第27話 接触
土日の連休が息絶え、億劫の象徴みたいな月曜が始まった。
依頼は二本立てだ。
一つ。藍染桃花から八重桜の“宝物”写真を奪還。
二つ。今後なめた真似を二度とできないよう天誅。
以上を受け、俺は月・火・水を観察日に設定した。
問題は、俺がその藍染とやらの顔すら知らないことだ。
そもそも写真がもう捨てられていたらどうする? 報酬は半額の五万? いや、そもそも報酬が金と確定していない。最悪「友達(最低限)」とかいう理解不能な通貨で支払われる可能性がある。じゃあ奪還失敗なら「半・友達」なんだよそれ、消費税つくのか。
休み時間、餌場に群がるみたいに八重桜の机へ二種の人間が寄ってくる。
一つは黄色い声で目をキラキラさせるファンクラブ勢。もう一つは、薄笑いで様子見に来る三人組――この中の真ん中にいる、背の小さい女性。たぶん、こいつが藍染だ。
背丈は小日向よりさらに少し低い――百五十に届くか届かないか。色白の肌に、きゅっと吊り上がった猫目。黒目がちの瞳が光を拾うたび、刃のような反射を放つ。両側は高めの位置できつく結い上げた二つ団子。太めの黒ゴムに小さな金のピンが差され、団子からこぼれた細い毛束が頬をかすめている。
確かに八重桜の言う通り、見た目――うるさそうな感じだ。
「ねぇ、来栖」
突然、机がバンと鳴り、視界に八神が飛び込んできた。むすっとした顔。機嫌の悪さが歩いてきたみたいだ。
「悪い、八神。今、忙しい」
「なにがよ。いつも通り、ボッチで空気やってるだけじゃん」
罵倒が直球で刺さる。いや、今日は空気じゃない。立派な業務中——対象の行動観察だ。心の中で身分証を掲げつつ、俺はため息を飲み込んだ。さて、仕事の邪魔は手短に片付けるとするか。
「なんか用か?」
机に置いたペンが小刻みに揺れた。八神が俺の天板をバン、と叩いたからだ。肩まで跳ねる音量、眉間はいつもより二ミリ深く寄っている。
「用がなきゃ、私が来栖に話しかけるわけないでしょ」
いや、嘘だろ。サッカーの件以来、音無ほどではないが、意味なく絡みに来る回数は確実に増えている。ありがたくない人気だ。
「で、あんた。みかんになにをしたの?」
「小日向? ……なにかあったのか?」
名前を聞いただけで心臓が無駄打ちする。心当たりは山ほどあるが、声はできるだけ平らに。
「えっ。なにも知らないの?」
「知るわけないだろ。なんだよ、一体」
八神は椅子の背もたれに指をかけ、身を乗り出してくる。唇が尖って、目だけが鋭く笑っていない。
「みかん、月曜から様子が変。元気ないし。なんでもないしか言わない。昨日将棋したら散々。いつもは九割勝つのに」
それはそうだろ、と喉元まで出かかった言葉を飲む。あいつの将棋は化け物だ。九割取る八神も十分化け物だが。
「それと、来栖に全然近寄らなくなった。だから、またなんかやらかしたのかって」
「俺を常習犯みたいに言うな。考えすぎだ。それに小日向、そんな頻繁に俺のとこ来ないだろ」
音無とお前の方がよっぽど頻繁だ。
「教室ではね。目を気にして遠慮してる。でも二人だと、来栖の話、結構するのよ……愚痴七割だけど。今週はそれもゼロ。おかしいでしょ?」
眉をひと跳ねさせると、八神は前を向いた。
ちょうど教室へ戻ってきた小日向が視界に入る。俺が無意識にそっちを見るのと同時に、小日向の視線もぶつかり、スッと逸れる。歩幅が速くなって、自席へ沈み込んだ。
……その反応、ちょっとショック。いや、俺が望んだ距離感だから喜ぶべきか。
「まあいいわ、またね」
八神は手をひらひらさせて離脱。チャイムの余韻とチョークの粉が漂う中、俺は深く息を吐いて席を立つ。
観察は十分。そろそろ動くか。
藍染の取り巻き三人は、八重桜の机の前で円を作っていた。真ん中、お団子頭の小柄な女子がリーダー格——藍染桃花。黒目がちの猫目で、口角だけ薄く上げるタイプ。左右は効果音係らしく、相槌だけで場の温度を上げ下げしている。
俺は歩き出す。心拍数を落とせ、平常、平常――。
「ようよう。八重桜じゃねぇか」
口が江戸に飛んだ。初手から致命傷。三人の眉が同時に跳ね上がり、怪訝が三重奏になる。
「来栖くん。観察は済んだのかしら。全く、待ちわびたわよ」
八重桜がわざとらしく頬を緩める。やめろ、余計に怪しまれるだろ。
「……あんた、誰よ?」
藍染が一歩前に出る。顎、五度上向き。睨みは刃渡り短いが鋭い。
誰と言われると困る。友達でもない。ただのクラスメイトです、は温度が死ぬと、そこで彼女の瞳孔がわずかに開いた。
「あれ……あんた、もしかして、来栖貴志」
フルネーム。俺は思わず目を瞬く。藍染ははっとしたように視線を逸らす。
知ってるのか、俺を。どこからだ。サッカーの件か、それとも別ルートか。
教室のざわめきが一瞬、遠のいた気がした。藍染の猫目が再びこちらへ戻る。その口角は、今度はほんの少しだけ、楽しそうに上がっていた。
なんだ、一体。間違いなく初対面のはずだ。自分の知らないところで俺、有名人デビュー? 最近いろいろ燃やしてる自覚はあるけど、心当たりが多すぎて特定不能だ。
「八重桜。楽しそうに何の話してたんだ」
正面突破は怖いから、いつもの壁役に投げる。
「来栖くん。楽しそうに見えたなら視力検査からやり直しなさい。国語の読解力もついでに」
氷点下のツッコミ。毒舌は本日も安定運転だ。
「へぇ……わかんないけどさ、八重桜さん、この来栖ってやつの前だと口が軽くなるんだ。ふーん」
藍染は、わざとらしく鼻で笑ってから俺を斜めに見る。
「で、来栖。あんたに教えてあげる義理はないけど……私、今、生徒会長に立候補するの」
「ほう。それは素晴らしい心がけだ」
中身ゼロの相槌を投げると、藍染は「でしょ」と口角を上げる。
「それでね。お願いじゃないんだけど――演説、八重桜さんにやってもらおうかなって。だって、美人で頭もいいし、ファンクラブ? とかあるんでしょ。だから、八重桜さんの力があれば、百人力だなと思って」
「随分と正直ね。自分の顔じゃ票が集まらない自覚があるだけ、賢いわ。卑怯だけど」
八重桜がさらりと刺す。笑顔は涼しいのに言葉だけは鋭利。
「ひ、卑怯じゃないし。合理的って言うのよ」
藍染は眉ひとつ動かさずに言い切った。
「それは難しい相談だと思うぞ。八重桜、そういうの嫌いだろ」
反射で口を挟むと、藍染はゆっくりと口角だけを上げた。笑ってはいるが、目が笑っていないタイプのそれだ。
「えー、そんな断れなでしょ。少なくとも、私の頼みは」
まっすぐに人を見下ろす、冷たい目だ。
「私は一体、なにをすればいいのかしら? 藍染さん」
八重桜が小さく息を吐いた。長い睫毛の影が頬に落ちる。拒絶ではない。促しだ。俺は思わず二度見する。
おい、引き受ける気なのか――たかが写真一枚のために。
その時だ。空気を裂く、よく通る声。
「ダメだよ! 桃ちゃん!」
教室の後ろ扉から、小日向が弾かれたように飛び込んできた。
背後では八神が「あちゃー」と額に手を当てている。止め損ねた顔だな、あれは。




