第9話 下校
あのあと、話はさっさと切り上げて解散――のはずだったのに。
「……なんで、ついて来るんだよ」
下駄箱を出て、自転車を押して歩く俺の横に、小日向がぴたりと並ぶ。
「一緒に帰ろうと思って……だめ?」
「だめじゃないけど、理由は?」
「……理由、いるの?」
むっと頬をふくらませる。はい出ました、逆ギレ未遂。いや、俺も自転車なら置き去りにできるんだけど、一緒に帰ろうなんて台詞、久しぶりすぎて足が勝手に減速する。情けない。
「……で、なんで俺なんだ?」
「……たまたま、かな。足並みが合っただけ」
「たまたまね」
「それに、ちょっと寄りたい場所があって」
「どこ」
「……コンビニ」
あまりに普通すぎて、思わず間抜けな返事が出た。
「コンビニ」
「うん。アイス、食べたいから」
「一人で行けば?」
「……ひどい」
「……いや。女子高生が男子を誘う理由がアイスってどうなの」
「いいじゃん。放課後に食べるの、特別だよ」
少し拗ねたように言う小日向。俺は肩をすくめて歩き出した。
コンビニまでの道
夕暮れの通学路。並んで歩くと、妙に間が気になる。俺が半歩前に出ると、小日向がちょこんと追いつく。競歩か。
「そんなに食べたいのか」
「うん。頭の中で、ずっとバニラが回ってる」
「言い方怖い」
「来栖くんも食べなよ……一緒に食べたら、美味しいと思うから」
不意打ちのように言われて、足が止まりかけた。小日向は気づかないふりで歩を進めていく。
コンビニ店内。自動ドアをくぐると、冷気が迎えてくれる。小日向はまっすぐ冷凍ケースに駆け寄り、しゃがみこんで覗き込む。
コンビニを出てから、ふと小日向が俺の手元を見て首をかしげた。
「あれ、来栖くん……アイスは?」
「買ってない」
「なんで?」
「買うとしたら食べるのは俺じゃない。妹に買っていく」
そう言うと、小日向の眉がほんの少し下がった。彼女は手にしたカップを見つめて、迷うように唇をかむ。
「……じゃあ、半分あげる」
「は?」
差し出されるスプーン。俺が断る間もなく、彼女は小さく笑った。
そして――
「……あーん、して?」
……沈黙。
自分で言った瞬間、小日向の目がまん丸になった。
「……っ、ち、違っ……! いまのは……その……!」
耳まで真っ赤に染まって、慌ててスプーンを引っ込める。
「いや、聞こえたぞ。はっきりとな」
「わ、忘れて……! お願いだから!」
恥ずかしさで声が上ずっている。俺は悪戯心に勝てず、口の端を吊り上げた。
「じゃあ……べろべろしていい?」
「っ……!!!」
次の瞬間、脇腹に小さな拳がめり込んだ。
「ぐっ……は……!」
「そ、そういうこと言うからっ!」
ぷいっと横を向いた小日向は、肩まで震えている。怒っているというより、恥ずかしさに押しつぶされそうなのが丸わかりだ。
「……半分でいいから。ちゃんと食べなよ」
視線を逸らしたまま差し出されたスプーンには、ほんの一口分のバニラ。
俺はため息をつきつつ、ありがたく口に運んだ。
「……やっぱり甘いな」
「当たり前……」
そう答える声は、まだ少し震えていた。
「ところでさ、小日向。お前、友達いないのか?」
「……それ、利害関係なしで信じ合える、友達の定義のほう?」
「違う。世間一般が言うやつ」
「……それなら、いるよ」
「じゃあ俺に構うなよ。来栖と関わるとろくなことないって言われるぞ」
「……貴志くんと関わると、ろくなことないの?」
「は? この前の金魚の件、巻き込まれただろ。忘れたのか。言いたくはないけど、少なからず罪悪感はあるんだぞ」
「……それは、お金のため?」
「それもある。でも――お前、矢島や久保田にいじめられてないか?」
「え? なんで、私が。……悪いのは、あの二人でしょ」
ぽかんと目を丸くする。その顔を見て、俺は小さく息を吐く。よかった。余計な心配だったらしい。
「罪悪感あるなら、八重桜さんの仕事、断ればいいのに」
「金がいるんだよ」
「……バイトすれば?」
「バイトじゃ効率が悪い」
本音を言えば、人間関係が面倒だからだ。でもそれを言うと、努力しよう講義が始まりそうなので飲み込む。
「というか小日向、頼むから俺の邪魔はしないでくれ」
「……わかった。貴志くんがそう言うなら、邪魔しない。八重桜さんにも、伝えておくね」
――やっぱりクソだな。俺の顔に出たのか、小日向は肩を震わせて笑う。ここ笑うところじゃない。
「貴志くん」
「なんだよ」
「じゃあ、手伝おうか?」
「邪魔してあげようか。の聞き間違いじゃないよな」
「……完全に疑心暗鬼だね。手伝うっていうのは……例えば――情報集め、とか」
「情報?」
「うん。今回、サッカー部の空気とか、人間関係の線があったほうがいいでしょ。貴志くん、人に話しかけるの、苦手そうだし」
図星過ぎて、言葉が詰まる。情報収集は俺の最弱スキルだ。必要なのはわかってる。わかってはいるが。
「……で、いくら欲しいんだ?」
反射で交渉に入る俺。できれば出費は最小に――。
「なんの話?」
「報酬だよ。悪いが、渡せて一万だ」
「……いらないよ」
「え、いくらだって?」
「だから、いらないって言ったの!」
いらない、だと? どういう思考回路だ。タダほど怖いものはないんだが。
「悪いが、俺はお前を信用していない。できれば裏切りペナルティまで付けたいくらいだ」
「ひどい言い方……でも、わかる。私の言動、信用できないよね」
小日向は足を止め、夕空を見上げる。しばし沈黙。やがて、ふっと微笑んで俺を見る。緊張で少しだけこわばった笑み。
「じゃあ、一つお願い、いい?」
「……なんだ」
「この依頼が無事に解決したら――私と、デートの練習をしてほしい」
「悪い小日向。日本語で言ってくれるか?」
「いまのは日本語だよ」
「冗談だろ」
「冗談じゃ、ない」
「お前、デートとか言って俺を陥れようとしてないだろうな」
「貴志くんの心、ほんと歪んでる……」
歪んでない。当然の防衛本能だ。どうせ途中で、ドッキリ大成功の横断幕でも出てくるんだろ――と思ったところで、小日向が小さく息を吸う。
「……秘密ね。誰にも言わないでよ」
小日向は前髪をいじり、照れたような顔をする。
「――私、好きな人がいるの。でも、勇気がなくて告白できない。私、どんくさいし、取り柄もないし、その人ともほとんど話したことないから……だから、貴志くんに練習台になってほしいの」
「練習台ってお前な」
「あ……ごめん。傷つくよね」
言い方はひどいが、理屈は通ってる。俺は噂を広める回線をそもそも持ってない。仮に俺が小日向を好きになっても、あっさり斬られて終わり。翌日からも何事もなく、世界は回る。確かに、練習台としては最適解だ。悲しいけど。
「……わかった」
「え、本当?」
「断られると思ってたのか」
「うん。練習台なんて、普通はいやだよ」
「別に。ていうか俺、女子とデートなんてしたことないから、練習になるかも怪しいぞ」
「……私も、初めて。だから、ちょうどいいよ」
小さく、でもはっきりと微笑む。頬がほんの少し赤い。歩幅が半歩分、俺の近くになる。
「それと――手伝い、ちゃんとする。図書委員だから、先生にも他クラスにも顔は利く……かも。情報、集めてくるね。邪魔は、しない。約束」
「頼む。……本当に、邪魔はするなよ」
「うん」
そのあと家までの道、小日向は終始ご機嫌だった。俺はというと、心拍数がやけに落ち着かず、ハンドルを握る手に汗をかいた。デートの練習ね――。十万円の重みより、よっぽど厄介な請求書が来た気がする。




