第18話 練習台デート
土曜日。今日は快晴。空は雲ひとつなく冴え渡っている――俺の気持ちだけが曇天だ。
休日返上で小日向の練習台。まあ、休みは家で本と音楽に溶けてるだけだし、外に出る口実くらいにはなる。
仙台駅のステンドグラス前。待ち合わせの古典。コンコースを流れる冷房の風に、パン屋の甘い匂いと、アナウンスの機械声が混ざる。足音、キャリーの車輪、笑い声。人の波に飲まれながら、俺は壁際で腕時計を一度だけ見る。
本当にここで合ってるのか。ごみごみしてるのは事実だし、俺が人混みと相性最悪なのも事実だ。
母さんは「昔はここに伊達政宗像があってねぇ、お父さんとねぇ」と、聞いてない惚気を二駅分は話してくれた。歴史は重い。俺の肩も重い。
「……貴志くん」
耳に馴染んだ、少しだけくぐもった声。振り向くと、小日向が立っていた。
白のノースリーブのワンピースに、淡いブルーの薄手カーディガン。肩から下げた小さなショルダーを胸の前でぎゅっと握って、視線だけ上げる。前髪の陰からのぞく瞳は、いつもより丸い。足元のサンダルのつま先が内向きに揃ってるのは、緊張の証拠。
「お待たせ……来てくれて、よかった」
言ってから、ワンピの裾を指先でちょんと摘まんで小さく会釈。ついでに耳横の髪を、耳の後ろへそっとかき上げる。そういう動作、教科書に載ってるのか。
「なんだよ、それ。来ないと思ったのか?」
「ううん。貴志くんは……その、約束、守る人だと思ってた。でも、ちょっとだけ心配で。今日だって、ほんとは……め、面倒だったでしょ?」
「まあ、約束だしな」
「うっ……面倒のとこ、否定しないんだね」
口をへの字にして、頬をぷくっと膨らませる。二秒でしぼむ。器用だ。
「俺の気持ちは二の次だろ。今日はお前が、意中の誰かを落とす練習だ」
「あっ、そ、そうだった。忘れてたわけじゃないよ? 設定、設定……えっと……」
慌てて両手をぱたぱたさせ、天井のステンドグラスを見上げる。光がワンピースに反射して、裾がふわりと揺れた。
「じゃ、じゃあ……どこ行こう? 貴志君は、ええと……」
「……」
俺が固まるのを見て、小日向も「あっ」と小さく声を漏らす。視線が泳いで、ショルダーのストラップを指先でなぞる。
「ごめん。そうだよね、普段、誰かと街出るタイプじゃ……いや、違う、そういう意味じゃなくて……!」
必死に手を振る。耳までほんのり赤い。助け舟を出してやるべきか考えていると――。
「ね、ねぇ、貴志君。猫、好き?」
「大好きだよ」
「えっ! 好きなんだ。しかも大好き」
目がぱっと開いて、肩が一段上がる。ワンテンポ遅れて、口元に笑み。
――そのリアクションは何点狙いだ。
「なんだよ。悪いのか?」
「ううん、全然。むしろ……好都合。犬派かなって思ってたから」
「誰がドーベルマンやねん!」
「え、ドーベンマン……やめてよ。貴志くんは、どっちかっていったら柴犬でしょ」
うそ、今、なにげにディスられた? ああ、でも、そう言ったら柴犬に失礼だもんな。柴犬、実際、めちゃくちゃかわいいし。
「行きつけの店が、あるんだ。……猫の。よかったら、そこ行こ?」
言いながら、俺の袖をそっと一回だけつまんで、ぱっと離す。誘導サインらしい。
彼女は弾む足取りで人波の切れ目へ。俺は一拍遅れてついていく。快晴のガラスの光が、白い背中を薄く縁取っていた。
猫好き? という質問をされた時点で、大体想像は出来ていたが、まさか俺がこの場所に生涯行くことになろうとは。
ニャンニャンカフェという看板を見上げながら、俺は入口前に立っていた。いわば猫カフェって奴だろう。小日向は常連なのか、慣れた足取りで店に入って行く。
「二時間くらいでいいよね」
店に入るなり、開口一番に確認され、俺はシステムがわからず、頷いた。
「ちょうど良かった。来週で期限が切れちゃう一時間無料券があったんだ。二枚分使えば、二時間でも1600円だよ」
小日向はチケットを買う販売機の前にいた。押そうとしたボタンは【一時間大人800円。フリードリンク付き】と記載されていた。なるほど。猫触り放題で、一時間で800円ってことか。フリードリンク付きとはいえ、高額だな。いや、一般的には普通なのか? わからん。とにかく、猫が好きでも、そう行ける場所ではないな。
無料券があるとはいえ、ここは甘えてばかりではいけない。と、俺は思った。
「小日向。ここは俺が払おう」
財布を開く小日向に、割り込むようにして俺は言った。
普段はこんなこと絶対言わない。ただ先日、十万円の収入を手にしたばかりだ。無駄使いしてはいけないとはいえ、こないだの依頼は小日向抜きだと、十万ではなく、七万になるはずだった。それにお邪魔役だと思っていたのに、最後の方は小日向の手引きにいろいろ助けてもらった借りもある。だから、ここで小日向の分を負担するのは、安いものだろう。
財布を開け、千円札を取り出す俺を見て、小日向は驚愕した顔で体を震わせていた。
「貴志くん。どうしたの? もしかして、悪い仕事でも始めた」
「なんでそうなるんだよ」
「ダメだよ! 貴志君。白い粉とか売っちゃ」
小日向は取り乱した様子で、俺の肩を揺らす。お前の頭ん中は彩空と同等か。てか、声デケェよ。店員さん、びびった顔で俺を見ているだろうが。
俺は小日向を無視し、さっさと販売機で券を購入し、店員さんに渡した。
「あの、お客様」
白い粉。という言葉を耳にした店員さんは、券を受け取ってくれず、オドオドした顔で俺を見つめていた。見ると年齢も俺達とそう変わらない、高校生くらいの女の子だ。
この子、大丈夫か。先走って、店長や警察に連絡されたら面倒だよな。
「いえ。違うんです。彼女、小麦粉のこと言ってるんです」
俺は適当なことを言って、その場をやり過ごすことにした。




