8 魔王の行動が謎過ぎる
女性なら一度は憧れるプロポーズの言葉だが、それは意中の男性から伝えられた場合のみだ。
しかしさっきこちらの願いを叶えてもらったばかりで、嫌だと即効拒絶するわけにもいかない。せっかく魔物の侵入を防ぐことができたのに、取り消される恐れがある。
それに拒絶を侵攻の理由をされたらどうしよう…。
悪い方向ばかりに考えが進む。願いを叶えてもらいつつ、相手の願いを拒否するのはどうしたらよいか。自分勝手は百も承知だが、好きでもない男性(しかも魔王)と結婚するのは嫌だった。
「姫」
促すような魔王の声に、必死で頭を働かせる。即答できないなら時間稼ぎをするしかない。
「…通常、結婚とは好きな相手とするものですし、見ず知らずの方と結婚など考えられません。まずはお互いのことを知ってからお返事させていただきたいのですが…」
拒否されるのを覚悟で魔王を見上げる。正直失敗したと思った。この世界のルールは知らないが、国同士の繋がりや政治的な判断など、身分の高い者が自由恋愛できることは稀だろう。
「わかった」
だが彼は相変わらずの無表情でそう答えた。
無理やりな理屈にも関わらず何とか承諾を得て、ほっと胸を撫でおろしかけたが、魔王はまだ佑那を抱きしめたままだ。加えてどうも頭の辺りに何かを押し付けられているような感触もする。
「あの、少し苦しいのですが」
何とか「離せ」の婉曲な表現を見つけ要求すると、背中にまわされた腕の力が少しゆるんだ。そのまま離れようとしたが、額に何やら柔らかいものが触れた。驚いて顔を上げると右頬にも同じ感触があり、キスされていることに気づく。
「ちょっと、待ってください!」
お互いを知るって、そういうことじゃないだろう!
貞操の危機を感じ、必死に押しとどめる。魔王の瞳に自分が映っているのがはっきりと分かるぐらい顔が近い。目線の位置が同じだということはやっぱり次は唇にキスされるところだったようだ。
危ないところだった!
声を出した自分を褒めてやりたいと思ったが、近くにある魔王の顔がある。嫌でも視界に入るその顔をついまじまじと見つめてしまった。瞳には何の感情も映っていないし、動かない表情を見ているとまるで人形のようだと思う。
本当に何を考えているのだろう?
「もうよいか?」
そのまま黙りこんでしまった佑那に魔王が声をかける。
そういう時間的な意味の、ちょっとじゃない!
心の中で絶叫しながらも、自分は王女だと言い聞かせて言葉を選ぶ。
「あの、まだお返事していないのに、こういうことはできません」
仮にも一国の王女相手に婚前交渉はありえないだろう。先ほどの保留の返事と自分がグレイスとして振舞っている以上、この申し出は有効なはずだ。魔物の間ではどうだか知らないけど…。
束の間考えていた様子の魔王だったが、ふと納得したように頷くと素直に佑那を解放した。
「何が知りたい?」
「えっ…」
助かったと安堵しかけた途端に問われた質問の意味を、佑那は咄嗟に理解できなかった。
「お互いのことを知り合うと言ったが、そなたが知りたいことは何だ?」
えー、そこまで考えていなかったよ…。
知りたいことなんて特にない、なんて言えない。自分から提案したことだ。何を聞けばよいのだろう。迂闊に質問して異世界の人間だとばれてしまうことも避けなければならないし。
「…あなたはどうして魔王になったのですか?」
魔王が僅かに眉をひそめる。触れてはいけない質問だったのだろうか。もしくは一般常識なのか。
「…気づいたらそう呼ばれていた」
「世襲制ではないのですね」
「違う。だが父上は先代魔王だった」
つまりは実力次第なのか。そういえばウィルがそんな話をしていた気がする。考えてみれば当たり前だが、この人にも父親がいたのかと思うと少し興味が湧いた。
「他にご家族はいらっしゃるのですか?」
「……もう、おらぬ」
他にはというように、佑那を目線で催促する。父親という単語が出たところから何の気なしに聞いた質問だったが、避けるべき話題だったようだ。空気が重くなったように感じる。家族の話とかプライベートに踏み込みすぎた内容だったかもしれない。
「……陛下は本がお好きなのですか?」
当たり障りのない質問に変えようと目についた本棚を見ながら尋ねる。
「特に好きというわけではない」
はい、会話終了―。
更に言葉を紡ごうとした佑那だが、一冊の本が目に入った。
あれ、何か英語っぽくない?
薄い冊子の茶色の本で、背表紙の文字がかすれていてよく見えないのだが、綴りがアルファベットのように見えた。随分と読みこまれているのか、変色し角が擦れている。
「……私は本が好きなのですが、拝見してもよいですか?」
「駄目だ」
まさか断られるとは思わなかった。貴重な本なのか、人間に見られていけないことでも書いてあるのか。とても気になったが、勝手なことをして機嫌を損ねればあっというまに命がなくなるかもしれない。
本に熱中するふりをして会話を終了できれば一石二鳥だったのに……。
「……好きな食べ物はありますか?」
「特にない」
返ってくる答えが簡潔すぎて、会話が続かない。
せめて逆に質問してくれるとか、もしくはもう少し言葉を付け加えてくれれば良いのに。
これ以上どう質問すればいいかと決めあぐねていると、ドアをノックする音が聞こえて赤毛の小柄な少女がお茶を運んできた。
グッドタイミング! ありがとう!
佑那は心の中で少女に感謝を告げる。
先ほどから距離を保つべく立ったまま会話を続けていたが、それを機にソファーに腰を下ろすことになった。佑那が対面に腰かけようとしても先ほどと同じように引き留められ、魔王の隣に座ることになったため、状況的にはさほど変わったわけではないのが残念だったが。
果実のような甘い香りにすっきりとしたハーブの味が体にしみわたってくる。
グレイス様といただいたお茶も美味しかったな。
半ば現実逃避のように数日前のことをぼんやりと思い出していると、魔王に呼びかけられた。今度は何だろうと返事をしながら顔を向けると、口の中に何かを放り込まれる。
「ん…」
びっくりしたが、吐き出すわけにはいかない。それはさすがにマナー違反だと思っていると、じんわりと甘いカラメルの味がして、添えられたお菓子を放り込まれたのだと気づく。恐る恐る歯を立てるとさくりとした軽い歯ごたえでナッツの味が広がる。どうやらプラリネに似たお菓子のようだ。何種類かのナッツが合わせて作っているらしく、食感が楽しい。
「…美味しい」
甘いお菓子は癒し効果抜群だ。一瞬隣にいる魔王の存在を忘れてしまったが、すぐに強い視線を感じて隣をみると魔王が無言でこちらを凝視している。
に、睨まれている?
固まった佑那からふいと顔をそらすと、魔王はそのまま部屋から出て行った。
魔王の行動が謎すぎるんですが…。