらえてなんとか立っていた。

キャロライン嬢の結婚相手は『格式』ではなく『革新』だった……。

肩を出した真っ白のドレスで、胸の真下で切り替えられたスカート部分にチュールがふんわりと流れるようにあしらわれた可愛らしく新しいデザインの素敵なもの……。

柔らかく巻いた髪をルーズに片側に流し、白い生花が散りばめられていた。

その姿を見て、王妃殿下が小声で『キャロったらなんて可愛らしいのかしら』と囁くと、メイナード殿下が『ああ、キャロは妖精のようですね』と返したのが聞こえた。

その時、私の耳からあらゆる音が消えた。



***



どうやって王宮の私の部屋に戻ったのか、あまり記憶がない。

覚えているのは、真新しい素敵な真っ白なドレスと、それに身を包んで輝くばかりのキャロライン嬢、そして王妃殿下とメイナード殿下が『キャロ』と彼女を呼んだことだけだった。

私は国王陛下からも王妃殿下からも、メイナード殿下からでさえ名前で呼ばれたことは一度も無かった。

『君』『あなた』『妃殿下』『義姉上』、自分が名前を持って生まれてきたことも、忘れてしまいそうだった。


挙式の後に国賓を招いての宮中晩餐会がある。挙式に参列したこのドレスを着替えるそうだ。

これから侍女たちに別のドレスに着付けられるのだが、私が着るドレスは……朝このドレスに着付けて貰った時に隣に置かれていたように思うが記憶になかった。

王妃殿下の『思い出のドレス』のどれかであることは間違いない。

私が第一王子妃となってから、ただの一度も新しいドレスを作るために採寸をしたことがないのだから。

私はアンナにドレスの背中のスピンドルをほどいてもらった。


「ありがとう。おかげでラクに息ができるようになったわ。アンナがいてくれて、本当に良かった」


そう言うと、アンナは少し驚いたような顔をした。

ドレスを脱いでくるわと言ってクローゼットルームの奥に入って扉に鍵を掛けた。

ここだけが内側から鍵が掛かるのだった。


私の結婚式で使うことがなかった、母が刺繍をして持たせてくれたヴェールを取り出した。椅子を二つ背中合わせに間を少し開けて置き、その上にヴェールを被せて小さな天蓋のようにしてみる。

そして公爵家から唯一持ってきた、うさぎの薄いぬいぐるみを引き出しから取り出した。

私がまだ小さかった頃、刺繍や裁縫が得意な母が、タオル地で作ってくれたぬいぐるみだ。立体的ではないので座らせることはできず、言うなれば小さい枕のようなものだ。

子供の頃はいつもそれを抱いて眠っていた、大切な友達だった。うさぎはワンピースを着ていて、そこに私の名前が刺繍されている。


指輪のことをメイナード殿下に伝えてしまった後日、その場に一緒に居た侍女のアンナが私にと、青い陶器の小鳥がついたあのリングをプレゼントしてくれた。

アンナはあのリングがあった店に行った時も同行していた。

『いつも優しくしてくださることへの感謝の贈り物です』と、あの日と同じ悲しげな微笑みを浮かべて小さな包みをくれた。

小鳥のリングを指にはめると、陶器の小鳥が私を見た。

王家に嫁いで以来、初めて声を上げて泣いた。

侍女に同情を寄せられてしまうほど、私は惨めだった。

惨めさが私の器を壊し、アンナにありがとうと言うのが精一杯だった。

アンナのために、私はうまく微笑むことができていただろうか。

一介の侍女でも買えるほどの値段の指輪も、夫であるメイナード殿下に買ってはもらえなかった。

与えられるものはすべて、引き継がれた伝統と格式ある物と王妃殿下の思い出の品。

それもおそらく嫌がらせなどではない。

王妃殿下は良かれと思って私に下さり、メイナード殿下はそれをありがたいことだと本気で思っていらっしゃる。

メイナード殿下から見た私は、王家に伝わる歴史と伝統の宝飾品を手にしている果報者なのだ。

歴代王妃たちを彩った選り抜きの宝飾品を手にしているのだから。

それにどうこう思う私が卑しいと、先日のメイナード殿下の言葉と態度はそう言っていた。

その宝飾品の数々が私の手元には一つもなく、厳重に管理された場所にあることなど、メイナード殿下はご存じないのだろうか。


一方で、第二王子殿下の妻となったキャロライン嬢は、新しいドレスを作り、古臭い髪型や丈の短いドレスに合わせて踵の無い靴を強要されることもなく、とても可愛らしく美しい花嫁姿だった。

メイナード殿下は、新しいドレスを新妻の為に作ったヒューゴー殿下や妃殿下となったキャロライン嬢に、大雨で崩れた山の土砂に家屋を流された民の話はしないのだろう。

弟の結婚相手を『キャロ』と愛称で呼び、あまつさえ妖精のようだと言った。

自分の妻には、母親や歴代王妃の思い出の品々を押し付けて、過去からの亡霊のように装わせているのに。

ああそうだ、私は嫁いでからずっと、王家の亡霊を着せられてきたのだ。


私は疲れてしまった。

私の結婚相手は『伝統』だったのに、第二王子の妻となったキャロライン様の結婚相手は『格式』ではなく『革新』だった。

私だけが『伝統』と『格式』を背負っていかなければならない。

私に過去のドレスを下さる王妃殿下が、『キャロ』様のドレスを作るのに呼びつけたドレスのデザイナーに、ご自分の新しいドレスを一緒に注文している事実も知りたくなかった。

もう何も見たくないし、聞きたくない。

私の胸は土砂で埋まり、もう息もできない。


王妃殿下から戴いた指輪の一つに、宝石が蓋になっている指輪があり、その中に『王子妃としての尊厳を守る薬』が入っているという。この指輪だけは自分で持っていること──そう王妃殿下に言われた。

今日の第二王子殿下の結婚式で、私の尊厳は砕かれた。

世継ぎも産めず、古めかしいドレスで新たに王族の一員となるキャロライン嬢を威嚇していると見られていた。

私をただの『駒』にした公爵家という家柄しか、私の取り柄はないそうだ。


この後の晩餐会では、輝くばかりのキャロライン妃と比べられ、その砕かれた尊厳をさらに踏みにじるような視線に晒されるだろう。

ならば私のすべきことは一つしかない。

私は私の尊厳を守らなければ……そのために王妃殿下はこの薬の入った指輪を私にくださり、常に持っているようにおっしゃったのだ。


私は王妃殿下のいつかの思い出のドレスを脱いで、下着だけになった。

青い陶器の小鳥の指輪を平たいうさぎのぬいぐるみの耳に、少し強引に嵌める。

そのうさぎの服に『セラフィーナ』と刺繍された部分を指で撫でる。

私の名前はこの王宮の中で、ここにしか存在しない。


王妃殿下の指輪の中の薬を奥歯で噛んだ。

母の刺繍のヴェールの下で、下着姿の私はもう王家の亡霊を脱ぎ捨てることができたのだ。

誰もそう呼んではくれないセラフィーナと言う名前を取り戻し、丸くなって苦しみを受け入れながら目を閉じる。

瞼の裏の暗闇に見えたのは、お慕いしていたメイナード殿下の、少しだけ薄情に見える微笑みだった。




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