第5話 来栖君の妹はハイスペックです
俺の家は築40年。洋室6帖。和室5畳の2K。バス・トイレ別。家賃は3万5千円だ。学校から家までは自転車で1時間程度かかる。まあ、運動になって良いと俺は前向きに考えているが。
アパートの2階、206号室が我が家。錆びかかった鉄コン筋クリートの階段を登ると、ギシ、ギシとコンクリートが軋む音が鳴る。さすが築30年。錆びついた音すら、今は愛着を覚えてしまう。なんでも住めば都ってことだ。
「ただいま」
家の鍵が開いている。きっと、彩空が帰ってきているんだろう。家は中に入ると、すぐにキッチンへ繋がる。そこには案の定、彩空がいて、夕食を作っている最中だった。
「あっ、お兄ちゃん。おかえり。今日、遅かったね」
彼女の名前は来栖彩空正真正銘、俺の妹。歳は15歳、中学3年生。本当に俺の妹かと疑うくらいハイスペックな奴だ。
学年トップの成績で、偏差値75の高学歴。運動神経に加え、戦闘能力も抜群で、中学では空手部主将。地区大会は必ず優勝し、去年、全国大会に出る一歩手前までいった。
そして、極めつけに容姿端麗。ショートボブの髪にパッチリとした二重で、人懐っこい雰囲気が漂っている。人を寄せ付けない俺とは大違いだ。
身長も150センチ中旬。比較すると、小日向よりは少し高く、八重桜よりは低い背丈。性格は俺と真逆。明るく社交的であり、誰とでも仲良くなれるタイプだ。
話しを聞く限り、友達も多そうだし、稀に「お兄ちゃん。今日、別のクラスの男子に告白されたんだけど、どうしよう?」という、兄としては耳を塞ぎたくなるような相談をさせることも多々ある。
「今日のご飯はなんだ?」
「今日はね。奮発してハンバーグだよ」
「ハンバーク? そのボールに入っているのは、どう見ても豆腐に見えるが」
それとも、豆腐に擬態した挽肉だろうか?
「豆腐ハンバーグだよ。大丈夫、挽肉も入れるし、なんなら上に目玉焼き乗せちゃうから」
「そっか。それは楽しみだな」
と、俺は相槌を打ちながら、冷蔵庫を開ける。途端「お兄ちゃん!」と、彩空は声をあげた。
「どうした、急に」
「それはこっちのセリフ。なに、その手に持っているものは?」
「ああ、お土産だ。食後に食べような」
「その箱。テレビでやってた、チーズケーキが美味しい、あのお店の?」
「そうだよ。彩空、食べたがっていたろ」
臨時収入が入ったんだ。少しくらい贅沢をしてもバチは当たらないだろう。彩空は俺を見つめ、目を潤ませていると、俺の手を両手で握ってきた。
なんだ、こいつ。泣くくらい嬉しいのか。可愛い奴だな。
「お兄ちゃん! お母さんと一緒に約束したよね。どんなに家が貧乏でも、絶対に悪事はしない。質素な生活でも、笑顔は絶やさない家族でいようって」
「ちょっと、彩空さん。なに言ってるかわからないんですけど」
「泥棒はダメだよ。お兄ちゃん!」
前言撤回。全然、可愛くない。
「うわぁ。美味しい。頬がとろけちゃいそう」
食事後。チーズケーキを食べながら、彩空は満面の笑みを浮かべていた。これだけ喜んでくれると、買ってきた甲斐があるな。と、俺はチーズケーキを食べながら、コーヒーを口にする。
飲み慣れたインスタントコーヒーも安心する美味さだが、やっぱり、柏木さんが作ったコーヒーは絶品だよな。今度、彩空も連れて行ってやろう。
「あー。そういえば、お兄ちゃん。クラスの子達がありがとうだって。金魚」
「ああ。悪いな、急に変なお願いして」
「ううん。ちょうど、クラスで飼っている金魚も減ってきて、寂しい感じがしてたから。3匹加わっただけでも、賑やかになったよ」
と、彩空は嬉しそうに目を細めた。
そう。今回の水槽破損事件。俺は水槽を割る前に金魚を別の容器に移動し、彩空に渡していた。
あの事件を起こす前日。学校にある金魚をもらってくる人が探していると彩空に相談したところ、私のクラスで欲しいから頂戴と言われたのだ。だから、たまたま需要と供給が一致したまでのこと。彩空がいらないと言ったら、金魚はそのまま見殺しにするつもりだった。
「ねぇ。お兄ちゃん」
「ん。なんだ?」
「なんか良いことあった?」
彩空のさりげない突っ込みに、俺はコーヒーを吹き出しそうになった。
「あっ。図星」
「違うよ」
「だってお兄ちゃんがクラスの金魚をどうにかしようなんて、世界がひっくり返ってもないことだから」
「バカ。そんなことは……」
あるかもしれない。さすが俺の妹。鋭いところを突いてくる。
「ところで、今度はなんの仕事をしているの? お兄ちゃんのコミュ力は底辺だから、すぐバイト首なっちゃうでしょ。ケーキなんて買って大丈夫なの?」
「お前、さりげなく兄をディスるなよ」
「ダメだよ。白い粉とか売っちゃ」
全然、聞いてねぇな、こいつ。まあ、今まで俺が起こした失態を知れば、心配になるのも無理ない。
「でも、心配しないで。来年なれば、私も社会人だから。もう、貧乏生活じゃなくなるよ」
と、彩空はガッツポーズで笑みを浮かべる。俺はその言葉を聞き逃すことが出来なかった。
「彩空。なに言ってるんだ。高校には行けって言ったろ」
尖った声を出す俺に対し、彩空はしまった。という顔をする。こいつ、まさか。
「お前、こないだ高校に行くって言ったのに。俺や母さんに黙って、就職活動してないだろうな」
追い打ちをかけるように俺は問いただす。彩空は「そ、そんなことないよ」と、口元をピクピクとさせながら、目を逸らす。
彩空はハイスペックだが、一つ大きな弱点がある。それは嘘を付くのが、大がつくほど下手くそだ。
彩空は純粋過ぎる性格。故に彼女の嘘は、ほぼ100%見破られる。
「実際、探してみてどうだ? 見つからないだろ」
「今は見つからないけど、きっと見つかるよ」
「ほら。やっぱり探しているじゃないか」
「あっ」
簡単な引っ掛けに、彩空はまんまと引っ掛かる。途端「お兄ちゃん!」と言って顔を真っ赤にさせる。
ああ、そうそう。彩空は喜怒哀楽がはっきりしているから、ポーカーフェイスには程遠い。交渉とかの仕事は辞めた方がいいだろう。
「だから、辞めとけって。俺だって中卒が悪いという偏見は持ってない。でも、世間は違う。中卒ってだけで、雇ってくれないし、給料だって低い。例え、優秀であってもな。だから、無理にでも高校には行って、卒業しといた方がいい」
「それ、お母さんがお兄ちゃんに言ったセリフでしょ。お兄ちゃんはダメだよ、高校行かなくちゃ。男の子は将来、結婚して定年まで社畜のように働くんだよ。でも、私は違う。どうせ、将来は結婚して、家に入るんだから」
えっ、嘘。俺、社畜になっちゃうの? 貧乏も嫌だけど、社畜も嫌だな。
「彩空。悪いことは言わない。お前はさ、頭もいいんだから、高校には行っとけって。お前なら、県内で一番頭のいい学校にだって行けるんだし。もったいないだろ」
「でも、私まで高校行ったら」
「大丈夫だ。お金のことは、お兄ちゃんに任せておけ」
何の根拠もないが、俺は胸を張ってみせた。そんな姿に彩空は不安げな顔をする。
「お兄ちゃん。やっぱり、白い粉売ってるんだ」
なんだよ、やっぱりって。兄の信用ゼロだな。
白い粉は売らないけど、また八重桜から仕事の依頼があればやりたい。正直、気持ちのいいものではないが、短期間であれだけの収入を得られるのは家庭としても助かる。とはいえ、次の仕事は当分ないだろう。と、この時、俺は期待していなかった。
でも、現実は違っていて。八重桜が俺に対し、味を占めており。
俺達が今、和気藹々と食事をしている中、八重桜は次の依頼を俺に出そうとしていたことなど、この時の俺は知る由もなかった。