第21話 自宅訪問
まさか、同級生――しかも女子を家に上げる日が来るとは。胃がきゅっと鳴った。
駅前の喧騒を抜け、線路沿いの細い道。夕方の風がマンションの壁をすり抜け、どこかのベランダからカレーの匂いが漂ってくる。俺は歩きながら、先に地雷を処理しておくことにした。
「小日向。一応、言っとくぞ。うちは月三万五千円のボロアパート。部屋は二つで、六畳の洋室が食卓・テレビ・作業場の全部。もう一つの五畳の和室に家族三人で寝る。俺の部屋? ない。で、今日は妹がいるかもしれない。つまり、距離三メートルに妹、って状況になり得る」
普通ならドン引きして「やっぱりやめる」が正しい反応だ。ところが彼女は、ぱっと顔を明るくして前髪を耳にかける。
「えっ、妹さんいるの? 会ってみたい!」
テンション上がった。なぜだ。
「妹さん、まさか貴志くんと一緒で、ひねくれてないよね?」
悪戯っぽく笑って、俺の横顔を覗き込む。頬が少し膨れて、目尻がやわらかい。
「まさか。彩空は俺と違ってハイスペックだ。頭もいいし……俺が言うのもアレだが、可愛い。何より、あいつは優しい。自分がハズレくじ引いても、誰かが笑ってたらそれでいいって、素直に思えるタイプだ」
口に出してから、やけに風が涼しい。小日向は歩みを半歩緩め、ストラップを指でくるくる弄びながら、目を細めて微笑んだ。
「な、なんだよ、その顔」
「ううん。……貴志くんって、本当に優しいんだなぁって」
「は?」
優しい、この俺が? どこの異世界転生だ。脳にウジでも湧いたのか、と言いかけて飲み込む。前髪の陰から向けられる、素直な眼差しに毒舌は鈍る。
錆びた外階段が見えてきた。踏むたびにギシッと鳴る音が、今夜だけやけに大きい。俺は咳払いして、いつもの調子を取り戻す。
「勘違いするな。俺は優しくない。事実の羅列だ……で、騒ぐなよ。階段、音で大家が出る」
「はーい」
小日向は口元に指を当てて、しー。そのまま小走りで一段目をぴょこん。
可愛いな、おい……階段はギシギシ鳴った。俺のメンタルも鳴った。
――ようこそ、現実へ。ここから先は、俺の生活圏だ。
玄関の鍵を回した瞬間、六畳ワンルームの向こうからテレビの音と、間延びした声が飛んできた。
「おかえり。早かったね」
彩空のやつ、やっぱいたか。うちの構造は残酷だ。玄関を開けたら、キッチン越しに生活の全てが丸見え。庶民派リアル脱出ゲーム。
スウェットでソファにだらんと寝転んでいた彩空が、俺の背後から聞こえた「お邪魔します」にビクッと跳ね起きる。優しげな声。前髪の陰から、ぺこりと控えめな会釈。
「え、嘘。女の子? お兄ちゃん、誘拐してきたの?」
テンパり方の方向が斜め上だ。けど、その一言がツボに入ったらしく、小日向は口元を押さえて「ふふっ」と肩を震わせた。廊下で靴をそろえる仕草まで丁寧で、座敷童レベルに礼儀正しい。
畳側に正座して、小日向は深くお辞儀した
「初めまして。わ、私、貴志くんのクラスメイトの……小日向みかん、です」
その丁寧さに釣られて、小町風の妹も正座スイッチが入り、深々と頭を下げる。
「は、初めまして! お兄ちゃんの妹の彩空です。お兄ちゃんが女の子を連れてくるなんて初なので、ただいま絶賛パニック中です!」
そして即座に俺へ矛先。
「てか、お兄ちゃん。お客さん連れてくるなら事前連絡してよね? 私この格好だし、お菓子もないし!」
「だ、大丈夫だよ、彩空ちゃん」
小日向が袖口をきゅっと摘みつつ、柔らかく微笑む。「ケーキとジュース、買ってきたの。四つ……お母さんの分は、冷蔵庫に入れておこう、かな」
この一言で妹の機嫌メーターが一気に青から緑へ。
「小日向さん……大好き! じゃあ私、飲み物用意するね」
ヤカンが鳴く。彩空は手際よくマグを並べ、インスタントココアとお茶を用意。テーブルには小日向が買ってきた小さな箱――開ければ、いちごのショート、ガトーショコラ、モンブラン、チーズタルト。庶民の祭壇、完成。
三人で卓を囲むと、小日向はそっと膝をそろえて座り、箱をこちらへ押しやる。視線は下、でも時々、前髪の隙間からこちらを盗み見る。
「これ、貴志くんの好きなの、あるといいなって……その、当てられる自信は、ないけど」
「十分だ。というか、完璧だ」
言い切ると、彩空がニヤニヤしながら肘で俺の脇腹を小突く。
「はい出ました、不器用な褒め方。お兄ちゃん、もうちょい可愛く言えないの?」
「言語仕様の問題だ。アップデートは予定していない」
小日向は小さく笑って、カップを両手で包む。
湯気越しに、頬がほんのり色づく。ちょこん、と並んだケーキと、三人分の湯気。狭い部屋のはずが、妙に広く感じた。
――誘拐? ちがうな。拉致されたのは、こっちの心かもしれない。少なくとも、今日だけは。




