第4話 来栖君は不器用のようです
明日の十六時。喫茶店キャッツで待つ。と、八重桜からメールがとんできた。
翌日の放課後。俺は時間通り、喫茶店キャッツに向かう。店の前に立つと、ドアには【キャッツ CLOSE】という札になっている。
あいつ、また店を貸し切りにしたのか。そんな余力があるなら、少しでも多く俺に回してほしいものだ。
ドアを開けると、ドアベルが鳴るのと同時に、また柏木さんが出迎えてくれる。
「来栖君、いらっしゃい」
もう、完全に常連客扱い。柏木さんのフレンドリーな対応に慣れず、俺はオドオドしながら「どうも」と会釈した。
視線を正面に向けると先日同様、八重桜がテーブル席でコーヒーを飲んでいた。歩み寄ろうとしたら、八重桜の横にもう一人先客がいることに気付く。
いたのは小日向だ。何故か俺のことを凄い剣幕で睨みつけていた。とはいえ、パンダみたいな真ん丸した目だから、睨みつけても全然凄みがない。
「なんで、小日向がいるんだ?」
俺が席に座りながら尋ねると、八重桜はコーヒーを飲み「そんなの、この場に欠かせない人物だからに決まってるでしょ」と即答する。
「来栖君。ご注文は?」
柏木さんが水を持ってきながら、注文を確認してくる。俺は八重桜の方を見て「八重桜。報酬は今日もらえるのか?」と聞くと「ええ。今日払うわ」と答えが返ってきた。
「じゃあ、こないだのと一緒で」
「はい。わかりました」
こないだの。で、通じたので、ちょっと安心した。ブレンドコーヒーと、パンケーキと言うのは、ちょっと恥ずかしいからな。
柏木さんはお辞儀すると、そのまま、カウンターの方に消えていく。
俺は二人が注文したものを見る。八重桜はこないだと一緒でコーヒーのブラックだ。一方、小日向もコーヒーだろうか? 二人のカップは一緒のものだが、液体の色は黒ではなく、ほぼ白に近い。それに小日向のテーブルには、ミルクケースが2つ、シュガーが少なくても4つ使った痕跡が残っていた。
小日向の奴、相当な甘党だな。それ、もうコーヒーじゃないぞ。
「来栖君。昨日のあれは最高だったわ、もう、文句つけようない。100点満点よ」
席に腰を落とすと早々に、八重桜は俺を絶賛してくれた。今日は珍しく機嫌がいいようだ。
「そっか。それは良かった。じゃあ、もらうもの、もらおうか」
「ええ、そうね」
まさか、ここにきて支払いを渋るのかと警戒したが、そんな素振りはなく、八重桜は鞄の中から茶封筒を取り出し、テーブルに置く。
「依頼遂行代。プラス、ボーナスチャンスを加えた十三万円が入ってるわ」
俺は疑り深い性格だ。封筒を手に取り、中を見る。間違いなく一万円札。偽札ではなさそうだし、数えたところ、ちゃんと十三枚ある。マジか。俺がバイトで毎週、五日間汗水垂らし、二ヶ月ほどかけて稼いだ金額が、あっさりと手に入ってしまった。
「なぁ。本当にいいのか?」
そう。ここにきて俺はビビッてしまった。俺は貧乏人。こんな大金、普段はお目にかかれない。こいつ、俺に恐喝されたと訴えたりしないだろうな。
「どうして? あなたはそれだけの苦痛を味わったと思うけど」
「大したことないだろう。あんなこと、誰にだって出来る」
「無理よ。他の人は絶対やらないし、出来ないわ」
軽口を叩く俺に、八重桜は首を振った。
「仮に二十万積んだとしても、他の人は絶対にやらないわ」
「何故?」
「そりゃ皆、お金よりも、自分の存在価値を重要視するからよ。お金は欲しいと思うわ。けど、それよりも学校という一つの組織の中で、周りの評価を下げず、争いのない平和な環境で過ごせるか。そっちの方が断然、重要なのよ」
「俺は貧乏人だから、やると思ったのか?」
八重桜の言葉に対し、俺はつい皮肉を口にしてしまう。ところが、八重桜はニンマリと半端な笑みを浮かべた。
「貧乏人だから、やる? とんでもないわ、来栖君。自分をそんな過小評価しなくていいのよ。あなたの性根が腐っているのは遺伝子的な問題。いくら同じ境遇の人間であっても、あそこまで恨みを買い、冷酷非道に依頼を遂行できる人なんていないわ。自信を持ちなさい」
そう言って、八重桜は親指を立て、グッチョブとでも言うようなドヤ顔をする。
うわ。やばい。今、危うく褒められたと錯覚しそうになったぞ。でも、実際のところ、どんでもない罵声を浴びせられているんだよな。酷すぎて、怒る気も失せてしまうが。
「ちょっと待ってよ。二人共さっきから、なに言ってるの? それになんで今、八重桜さんは貴志君にお金を渡したの?」
話しの輪から、完全に置いてきぼりを食らってしまった小日向は、呆気にとられた様子で、目をぱちくりさせている。
「ああ、小日向さんにはまだ、言ってなかったわね。私がね、来栖君に頼んだのよ」
「頼んだって、なにを?」
「小日向さんが金魚の世話をしなくて済むようにして欲しい。後、出来るなら、矢島さんと久保田さんに、これほどにない屈辱を与えて欲しいと。やり方は来栖君にお任せしたけど」
俺は八重桜のカミングアウトに唖然とする。てっきり、このことは俺と八重桜だけの秘密にしとくと思っていたが、いとも簡単に暴露するとは想定外。
こいつ一体、なにを考えているんだ。こんな話しをしたら、小日向の奴……と、視線を移すと案の定、呆気にとられていた小日向はしかめっ面になる。
「どういうこと。じゃあ、昨日、貴志君が水槽割ったのって」
「ええ。わざとよ」
怒りから、声を震わせる小日向に対し、八重桜は悪気ない顔で即答する。その言葉に小日向は「信じられない」と、不快感を露わにする。
当たり前の反応だ。可愛がっていた金魚を故意で殺されたのだ。怒りに顔が染まるのは当然のこと。
八重桜の奴、黙っていりゃいいものを何故、わざわざ火に油を注ぐことを言うのだろうか。
「私がね。小日向さんが、金魚の世話をしているのが気に食わなかったのよ。本来、金魚の世話をするのは、矢島さん、久保田さんの仕事でしょ。それなのに、小日向さんが自ら進んで、手を貸してしまった。ううん、手を貸すどころか、自分から率先して飼育委員の仕事をしてしまった」
責めるような八重桜の言葉に、小日向は複雑な顔を浮かべる。
「仕方ないよ。だって、あの二人、どっちが世話するかでずっと喧嘩してて、埒明かなかったし。そうこうしている間に、金魚は死んでしまった。あの時、私が世話をしてなかったら、金魚は全て死んでいたかもしれないんだよ」
「いいじゃない。そんなの死なせておけば」
反論する小日向の言葉を、八重桜は遮るようにいとも簡単に切り捨てた。この八重桜の発言には、さすがの俺も「おいおい。お前な」と突っ込みを入れてしまう。
俺も自分のことを冷酷非道で、空気の読めない奴だと自覚しているが、まさか同等の奴がクラスメイトにいるとは。金魚のことも、そんなの扱いだ。
「酷い。生き物の命をなんだと思っているの?」
「生き物って、金魚でしょ。大袈裟よ。別に来栖君は、あなたの両親や友達を殺したわけじゃないのよ。そんなに怒ることないじゃない」
いやいや。待て待て。今、小日向が怒っているのは、水槽を故意で壊した俺にではなく、八重桜の言葉に対して怒っているのだと思うが。横で聞いてて、さすがに俺も冷や汗ものだ。なのに、柏木さんは平然とした顔で、輪に入ってくると「お待たせ致しました。コーヒーです。パンケーキは、後で持ってくるから待っててね」と、いつもと変わらぬニコニコとした顔で、僕の前にコーヒーを置いていく。
コーヒーの味は、いつも以上に苦さを増していた。いや、これは気分的な問題かな。
この時、小日向は言葉を失い、涙目になっていた。しかし、気の強い性格なのだろう。ジッと黙ったまま、八重桜を睨みつけている。でも、残念ながら、あんまり迫力がない。
八重桜はやれやれといった感じで、頭を掻くと「嫌ね。私、悪役みたいじゃない」と、困ったような顔で口を尖らせていた。
大丈夫だ。みたいじゃなくて、完璧に悪役だ。俺なんかもう、小悪にしか映らないだろう。
しばらく二人は無言で睨み合っていたが、小さな溜息を漏らした八重桜が先に口を開く。
「あのね、小日向さん。学校で飼われる金魚はね、生徒達に命の大事さを教える、道具みたいなものなの。ああ、ごめんなさい。道具という表現は小日向さん、あまり好まないでしょうけど。でもね、そうなのよ。学校側からしてみれば」
八重桜には珍しく、丁寧な口調で説明を始めた。珍しいな。俺には絶対しない行為だ。
「金魚の世話はね、正しい知識を持って、大事に育てれば、長生きする。でも、世話の仕方を間違えたり、世話を放棄すれば、今回みたいにすぐ死んでしまう。きっと、矢島さんも久保田さんも、死んでしまった金魚を見れば、多少たりとも心痛んだと思うわ。そこで、二人は気付いたはず。小まめに世話をしなけば、金魚はすぐ死んでしまう生き物だと」
親が子に教えるような、とてもゆっくり、優しい口調で八重桜は話しを続ける。先程まで睨んでいた小日向の表情も、怒りから罪悪感へと色を変えていた。
「でもね、小日向さん、その機会をあなた自身が潰したのよ。死んだ金魚にいち早く気付き、誰にも相談せず、金魚を処分した。しかもその後、あなたは金魚の世話までし始めた。だから、矢島さんも久保田さんも、金魚が死んでいたことすら、気付けなかったの。小日向さん、あなたが良かれと思ってやっていたことはね、結果的に矢島さん、久保田さんの成長を阻む結果を生み、来栖君に公開処刑される運命を辿ってしまったのよ」
と、説得力のある正論で押し切ったな。まあ、言わんとしてることはわかる。でも、仕事を押し付けた、という点でいえば、矢島、久保田に非があるとはいえ、さすがにあの公開処刑はやり過ぎたと思っている。まあ、俺はあくまで雇われ身だから、仕方ない。全ては金の為だから。
「そっか。私、余計なことしちゃったんだね」
小日向は素直に反省。そして、落胆していた。さっきまでは頬を膨らませ、ぷんぷんしていたのに、今はショボーンと項垂れてしまっている。たれパンダみたいだな、と横目で見ていると、小日向と目が合ってしまう。とっさに目を逸らすが、何故か小日向は俺から目を逸らさず、凝視している。
「なんだ?」
ぶっきらぼうに俺が聞くと、小日向は迷ったような顔をする。目を伏せたり、上げたりと、ずいぶん落ち着きがないが、最終にはうん。と頷き、意を決した様子で顔を上げた。
「一つ、どうしても気になることがあるの。聞いていい?」
「ダメだ」
「うん。じゃあ、言うね」
おいおい。何故、ダメって答えたのに、言うのだ? こいつの思考回路、ぶっ飛んでいる。
「貴志君はさ、私が金魚の世話をしなくなるようになれば良かったんだよね。なんで、あんなやり方したの?」
「意味がわからない。率直に言ってもらえるか?」
「うん、わかった。じゃあ、率直に言うけど、貴志君は水槽割ってから、逃げても良かったんじゃないかな。なんでわざわざ、水槽を割った場所に残ったの?」
小日向は首を傾げ、無垢な瞳を俺に向けてきた。ポカンとした顔しながら、ずいぶん鋭い質問をしてくる。いい質問だ。だが、正直に答える気などさらさらない。
「別に意味はない」
そう簡潔に答え、そのまま、俺がプイと顔を背けると、八重桜はフフフッ、と意地悪な笑みを浮 かべていた。
「小日向さん。無理よ。来栖君が答えるはずないじゃない」
そうそう。答えるはずない。意外にも、八重桜の方が小日向より理解が早くて助かる。
八重桜のフォローもあり、この場は逃げられるとホッとしたのもつかの間、
「だから、代弁で私が答えてあげるわ。まあ、推測だから。来栖君は気にしないで聞いていて頂戴」
えっ、なに代弁だって。俺は突然、口にした八重桜の発言に耳を疑う。
驚いて視線を移すと、八重桜は口角を上げ、得意げな顔をしている。まさか、ハッタリだとは思うが、その自信ありげな顔に、嫌な予感は拭えなかった。
「勝手にしろ」
が、ここで止めるのも不自然。ちょっと待て。と言いたい気持ちを抑え、俺はそっぽ向いて窓の外を見つめる。耳は完全に八重桜の方に傾けていたが。
「もし、誰もいない教室の中で、水槽が割れていたら、余計な作業が発生するでしょ」
「余計な作業?」
「犯人探しよ」
「ああ。そうだよね。でも、それだとなんでダメなの」
「その後に起こる事態が推測できないという悪循環が起こるのよ。体育の授業を抜けたという時点で、来栖君が犯人にされる確率は高いけど、別の人が犯人にされる確率も0じゃないわ。最悪、自然現象で水槽が落ちたんじゃないかっていう推測で、解決してしまう可能性だってある。そうなると困るでしょ。また水槽を買い替えてしまい、元に戻ってしまうわ」
「そっか。でも、なんで皆が来た瞬間に水槽を割ったの? 最初から割ってから、事前に片付けておいて。自分が割ったと皆に言えばいいのに」
「それじゃ、インパクトが小さいのよ。水槽がなくなっている。そこで、来栖君が自分で割ったと発言しても、ああ、そうなんだ。程度で話しは収拾してしまう」
推測ということで、話し始めた八重桜。が、この時、俺は冷や汗ものだった。
依頼を受けた時点で、まさかとは思っていたが。こいつ、俺がどういう手段で今回の依頼を遂行するか、ある程度は推測していたに違いない。
小日向を助ける方法は知っている。でも、それには嫌われ役にならなければいけない。私、そんな役は御免だわ。あっ、私、お金たくさんあるし、誰かにやってもらおう。
そして、結果、俺に辿り着いた。そんな具合だろう。
「なるほど。それだと貴志君の行動は理解できるね」
「あら、私が言ったのは推測よ。でも、私の言っていたことは大体、合っていたかしら。来栖君?」
「さあな」
あくまで俺は知らん顔を通した。余計なことは言わないに越したことない。
納得した小日向は、コーヒーを飲み干し「あー。美味しかった」と、安堵の溜息を漏らす。が、途端に「あっ」と声を出す。
「そうだ。もう一つ、気になっていたことあったの。なんで貴志君、あの時、掃除を手伝うことを拒んでいたの。金魚のお墓作るのも、嫌がってたし」
首を傾げた小日向の頭には、クエスチョンマークが飛び交っている。同時に俺の心拍数も速くなっていた。まさかと思い、八重桜の方をチラ見すると、目が合ってしまった。八重桜は相手の弱点を見つめたような嫌らしい笑みを浮かべ、フフフッと笑いを漏らす。
ただ、その笑い方はいつも見せる意地悪な笑みではなく、少し嬉しそうな笑みに見えた。
「ばれちゃ困るものね」
「おい、八重桜。それだけは言うなよ」
俺は慌てて、八重桜を黙らせる。それを傍目に小日向は「えっ。なになに?」と、俺と八重桜を交互に見つめ、目を丸くしている。
髪の毛を耳にかけた八重桜は、俺の言葉など完全に無視。小日向の方に視線を向けた。
「あの金魚はね。オモチャだったのよ」
「えっ、オモチャ?」
ポカンと、小日向は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で俺を見る。
「なんで、そんなもの?」
当然、そういう質問になる。俺は視線を窓の外に逸らした。
「作戦を遂行するとはいえ、無関係の金魚を殺すのは心が痛んだんでしょうね。だから、生きている金魚は事前に別の場所に移して、水槽を倒した場所にオモチャの金魚を置いたのよ。まあ、誰も歩み寄ってくるはずから、バレないだろうと来栖君は踏んでいたみたいだけど。まさか、そこに金魚のお墓を作りましょう。なんて言う人が出てくるなんて、来栖君も想定外だったでしょうね。まあ、私も来栖君がわざわざそんな小細工してまで、金魚を助ける人だとは想定外だったけど」
フフフッと、八重桜は思い出し笑いをするような感じで笑う。
「じゃあ、貴志君は」
「そうね。金魚を殺していないわ。どこにやったかは知らないけど」
八重桜がそう言うと、小日向の顔がぱっと明るくなった。
先程まで空気がピリピリしていたのに、今は穏やかな空気が室内に充満する。とはいえ、俺はこういう空気が嫌いだ。いうか、慣れていない。
「パンケーキお待たせしました」
その時、ちょうどいいタイミングで、柏木さんが現れた。もう、いいだろう。そう思い、俺は無言でパンケーキを食べた。さっさと食べて、さっさと帰ろう。
「貴志君」
そんな時、小日向は俺を呼ぶ。無言で顔を上げると、俺の心臓は高鳴った。
小日向は、嬉しさと恥じらいが入り混じった笑顔で「ありがとね。私だけじゃなく、金魚も助けてくれて」と言った。
対して俺は「別に。俺は金の為にやっただけだ」と素っ気ない返事を返し、何事もなかったようにパンケーキに手を付ける。
この時、俺は平常心ではなかった。実際、俺の心臓は煩いほど高鳴っており、それを隠すのに精一杯だったのだ。同級生の女の子に感謝され、笑いかけてもらったことなんて、ほとんど経験のないからな。
俺には刺激が強過ぎるよ。