第29話 犯人
今日はやけに空が近い。
学校から自転車で二十分、勾当台公園のケヤキ並木は、若葉の影を斑に落としている。芝はよく刈られ、花壇のビオラが風に揺れて、噴水の水音が遠くでさらさら鳴っていた。スーツ姿がベンチでパンを頬張り、子どもが紙コップのジュースを振って泡を作っている。俺はというと、ベンチに腰を預け、胸を張って歩く鳩の首振りダンスを眺めて時間を溶かしていた。
体育館裏ばっかりじゃ飽きる。たまには青空の下で内密に、だ。
足元に影。つま先の白スニーカーが視界に割り込んできて、顔を上げる。
藍染桃花。団子頭、眉はキリッ、目はつんと釣り気味。腕を組み、つま先で地面を小刻みにトントン。
不機嫌――というより、デフォルトでツンツンの表情だ。身長はやっぱり小さい。正面に立たれると、どうしても見下ろす形になる。小学生と言われたら、彼女は真顔で殴ってくるタイプ。
「一体、何のつもり? こんなところに呼び出して」
語尾が尖ってる。風より冷たい。
「ああ。悪いな」
立ち上がる。横、空いてるけど、座れよと自然に言えるほど、俺は人間関係の難易度を上げて生きていない。
藍染は鼻で笑って、俺のベンチをちらり
「ベンチ、ひとりで独占とか。意外と図々しいのね」
言いつつ、座らない。日差しの縁に立ったまま、影だけこちらに寄越す。影が芝に二つ、コロンと落ちて、風に揺れた。
「手紙、読んだ。靴箱とか……昭和のラブレターかよ。ラインすればいいじゃん」
藍染は眉だけつり上げている。
「お前の連絡先、知らん。てか俺、ラインできない。ガラケーだし」
「は? ガラケー……。うちのばあちゃんも卒業したよ?」
と呆れ顔だが、すぐに鼻で笑う。
「でも逆に尊敬。化石と会話してるみたいで貴重だわ。電波、まだ出てるの?」
「ああ、バッチリだ。アンテナ三本」
公園を渡る風が、彼女のスカートの裾を少し揺らす。目は冷たく、顎だけわずかに上向き。自分から距離を詰めない姿勢が、氷みたいに形になって立っている。
鳩が「ポポ」と鳴いて、空は相変わらず、嫌味なくらい青かった。
「てかさ。あんた、みかんと付き合ってるの?」
「おいおい。冗談はその身長だけにしてくれ」
ピシッ、と空気が鳴った気がした。
藍染の眉間がきゅっと寄り、顎がわずかに上がる。腕を組む指先に力がこもって、爪が肌に沈む。もう一言でも余計なことを言えば、胸ぐらを掴まれる未来が見える。
「……あんた、ケンカ売ってるでしょ」
「買える資金は持ってない。節約志向でね」
彼女は舌打ち寸前の息を吐いて視線をそらすと、すぐ俺に戻した。
「みかんのヤツ、前は男の前に立つと緊張してロクに話せなかったのに。最近は普通にしゃべってる。だから聞いてるの」
「よく見てるんだな、小日向のこと。心配してるのか?」
「は? 心配してないし。目障りだから、勝手に目に入るだけ」
言葉の鋭さと裏腹に、組んだ腕の下で親指がそわそわと動いている。矛盾は、手先が一番正直だ。
「というかさ、そんな話するために、わざわざ呼び出したわけ? 私もヒマじゃないんだけど」
いや、最初にその話題を振ってきたのはお前だろ。というツッコミは飲み込む。ここで火を足す趣味はない。
「単刀直入に言う。八重桜から奪った小日向の写真を返してくれ」
掌を静かに差し出す。藍染の肩がわずかに跳ね、次の瞬間には平常顔へと戻る。
「あー、なるほど……あんた、八重桜さんの彼氏ってわけ?」
「本気で言ってるか?」
「……ごめん、冷静に考えたら無理あったわ。あの人、美人で成績もトップ。告ってくるイケメンを片手で捻ってフってるって噂だし。クラスでボッチって呼ばれて、最近裏でいろいろ事件起こしてるあんたを相手にするわけないね」
容赦ない。だが事実陳列罪は罪にならない。にしても、別クラスなのに俺の履歴書を暗唱できるレベルで把握してるのはどういう情報網だ。学校のゴシップ流通、恐るべし。
彼女の目の端には、まださっきの写真の二文字が小さく引っかかったままだ。そこを外さなければ、話は進む。
「どうでもいいから、返せ」
「やだ。絶対」
藍染はショルダーを胸に抱え、つり目で睨み上げてくる。指先が革をぎゅっとつまんで白くなる――そこに入ってる、で確定。捨ててはいない。まずは一呼吸ぶんの安堵。
「それ、窃盗だぞ。通報されたらアウトだからな」
「はっ? せ、窃盗じゃないし! 拾っただけだし! 生徒手帳は返したし!」
声は強がってるのに語尾が上ずる。もう、ほとんど子どもの言い訳だな。
「その写真で八重桜をどうするつもりだ……それと、生徒会長に立候補って話もブラフだろ」
「ブラフじゃないわよ。私は本気」
「知らないのか。犯罪者は会長になれない……それに、そのサイズで壇上はだいぶ目立つぞ。演説マイクが届かないだろ」
「最後の一行いらないでしょ! 身長関係ないし!」
「あと、選挙ポスターもどうするんだ。小さすぎて、余白が広すぎてスカスカに――」
「やめろおおお! 余白とか言うな!」
藍染はぷくっと頬を膨らませ、つま先立ちになる。無駄に健気だ。背伸びしても、俺の視線とまだ半歩ズレる。
「面倒だ。さっさと軽音に戻ればいいだろ。ステージは背の低いほうが映える時もある。ベースがでかく見えてロックだ」
「は? なんで私が戻らなきゃいけないの! っていうか今さらフォロー要らない!」
軽音の二音で、藍染の喉仏がびくりと跳ねた。地雷、直踏み。
「自分でやったこと、悩むのもわかる。けど、こういう嫌がらせ、続けても虚しいだけだ」
「……何よ。やったことって」
薄い唇が強張る。瞳の奥が一瞬泳いで、すぐ据わる。
俺はその瞬間を逃さなかった。
「部活紹介の演奏会。ギターのチューニングを壊され、ベースはケーブルを切られていた。犯人は見つかってない……そりゃそうだ。犯人は内部にいたんだから」
「来栖、あんた……」
「そう。犯人はお前だ、藍染」
低く落として指す。彼女は眉をつり上げ、吐き捨てる。
「私が犯人って証拠、あるんでしょうね」
「残念ながら、ない」
「は?」
「あの日すぐ押さえていれば、痕跡も証言も拾えた。けど三か月前の体育館だ。今さら掘っても砂しか出ない」
「じゃあ、なんで私なの?」
「勘だ」
「……侮辱で訴えるわよ」
肩の力が抜け、呆れ顔。
しまった、想定とズレた。怒らせて判断を荒らし、自白に近いほころびを拾う狙いが、拍子抜けで空回り。
鳩が芝をついばみ、噴水の霧が昼光にほどける。俺は息を整え、作戦を切り替える。勘で刺したなら、次は理で囲う番だ。
「まあ、そこまで自信あるならさ。私が犯人だと思った、勘とやらを聞かせなさいよ」
藍染は腕を組み、口の端だけで笑った。強がりの角度。風が花壇のラベンダーを揺らし、噴水の霧が陽で白く煙る。鳩が一羽、俺の足元を横切った。
勘、ね。確かに最初はそうだ。けど今は違う。積んだコマを言葉で並べるだけ。




