5 魔王に攫われました
「……姫」
低く乾いた声が聞こえて目を開けると、薄いアメジストの瞳が無表情に佑那を見下ろしている。
顔、近い!!
驚いて一歩後ろに下がろうとするが、背中に当たる固い感触と掴まれたままの右腕を見て、抱き寄せられた状態になっていることに気づく。
何でこんなことになっているの? いや、それよりもここどこ?!
頬に当たる風に気づいて視線を動かすと、いつの間にか小さな四阿のような場所にいた。高い場所にあるらしく、眼下には木々が生い茂っており遠くに山々がそびえたっている。反対側に顔を向ければ、石畳の先には重厚な建物が見える。
ヨーロッパのお城みたい。だとすればここは中庭かしら?
「ひゃぁ?!」
周囲を見渡していたところ、急に体を持ち上げられて情けない声が漏れる。
「お、下ろしてください」
「何故」
間髪入れずに問われて、言葉に詰まった。
え、私がおかしいの?……いやいやいや、知らない人にお姫様抱っことか無理だから!
佑那を抱きかかえた男は気にする様子もなく歩き始める。
「あの!自分で歩けます」
「靴がなかろう」
足先を見ると確かに靴が片方ない。どこかで脱げてしまったようだ。
「……重いですし」
「構わん」
無表情かつ淡々とした口調で佑那の抗議をものともせず、回廊を進んでいく。落ち着かないことこの上ないが、どうやら素足で歩かなくていいように配慮してくれているらしい。未だ状況がよく呑み込めていないし、良いひとなのか悪い人なのか判断できないが、一応お礼は言っておくべきだろう。
「…ありがとうございます」
「……」
規則的に響いていた靴音が止まった。男は何を考えているか分からない表情のまま無言で佑那を見下ろしている。
怖いんですけど?!
威圧感が半端ないし、お礼を言うのがいけない文化とかあるのだろうか。
目を合わせたまま心の中で焦りまくっていると、回廊の奥から男性の声がした。
「お帰りなさいませ、陛下」
視線を声が聞こえた方角に向けると、銀色の髪をした男性が恭しく礼をしているところだった。
陛下ってことは王様だよね?
怪我をして倒れていた兵士が「魔物」という言葉を口にしていたことを佑那は思い出した。
あれ、ということは、もしかして……。
「…魔王?」
思わず声に出してしまい、慌てて両手で口を押えるが遅かった。
「そうだ」
佑那の言葉にはっきりとした肯定が返ってくる。
「珍しいものをお持ち帰りになられましたね。こちらでお預かりいたしましょうか?」
「アーベル、下がれ」
銀髪の男性の言葉に短く告げると、魔王は再び歩き出しそのまま扉の奥へと向かった。
室内はモノトーンで統一されており、落ち着いたというより広さに反して物が少ないためやや寂しい印象を受ける。ダイニングテーブルやソファーが置かれた部屋を横切り、さらに扉を開くとそこは寝室だった。
広いベッドの縁に降ろされると、片方だけになった靴を脱がされる。ベッドの上ということもあって嫌な想像をしかけたが、魔王は佑那を置いてそのまま部屋から出て行った。
良かった!というか、そういう目的だったら私じゃなくてグレイス様を選ぶはずよね!
自分の容姿にコンプレックスはないが、女性としての華やかな魅力がないことに初めて感謝した。
うーん、でもじゃあどうして連れてこられたんだろう?
理由を考えていると魔王が自分を姫と呼んだことを思い出した。だとすればグレイスと間違って攫われたのかもしれない。城に侵入したのは人質として王女であるグレイスを攫うつもりだったのだろうか。わざわざボスである魔王が登場するなんて、脅しと示威行為としてはかなり高いだろう。
そこまで考えて、先ほどの寝室の様子が鮮明に思いだされた。
あの時倒れていた人たちは無事だろうか。
ウィルが最後に名前を呼んでくれた気がするけど、もう二度と会えないのかもしれない。そう思うとたちまち心細くなってきた。自分もいつか同じ目に遭うのかもしれないのだ。
でもグレイス様の身代わりになれたのだから、救世主として少しは役に立ったよね。
そのことだけが救いだった。わざわざ連れてこられたのだから、まだ殺されると決まったわけでもない。プラスの方向に考えを巡らせ、何とか気持ちを落ち着けようと努める。
室内の様子をうかがうと、広いベッドの他にはサイドテーブルぐらいしかない殺風景な部屋だ。室内の装飾に関しては、フィラルドで佑那に準備された部屋のほうが幾分か華美であるように思う。
もしかしたらここは魔王の部屋じゃないのでは?
そう考えると気持ちが少し楽になった。いつまでこのまま放置されるのかと思っていたが、人質に与えられた部屋と考えれば納得だ。戻ってくる気配もなく、張り詰めていた気持ちが緩み疲労を感じた。
ちょっとだけ横になろう。
隅っこで丸くなるとたちまち眠気が襲ってきた。