第6話 八重桜さんも不器用のようです
翌日。週は金曜日に突入。依頼を無事遂行した俺は、またいつも通りの日常が戻ってきた。
こないだ起こしてしまった水槽破損事件。しばらくは、クラスメイトから白い目で見られるかと覚悟していたが、そのことを咎めるどころか、誰もその話題に触れてくる者はいなかった。
そして、今回一番恨みを買った矢島、久保田についても俺に対し、嫌悪感を露骨に見せてくるかと思ったが、そうはならず、むしろ俺に恐怖心を覚えたのか、目が合うと慌てて逸らす仕草をみせるようになった。ともあれ、これでまたボッチ生活に戻れる。と、安堵の溜息を漏らしていたのも、ほんの束の間だった。
放課後。帰り支度を済ませ、教室から出て廊下を歩いていると「貴志君」と、後ろから俺を呼び止める声が飛ぶ。振り返らずとも相手が誰かわかっていた。俺のことを貴志君と、さも友達のように馴れ馴れしく呼びのは、あいつくらいしかいない。振り返った先には案の定、小走りで歩み寄ってくる小日向の姿があった。
「なんだ?」
俺は第一声から素っ気ない返事を返した。内心、気まずいというのが正直なところ。今回の事件後、俺にとって一番顔を合わせたくないのは、小日向だった。
今回の事件、表面上は小日向を助けた。という実績を残したが、その裏では金のやり取りがあった。それを小日向は知っている。小日向からしてみれば、来栖貴志は自分をだしに使い、あんな騒ぎを起こし、金儲けしたクズ野郎と恨んでも致し方ない。
「こないだは本当にありがとう」
第一声。小日向は照れ臭そうな顔でお辞儀する。ああ、怒っていない。小心者かもしれないが、少しホッとした。と、思ったのは、ほんの一時。小日向は悲しげに眉を下げた。
「でも、ああいうことはもう辞めて欲しい」
「なんだよ。ああいうことって?」
奥歯に物が挟まったような言い方をする小日向に、俺は真意を問い詰める。しばらく迷ったような顔していた小日向だったが、意を決したような目を俺に向けた。
「あんな風に自分を傷付ける行動は、辞めて欲しい」
「傷付く? 別に俺は傷付いてなどいないが」
俺が首を傾げていると、小日向は困惑した様子で俯いてしまった。
「悪い。今回の件で小日向のことを傷付けたのであれば、謝る。でも、もうやるなというお願いは聞けない」
「どうして。お金の為?」
「ああ、そうだ」
「お金がそんなに欲しいの?」
小日向は幻滅するような視線を向けてくる。途端、俺はカチンときた。
「勘違いするな。金が欲しいんじゃない。必要なんだ」
娯楽品や遊ぶ金欲しさの学生と一緒にして欲しくない。こっちは生活がかかっているんだ。もっと言えば、彩空の将来がかかっている。だから、今は短期間で、多くの金額を稼ぐ必要があるのだ。その為なら、俺は嫌われ役でも恨まれ役でも、なんなら悪魔にでもなってやる。白い粉は売らないけど。
攻撃的な俺の口調に対し、小日向は尻込みすると思ったが、そうはならなかった。むしろ、俺の目を直視し続けた小日向は、一歩こちらに歩み寄る。
かなり近い。パーソナルスペースを崩された俺は、狼狽えてしまう。
「なら、私が少しでも力になれないかな?」
上目遣いを向ける小日向に対し、俺の方が一歩後退りする。1日学校で誰とも話さない日もあるくらいの俺だ。この状況は刺激が強過ぎる。
「なれないわ」
すぐに俺は視線を逸らし、冷たくあしらった。が、一つ失敗。頭がテンパってたせいで、何故かお姉口調になってしまった。聞き逃して欲しかったが、小日向は笑いを吹き出す。どうやら、相当ツボだったらしい。
「じゃあな」
ツボってる間に、俺はその場を去ろうとするが、小日向に腕を掴まれ、逃亡は失敗に終わる。
「じゃあさ。ライン交換しようよ」
「は? なんで?」
「なんでって言われると困るけど。私、貴志君とは友達になりたいと思っているの」
「俺は思ってない」
「でも、私は思ってる」
冷たくあしらう俺の言葉に対し、小日向は全く揺るがない。さすがの俺も躊躇してしまう。
小日向の奴、クラスの中で大人しくて、オドオドしたタイプなのに。俺の前だと随分、積極的というか攻撃的だ。もしかして、俺のこと、ボッチだと思ってバカにしているのか。と、悲観的に考えていたが、以前八重桜が言っていた言葉を思い出す。
小日向は大人してオドオドした子。でも、それは一見した印象。本当は誰よりも頑固で、行動力がある奴と評価していたな。
「小日向。俺、ガラケーなんだよ」
悪いな。という感じに俺が言うと、小日向はムッとした顔をする。
「酷い。教えたくないからって、嘘言わなくても」
いやいや、酷いのはどっちだよ。ガラケーを所有していることがそんなに悪いのか。俺を睨みつけたまま、小日向は動かない。
面倒臭い奴だ。言うより、現物を見せつけた方が早いと思い、俺はポケットにあるガラケーを取り出し、小日向に見せつけた。途端、小日向の唖然とした顔をする。まるで、水戸黄門の印籠を見つけたような驚きようだな。そこまで珍しいのか、ガラケーは。
「嘘ッ」
「だから、嘘じゃないって言ったろ」
「どうやって、メールのやりとりしてるの?」
「e-メールだよ。まあ、やりとりするのなんて、母親か妹くらいしかいないし。ほぼ用事は電話で済ませるから、なんの不自由もないがな」
「えっ、その。友達とのやり取りは?」
「小日向よ。俺が友達いるように見えるのか?」
俺は決め顔で即答した。うわー、自分で言ってって惨めになるセリフだな。涙が出ちゃうよ、男の子なのに。
「じゃあ、仕方ないね。わかった。電話番号とメールアドレス教えて」
小日向は困った人だね。とでもいうような顔で溜息を一つ漏らすと、ポケットからスマホを取り出す。
「悪いな」
と言い、俺もガラケを開いた……って、あれ。なんで俺、小日向に謝ってるの? しかも、普通に番号交換する流れになっているし。
納得いかないが、ここで断るのも面倒だ。俺はそのまま、電話番号とメールアドレスを教えた。
「あら、来栖君。こんなところにいたの」
後ろから声がしたと思ったら八重桜だ。俺達の方へ歩み寄って来る。途端、小日向は慌ててスマホをポケットにしまう。
「二人が一緒にいるなんて珍しいわね。ああ、違うわ。正確に言えば、来栖君が誰かと一緒にいるのは珍しいわね」
「いちいち、言い直すなよ」
八重桜は開口一番から毒舌。もう、俺は動じない。この短期間で八重桜のキャラに慣れてしまった。
「もしかして、邪魔だったかしら」
八重桜は俺と小日向の顔を交互に見つめる。小日向は首を振ると「ううん。大丈夫。今話し終わったところだから」と早口を答えていた。
「それじゃ、私は帰るね」
俺を一瞥すると、小日向はその場から立ち去るように背を向ける。
「で、なんか用か?」
「ああ、そうそう。喜びなさい。新しいお仕事のお話しよ」
と、八重桜は含みのある笑みを浮かべる。その笑みは不吉だ。それに何故か声もデカいし。しかし、それよりも、また新たな仕事が舞い込んでくれたという喜びが勝っていた。
ここで更に金が入れば、彩空を高校行かせる説得材料にもなる。なにを依頼されるかはわからないが、今回も難無く達成してみせる。
「じゃあ、早速話しを聞かせて」
もらおうか。と、言おうとしたところ、俺は口を噤んだ。何故なら、八重桜があらぬ方向に顔を傾けていたからだ。
八重桜が向いていた方向に視線を移すと、そこには先程立ち去ったと思われていた小日向が、背を向けた状態のままで立ち止まっていた。
「小日向さん。どうしたのかしら? そんなところで突っ立って」
小日向の背中を見つめ、八重桜は不思議そうな声を出す。が、俺は気付いてしまった。
不思議そうにしているのは声だけ。八重桜の顔はシメシメとでもいう感じに口元を緩ませている。まるで、小日向がここで足を止めることを想定していたような顔。
そういえば、さっき八重桜が発した開口一番、やけにデカい声だったな。まさか、小日向に聞こえるよう、わざとデカい声を出したのか。
振り返った小日向の顔は、困ったような表情を浮かべていた。目も泳いでしまっている。
「あっ。えっと……その仕事の話、私も加わっていいかな?」
「何故?」
「いや。何故って言われると」
小日向は躊躇し、困惑した表情が深さを増す一方、八重桜の嫌らしい笑みの深さも増していく。やはり気に食わん顔だ。とはいえ、八重桜の言うことはごもっともだ。
「ああ。もしかして、小日向さん。来栖君の仕事を狙っているのかしら。欲しい物も多い年頃だもんね」
なに、小日向が俺の仕事を狙っているだと。
「小日向! お前、まさか俺の仕事を狙って」
「違う違う。そうじゃない!」
二人の視線が自分に集中すると、小日向は両手を前に突き出して、慌てたように首を振る。
なにが違う違う。そうじゃないだ。お前は鈴木雅之か。と、突っ込みたいところだったが、言ったら場が白けそうだから、辞めておこう。
しかし、こいつ、俺から携帯の番号を聞いた理由は、俺から仕事を奪う為だったのか。やっぱりな。最初から変だとは思ったんだ。普通に考えて、俺と番号交換しようなんて物好きいるはずがない。
「私、お金なんて興味ない」
「えっ。小日向さん、あなたボランティアのつもり。逆に気持ち悪いわ」
「小日向。お前は貧乏人の俺をバカにしているのか」
「……私、結局なに言っても反感買うんだね」
俺達の批判に小日向は何故かドン引きする。なんだ、その顔は。今流行りの逆ギレってやつか。
「まあ、いいわ。小日向さんもいらっしゃい」
「八重桜。なに言ってるんだ。まさか、俺の仕事を」
「落ち着きなさい、来栖君」
八重桜は慌てる俺を鋭い眼差しで停止させる。
「前にも言ったと思うけど。私が依頼する仕事は来栖君、あなたにしか出来ない仕事よ」
「八重桜」
「そう。根暗で、捻くれて、コミュ症でボッチ。人に恨まれても気にしない来栖君しか出来ないのよ」
「だから、いちいち言い直すなよ」
てか、その決まり台詞。ほとんど悪口だからな。
「但し、小日向さん。付いてくるうえで、条件が二つほどあるわ」
「えっ。なに?」
いきなりの条件付け。小日向は当然、身構えた顔をする。
「まずは保守義務として、依頼された内容については他者に他言してはいけない」
ごくあたり前のこと。なのに、小日向の肩がピクリと上がる。
おいおい、なんだよ、その反応は。小日向先生、皆に言いふらす気だったの? マジ恐いわ。
「まず、一つ目の条件。守れるかしら?」
「うん。守る」
小日向は考えたあげく、頷いた。だからそこ、そんな考えるような重要な質問じゃないって。会社に入る際、内容を詳しく見るまでもなく、サインする同意書みたいなものだ。
「わかったわ。じゃあ、もう一つ。これが特に重要」
「なに?」
次はどんな条件を出してくるのだろう? きっと、言い方からして、こっちが本題だろう。
が、八重樫には珍しく、すぐには言わず、モジモジしていた。
何故だろう。普通は可愛いと思う仕草なのに、八重桜がモジモジすると逆に恐い。これではヒロイン失格だな。
俺と小日向が同時に息を飲む中、八重桜はポケットからスマホを取り出した。
「小日向さん。私と電話番号を交換しましょう。そのラインも一緒に」
「えっ。それが条件?」
予想外の条件だったのだろう。小日向は目を瞬きしていた。
「なによ。嫌なの?」
「いや、別に嫌ではないけど」
「どうして? ガラケーしか持っていないような男とは番号交換して。私とは交換できないの」
八重桜の奴、口調は強気だが、少しテンパっているぞ。まさか、八重桜も友達がいなくて、番号交換したことがほとんどないとか?
いや、それはないな。八重桜は女子にかなりモテる。女子達が話しをしている噂話しだと、非公開のファンクラブまであるらしい。だから、番号交換を懇願してくる子達は多いはずだ。とするとあれか。聞かれることがあっても、自分から聞いたことがないタイプか。
そういえば、八重桜の奴、前に小日向のこと好きって言っていたな。しかもラブだと。まさか、小日向と番号を交換したいが為、仕事に加える気なのか? だとしたら、あまりにも軽率な行動だと思うぞ。てか、八重桜の奴、俺達が番号交換しているの、しっかり見てたのね。
「ううん、いいよ。ただ意外でビックリしたの?」
「意外?」
「うん。だって、八重桜さんみたいに綺麗で、友達の多い人がさ。私みたいに地味で、なんの取り柄もない人間の番号知りたいなんて、意外」
小日向は目を伏せて、卑屈な言葉を口にする。途端、八重桜は眉を顰めた。
「小日向さん。なんで、私に友達が多いと思ったわけ?」
「えっ。だって、八重桜さんの周りって、よく人が集まるし。ファンクラブまであるって噂だよ」
「別に集まってくる子達は友達じゃないわよ。それにファンクラブだって誰かが勝手に作って、勝手に盛り上がっているだけでしょ」
「えっ?」
「えっ?」
二人共、互いに呆けた顔をする。どうやら意思の疎通が出来ていないようだ。
「小日向さん。あなたの言う友達の定義ってなに?」
突然、八重桜はとんでもない質問を投げつけていた。それは俺がもっとも嫌いな種類の質問だ。
こういう時、大抵の奴は言葉に詰まる。小日向もそうかと思ったが、意外にも即答で「利害関係なしで信じ合える関係」と答えた。
この答えに八重桜は微笑む。一方、俺は驚いていた。
「さすがね。きっと、小日向さんなら、迷わず、そう答えると思った。じゃあ、もう一度聞くわね、小日向さん。あなたは私に友達が多いと思う。むしろ、いると思う」
二度目の質問。この時、小日向は八重桜の質問の意図を知ったのだろう。急に顔が曇り出した。
「なぁ、八重桜。俺が口を挟むことじゃないが」
「あら、来栖君が口を挟むなんて珍しい。なにかしら」
珍しいと言う割に、八重桜の顔は想定内といった顔。気に食わない顔だが、構わず俺は言葉を繋げる。
「そういう議論はバカバカしいと思うぞ。小日向、お前が言った友達の定義は、とても素晴らしいものだ。でも、幻想でしかない。これは八重桜がどうこうじゃない。多分、他の奴だって、利害関係なしで信じ合える友達なんていないと思う」
友達が出来る切っ掛けは、大抵2種類。話しが合い、類似の趣味を持つ関係。後は、この人と一緒にいれば、自分が利益をもたらすという関係。いわば、小日向の定義とは真逆。利害関係を必要とする関係だ。大人の友情は、ほとんど後者になると聞いたことがある。
仮に話しが合い、類似の趣味を持つ仲の良い友達同士であっても、自分に害が出るのであれば、見放したり逃げ出したりするだろう。
友達は家族との関係ほど重くない。
家族は戸籍上で繋がっている以上、責任がある。嫌な言い方をすれば、責任があるから、投げ出すことも逃げ出すことも許されない。結果として、自分自身の首を絞めてしまうからだ。
でも、友情は違う。いらなくなれば、捨てて新しいものに取り替えることが出来る。友達なんて所詮、ファッションと一緒で、いつでも着せ替え可能なのだ。
俺が喋り終えると、それに同意するように八重桜は「ということよ」と付け加えた。
小日向は途端、黙り込んでしまった。
ただ小日向の顔は、寂しげな顔ではなく、俺が話した内容に納得がいかない。という不満げな顔であり、むしろ噛み付いてくるんじゃないかっていう顔だった。
小日向の奴。もしかしたら、根っこは八重桜なんかより断然、気が強いのかもしれないな。
「そういうわけで。小日向さん、番号交換しましょ」
「あっ。うん」
なにが、そういうわけで。なのかは不明だが、八重桜は一人納得した顔で、手に持っていたスマホの操作を始めた。
俺と小日向は電話番号とメールアドレスを紙に書いて渡したのに、八重桜と小日向はQRコードとかいうものをカメラに映し、あっという間に番号交換を終えていた。
あれが最先端のラインってやつか。そういや、彩空も便利だよって、俺に何度もスマホを勧めてきたっけな。頑固な俺は理由もなく、ガラケーにこだわっているが。
番号交換を終えると、八重桜は「ああ。後、一つ言い忘れていたわ」と、思い立った様子で言う。
「小日向さん。さっき自分のこと、地味でなんの取り柄もないって言っていたけど、私はそう思わないわ。あなたは真っ直ぐで優しい人よ。私が心の底から憧れるくらいね」
八重桜の告白に、小日向は「ええ!」といって照れた顔をする。目の当てどころに困ったのか、急に俺の方を見ると「貴志君。どうしよう」と話しを振ってきた。俺は冷静に「どうもしなくていい」と言って、暴走している小日向を落ち着かせた。
その一方で、俺は複雑な心境だった。絶対に口にはしないが、八重桜の言う通り、俺も小日向は真っ直ぐで優しい奴だと思っている。誰もが放っておく金魚の世話を誰かに強要されたわけじゃないのに、自ら進んでやるし。金魚にお墓を作ってあげようと言う子だ。
そう、良く言えば優しい子。悪く言えば、幼い。融通の利かない奴だ。
だから、不安は拭えない。今後、仕事をしていくうえで、理不尽なことはたくさん起きるだろう。
そんな時、小日向はきっと受け入れられない。邪魔な存在になる可能性が高いだろうから。