第30話 推理
「まずタイムラインだ」
俺は指を一本立てる。
「軽音は本番一時間前まで音楽室で通し練。そこでの機材は問題なし。その後、体育館へ移動。楽器と機材を楽器置き場に一時置き。生徒会の進行待ちで、班は三十分ほど離れた。異常が表面化したのは。その後」
「なら、その三十分に部外者がやったんじゃないの?」
「それは薄い」
「なんでよ」
「場所。時間。目撃リスク」
指をもう一本。
「その日、体育館周りは他部の生徒でごった返してた。部外者が軽音のスペースに近づけば目が付く。ケース開けてペグいじる、スピーカーの配線に手を突っ込む——どれも不自然すぎる動きだ。誰あれ? って一発で立つ」
藍染の眉がわずかに跳ねる。噴水の音が一拍大きく感じる。
同時に――もし犯人が『外』だとしたら、あの雑踏の中でわざわざ楽器に手を伸ばすか? 目撃リスクは天井知らずだ。それをやれる奴は、よほどの無謀か無知か、もしくは『中』に混じって違和感を消せる立場だけ。
言葉の芯が刺さったのか、藍染の表情が一瞬だけ「しまった」に揺れる。
「そう。誰にも怪しまれずに手を出せるのは、軽音の部員だけだ」
軽音の名札をつけていれば、ペグに触れても最終調整で済む。スピーカーをいじっても音出し確認に見える。自然過ぎる光景は、記憶に残らない。だから、怪しい人物は初手からリストに載らなかった。同情と思い込みは、時に一番強いブラインドだ。
藍染は肩をすくめて強気を作る。
「でも、なんで私なの。こっちは被害者よ? みかんのギターだけじゃなく、私のベースだって音が出なかったんだから」
ため息が漏れる。ここからが本題だ。
「――逆だ。その被害者演出が決め手になった」
「どういうことよ?」
「質問を替える。なぜ小日向のギターはペグをいじったのに、お前自身のベースはいじらなかった?」
途端、藍染の瞳孔がきゅっと絞られ、指先が鞄の革をきしませる。雷の落ちた顔、というのは多分こういうのを言う。
「今、校内で走っている噂を知ってるか――小日向が演奏をミスった。一年の間では、そっちのほうが広がってる。先生方も事を荒立てたくないから、内密にってお達し付きだ」
俺は淡々と積む。感情に頼らず、事実の並びだけで。
「お前は、容疑者から外れるために自分にも被害を作った。けど、同じペグ破壊を自分にやれば、桃花も下手だったという噂が立つ。だから選んだのは、音が出ないという結末。スピーカーの断線。ミスではなく、機材トラブル。名誉は守れる」
藍染の顔色が、怒りから恐怖へと薄く変わっていく。図星は、反論より先に沈黙を連れてくる。
「動機は一つ――嫉妬だろ」
言葉は鋭く、声は低く。逃げ道を示すやさしさは、今日は持ち合わせていない。
文化祭で拍手はギタリストに集まり、ベーシストの努力は、空気の厚みに溶ける。
天才と隣に立つ秀才の、割に合わない現実。歯を食いしばっても埋まらない差。次の舞台が近づくほど、称賛の未来図と、罵倒の悪夢が同時に濃くなる。ステージが怖くなるのは、負けを知っているやつだけだ。
計画か衝動かは断言しない。だが、あの日、誰かは舞台を止めたかった。
みんなのために。そして何より自分のために。
「じゃあ、私はどうすれば良かったのよ!」
胸倉を掴まれる。小さな手の甲が震え、目尻に溜まった涙が陽を弾く。声は張り上げても、奥歯のきしむ音は正直だ。
「私だってね、ずっと軽音を辞めたかったわよ……なのに、みかんの奴、いつもいつもニコニコして、私との演奏を楽しんでくれて……みかんだけじゃない、先輩達だって、みんな良い人で、私達の代を心配して、一年にウケる曲で行こう。って、自分達のやりたいの我慢してくれて……私だって、成功させたかったの、演奏会。でも、怖かったの……どれだけ練習しても、日に日に、手が震えるの。ステージが近づくたび、心臓ばっかりがドクドクして、指が言うこと聞かなくなって……だから——」
最後の「だから」が喉でほどけ、音にならない。
肩が大きく上下し、掴んでいた俺の胸元からそっと力が抜ける。
白い指先はまだ震えている。噛みしめた下唇に歯形が薄く残り、睫毛の端で涙が表面張力に耐えきれず、ぽとりと落ちた。強気に吊り上がっていた目尻は赤く、視線は俺の胸の辺りをさまよったまま上がってこない。
わかった。もう十分だ。
動機の精密さなんて要らない。俺の仕事は、犯人が藍染だと伝えることでも、懺悔を掘り起こすことでもない。写真を取り返す。それで終いだ。
そして、この真実は八重桜には持ち帰らない。
情けじゃない。合理だ。表に出せば、藍染は二度折れ、小日向は三度傷つく。無駄に血の匂いを増やす必要はない。
犯人が誰だったかは、俺と藍染と、この噴水の水音だけが知っていればいい。




