親友の想い人
(前話のあらすじ)
普光院凜月は15歳の高校一年生で、普光院というお寺の三女として生まれた。
普光院は、毘沙門天を本尊とした千年以上の由緒ある真言宗の寺である。
祖父の覚元は霊格の高い僧侶として仏教界では知られており、悪霊払いの祈祷などを得意としていた。
凜月は霊感がとても鋭い子で、小さな頃は怖い幽霊や妖怪を見たと言っては泣きじゃくっていたらしい。
そこで覚元が霊感を封じ込めるブレスレットを作り、凜月に着けさせた。
物心がつく前のことだったので、凜月は全くそのことを覚えていなかった。
しかし、彼女の成長とともに霊格が高まり、それに耐えきれず、15歳の誕生日を前にブレスレットが砕け散った。
幽霊や物の怪の類は、見たり声を聞いたりできると知れると、その者のところに寄ってくる。
普通は気づかれないように無視を決め込めば問題ないのだが、中には害意のある者もいるということで、「その辺の小物ならば自分で払えるように」と、覚元の下で修行をすることになった。
そして、凜月が修行を始めて半年が過ぎた頃、ようやく初歩的な退治程度はできるようになっていた。
一方で、15歳の誕生日に覚元から託された家宝の蓮の実を育てたところ、そこに封印されていた哪吒を復活させてしまう。
哪吒は、毘沙門天の三男であることから哪吒太子と呼ばれる。
普段は蓮の花や葉の意匠の衣服を身に着け、乾坤圏(円環状の投擲武器)や混天綾(魔力を秘めた布)、火尖鎗(火を放つ槍)などの武器を持ち、風火二輪(二個の車輪の形をした乗り物。火と風を放ちながら空を飛ぶ)に乗っている。
その哪吒は、人間の姿に変化すると、覚元の手配により、凛月と同じ高校に通う同級生となっていた。
凛月は、哪吒の助けも得ながら、物の怪の類を調伏する腕を磨いていくのだった。
今夜は朔、すなわち新月である。
陰が極まり、陽に転じるこの夜は、陰と陽が交錯し、古都鎌倉の霊的結界が一番弱まる夜でもある。
深夜にもかかわらず、郊外の森林がにわかに鳥たちの喧騒に包まれた。
鳥たちは何か邪悪な霊的存在の気配を感じとったようだ。
それは常人の視覚で捉えることができないが、どうやら獣のようで尾が二股になっている。猫又に見られるように、複数の尾は歳を経て妖力を得た動物に見られる特徴だ。
それは一瞬の出来事で、森は再び静まり返り、木々の騒めきだけが微かに聞こえるだけとなった。あるいは、鳥や動物たちは、邪悪な存在を恐れて息をひそめているのかもしれない。
◇◆◇
普光院凜月の朝は早い。
彼女の霊力を封じていたブレスレットが砕け散ったその後、祖父の覚元に命じられて日々修行に明け暮れる日々が続いていた。
最初は不承不承やっていた。だが、これ以上強力なブレスレットは作れないというのだから、霊力を持っていることが前提の生活に改めなければならない。
「その辺の小物ならば自分で祓えるようにならないとな」という覚元の言葉は、もっともなことなのだ。
彼女は、毎朝日の出の前に起きて、寺の本尊の大日如来が安置されている本堂でお勤めをする。寺には、立派な毘沙門堂もあるのだが、これは護摩行など特別なときにしか使われない。
覚元の勧めにより、お勤めの前にヨガをして自律神経をリラックスさせてから、本番の仏前勤行式を行う。
合掌礼拝し、懺悔、三帰、三境、十善戎などの後、般若心経、十三仏真言、光明真言などを唱えていく。
最後の仕上げに阿字観瞑想をする。心の雑念を払い、心と宇宙=大日如来のつながりを感じとり、悟りを開いていくのである。
調伏に関する知識・技術は、学校が休みの日に集中して覚元から厳しく仕込まれていた。
凜月は、今朝も哪吒を叩き起こすと強引に朝食を食べさせ、学校へと引っ張っていく。彼は、顔はハーフ顔のイケメンで、腕っぷしは強いが、それだけの男だった。
家ではだらけた生活を送っているし、学校へ行けば女子の尻を追いかけ回すか、男子とけんか沙汰を起こすか……。とにかく、トラブルメーカーなのである。
だが、凜月はまだ初心者なだけに、祖父に命じられて物の怪の類を調伏するときは、頼りになる存在であることは間違いない。毘沙門天の三男というのは、伊達ではない。
……ということで、ある程度媚を売って保険をかけておくことも必要なのだ。
そして、昼休み。
凛月は、仲良しの女子たちと雑談をしていた。高校生女子の一番の話題といえば恋バナである。
一時期、凛月も哪吒との仲を冷やかされたこともあったが、今はそれも落ち着いていた。
「あたしさあ、気軽に行けるお洒落なカフェデートに憧れてるんだけど……」
「そうよね。雰囲気のいいレストランでディナーとかだとお金がかかっちゃうし、かといってファミレスっていうのもねえ……」
「夢を語るのもいいけど、その前にいい人を見つけることが先決でしょう。ねえ誰かいい人いないの?」
皆にめぼしい反応がない中、いつもはお調子者で話題の中心にいる京華の様子がいつになく静かだ。
「あれっ? 京華。今日は静かだね。なんだか怪しくない?」
「そう言われてみれば……。ねえ。本当は何かいいことがあったんじゃないの? 白状しなさいよ」
それまでおとなしくしていた京華は、相好を崩した。
「えへへ……実は気になる人がいるんだけど……」
「えーっ! 誰っ。学校の人?」
「お父さんの会社にインターンで来ている大学院生のお兄さんなんだけど……すごくイケメンで、頭もよくて、仕事もすごくできるって、お父さんもびっくりで……」
その日からしばらくの間、京華の恋の話で盛り上がった。
しかし、十日ほどたった頃……。
いつもの雑談のさなか、京華に話題が振られ、普通に相槌も打ってはいるが……。
誰あろう凛月だけは、京華が無理に笑顔を作っていることに気付いた。
そこで放課後、誰も見ていないところを見計らって、凛月は京華に聞いてみた。
「ねえ。京華。何かあったんじゃないの? 私で良ければ力になるよ」
「もう……凛月にはかなわないなあ。実は彼の体調が悪くて病院へ行ったんだけど、原因がよくわからなくて……結局は精神的なものだろうということで心療内科のお薬をもらってきたんだけど、それも効果がないみたいなの」
「彼って、ナイーブな性格な人なの?」
「彼は、お父さんの会社の本町専務の甥御さんなんだけど、専務の話だと、そんなに柔なやつじゃないって……」
(なんだか辻褄が合わない話ね。まさか霊障? でも、この情報だけではわからないわ……)
「もし、よかったらなんだけど、私の家でお護摩を焚くのはどうかな? 気なぐさみにしかならないだろうけど……」
「心配してくれてありがとう。お父さんに言ってみるね……」
このことが、イケメンインターンの本町遥斗を救う切っ掛けになるとは、この時点では凛月や京華は知る由もない。
【舐犢之愛】は、『後漢書』楊彪傳にある故事からうまれた言葉で、年老いた牛が子牛をなめ可愛がるような溺愛の情のことをいう。
後漢の楊彪の子、楊脩は魏の曹操に重く用いられていましたが、のちに曹操に殺される。
のちに楊彪は、曹操にこう語った。
愧無日磾先見之明、
愧づらくは日磾が先見の明無くして、
猶懐老牛舐犢之愛
猶ほ老牛舐犢の愛を懐くを
これを聞いて、曹操は思わず態度を改めたという。
※ 金日磾(自分の双子が武帝のためにならないことを予見して、わが子を殺した)
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