第14話 策士
「来栖くん。よくやったわね」
三年の背中が扉の向こうに消えるのを見届けて、八重桜が淡々と告げる。
「ああ――」
礼でも言おうとした瞬間、薄い笑みが横顔に貼り付いた。
「でも、悪役の芝居は最低ね。慣れない敬語でところどころ、噛んでたし」
う、うるさいな……慣れない敬語=悪役キャラで手一杯だったんだよ。
「そもそも、あなたは演じなくても十分に腐ってるんだから。無理に着色しなくていいのよ」
あーあ、ひどい言いようだ。まあ、その通りなんだけど。
「おい来栖、こんな真似、ただで済むと思うなよ」
「今年は期待されてたんだ。お前の身勝手で――」
やれやれ。三年生と先生がいなくなった後は二年生どもの不平不満か。どいつもこいつも自分勝手。金の為とはいえ、いい加減、反吐が出る。
「反吐が出るわ」
低く澄んだ声が、空気を一枚剥いだ。俺の独り言じゃない――八重桜だった。さっきまで吠えていた二年の一人、笹田がぽかんと口を開けて固まる。
「あなたたち、三年が一年を殴っていたのを知っていたのよね? なのに、あなたたちはずっと何をしていたのかしら。ねぇ、笹田くん。さっき身勝手って言ったわよね。じゃあ質問を変えるわ。一年を見捨てたまま全国に行くつもりだったの?」
「い、いや、俺はそういうつもりじゃ――」
「じゃあ、どういうつもり?」
瞬き一つしない視線の圧に、笹田は喉を鳴らして黙る。椅子の軋みだけがやけに響いた。
「……八重桜さんの言う通りだ」
静かな男の声。
凪。音無が、眉をわずかに伏せたまま口を開く。穏やかな微笑の角度はそのままに、言葉だけが冷える。
「僕たち二年も、知っていて目を逸らしていた。責任は三年だけじゃない。僕たちにもある。だから、二年も辞めるべきだ。一年のためにも」
水面に石を投げ入れるみたいに、波紋がざわめく。ひっくり返しかけた空気を、阿久津が慌てて掴んだ。
「おい落ち着け、凪。さっき小林先輩が言ってたろ。後は頼むって」
「じゃあ僕たちは、何の罰も受けないのかい?」
やわらかい笑みのまま、凪の声だけが一段低くなる。阿久津は「それは……」と視線を泳がせた。頼れる次期部長、動揺に弱いのが致命的だな。
凪は一歩、前へ。ささやくように、しかし全員へ届く音量で。
「わかった。じゃあ、こうしよう。僕が二年の代表で辞める。それでいいだろう?」
その瞬間、教室の酸素が減った気がした。
誰も反論できない。最小犠牲の提示。最初の二年全員で辞めるべきは踏み台。今の一言が本命。計算づくの献身、えげつないやつだ。
「それなら俺も……辞める」
俯いた阿久津が勇気を振り絞ったような声で言った。
「ダメだよ、仁。君は残るべきだ。次期部長だろう?」
「そんなこと言ったら、お前だって次期副部長だろ」
「僕の代わりはいくらでもいるよ」
肩に置く手の優しさで、逃げ道を塞ぐ。阿久津が今にも泣きそうな顔をした。
怖いほど、完璧だ、策としては。
俺はここで引くつもりだった。依頼は達成ラインに乗った。長居は損――そう思った矢先、甲高い声が割り込む。
「ごめん、みんな! これ、私のせい。私が来栖に相談したから!」
綾が駆け出してきて、深く頭を下げる。
ウェーブの髪が肩で跳ね、悔しさに噛みしめた唇が白い。場の視線が一斉に俺へ飛ぶ。凪ですら、初めて面を崩した。
そこで八重桜の表情も険しくなる。ちょっと、聞いてないわよ、という視線で責めてくる。
俺はため息をひとつ吐き、綾に向き直る。
「八神……お前、最初から知ってたな。俺に相談する前から」
綾の肩がびくりと震え、目が泳いで、やがて小さく頷く。
「雰囲気が悪いだけじゃ、あの言い方は出ないからな。納得だ」
ずっと、八神の言葉で引っ掛かっていたところがあった。
サッカー部の問題を解決して欲しい。解決して、全国大会に出られないなら、それはやむを得ないから諦める、と――八神は最後に言った。
サッカー部の雰囲気が悪いというだけでは、この発言は絶対に出てこない。 きっと、八神はイジメのことを知っていた。知っていたからこそ、この問題に直面すれば、サッカー部の処分は止むを得ないと悟っていたはずだ。
綾は唇を結んで、凪を見据える。
「凪。あんたが辞めるなら、私も辞める」
凪の微笑が一瞬だけ止まった。穏やかさの膜が薄く破れる。計算外、って顔だ。やっと弱点が見えたな。
「待ってよ、綾。君は辞める必要はない」
「あるよ。私だって知ってたのに何もしなかった。しかも問題を来栖に丸投げした。責任は、私にもある」
「それは普通だ。誰だって怖い。三年に逆らえなかっただけさ」
凪が柔らかく言うと、二年の視線がそろって床へ落ちた。罪悪感と安堵の混合。優しい毒。
「責任は僕が取る。綾は残れ。――いや、綾こそ残るべきだ」
「そんなの、凪だって同じ。誰も凪の代わりになんてなれない」
綾の目が赤く光る。凪の指先が袖口の縫い目を、無意識に一度だけ弾いた。
ここで八重桜が、無遠慮に核心へ突っ込む。
「ねぇ、音無くん。どうしてそこまで辞めたいの? サッカーが嫌いな感じにも、対人関係が拗れてるようにも見えないけれど?」
凪は視線をわずかに横へ滑らせ、眼鏡もないのにブリッジを押さえる仕草をした。
答えない。どうやら凪から口を割るのを期待するのは厳しいようだ。まあ、これも想定済み。次の作戦はもう用意している。




