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罪深い女  作者: 東雲時雨
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後悔

おはよう。

又はこんにちは、こんばんわ。

私にはこの手紙がいつ読まれるかも、誰に読まれるのかも検討がつきません。

私にとっては私のことなどどうでも良いのです。

もう私は十分長く生きましたし、この人生を満足を持って終わることができます。

では何故手紙を書くのかというと、この世に残った私の大切な息子達のためです。私は自分の人生に満足を持って終われますが、自分の犯してしまった罪や、それによって被害を被った者達に。謝罪と、弁解を求めるための手紙であり、二度と繰り返して欲しくないという

息子達のため、と言いながら結局は自分の鬱憤を晴らしたいがためにこれを書いているのですね。(笑)


まずは、自分の人生を振り返りたいと思います。

そうですね、出生なんかは誰も興味がないでしょうに、省きます。

というよりもあまり記憶がないものですから、書きようがないのです。

とにかく私は順風満帆な生活を送り、社会人となりました。

 当時の私はとにかく疲れていて、いつも眠い眠いと漏らしながら、残業に溺れ、何を目的として生きているのかも分からず、ただ日々が通り過ぎていくのを待っていました。何かをしたいと思っても時間がない、という言い訳に縋りつき、昇進していく後輩を笑顔で見送っていました。いつかそんな日々にも嫌気がさし、1日だけ、休んでしまいました。次の日、自分は会社に迷惑をかけてしまった、と申し訳ない気持ちでいっぱいになって吊り革に揺られていました。会社はいつも通り、私を迎えてくれました。昨日の訳を軽い風に聞かれ、あはは、と笑いながらやり過ごして、私はこう、思いました。この会社に私は必要なのだろうか。この時点で入社してある程度の年月が経っていました。そのため、先輩として頼られることも多かったのです。だから、私は必要不可欠な存在で、いなくなっては困る者だと勝手に思い込んでいました。仕事だけを、自分がやりたいことを全部我慢して、仕事だけに、注力してやってきたはず。

 ワタシハ、モウココニハ、ヒツヨウナイ?

 思い返してみれば、楽しそうに仕事をして、プライベートでも充実した生活を送っていた同期も、後輩も、みんな私を置いて行った。あ、休んでも良いんだ。何かから解放されたようでした。そして、極めてありきたりな話ですが、私は会社を休みがちになり、会社を辞めました。そうして実家に帰り、余生をゆったりと楽しんでいた両親の慌ただしいお荷物となりました。あまりにもぐうたらした生活を送っていたので心配したのでしょう、ある日突然、亜麻色の可愛らしい犬が家にきました。驚く私を尻目に、私に世話を丸投げされました。朝、晩の散歩、餌を与える、掃除などが日課になりました。いえ、両親は私がこの犬のお世話をさぼろうが何も気がつかないふりして放っとかれているもんですからあんまりにも可哀想になって、やらないわけにはいかなかったのです。ですが、段々と散歩に出るのが億劫になってきまして、初めの1ヶ月はやる気に満ちて努力していたのが、1ヶ月目の雨の日を境にぱたりと行けなってしまいました。恥ずかしながら、私は1日ぐらいなら散歩に行かなくても大丈夫ということを知り、何かが切れてしまいまして、その頃から就職活動を本格化していたものですから尚更、忙しいということを理由に逃げてしまいました。あのきらきらとした純粋無垢な目を見ることも至極少なくなり犬のことなど頭からすっぱ抜けていました。また頭が上手く回らない日々が続き、まさに自分のことだけでいっぱいいっぱいという状況でした。またそれに対する社会も冷酷で、衝動的で道徳的な行動よりも理論立てた合理さの方が優勢だったのです。(いえ、むしろ私がそちらの方が重要だと勝手に思い込み、道徳的思考に関しては自分の領分ではなく、どこかの暇を持て余したお気楽な貴族様が行うものだと思ってしまっていました。)その生活は長く続き、就職活動の成果をもたらしたその会社で先輩面ができるほどになりました。その結果、私は両親に関する小さな違和感にも、あの小さな情緒的生物にも目を背け、最悪の結果をもたらしてしまいました。しかし、私にはタイムマシンでやり直しを図ってもまた同じ結果をもたらすのではないかと思います。なぜなら、その時私は忙しさだけでなく恋にうつつを抜かしていたのです。その方は、誰もが付き合うことを夢見るような、素晴らしいお方でした。ああ、少し、ほんの少しだけ、彼のことを書いてもいいですか?実をいうと出会った時の記憶はほぼ無きに等しいのです。それほど、なんとも思っていなかったのですから。ただ紹介された際、趣味が同じであると思った記憶があります。この人とは何かしらのご縁がるのかしら、いえ、そんなことを感じることは沢山あったしそんなことはなかったでしょう、落ち着きなさい私。などと思っていました。(笑)実際にその方と関わった時もそんなこと戯言だろう、というぐらい反りが合わなかったように思います。いえ、一方的に嫌っていたのでしょうか?その人の前では正直でありたいと思うがために非道徳的なことを告げる、かの反骨精神があったのかもしれません。今思うと申し訳ない気持ちで一杯です。正直とは決して正しいものとは言えないということを痛感しました。大阪の方がサービスが良いと言いますが、そのままぶつけることが美徳とは言えないのです…しかも私は話すことがあまり得意ではないので意味のわからないイチャモンをつける迷惑クレーマーでした。このようなことにより私はその方に嫌われていたのではないかと思います。では何故それが恋愛感情までになったのかと言いますと、仕事の都合上SNSをよく利用していたのですが、そこで私が恋愛感情を抱いてしまい、アプローチを仕掛けたところ、可という返事であったというものでした。そもそも私が断りにくいような理由をつけてのことだったので優しかった彼は断れなかったのかもしれません。私は随分と強引な人でしたので。幸せで、幸せで、心にある幸せの煙のようなものが全身から溢れ出てしまいそうな感覚でした。笑う時も、柔らかい空気を丸め込んで、ぽふっと何かを出すように笑っていたように思います。

しかし、私は彼の何者も見れていなかったように思います。その時の記憶を探っても自分の言ったことや自分が感じたことしか覚えていないのです。私は彼の隣にいる私自身を好いていたのでしょうか?薄々そんなことに気がついていたようにも思います。しかし、見たくないことを見ないということは意外と可能なものです。切り捨てていたのでしょうね。幸せに溺れて、ついにゴールインしました。今思うと随分と強引だったように思います。幸せな私に酔っていたのでしょうね…。子供も生まれ、本当に楽しい日々を過ごしました。私にはこの頃の彼と一緒にいたこと以外の記憶が全くありません。両親や子供、そしてあの小さな命のことも。人生とは悲劇的になるようにできているのでしょうか。結末とは悲劇です。ハッピーエンドなるものはこの世に存在しません。

 何も見えていなかったあの時。確か鼻歌を歌いながら夕飯のスープをかき混ぜていました。琥珀色をしたスープが陽の光に光っていたのが綺麗だと思った記憶があります。ほぅ、とため息をついて感傷的になっていたところを人工的で無機質、ものも言わせぬ容赦ない電話のベルにぶち壊され、ちょっと不機嫌になって、さっさと終わらせようと乱暴に受話器を上げました。電話を握りしめたあの感覚は再現できるほど強く印象に残っています。しかし、それ以上の記憶が私にはないのです。ここからの記憶は極めて断続的で、曖昧なものになります。話を戻しますと、その電話の内容は父が亡くなった旨を告げるものでした。のちに彼に聞いたところによると、子供の存在も、彼の存在も忘れて家を飛び出し実家に向かったらしいです。気がつけば私は呆然と立ち尽くし、足元では母が父の死骸にしがみつき、慟哭していました。その瞬間まで認識できていなかった母が急激に色を帯び、喚き声が痛いほど胸に突き刺さって抜けませんでした。

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