番外編 侍女と側近
姫様の侍女に戻ってからも、ミアは日に一度アーベルにお茶を淹れる。
「忙しい時は来なくてもいい」
そう言いながらも目を細めてミアのお茶を堪能しているアーベルを見て、どんなに忙しくても必ず来ようとミアは決めたのだ。
部屋にいる時間は短く、その日も茶器を片付けて退室する直前のことだった。そんな絶妙なタイミングで衝撃的な質問をされることになるとはミアは思ってもいなかった。
「アーベル」
ノックもなく扉を開ける陛下に驚いてミアは深々と頭を下げる。すぐに部屋を出ようとしたが、引き留めたのは他ならぬ陛下だった。
「ああ、ミアがいるならちょうどいい。お前のほうが詳しいかもしれぬ」
突然名を呼ばれて驚いたが、ミアは背筋を伸ばして陛下の言葉を待った。
「破瓜の痛みとはどれくらいのものなのだ?」
(えっとハカ?墓?……破瓜!?)
絶句するミアより早く我に返ったのはアーベルだった。
「陛下、ミアはまだ子供です。そんな経験はございません。そもそも女性にそのようなことを聞くのは少々配慮に欠けるかと…」
「そうか。ではお前は分かるか?ユナに痛みを与えることも、負担を掛けることもしたくないのだ」
博識のアーベルだが、流石に黙りこくってしまった。男では経験し得ないことを聞かれても困るだろう。
「あの、痛みの程度は分かりませんが、初めてなら致し方ないことですし、姫様は受け入れてくださるかと思います」
愛しい相手に望まれ番う幸福感の前に痛みなど許容範囲だ。あれだけ陛下のことを想っていらっしゃる姫様ならきっと大丈夫だろう。
「ユナに無理をさせられぬ」
そんなミアの言葉をばっさりと切り捨てるシュルツにアーベルが提案する。
「それでは痛みを和らげる薬を処方しましょう。それならば幾分か負担が減るかと思います」
「それならばいっそ深く眠らせた状態で済ませられぬか?どれだけの痛みか分からぬ以上はそのほうが安全だろう」
シュルツの言葉にミアは思わず口出しをしてしまった。
「だ、駄目です!愛しい人との初めての行為なのに知らない間に終わってるだなんて、絶対に姫様は悲しむと思います。痛くてもちゃんと覚えておきたいものなのです!」
アーベルとシュルツが驚いたように、無言でミアを見つめる。
発言の許可もなく話に割り込んだ形になったミアは、自分の失態におろおろと視線を彷徨わせた。
「…ふむ、そういうものか。ならば痛みを和らげる薬だけでいい」
咎めることなく、納得した様子のシュルツにミアは深い息を吐いた。
だが安心するのはまだ早かったのだ。
「ミア、お前は好いた相手がいるのか?」
本日二度目の衝撃的な質問だった。
完全に虚を突かれたミアの顔は赤く染まり、何も言わずともそれが肯定を表わしているのは明白だった。
「やけに実感がこもっていたからな。相手は誰だ?」
や、やめてくださいー!!
いくら陛下の質問でも、本人がいる前で名前など告げたくない。
「陛下、そういう個人的なことは本人の自由かと」
困ったミアを見かねてかアーベルが助け舟を出してくれる。
「ミアはユナの侍女だ。万が一ミアの好きな相手がユナに害を為す可能性がある者なら看過できぬ。そのための確認だ」
陛下の懸念は痛いほど分かる。それだけ姫様のことを溺愛している証拠でもあったし、今までも何度か命を狙われたことがあるのだ。用心してし過ぎることはない。
でも、こんな風に気持ちを知られるなんて……。
泣きそうになるミアに救いの手を差し伸べようとしたのはアーベルだ。
「でしたら私が代わりに聞いておきましょう。その者を調べて陛下に害のないことが分かれば、そっとしておいてください。まだ好意を抱いているだけで想い合っていないのに、本人に伝わるようなことになるのは、少々可哀そうですから」
アーベル様、お気持ちは嬉しいのですが………貴方にだけは知られたくないのです!
「陛下に…」
小さな声にアーベルとシュルツが反応する。
「陛下にだけならお伝えします!」
陛下かアーベル、どちらかに伝えなければならないのなら本人以外を選ぶミアだった。
「ミア、どうして……」
困惑したようなアーベルの声が聞こえたが、ミアは顔を向けることができなかった。聡明なアーベルのことだから、ミアの顔を見れば想いを知られてしまうかもしれない。
「アーベル、席を外せ」
「……承知いたしました。それでは一旦失礼いたします」
いつもより少し固いアーベルの声にミアは不安になった。せっかくミアのために提案してくれたことなのに、それをはねのけるような真似をしてしまったのだ。気分を害してしまったに違いない。
扉が閉まる音がして、陛下から無言の圧力がかかる。
「あ、あの、陛下だけのお心に留めていただけますでしょうか?一方的に私がお慕いしているだけで、ご迷惑をお掛けしたくないのです」
「それがユナを害する意思がないのなら、何もせぬし誰にも言わぬ」
だから早く言え、とばかりに視線を向ける陛下を見て、ミアは覚悟を決めた。
「あ、アーベル様、です」
「ならば何故隠す必要がある?あやつに伝えれば良かろう」
不思議そうな声は純粋な疑問から出た言葉のようだ。
「アーベル様は私の保護者代わりですから、そういう対象として見られておりません。それに私はお傍に入られればそれだけで幸せです」
陛下と姫様を見ているととても幸せでちょっぴり羨ましい気持ちになるけれど、自分とアーベルがそんな関係になることをミアは想像できない。だから今のままでいいのだと思う。
「そうか」
陛下は一言そう告げると、さっさと部屋から出て行ってしまった。
「陛下、ミアの相手はどのような者でしょうか?」
「言わぬと約束した。気になるなら本人から直接聞けばいい」
「私より陛下を選んだのですから言いたくないのでしょう。ですが、彼女の保護者として知っておきたいのです」
そう告げるとシュルツは珍しく口角を僅かに上げた。何やら面白がっているように見えるのは気のせいだろうか。
「まあ悪い奴ではないだろう」
誰にでも当てはまるような言葉に話す気がないことが分かった。
「もう子供ではないのだから、放っておけ」
「まだ子供のようなものです。あの子は少々素直過ぎるので良からぬ男に引っかかってしまうかもしれません」
「お前がそんなに気に掛けるのは珍しい」
含みのある言葉から言わんとすることを察して、いつもより強い口調で反論してしまったのはあり得ないことだからだ。
「育てた者として責任がありますから。あの子といくつ離れていると思っているのですか。私は幼女趣味では――」
ありません、と言いかけてアーベルは気づいてしまった。
アーベルとミアの年齢差よりもシュルツとユナの年齢差のほうがはるかに大きいことを。
ミアは幼い外見をしているが、一応魔族として成人しているし年齢的にはユナよりも年上である。
「…こほん、年齢差はさておいて、幼い頃に拾った子供にそのような目を向けることはありませんよ」
そう言うとそれ以上シュルツは何も言わなかった。
翌日、部屋を訪れると書類に筆を走らせていたアーベルの手が止まった。
「あの、お茶をお持ちしました」
正直少し気まずいけれど一度避ければもう二度とこの部屋に来ることができない気がして、ミアは勇気を振り絞った。
「ああ。……たまにはお前も付き合え」
予期せぬ誘いに胸が高鳴ったが、昨日のことで何か話があるだけだと心を落ち着かせる。
「あの、昨日は折角のお気遣いを無下にしてしまって、申し訳ございませんでした」
良かれと思って差し伸べた手を振り払ってしまったのだ。自分の気持ちを知られたくないとはいえ、自分に非があることは自覚している。
「気にしていないと言えば嘘になるが、お前ももう年頃の娘だ。気になる相手の一人や二人いるだろう。私はお前の身内のようなものだし、気恥ずかしい気持ちも理解できる」
そう言ってアーベルは苦笑いを浮かべている。
やっぱり子供みたいな存在だと思われてるんだよね…。
ずっと分かっていたことだったが、改めて言葉にされるとチクリと胸が痛む。
だからこそ今も傍にいることを許されているのだから、これ以上求めては罰が当たる。
「だが困ったことがあれば、ちゃんと言え。出来る限り力になってやるから」
その言葉だけで十分だった。たとえ子供に見られていても、特別扱いされていると思わせてくれるのだから。
「ありがとうございます、アーベル様」
精一杯の笑顔を浮かべると、アーベルの顔も柔らかくほころんだ。
「シュルツ、ミアから聞いたよ。好きな人の名前を無理やり聞き出すなんて良くないと思う」
「む、それは必要なことなのだ」
「心配してくれるのは分かってるけどさ。でも何でそんな話になったかミアは教えてくれなかったの。聞いちゃいけないこと?」
女性に聞くようなことではないとアーベルから言われたため、シュルツは黙っておこうと決めた。代わりに話を逸らすようにアーベルのことを持ち出す。
「アーベルはミアのことを想っているぞ」
「え、本当に?!ミアは全然望みがないって言ってたけど…」
「あやつは無自覚だから、当然だろう」
きょとんと首を傾げるユナが可愛くて、膝の上に乗せて会話を続ける。
「アーベルは我に忠誠を誓っているが、過去に二度だけ他者を優先させたことがあった。それがミアだ」
ミアが病を患った時と良からぬ者に襲われそうになった時、常に身に付けさせているブレスレットには危険を知らせる働きがあり、それにより察知したアーベルはミアを護るべくシュルツの傍を離れた。
「当時は分からなかったが、今なら分かる。ユナが教えてくれたからな」
柔らかな頬に口づけすると、ほのかに顔を赤くしてユナは目を逸らす。
「それで無自覚とか…。んんっ、でもこういうのはそっとした方が上手くいくもんね。余計なことしちゃ駄目だよ」
「ああ、それよりも他にすることがあるからな」
ユナが疑問を口にする前にシュルツはそっと唇を重ね合わせるのだった。
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