第2話 小日向さんを救わなきゃいけないそうです
来栖君。クラスで金魚飼っているのは、知っているわよね。
金魚に餌をあげたり、水槽の水を取り換えるのは飼育委員である矢島さんと、久保田さんの仕事。でも、あの二人、部活が忙しいと言い訳して、金魚の世話をさぼり、どちらが世話をするかで、よく二人で言い合いの喧嘩をしている。
そのせいで、最初は10匹近くいた金魚も今は3、4匹になってしまった。金魚が不憫だったのかしらね。最近、金魚の世話を小日向さんがしているの。小日向さん、図書委員で全く関係ないのにね。
その姿を矢島さんも、久保田さんも見て見ぬふりよ。代わりに金魚の世話してくれて、ラッキーくらいにか思っていないのよね、きっと。
私ね、小日向さんのこと好きなの。ああ、勘違いしないで頂戴。好きはライクではなく、ラブの方だから。えっ、女同士? 人を好きになるのに、性別なんて関係ないでしょ。
私はね、小日向さんが、金魚の世話をしている今の状況が我慢ならないの。
一度、矢島さんと久保田さんに抗議したけど、あの二人、小日向さんが好きでやっているから、いいじゃないって、悪気もなく言ったの。私、その時、殴ろうとしたんだけど、残念ながら近くにいた男子に止められてしまったわ。
小日向さんにも、辞めるよう説得したけど、小日向さんは好きやっているからいいの。と答えるばかり。自己犠牲を辞めようとしないわ。
というわけで、入門テスト。最初の依頼を伝えるわ。
小日向さんが金魚の世話をしなくて済むようにして欲しい。それが達成出来れば、報酬として入会金の十万を支払うわ。後、ボーナスチャンス。矢島さんと久保田さんに、これほどにない屈辱を与えて欲しい。そしたら、十万円にプラス、3万円加えてあげる。
やり方は来栖君に任せる。それを遂行するうえで、なにか必要な物があれば、申請して頂戴。但し、この依頼は今週中まで。今日が火曜日だから、金曜日までには解決して欲しい。
来栖君。あなたにこの仕事頼めるかしら。
喫茶店を出た俺は、自転車を駐車したデパートに向かって歩いていた。
まさか、八重桜の奴、後を付けて来てないだろうな。と、何度か後ろを振り返るが、問題なさそうだ。バスで来たと嘘を付いたからな。自転車で来たことがばれたら、交通費の1200円が没収されてしまう。しかし、コーヒーもパンケーキも美味しかったな。金さえあれば、常連になっていただろう。
今度、彩空にも連れて行ってあげたい。その為にはまず、入門テストである依頼を遂行する必要があるが。
小日向に金魚の世話を辞めさせる。そして、矢島と久保田に屈辱を与える。これを3日後の金曜日までに遂行しなければならない。相手を説得するには時間がかかる。というか、俺には説得する話術どころか、人脈すらない。ボッチの俺の話しなど、誰も耳を傾けないだろう。
じゃあ、どうするか? 俺の頭の中には、既に依頼を遂行する手筈は浮かんでいた。
しかし、この方法、スマートなやり方ではない。確かに嫌われ者になるのは必至だろう。もし、この方法が八重桜の頭にあったのなら、八重桜は俺に劣らず、性根が腐っていると言ってもいい。
でも、それなら辻褄が合ってしまう。この方法は、人に恨まれようが、なんとも思わず、淡々と依頼を遂行できる、腐った人間である俺にしか出来ない方法なのだから。
翌日。学校の教室。俺はいつものごとく、休み時間、机の上でうつ伏せになっていた。昨日話しをした八重桜も、完全に他人顔。俺と目も合わせようとしない。
休み時間になった途端、小日向は水槽を持って、教室から出ていく。どうやら、水を取り替えに行くらしい。その時、手伝うように八重桜が、小日向に歩み寄り、手を貸していた。
教室に出る前、足を止めた八重桜は、矢島と久保田の方を睨み、そのまま、出て行った。
矢島と、久保田はそれぞれの別のグループの女子達と和気藹々、話しをしている。小日向の姿を目で追うような素振りもない。まるで、自分は関係ないと言わんばかりの状況だ。
小日向もバカだな。自分も知らん顔してりゃいいのに。わざわざ厄介事の首を突っ込みやがって。
小日向みかん(こひなた みかん)クラスではほとんど目立たない。どちらかと言えば、大人しくてオドオドしたタイプ。ただ、それはあくまで一見した印象であり、実は誰よりも意思が強く、行動力がある子だと八重桜は評価している。
身長は150センチ程度。長いストレートの髪を背中まで伸ばし、タレ目で童顔な顔立ち。八重桜曰く、一目見ると、守ってあげたいと思ってしまうような、小動物のイメージが強いらしい。
……そうなのか? 今日、何度か小日向の顔を見たが、全然守ってあげたいと思わなかったぞ。
まあ、俺の感情はさて置いて、小日向のことは助けてやらなくてはな。金さえくれれば、俺は誰のヒーローにでもなる男だ。
さてと。実際、金曜日まで猶予があるが、作戦の遂行は今日の方が都合もいい。
今日の5時限目は体育。教室は一時的に、もぬけの殻となる。あの作戦を実行するには、一時的に人がいない時間帯が必要。
そして、5時限目。その時は来た。
今日は校庭でサッカー。試合の途中で俺は先生に足吊ったと嘘を言って、保健室に行くことを告げた。さすがボッチ。俺がいなくなっても、クラスメイトの誰一人、気に留めた様子はない。気に留めるもなにも存在感が薄いから、抜けたことに気付く奴もいないのかもしれない。
俺は保健室には行かず、真っ直ぐ教室へ向かった。
事前に下準備を行い、ちょうど良いタイミングで授業終了のチャイムが鳴る。ああ、これをするのは気が進まないな。まあ、全ては金の為だ。割り切っていこうか。
ザワザワと廊下の方から、生徒達の話し声が聞こえてくる。そろそろ、戻って来るな。俺は水槽をそのまま、床に叩き落とした。
ガシャーン。と、想像していた以上に高い音が教室に響き渡り、同時に廊下から慌ただしくクラスメイトが教室に駆け込んでくる。
「なに、なんの音」
「うわ、水槽割れてんじゃん」
「来栖。お前、なにやってんだよ」
水槽が割れたことで、俺の足元は水浸しになる。安易に考えていたが、ガラスの破片も飛んできた。下手したら怪我していたな。
少し離れた位置で、クラスメイトは騒ぎたい放題。誰一人、歩み寄って来ないし。来栖、怪我はないか? という心配する声も皆無。まあ、はなから期待していないし、近寄られると逆に困るから好都合ではあるけど、やっぱり虚しいものだな。
「ああ、しまった。手が滑ってしまった」
わざとらしく困った声を出し、俺は近くにある掃除ロッカーから、箒と塵取りを取り出し、割れたガラスの破片と金魚の死骸を素早く、箒で塵取りの中に入れた。それは一見、単純作業のような動きだったかもしれない。
「おいおい。金魚、まだ生きてんじゃねぇか。来栖の奴、気にもしてねぇぜ」
「来栖君、最低。血も涙もないじゃん」
完全にやべぇ奴扱い。そりゃ、そうだよな。金魚の生死を確認することもなく、躊躇なくガラスと一緒に塵取りの中に放り込むんだ。誰だって引くだろう。
「ちょっと、貴志君」
ここで一人。俺の近くまで歩み寄ってくる想定外の人物が。顔を上げると、そこには小日向が立っていた。てか、話すのほぼ初めてだよな。何故、慣れ慣れしく下の名前で呼ぶんだ?
「ああ。悪いな、小日向。お前の大事な水槽を割ってしまった」
全然、悪いと思っていない淡々とした口調の俺に対し、特に気にする様子もなく小日向は、ジッと塵取りの方を凝視していた。
「ねぇ。金魚は死んじゃったよね?」
顔を上げ、俺を直視しながら小日向は首を傾げる。
「そりゃ、死んだだろう」
なに言ってんだ、こいつ。金魚が陸地を歩く生き物だと勘違いしているのか?
「そっか。じゃあ、お墓作って埋めてあげようよ」
柔らかな口調で、小日向は俺に微笑みかける。途端、俺の心臓はドキッと高鳴ってしまった。いや、違う。けして、小日向の微笑みに胸キュンしたわけじゃない。俺の心臓の高鳴りは、焦燥感による高鳴りだった。
「な、なんで?」
俺はテンパって聞く。しかし、小日向は首を傾げたまま、目を丸くする。
「なんでって、金魚が可哀想だよ」
「は? もう、死んでるんだぞ。そんなの、ガラスと一緒にゴミ袋行きだよ。お墓作って、埋めたところで、なにが変わるって言うんだ」
「ねぇ。貴志君はさ、心痛まないの? 確かにお墓作って、埋めるっていうのは、金魚の為っていうより、気持ちの問題だよ。貴志君はさ、自分の不注意で金魚が死んじゃったんだよ。それくらいはしなくちゃいけないと思わない?」
「思わないな」
優しい口調で教えを説く小日向の言葉を、俺はバッサリと切り捨てた。途端にクラスメイト達が、またざわめきだす。
「あいつ、マジで最低だな」
「小日向さん。可哀想」
「反省の色、全然ないよね」
完全なるアウェー状態。俺の味方はこの場に誰もいない。
しかし、小日向は俺に対して嫌悪感を露わにはせず、困った様子で顎に指を当てる。
「わかった。じゃあ、後は私の方で片付けするから。箒と塵取り頂戴」
「それはダメだ」
それをよこして。と、小日向は手を差し出すが、俺は即答で拒否した。
「なんで?」
「水槽は俺が割ったんだ。自分のやったことは、自分で片付ける」
「じゃあ、金魚のお墓は」
「それは作らない」
「私は作りたい」
小日向もけして折れない。俺が睨み付けても、目を逸らさなかった。
参ったな。まさか今回、助ける相手に邪魔されるとは。
俺と小日向が睨み合っていると、間に入ってくる人物が一人。視線を移すと、そこには八重桜は立っていた。小日向の肩を掴むと「小日向さん。ここは私に任せなさい」と、声をかけていた。
「来栖君。あなたが反省しているのは、わかったわ。でも、小日向さんは金魚のお墓を作りたいと言っている。ずっと世話をしていたんだもの。その気持ちは叶えてあげたいわ」
真っ直ぐに俺の目を見つめる八重桜。それは全てを知り尽くしているような目だった。こいつ、まさか、俺がある仕掛けをしていることに気付いていたのか。
後は、私に任せない。とでも言うような、安心感のある瞳に俺は吸い込まれそうになった。
ここで拒否し続ける方が返って怪しまれる。ここは八重桜を頼った方が賢明だろう。
「そっか。じゃあ、頼む」
後は八重桜がうまくやってくれる。そう考え、俺はそのまま、箒と塵取りを八重桜に渡した。
その後、八重桜が箒でガラスの破片を塵取りの中へ。俺と小日向は雑巾で濡れた床を拭いた。
野次馬のように集まっていたクラスメイトも、自分の席に戻って行く者や、まだ俺達の方を見て、コソコソと話す者がいたが、俺はその視線には気にも留めず、証拠を隠滅していった。