第10話 八重桜の謎
サッカー部の問題は、少なくとも校内の噂にはなっていない。
噂は口止めしても広がる。なぜ広がるかと言えば、流した側に不利益がないからだ。逆に自分が不利益を被る類いの秘密は、誰も口外しない。守るのは相手の体面ではなく、自分の身。――だから、一年生は絶対に喋らない。刺激すれば逆効果だ。
二年生から拾う? 善人そうに見えて三年と繋がっていた、なんてオチはありがちだ。橋は見えても、渡った瞬間に落ちる類いの橋。音無だって助けたいが踏み出せないから、俺たちに話を振ったのだ。
まずは現状の押さえ込み。小日向に情報線を任せ、俺は証拠線を握る。そのために必要な道具が一つ。備品の購入申請――俺は携帯を取り出し、八重桜に電話した。
「はい、八重桜よ」
3コールで出た。が、声に棘。夜の八時、食事中か?
「悪い。今、大丈夫か?」
「ええ、問題ないわ」
言葉は肯定、声音は不機嫌。矛盾、または女心。
「……怒ってるのか?」
「意外ね。コミュ力ゼロの来栖くんが、声色で機嫌を読めるなんて」
第一声から刃物。いつものことだ。
「そっか。よくわからんが、悪かった」
「よくわからないのに謝る男、最低ね。死ねばいいわ」
「で、なんで怒ってる」
「自分の胸に手を当てて三十秒考えなさい」
言われたとおり考える。
「……十万は、さすがにぼったくり過ぎたか?」
ぷつ、と通話が切れた。かけ直す。
「ハズレよ」
「電話切るなよ。俺はかけ放題プランじゃないんだぞ」
「ごめんなさい。イラッとしたのよ。ついね」
「で、理由は?」
「本当にわからないの?」
「わからない」
深いため息ののち、刺突。
「来栖くん。今日、小日向さんと二人で帰ったわよね」
「……帰ったな」
「何の嫌がらせかしら?」
「何がだよ」
「私が小日向さんを、ラブで好きだって、知っているわよね」
「ああ……」
「解散のあと、あなたと音無くんが消えた隙に、私、小日向さんを誘うつもりだったの。なのに、彼女はよそよそしい。おかしいと思って後ろから見ていたら――あなたを待ってた。可愛い顔で」
つまり、ストーカー列が二重だったわけだ……学校内だけか。まだ被害は軽傷で済んだか。
「○○ノートが手元にあったら、あなたの名前を書いてたわ。なかったから、代わりにハンカチ噛み切った」
「カバ並みの咬合力だな……。悪かった。次から気をつける」
「気をつけるって何? 小日向さんに一緒に帰ろうと言われたら断るつもり? ふざけないで。あなた、何様? 殿様? それとも世界の中心にでも立っているつもり?」
うわ。導火線に火点いちゃったか。ここは黙るに限るな。
「ねえ来栖くん。自分の都合で女心を切り捨てられるほど偉い人間だった? あなた、ただのコミュ障・嫌われ者でしょ。殿様どころか、教室の隅に置かれた観葉植物以下よ。水も光も与えられず、枯れかけてるくせに、妙なプライドだけは天を衝いてる」
「……観葉植物以下は言い過ぎだろ」
「いえ、まだ優しい表現を選んだつもりよ。本音を言えば、カビの生えた三角コーナーの生ゴミレベル。存在は気づかれても、触れられるのは嫌がられる。そんなあなたが、選ぶ側に立ってるとでも?」
「なぁ。八重桜」
「なによ」
「俺、泣いちゃうよ」
「泣きたいのは私よ」
「なんでだよ」
「あなた。小日向さんと帰り道、コンビニに寄ったでしょ」
ドキリ。心臓が二拍くらいリズムを外す……やばい、そこまで見られてたのか。
「そして、来栖くん。コンビニで小日向さんに『あーん』されてたわね」
完全に血の気が引く。俺は学校内だけだと思ってた。尾行エリア、拡張してんじゃねえよ。
「あなたが、べろべろしていい? なんて最低なことを言った瞬間、天秤は一度こっちに傾いたわ。あなたを殴るか、アイスを奪って小日向さんの口元を独占するか」
「二択が地獄すぎる!」
もう怖いんですけど。理屈を装った八重桜の選択肢が、ホラーよりホラーなんですけど。
これ以上会話を続けたら命が縮む。ああ……こわいなぁ、こわいなぁ。稲川淳二もびっくりしてマイク投げ出すレベルだよ。
「で、何の用よ。早く用件を言いなさい」
いきなり素にもどりやがった。自分から話を脱線させたくせに。
「いや、用意して欲しいものがあって――」
「ああ。それね、大丈夫。もう準備してるわよ」
「まだ何も言ってないけど」
「言わなくてもわかるわよ」
嘘だろ。と思いながら確認すると、見事に自分が頼もうとしていたブツと一致していた。
「すごいな。お前、テレパシーでも使えるの?」
「言わなくてもわかるの。あなたのことくらい、私が誰より理解していなきゃ意味がないでしょ」
えっ。なにそれ……めちゃくちゃ、キュンとするんですけど。
「……惚れてまうやろー!」
我慢できずに俺は電話越しに叫んでしまった。
……プツ。プー、プー、プー。
――そして、電話は切られた。
いや、ちょっと待って? ここで切る!?
今のセリフ、俺の人生でトップ3に入る黒歴史なんですけど!
そして、誰もいなくなった。俺の尊厳もろとも。
次の日。昼休み、俺は音無を体育館裏に呼び出した。
放課後、体育館裏で話がある――一文だけ送る。アドレス交換など不本意だが、連絡用に番号とメールは交換済みだ。LINE? 無言でガラケーを見せたら、天然記念物を見る目をされた。地味に傷つく。
ほどなくして、音無が小走りで来る。
「ごめん、待った?」
「いや、今来たところだ」
あたりに人影はない。音無は一度だけ周囲を確かめ、やわらかく笑った。
「……で、どうしてこんな場所? 僕、ここで告白されるのかな」
「残念だな。作者は既婚で子ども二人の健全なクズらしい。BL展開はない」
「ダメだよ、作者さんの個人情報晒しちゃ」
自分で言っておいて何だが、何の会話だこれは。咳払いして本題に戻る。
「サッカー部の部室の場所。それと、普段は何時まで残ってる?」
「部室は近い。あとで人目を避けて案内する。活動は十七時までだけど、人が途切れるのは十八時前後かな」
即答。普通なら「何に使うの?」が先に来る。なのに彼は問わない。すでに先読みしている顔だ。
「ねえ、来栖くん。僕からも一ついい?」
「なんだ」
「どうして、依頼を書き換えたの? 問題を止めるだけなら、方法は単純だ。君はいまから部室にカメラを仕掛け、一次証拠を押さえる。拡散すれば、いじめは止まる。部は活動停止になる。五万円、確定だ」
穏やかな声で、核心を刺してくる。わかってて黙っていた口だな。
「なのに君は、問題を止めたうえで、サッカー部を無傷で残す方法を選んだ。難度は跳ね上がる。どうして?」
「十万になるからに決まってる」
「リスクが過大だよ」
音無は顎に指を添え、薄く笑う。無色透明の笑顔だが、底が見えない。
「……じゃあ、俺からも。お前はサッカー部を潰したいのか」
一拍。彼の笑みが、ほんのわずかに温度を失った。
「いいや。望まないよ」
間髪入れず、元の柔らかさに戻る。芝居がうますぎる。
「なら、僕がカメラを仕掛けようか。僕なら入っても怪しまれない」
「断る。お前は信用ならん」
「ひどいなあ。でも、もし僕が、本当は潰したい側だったら、どうする?」
「どうもしない。阻止するだけだ」
「依頼人は僕だよ?」
「俺の依頼主は八重桜だ」
「じゃあ、彼女に内容変更を頼めばいいね」
「無駄だな」
「なんで?」
「それじゃ、面白くないもの。って、笑って切られる」
短い付き合いだが、容易に想像できる。
「それにしても、十万を平然と出せるのは大したものだね」
「出所が不明なのが、少し怖いけどな。家が金持ちなんだろうな、きっと」
「お金持ちではあるみたいけど……八重桜さん、親とは縁切ってるって噂だよ。今住んでるアパートと学費も自分の稼ぎで出してるみたい」
「どういうことだ?」
「お金そのものより、お金の流れを見るのが得意みたいだよ。指標カレンダー、資金の入り口と出口、ニュースの温度。朝は寄り前の板を眺めて、資金が集まる場所を先回り。数%だけ抜いて、すぐ引く。大型はイベントだけ、決算またぎはしない。IPOは当たれば即売り、当たらなければ二次で薄く。損切りは三分で迷わない。そうやって、雪だるまを転がす」
「高校生が、そんな器用に?」
「うん。中学のときに親の同意で作った口座で小さく始めて、手法は自分で磨いたらしい。いまはフリマの回転も混ぜてる。季節物を先回りで仕入れて、週末だけで現金化。統計コンテストと企業のデータ分析コンペで賞金も取ってる。数字を読むのが速いんだ」
「……だから十万が千円みたいな顔で出てくるのか」
相槌をうつが、音無の言ってる言葉、八割以上、意味不明なんだけど。
「そう。でも、面白いと思ったことには惜しまない。逆に、面白くなければ一円も動かない」
「なるほどな……で、その情報をお前が知ってる理由は?」
「……それは企業秘密かな」
音無はいたずらめいた笑みだけ残し、何も明かさない。やはり掴みどころがない。
「部が切り上げるまで時間がある。全員がはけたら僕から連絡しようか」
「遠慮する」
こいつの親切は、返す刃を内蔵している気がする。
穏やかで、誰にでも優しい顔。物語の終盤で仮面を外すタイプ。そういう匂いがする。
「いつかお前の化けの皮、剥いでやるからな」
指を向けると、音無は瞬きを一度。
「そのときは、手加減してね」
柔らかな声のまま、刃だけを含ませてきた。やっぱり、油断ならない。




