第24話 嘘
胸の奥が、少しだけ軽くなる。責められているのに、不思議と。逃げ道を正面から塞がれて、むしろ楽になったのかもしれない。
顔を上げると、小日向はまっすぐ見ていた。
夕陽が少し弱まって、街の色が夜に滑り込む。信号が青に変わる。人の流れがまた動きだす。
「小日向。お前、その物語の青鬼と俺を重ねてるんだろ」
直球を放る。小日向の肩がぴくりと揺れ、目が泳いだ――図星。
胸の奥が一瞬だけ温かくなる。けど、それは今いちばん邪魔な温度だ。ここで線を引く。傷つける嘘を選ぶ。最短で嫌われるための台詞を、喉の奥で研いだ。
沈黙が二拍。俺はわざと鼻で笑って、空気を冷やす。
「いや、悪い。……空気、読んでくれよ、小日向」
「なに、空気って?」
「俺が八重桜の依頼を受ける理由さ。金だけだと思ってたのか?」
「どういうこと?」
「だから――そういうこと。俺は八重桜と一緒にいる意味」
言葉を落とした瞬間、舌の裏が苦くなる。自分で吐いた嘘が、喉を焼いた。
小日向の瞳が丸くなる。まつ毛が一瞬、かすかに震えて、視線が足もとへ逃げた。
「嘘っ。まさか、八重桜さんのこと、好きってこと?」
「まあ、そうなるな」
「え、だって今日、嫌いだって――」
「あんなの、場を流すための方便に決まってるだろ」
続けて、逃げ道を塞ぐ。優しさを徹底的に潰すために、わざと下品に言葉を選ぶ。
「正直、あいつは都合がいい。顔も、金も、全部。スポンサーだ。俺の将来を買ってくれる、財布って奴だな。俺は必要な投資をしてくれる相手とだけ取引する。ボランティアで誰かの面倒を見る余裕はないんだよ」
吐き気がした。言いながら、自分がいちばん軽蔑したくなるタイプの人間に寄っていく。
けど、ここで引いたら意味がない。こっちの世界に引きずり込むくらいなら、嫌われた方がましだ。
小日向は顔を上げた。潤んだ目に、怒りでも悲しみでもない、理解しようとする色が一瞬だけよぎって――次の瞬間、ぎゅっと唇を噛む。
「……やっぱり」
そのひと言が、妙に胸に刺さる。やめろ、そこに肯定を置くな。俺は更に踏み込む。
「だからさ。今日みたいなのはこれでおしまいにしよう。練習なら、他を当たれ。お前は優しい。でも、優しさは仕事の邪魔だ。俺の周りにいると、ろくなことにならない」
わざと視線を外し、肩をすくめる。冷笑の仮面を剥がさない。
ほんとは謝りたい。言葉を取り消したい。けれど、それをやれば、きっとまた彼女は手を伸ばす。青鬼が嫌いだと言った彼女を、また青鬼にさせるわけにはいかない。
「だから、俺にはもう近づくな。正直、迷惑なんだよ。お前がいると、八重桜を落としにくいだろ」
言いながら、頬の筋肉を固める。眉も視線も、冷たく固定。――崩したら笑ってしまう。こんな三文芝居、笑った瞬間に全部おしまいだ。
八重桜を落とす、ね。世界が三回滅んでも無い。俺の好みは一歩引いて微笑む大和撫子。あいつは正反対のドS女王様。金が絡まなければ半径十メートルに近づきたくもない。
内心の毒を噛み殺し、悪役の台詞だけをきっちり並べる。
小日向は俯き、長い睫毛がかすかに震えた。沈黙が数秒。自問自答の気配が、薄い呼吸に混じる。やがて顔を上げたとき――微笑んでいた。無理やり貼り付けた、ぎこちない笑顔で。
「そうだよね。私ね、そんな感じはしてたんだ。八重桜さん、美人だし。性格だっていいし。貴志君が好きになる気持ちも、わかるよ」
作り笑い。口角だけが上がって、目が笑えていない。突っ込みどころは山ほどあるけど、ここで訂正するのは愚策だ。誤解は、今日に限っては味方。
「ごめんね。でも、今日はありがとう。私、すごく楽しかったよ」
声がほんの少しだけ掠れた。すぐに誤魔化すみたいに息を整え、目元を崩さない。泣く直前の表情なのに、泣かない――強いな、と思ってしまう自分が嫌だ。
信号が青に変わる。
「じゃあ、また明日。学校で」
背中だけをこちらに向け、逃げるみたいな速さで横断歩道へ踏み出していく。最後まで振り返らなかった。
人波に紛れて小さくなる後ろ姿を、俺はしばらく見送った。
……好意は無くても、少なくとも友達くらいには思ってくれてた、のかもな。
胸の奥で、鈍いものが渦を巻く。やるべきことはやった。賢明に悪役を演じ切った。彼女を俺の世界から遠ざけた。理屈では完璧だ。
なのに、足もとに残るのは達成感じゃない。軽くなったはずの肩が、やけに重い。
一体、俺はなにをやってるんだろう。
この感情が虚しさなのか、寂しさなのかはわからない。ただ――さっきの、無理に笑う小日向の顔は、二度と見たくないと強く思った。




