第6話 かわいい妹
うちのアパートは築四十年。洋室六畳、和室五畳の2K。バス・トイレ別、家賃は三万五千円。学校から自転車で一時間――運動になると、前向きに解釈している。
二階の二〇六号室が我が家。鉄骨の外階段を上がるたび、ギシギシと金属が鳴る。錆びかけた音にも、そのうち愛着が湧く。住めば都ってやつだ。
「ただいま」
鍵は開いていた。キッチンでは彩空がエプロン姿で夕飯の準備中。
「あっ、お兄ちゃん。おかえり。今日、遅かったね」
来栖彩空、十五歳。成績は常に五位以内をキープ。偏差値70。空手部の主将を務め、全国大会常連の実力者。しかも顔面偏差値まで高い。
明るくて誰とでもすぐ打ち解ける、人たらし。俺とは、そもそも設計思想が違う。
透き通るような白い肌に、切れ長で涼しげなのにどこか人懐っこい瞳。長い黒髪は陽を受けると青みがかって輝き、凛とした立ち姿には自然と目が惹きつけられる。
「今日のメシは?」
「今日はね、奮発ハンバーグ」
「そのボウルの白いの、どう見ても豆腐だが」
「豆腐ハンバーグ。安心して、ひき肉も入るし、上に目玉焼きドーンだから」
「それは楽しみだな」
冷蔵庫を開けると、彩空が目を丸くする。
「お兄ちゃん。それなに」
「お土産。食後に食べよう」
「この箱……テレビでやってたチーズケーキ店の?」
「そう。彩空、食べたいって言ってたろ」
臨時収入。これくらいの贅沢は許されるはず――と差し出すと、彩空は潤んだ目で俺の手を握ってきた。可愛い……と思った次の瞬間。
「お兄ちゃん。悪事はしない、が我が家ルールだよ? 質素でも笑顔。ね?」
「ちょっと、何言ってるか分からないんですけど」
「泥棒はダメ、ゼッタイ」
前言撤回。全然可愛くない。
「うわぁ……美味しい。ポイント高いよ、この濃さ」
食後、チーズケーキを頬張る彩空は満面の笑み。買ってよかった、とインスタントコーヒーをすする。やっぱり柏木さんのコーヒーは別格だ。今度、連れていってやるか。
「あ、そうだ。クラスの子たちがありがとうって。金魚ね」
「悪い、急に頼んで」
「ううん。うちのクラスの水槽も寂しくなってて。三匹増えただけで、だいぶ華やいだよ」
――そう。例の前日、俺は金魚を別容器に移して彩空へ渡した。需要と供給が噛み合っただけだ。断られていたら、見殺しにしてたかもしれない。
「ね、お兄ちゃん」
「ん?」
「なんか良いことあったでしょ?」
コーヒーを吹き出しかける。
「図星だね?」
「違う」
「お兄ちゃんがクラスの金魚に首突っ込むなんて、世界が三回転半しても無いイベントだもん」
……さすが俺の妹。勘が鋭い。
「ところで、今はどんなお仕事? お兄ちゃんのコミュ力は底辺だから、すぐクビになっちゃうでしょ。ケーキなんて買って大丈夫?」
「さりげなく刺すな」
「白い粉とか売っちゃダメだからね?」
聞いてない。
「でも心配しないで。来年になったら私も社会人。もう貧乏卒業だよ」
耳が止まった。
「彩空。何言ってる。高校に行けって言ったろ」
尖った声に、彩空が「しまった」という顔。
「この前、行くって言ったよな……就職活動してないよな?」
「そ、そんなわけ――ない、とは言ってない……かも」
嘘が下手。そこが弱点だ。
「実際、探してみてどうだ。見つからないだろ」
「今は見つからないけど、これから見つかる」
「やっぱり探してるじゃないか」
「あっ……お兄ちゃん!」
顔が真っ赤。感情が表に出るタイプ。交渉業は向かない。
「やめとけ。俺は中卒を否定しないが、世間は違う。門は狭いし、給料も低い。お前は頭がいい。高校は出ておけ。もったいない」
「それ、お母さんが言ってたセリフ、そのまま。お兄ちゃんは高校行くべき、社畜コース一直線。でも私は違う。どうせ結婚して家庭に入る予定だし」
「俺、社畜確定なの?」
「冗談冗談――でもね、お金のこと考えると、私が働いたほうがコスパいいかなって」
「金は俺がどうにかする」
根拠はない。けど、胸を張った。彩空が不安そうに俺を見る。
「やっぱり白い粉――」
「売らん」
本当のところ、次の依頼が来たらやるつもりだ。気持ちのいい仕事ではないが、短期でこれだけ入るなら背に腹は代えられない。もっとも、しばらくは来ないだろう――と、そのときの俺は楽観していた。
現実は、違ったけどな。
俺たちが和気あいあいとチーズケーキをつついている頃、八重桜は次の依頼の準備をしていた。そんなこと、知る由もなく。




