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来栖貴志くんは嫌われ者です  作者: 結城智
第3章 軽音楽の謎を追及せよ!
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第29話 軽音楽の先輩

空き教室。午後の陽が斜めに差し込んで、黒板に白い埃が浮いている。机を四つだけ寄せ、俺たちは向かい合った。

「お前ら、勢揃いで何の用だよ」


 先に口を開くと、斜め前の八重桜が腕を組み、涼しい顔で俺より早く刺した。


「小林先輩。あなたには用はないわ。必要なのは、あなたの付属品のほうよ。だから口は閉じていて頂戴」


 毒舌、温度ふつう。目だけが笑っていない。つま先でローファーをコツコツ鳴らす仕草が、早く話を進めろと言っている。


「おい、音無。俺、一応、先輩なんだけど……この子、遠慮ゼロだな」

「小林先輩。ハンカチ要ります? 涙は吸います」


 音無はいつもの柔らかい笑みでハンカチを差し出す。なぐさめ方が達者すぎる。村人Aのくせに。

今日の主役は別にいる。


 小林先輩の隣、ショートヘアを指で梳きながら座る女。

 七海柚ななみ ゆず三年。軽音楽部の部長。健康的な肌色、動くたびにうなじがきらりと光る。口角がきゅっと上がるタイプの笑い顔。


 悪意はない。面白がっている目だ。余裕のあるやつは、だいたい余裕のある笑い方をする。


「小林先輩。今回は力を貸してくれてありがとうございます」


 礼なんて柄じゃないが、ここは筋。頭を下げると、先輩は慌てて手を振った。


「やめろよ。らしくない。前も言ったけど、俺は君に恩がある。頼られたら動くって決めてる」

「ま、今回、慎二くんは役に立ってないけどね。必要なのは私の情報だし」


 七海先輩が肘でこづく。小林先輩は頭を掻いて、へらっと笑った。リア充の匂いが濃い。二人とも死ねばいいのに。


「で、私に話ってのは何?」

「……小日向みかんは軽音楽部なんですよね」


 確認など要らないとわかっていながら、口に出していた。もしここで「誰それ?」と言われたら、この依頼は別の物語に化ける。そんな逃げ道を、どこかで期待していたのかもしれない。だが七海先輩は即答した。


「えっ、みかんちゃんのこと。うん、そうだよ。うちの部のエースと言ってもいいかな」

「エースというと、楽器が上手ってことですか?」

「上手いとかいうレベルじゃないね」


 七海先輩は腕を組み、少しだけ眉間を寄せたあと、懐かしそうに目尻を緩めた。


「去年の文化祭でもね、みかんちゃんがイントロ一発で空気さらっていったの。ピッキングの粒もコードの置き方も気持ちよくて、二曲目の途中には体育館が水を打ったみたいに静かになって、ラストのソロで拍手が波みたいに起きた。終演後は舞台袖に見知らぬ社会人バンドが三組、名刺を差し出して、うちで弾かない? って」


 目に浮かぶ。舞台袖の暗がり、切れた弦が白く跳ね、彼女は一瞬だけ指先を見て——それでも笑って、音を繋いだ。将棋で読みを外さないように、音でも崩れない。そういう子だ。


「じゃあ、あいつは別のバンドにも属しているんですね」

「属してないよ。誘いは全部断ってる」

「何故?」

「この軽音楽部が私の居場所だから、他には行かないですって」


 七海先輩は照れくさそうに笑ったが、すぐに真顔に戻る。


「……でも、複雑だよね。あの子のスピードに、私たちがブレーキかけてる気がして。嬉しいと、悔しいが、半々」


 わかる。才能のそばにいると、人は勝手に自分の立ち位置を測ってしまう。みかんの居場所という一言が、妙に重かった。俺がこの前やったことは、あの居場所を軋ませる針だったんじゃないか――そんな嫌な予感が、喉の奥で金属みたいな味を残す。


 それでも仕事は仕事だ。俺は、頭の隅で引っかかっていた仮説を言葉にした。

可能性は低い。けれど、ここを外したら見落としになる。


「……七海先輩。藍染桃花って人物に心当たりがありますか?」


 切り出すと、七海先輩の頬がぴくりと動いた。視線が一秒だけ泳ぐ。図星。


「ご存じなんですね?」

「知ってるも何も、元軽音楽部よ」


 眉間に浅い皺。やっぱりな、と胸の中で頷く。


「担当はベース、で合ってますか」

「そう。なに、知ってて聞いたの?」

「いえ。そうじゃないかと」


 言いながら、頭の中でピースが噛み合う音がした。小日向が今ベースを持っている理由。

思い返す。昼休み、藍染が八重桜に絡んだ時、みかんが割って入った。あの瞬間の藍染の表情は、敵意だけじゃなかった。


 棘の奥に、罪悪感みたいな陰りがあった。仲が悪い、じゃない。本来は近かった二人に、どこかで亀裂が入った――そんな温度だ。


「元ってことは、部活を辞めたのよね」


 八重桜が割って入る。上級生なのに敬語は一切なし。


「うん、まあ」

「どうして?」


 立て続けの問いに、七海先輩の肩がわずかに落ちる。言いづらいのは明らかだが、八重桜は容赦ない。


「……わからないの。桃花、辞める理由も教えてくれなかったから」

「でも、心当たりくらいはあるはず」


 間髪入れずに追撃。

 さすがに七海先輩が助けを求めるように小林先輩へ目を向けていた。


「悪い。八重桜さんだっけ。その辺にしてやって――」

「あなたは黙ってて。こないだの醜態、彼女にばらすわよ」


 八重桜の視線が一本の杭みたいに突き刺さる。小林先輩、見事に白旗。視線がなぜか俺に飛んでくるが、すまん先輩、今日だけは見て見ぬふりを選ぶ。俺も知りたいんだ。


「七海先輩。安心してください。変な人たちですけど悪い人たちじゃないです。藍染さんのことを聞いてるのも、二人を仲直りさせたいからなんです」


 音無がやわらかい声で割って入る。嘘をつく時ほど澄んだ目をする男だ。でも、こんな場面では非常に便利。


「そう……確かに、前は仲良かったのにね。桃花が辞めてからギクシャクしてるって噂はあるし」


 七海先輩の表情が少しほどける。うんうん、と頷いた指先が膝で止まる。


「多分だけど――」


 天井の蛍光灯を一度だけ見上げ、七海先輩はゆっくり言葉を選び始めた。教室の空気が薄くなる。俺は息を整える。核心に近づくときの匂いだ。


 七海先輩は、窓の外に目をやってから、ぽつりと語り出した。




「あれは忘れもしない、三か月前——四月二十日。体育館で一年生向けの部活紹介。軽音はステージで一曲やる予定だったの」


 軽音の当時の顔ぶれを、指折り数えるように並べる。


「三年はボーカルの私、キーボードの杏子、ドラムの苺果。二年はギターのみかんちゃんと、ベースの桃花。総勢五人。三年が抜けたら二年は二人だけだから、あの日は、絶対に外せない日だった。みかんちゃんは去年の文化祭でちょっと話題になってたし、ここで一年生を惹きつけられれば廃部は避けられる、って」


 先輩は苦い息を吐く。


「演奏の失敗、じゃないのよ。私たち、ハメられたの」


 体育館のざわめき、照明のまぶしさ、マイクの金属臭――そんな空気感まで甦るように、言葉が続く。


「始まってすぐ、みかんちゃんが一音目を鳴らした瞬間、体育館じゅうに、ありえない音が響いた。ギターのペグがいじられてたの。しかもベース側のケーブルも切られてて、桃花の音が出ない。私たちはステージに立ったのに、一音もまともに鳴らせないまま、頭を下げて降りるしかなかった」


 拳を握って、開く。


「たぶん、文化祭で目立った“軽音――正確には、みかんちゃんを逆恨みした誰かの悪戯……あれは正直、トラウマものだった。私も杏子も苺果も、また仕掛けられるんじゃないかって怖くなったもの。でもね、みかんちゃんは規格外」


 先輩の目元が、ほんの少しだけ和らぐ。


『ごめんなさい。次は開演前に私が全部チェックします。だから先輩、次の文化祭で絶対リベンジしましょう』


「――って、あの子、目をギラギラさせて言ったの。落ち込むどころか、闘志しかなかった」


 一方で、と前置きして、声が少し落ちる。


「でもね、桃花は……そうはならなかった。部活紹介が終わって間もなく、退部届を出してきた。止められなかったのを、今でも悔やんでる。だって、あの日いちばん気合い入れて練習してたのは桃花だったから」


 ツンとした横顔を思い出すように、七海先輩は微笑む。


「誤解されやすい子よ。生意気って言われがち。けど、誰より傷つきやすくて、誰より努力する。いつも一番に部室に来て、最後まで残って、文句も言わずコツコツやるタイプ。ベースってどうしても地味に見えるけど、あの子のフレーズは堅実で温度がある。みかんちゃんが天才なら、桃花は生粋の秀才。だからね、あんなことがあっても、私は最後まで桃花を嫌いになれなかったし、今でも戻ってきてほしいって思ってる」


 そこで八重桜を見る。唇の端が、わずかに上がった。


「そういえば――あなた、八重桜さんでしょ。桃花、ちょっとあなたに似てるのよ。気が強くて、言葉は辛口で、誰にも媚びない……まあ、桃花も先輩の前ではちゃんと敬語だったけどね」


 話の締めくくりに、七海先輩が冗談めかして八重桜の口調を突っついた。

 いつもの屁理屈が飛ぶかと思いきや、八重桜は肩をすくめて。


「そうね。さすがに先輩に失礼だったわ。ごめんなさい、七海先輩。あと、ついでに小林先輩も」


 ――と、あっさり一礼。


 謝るのに敬語へは進出拒否。しかも小林先輩は見事に「ついで」扱い。今日いちばんディスられてたのに、供養が雑だ。


 ともあれ、パーツは揃った。

 藍染桃花が軽音を去った理由。あの日、軽音を襲った手。どちらも、線でつなげば一枚の絵になる。 だが今はまだ、俺の頭の中の下絵にすぎない。


 推測は推測。確信に変えるには——当人の口から聞き出すしかない。


 やることは決まっている。

 舞台袖で囁く気はない。正面から、幕を上げて、訊く。

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