43 願い
目が覚めた佑那は憂鬱な気分で溜息を吐いた。優しい言葉も手の感触も確かに望んだものだったのに、シュルツの困ったような表情が記憶から離れない。
会議以降、シュルツはずっと気を遣ってくれていた。だけどそれを受け取れずにいたのは佑那だ。自分の発言が知らぬうちに影響を与えていたのだと分かってからは、以前のように願を口にすることが出来なくなった。自分に甘いシュルツは何でも叶えてくれようとする。だから甘えては駄目なのだと思い込み、シュルツやミアの言葉を聞き入れず思うように喋れなくなった。
『ユナ、大丈夫だ。我を信じてくれ』
真摯な表情と懇願するような響きを帯びた声に心が揺れたが、どうすることが正しいのか佑那は分からなくなっていた。
あの時違う答えを返していたら、何かが変わっただろうか。
起き上がりかけた時、親指に巻かれた包帯にぎくりとした。放置した手当てをしたのはウィルしかいない。それはつまり夜寝ている間にウィルが部屋に入ってきて手当てをしてくれたということだ。
心配してくれたのかもしれないが、勝手に部屋に入られたことは受け入れがたい。
だが佑那はウィルの厚意に甘えて居候している身だ。それに文句を言えばウィルを異性として意識していると思われるかもしれない。
一人称は私から俺に変わったものの、ウィルは丁寧な口調は崩さず礼儀正しく接してくれる。
そろそろ自立しないと……。
ここにいたいと思ったのは一人で生計を立てていくことに不安だったからだけではない。もしかしたら迎えに来てくれるのではないか、そんな淡い期待を抱いていたからだ。
いい加減夢を見るのは止めて現実に向かい合わなければいけない。胸元からのぞくネックレスをしばらく見つめて取り外した。
『お守りだからずっと身に付けていてくれ』
思い出を振り切るように引き出しに押し込めると、身支度を整えて佑那は階下へと向かった。
「ユナは魔王の元に帰りたいですか?」
朝食後に前置きなしに訊ねられた質問に咄嗟に答えることが出来なかった。
「………帰れないよ。シュルツはそれを望んでないもの」
自分の言葉に心が痛む。受け入れがたいがそれが事実なのだから、仕方ない。そう思うのに心は未だに反応してしまう。
「ユナ、誰も傷つけずに生きていくのは難しいのですよ。悩み、迷い、傷ついて正しくあろうとする人間を責める者もいれば、共感し受け入れる者もいる」
「ウィル?」
先ほどの質問の意図はもちろん、話が飛躍してついていけない。
「俺は貴女の願いを叶えたい。だから、少しだけ我慢してください」
立ち上がったウィルが近づいてきたと思った途端、佑那はソファーに押し倒されていた。
信じられない思いでウィルの顔を見るが、感情を見せない表情に身体が強張る。
「ネックレスを外してくれて良かった。あれにはかなり強力な加護が掛かっていましたから」
首筋に触れられてぞわりとした。別人のようなウィルに声を出すこともできず、ただこの状態から逃れようと暴れるがびくともしない。
両手を頭の上で固定されて片手で服がたくし上げられる。
「大丈夫ですから」
耳元でそう囁かれるが、ウィルの言葉と行動は一致していない。素肌が冷たい空気に触れ、何をされようとしているのかは明白で恐怖が押し寄せてくる。
「――っ、嫌!助けて、シュルツ!!」
その瞬間、佑那を押さえつけていた力が消えた。
「ユナ」
……これも夢なの?
自分の名前を呼ぶ掠れた声と安心する匂いに包まれながら、佑那はぼんやりと思った。
「シュルツ?」
呼び掛ければはっとしたようにシュルツが身体を震わせた。その瞳はまた困ったように細められている。
ごめんなさい、そう口にする前に別の声が遮った。
「ユナ、貴女の願いを言いなさい!」
いつの間にか部屋の隅で床にうずくまりながらも叫んだウィルに、シュルツの表情が冷ややかなものに変わる。
「加減しすぎたか。ユナを傷付けるなら容赦せぬ」
「シュルツ、私はシュルツの傍にいたい」
佑那の言葉に弾かれたように振り返ったシュルツは、伸ばした手を止める。まるで触れてはいけないというように。
「私のこと、好きじゃなくなったならちゃんとそう言って。でももしまだ気持ちが変わっていないなら、連れて帰ってほしいの」
「…駄目だ。ユナには幸せになって欲しいから、連れて帰れぬ」
互いに大切だと思っているのに伝わらない気持ちがもどかしい。
「シュルツ、一緒に幸せになろうって言った…」
「聞き分けてくれ。我が傍にいなくてもユナは幸せになれるから」
シュルツの手で優しく頭を撫でられるが、意識が遠ざかるような感覚は記憶に新しく佑那は必死でそれを拒絶しようとする。
「聞き分けがないのはどっちですか。ユナの幸せを貴方が勝手に決めないでください」
遠くから聞こえてくるウィルの声に励まされるように、佑那は叫んだ。
「シュルツがいないと幸せになれない、愛してるの」
佑那が意識を保てたのはそこまでが限界だった。




